第8話 その者、食物連鎖の頂点なり
とある森林地帯の中、2人の男は大きな岩陰に隠れ震えていた。
「なんでだよ……なんであんなのが……」
どちらも剣を強く握りしめ、歯をカチカチと鳴らしながら互いに身を寄せ合う。
おそらく体温を感じることで、自分がまだ生きていることを実感できるようにだろう。
今日の昼過ぎのこと、この一帯で奇妙な咆哮が聞こえてくるという報告と、採集に行った一団が昨日から帰らないという事件が飛び込んできた。
そこで近くの街の哨兵の3人へ調査が命じられた。
誰もがここに来るまでは大して重くは受け止めていなかった。
「どうせ獣の遠吠えが木霊したんだろう。それで大袈裟に聞こえたのさ」
なんて談笑しながら現場まで向かうくらいにだ。
行方不明の人たちだってちょっとしたトラブルで立ち往生をしているだけ。
そんなのはこの世界では珍しいことではない。
しかし調査や捜索も随分と深いところまで来てみたが成果は得られず。
日も傾いてきたのでそろそろ切り上げようと思い始めた頃に「それ」と遭遇してしまった。
何者をも噛み砕く巨大な顎、振るえば大木を軽くなぎ倒すほどの鉤爪がついた太い腕、全身を鎧のような赤黒い鱗に覆われた二足歩行のトカゲ。
短いが決して折れそうもない2本の角が生えた頭の高さは7メートルくらいはあるだろうか。
一部では竜の眷属なのではとも言われている魔物、バルバルスレックスだ。
冒険者ギルドに依頼を出せば上から数えて3番目のランクであるB、個体の大きさによってはAに認定されるほどの危険度である。
よほど腕に覚えがなければきちんと討伐隊を組んで、事前に配置や攻撃手順を決めてかからないと倒すのは不可能だろう。
ましてや3人でなど、自ら胃袋に収まりにいくようなものだ。
普段なら獲物となる大型の動物が多い辺境の地にいるはずなのだが、それがどうしてこの地にいるのか。
哨兵の男たちは言葉を発することなく迅速にその場を離れた。
いや、恐怖のあまり発することが出来なかっただけであった。
幸いにも向こうは鼻をひくつかせて臭いを探るだけで、まだ見つかってはいないようだ。
それから3人は岩陰に隠れてこれからの動向について話し合った。
その結果、本部へ救援を要請する為に新人だった1人を走らせる。
残った2人は本隊が来るまで息を潜めている……というわけにはいかなかった。
この森林の近くには村がある。
2人が生まれ育った村だ。
もしも既にここらの動物を食べ尽くしていて、餌を求めて彷徨い始めれば真っ先に向かうのはその故郷である。
そしてそこで人間の味を覚えでもすれば今度は街を目指すだろう。
だからこそ時間を稼がなければならない。
倒せなくてもいい。
とにかく救援が駆けつけるまで注意を引きながら逃げ回るだけだ。
それでも死を覚悟しなければいけないことには変わりないが。
「こんなことなら仕事に行く前に息子を抱いてやればよかったな」
岩にもたれかかって1人の男が呟くと、もう1人が苦笑する。
「全く……独り身の俺には羨ましい後悔だな」
「お前がいつまでもフラフラしてるからだろ。いい人の1人や2人いるんじゃないのか?」
問われた男は目をつぶって顔を上げ、ひとつ息を吐くと胸の内を吐露した。
「あの世まで持っていきたくないから言うけどよ。実は俺……ずっとキャメイのことが好きだったんだぜ」
「キャメイを!? 嘘だろ……」
「本当さ。結局はお前に負けたけどな。嬉しさ半分、悔しさ半分の複雑な気持ちでずっと過ごしてたんだ」
唐突に衝撃の事実を告げられると、対照的に男は地面に目を伏してしまう。
「その、なんだ……ごめんな」
「っざけんな! 今の謝り方、勝者の余裕が見えたぞ!」
睨みつける男とたじろぐ男。両者の沈黙がしばらく続いた。
「ふっ……」
「はは……」
しかし、どちらからともなく笑いが漏れると2人はがっしりと肩を組む。
「お前のおかげで楽しい人生だったぜ。相棒」
「あぁ、俺もだ。最後にあのトカゲ野郎に一矢報いてやろうぜ。こんなちっぽけな人間でも、大事な人たちを守る礎になれるんだってな」
男たちは立ち上がると、一度互いに拳を合わせてから魔物に出くわした場所へと戻っていった。
もう完全に日が沈み、周辺はすっかり闇夜に包まれている。
2人はそれぞれ違う方向に気を配りながらジリジリと少しずつ前進していった。
今にも木々の間から巨大な顔が飛び出し、悲鳴を上げることもなく食べられてしまうのではないかという恐怖と戦いながら。
生きた心地のしない時間が刻々と過ぎていく中、少し先の方に明かりが灯っているのを目にした。
それぞれが訝しげな顔を見合わせると、身を屈めながら足音を立てずにゆっくりと近づいていく。
そして茂みから恐る恐る覗いてみると、予想もしてなかった光景が広がっていた。
そこにいたのは凶暴な魔物などではなく、丸太の上に腰掛けた若い男女の2人組。
男の方は黒髪で、そこらへんの武具店に行けば買える長剣と軽鎧を身につけた剣士、女は銀髪で可愛らしい人形のような黒い服を纏っている。
「体表は硬そうだったけど、焼くと鶏肉みたいで美味いな」
「冗談言うな。固いし脂身もないし、とても食べられたものではない」
「そう言う割には手が止まらないみたいじゃないか」
「う、うるさい! 昨日のミネラルベアとかいうやつよりはマシなだけだ!」
焚き火を囲んで食事をしているだけのようだが今は状況が悪い。
肉を焼く匂いに誘われてレックスや他の魔物、猛獣がいつやって来るかも分からない。
「君たち! 今すぐこの場か……ら……」
哨兵の男たちは警告の為に飛び出し、さらに剣士らに近づいて初めて気が付く。
辺りが暗かった為に背後にそびえていたものをずっと岩だと思っていた。
だがそれは男たちが畏怖の念を抱き、命を諦めさせられたものの成れの果てだった。
切り刻まれた……というよりも、見事なほど綺麗に切り捌かれたバルバルスレックスだ。
そう、剣士と女が今まさに食しているのがそれであった。
常人には信じ難い事実だ。
剣士の出で立ちを見れば冒険者である可能性が最も考えられる。
B級ないしA級の魔物を討伐することが可能なのは、等級が少なくとも「金」以上の者である。
しかもたった1人でとなればさらに上の実力でなければ不可能だろう。
「白金」か「
それ以外だとここ3年の間、レマリノを中心に各地で噂になっている謎の男。
依頼でもないのに次々と高難度の魔物を倒して回っているという「黒騎士」くらいである。
しかしこの剣士の装備ではそれと一致しない。
黒騎士はその名の通り漆黒の鎧に身の丈ほどもある黒い大剣を振るうと言われている。
となると装備が貧相で見た目にそぐわないが、やはりこの男は凄腕の冒険者ということなのか。
「ここら辺の方ですか?」
思い耽っている哨兵に剣士が立ち上がって声をかける。
「あ、あぁ……そうだけど」
「よかった、俺はエルトという旅の者です。こっちの連れは
「フィルモスかい? だったらこの森林の脇の街道を真っ直ぐだよ」
エルトは礼を言うと振り返り、手を掲げレイナへ合図を送った。
「だってさ。そろそろ出発するぞ」
「お前が決めるな! 主人は我であるぞ!」
「あっそう。じゃあ俺は先に行くけど、そのまま夜が明けても知らないからな」
「ぬぅ……ズルいではないか! いつもそればっかり! ならば影の中に入れろ。我はしばし食後の休息をとる」
2人のやり取りから哨兵は令嬢とその従者とも思ったが、それにしては関係が少し妙だと感じた。
それにまだ肝心なことを聞けてはいない。
だからこそ慌ててエルトとレイナを呼び止めたのだった。
「ちょっと待ってくれ! エルト君……と言ったかな? このバルバルスレックスは君が仕留めたのか?」
「いや、俺と言えばそうなんだろうけど……えっと、どう説明すればいいのか……」
目を泳がせながらの歯切れの悪い返答に、哨兵は眼前の冒険者に対して徐々に不信感を募らせていく。
「念のため何か身元が分かるものとかあれば見せてもらえるかな?」
エルトはしばらく考え込んだ後に、思いついたように衣服の下に隠れていたプレートを首元から取り出す。
「しばらく仕事をしていなかったからすっかり忘れてました。冒険者のですけど、一応名前と登録番号が刻まれてますので」
素性を明らかにしようと思ってのことが、さらに哨兵の混乱を招くこととなった。
冒険者としての等級を示すプレートだが、エルトに見せられたものが最下級の青銅であったからだ。
バルバルスレックスを討ったのはこの剣士ではないのか?
そんな疑問が新たに湧き上がってきていた。
「あの……何か不都合なことでも?」
プレートをまじまじと見つめる哨兵にエルトは不安げに尋ねる。
「いや、なんでもない。念の為に番号は記録させてもらうよ」
「それよりもこんな時間に外を歩くのは危険だ。夜は魔物が活性化するからな。付き添うから今日のところは俺たちの街で宿を探すといい」
もう1人の哨兵がこの場を去ろうとするエルトたちに声をかけると、レイナは振り返って不敵な笑みを浮かべた。
「案ずるな人間。この闇夜の世界は我らの為にあるのだ」
その目を見た男たちが本能的に感じたのは、バルバルスレックスと邂逅した時以上の重圧だった。
まるで先程までの合点のいかない光景と一気に等号で結びつけるような、それほどの圧である。
大袈裟などではなく、この女こそが生物の食物連鎖の頂点に君臨する者なのではとさえ思えるくらいだ。
やがて冒険者らの姿が見えなくなると、虫の声だけが聞こえてくる静けさの中で、男たちは呆けて立ち尽くすだけだった。
「俺、この歳になっても世界のほんのひと握りしか知らなかったんだなって思ったよ」
「あぁ、俺もだ。でも知らないままの方が幸せなことなのかもしれないな」
どこか悟ったように語り合う哨兵であったが、ふとあることを思い出したように片側の男が口を開いた。
「そういえばお前さ……」
「うん?」
「まだキャメイのことが好きなの?」
「……こんなことになるならそれも知らない方が幸せだったかもな」
2人はこれ以上の会話もない気まずい空気の中、報告の為に街へと帰還していった。
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