第7話 二人の旅立ち

「なるほどな」


 俺が経緯を話していく度に少しだけ体が軽くなっていく気がしたのは、スクレナが相槌を打ってくれるからだったのかもしれない。

 いつの間にか荷物の中から取り出した手紙を寝そべって読みながらだ。

 俺が村を出る時には心の拠り所にしていたもの。

 今となっては便箋を見るだけでも辛くなる。

 だから勝手に読まれたところで別に構わない。

 寧ろここに捨てていってもいいくらいだ。


「ここでしばらく間が空いて……これが最後か」


 スクレナはセリアからの別れの言葉が綴られていた1枚に目を通していた。


「貴様はこれを全て読んだのだな?」


 もちろん最後の一文まで読んだ。

 それでも信じられなくて帝都まで駆けつけ、おかげで今のザマだ。

 だがスクレナは手紙を畳んで便箋の中へしまうと、それっきりは何も言及してこなかった。


 それにしても随分と長居をしてしまった。

 天気が回復しているならそろそろ先に進まないと、日が落ちる前に宿駅に辿り着けないかもしれない。


「それで、どうやって戻る気だ?」


 どうやってって……

 あの扉を出て、来た道を戻ればいいだけだろう?

 ここまで1本道だったし。


「この部屋はどの世界にも属さない別空間に作られているのだぞ。扉を出たところで元の世界に帰れるという保証はない。だから初めに『迷いこんだ』と言ったのだ」


 嘘だろ!?

 じゃあ俺は一か八かの運任せで扉を出るか、ここで死ぬまで暮らすしかないのか。


「もとより闇の中で生きてきた我ならば自由に移動することも容易いのだがな」


「だったら俺を外まで連れていってくれないか? お前だってたまにはここを出入りしてるんだろ?」


「おまっ!?……まぁ、よい。しかしそれが不可能なのだ」


 なぜだ? さっきと言っていることがまるで違うじゃないか。

 そんな矛盾の指摘に常時自尊心に溢れていた女王様は、どこかバツが悪そうにしていた。


「闇の中で自由にというのは本当なのだが。実はな……我はここに住んでいるのではなく、封じられておるのだ」


 1000年くらい経過した頃から数えるのをやめたから年月は定かではないらしいが、今度はスクレナの方がこれまでの経緯を語り始める。


 大昔に闇の国「ザラハイム」に人間が攻め入ってきたが、初めは何事もなく自軍が圧倒的な力で返り討ちにしていた。

 ところがその戦いの最中に人間が投入してきた兵器によって戦況は覆され、次々に侵攻を許してしまう。

 それでもスクレナを倒しきれなかった人間側は、この異空間に封じ込めることで戦を収めた……とのことだ。


「その際に用いられたものがそれだ」


 スクレナが指をさしたのは俺がここへ入った際に初めに目にした台座だ。

 その時は一瞥するだけで気にもとめなかったけど、改めて見てみれば中心の突起の上には白く光る結晶が置かれている。


「その結晶がある限り我はここに囚われたままということだ」


 俺は首を捻った。

 それもおかしな話ではないか。

 こうして目の前にあるんだから簡単に壊せそうなものだけど。


 当然のことだが相応の事情があるみたいだ。

 スクレナはナイトテーブルの上にあったコインを手に取ると、台座へ向けて放り投げた。

 すると周りには光の壁のようなものが現れ、コインは台座に届くことなく閃光に包まれるとバチッと音を立てて床に落ちる。

 なるほど、結界に守られているということか。


「しかもこの目的の為だけに作られた結界である。故に我を封じるという点においてはこの上ない効果を発揮するのだ」


 ここまでの説明を聞いて俺の頭にある考えが過った。

 スクレナを封じる為だけの結界。

 ならば他の者には簡単に壊すことが出来るのではないかと。


「いや、通常の基準で計ったとしても強力な結界ということに変わりはない。武の心得がある者でさえ破壊には困難を極める」


 キッパリと言いきられてしまったが、それでも俺は構わずに台座の側へ立つ。

 どうやら自分を納得させる為にとにかく行動してみるというのが俺の質みたいだしな。


「まさか……本気か? よせ! 無事では済まぬぞ!」


「俺が……この結界を突破してみせる」


「一体なんの得があるというのだ! 我を解放して自分の世界に帰る為か!? だとしてもここで死んでは元も子もなかろう!」


 スクレナの制止も聞かずに俺は結界に触れた。

 接触した箇所からはコインの時とは比較にならない程の閃光が走る。

 手のひらだけでなく全身が痺れ、体の中から少しずつ焼けていくのを感じた。

 味わったことのない痛みによって本能的に手を引きそうになってしまうが、それに抗い限界以上の力を入れると、一気に右腕をねじ込み結晶を掴んだ。

 その瞬間に結界は爆ぜて、衝撃で俺は大きく後ろに飛ばされる。


「スクレナ!!」


 宙に投げ出された結晶を目にして思わず叫んでいた。

 最後の力を振り絞った叫びだ。

 呼応するようにスクレナの足元からは長い影が伸び、巨大な刃を形作ると一刀両断にした。



 砕け散る音が部屋中に反響した後は、少し前とは打って変わって静寂が訪れる。

 その中で俺は仰向けになり、天井を見つめながら必死に呼吸を整えようとしていた。

 しかし今の体はそれもままならないほどの状態だった。

 息を吸い込もうとすると胸の辺りから変な音が出て、上手く肺に酸素を送り込めない。

 おそらく結界に長く触れたことや、暴発によって体の内と外、両側から深く傷付けられたのかもしれない。

 左腕は指先も動かせないほど使い物にならなくなったが、もっと酷いのは右腕だ。

 肘から先がなくなっている。

 結界を突き破って、結晶を引き抜くと同時に失ったんだろう。

 こんな惨状であるにもかかわらず、痛みは一切感じなかった。


 その代わり徐々に思考が鈍り、視界がぼやけ、耳鳴りが大きくなってくる。

 右腕はもちろん、あらゆる傷口から血を流し過ぎたのか。

 薄れゆく意識の中で、俺の視界の中にはこちらを覗き込む女の姿が映った。


「俺…………死ぬのかな?」


「あぁ、間もなくな」


 振り絞るような声で問うと、スクレナは表情も変えないまま素っ気なく答える。

 その様子に俺は「そうか……」とだけ呟き、なぜか口元には笑みが浮かんでいた。


「怖くはないのか?」


 今度は逆に問われるが、何も返さなかった。

 まだ少しくらいは声を発することは出来たのだが、今の表情が俺の答えだった。


「なぜだ……逝く前に答えろ。なぜこれほどまで我に尽くした?」


 理由は2つある。

 1つは自暴自棄とまでは言わないが、自分の命がなんだか軽く思えていたのかもしれない。

 これから先どこかの街で生きていく姿を想像した時に、虚無感を抱えたまま目的もなく生きる自分が脳裏に浮かび、死ぬこと以上に恐怖を駆り立てた。

 それが俺にあれだけ無謀な行動をさせたのかもしれない。


 そしてもう1つ。

 スクレナに望むことがあったからだ。

 ほんの少しでも悼む気持ちがあるなら……この働きに対する謝意があるなら、是非とも今の世界に行ってほしいんだ。

 もしも闇の国の女王と呼ばれる彼女が言い伝え通りの存在であるなら、それだけで今の世界をひっくり返せるかもしれないと思っていた。

 俺たちのような者が理不尽な運命に従うしかない世界を、根底から覆すほどの影響を与えられるのではないかと思っていた。


 だけど僅かに時が遅かったようだ。

 最も大事なことを告げる前に、俺はもう喋ることも出来なくなっていた。

 ただスクレナの目を見つめることしか出来なかった。

 それなのに――


「死に際に浮かぶ思いほど信頼に足るものはないか。よかろう、の望みは確かに受け取った。他者の恩義に報いぬようでは女王と称される資格などないからな」


 言葉も聞かずに応じることに不安はなかった。

 不思議と正確に伝わっていることはこちらも感じられたからだ。

 これで憂いは何もない。

 そんな安らぎを得た途端に、スクレナは予想外の行動をとった。

 疾うに動かなくなった俺の体に跨ってきたのだ。


「世界をひっくり返すか……ふふ、鈍った体にはちょうどよい運動だ。挑んでみたくなったわ」


 スクレナは指で俺の胸から流れ出る血をなぞり口に含むと、一度舌なめずりをする。


「ただし『我』ではない。『我ら』でだ」


 そう言いながら自分の親指を歯で噛み切って両手を俺の頬に添えると、その切れた箇所を唇にあてがってくる。

 もとより血の味で満たされていたが、それでもスクレナのものが口内に流れ込んでくるのが分かった。


「お前のことが気に入った。故に今より忠義の騎士として我の傍らに仕えよ……そう、黒の騎士としてな」


 そして俺たちを中心に黒い魔法陣が現れると、スクレナはそのまま顔を近づけ静かに口づけをしてきた。

 俺は目を瞑り、先ほど自分の中に入ってきた何かが体の中で混ざり合う感覚を覚える。

 同時に温かいものが胸の中心から全身へ伝搬していくのが感じられ、おかげでまたも意識を手放しそうになった。

 まるで安眠のような、心地よい気分のままに。


「エルト、お前の生きる理由は我が与えてやる。だから……二度と命を投げ出すようなことはするな」


 俺の額に手を置き、少し目にかかった前髪を掻き上げながらスクレナは微笑んだ。

 その笑顔はこれまで見てきた不敵なものでも、冷淡なものでもなかった。


「これは主君としての最初の命令だ」


 慈しむような声を子守唄にしながら黒一色の世界に誘われ、俺は深い眠りについたのだった。




 ◇




 次に意識を取り戻した時、初めに目にしたのは洞窟の天井だった。

 俺が雨宿りの為に腰を据えていた入口付近である。


 ――夢を見ていたのか。


 そうか、長旅の疲れがドっと出て知らぬ間に眠ってしまったんだろう。

 おまけに不安定な精神状態だったからあんな夢まで見てしまったんだな。


 その証拠に体はなんともない。

 呼吸をするのも支障はないし、左の拳を閉じたり開いたり繰り返してみれば正常に機能してる。

 そもそも闇の国の女王なんて単なる空想なのに、随分と子供じみた夢を見てしまったもんだ。


 だけど……なんでだろう。

 夢だと分かった途端、いないと分かった途端に、急に寂しさが押し寄せてくるのは。

 不意に涙が滲んできて、右腕で瞼を抑えようとすると――


「な、なんだこれ!?」


 洞窟には俺の驚きの声が木霊した。

 それもそのはず。

 自分の右腕の肘から先が真っ黒になっていたのだ。

 変色なんて生易しいものじゃない。

 触れたら吸い込まれて別の空間に飛ばされるのではないかと思えるほど、禍々しい常闇のような黒だった。


『ようやく起きたか。主を待たせて眠りこけおって』


 俺が仰天している最中に突如声が聞こえてきた。

 瞬時に体を起こすと辺りを見回した。

 弾む心を抑えつつも、必死になって声の主を探す。


 この腕を見た時にも、体を起こしてから気付いた衣服の破損によっても考えは改めていたが、やはりあれは夢ではなかったんだ。


『間の抜けた顔をいつまで晒しておる。我ならここだ』


 直後に自分の影がせり出すと、人の形へと変化していく。

 そしてその場から見下ろしていたのは、俺が探し求めていた人物であった。


「まるで母親とはぐれた幼子のようではないか。なんと滑稽な姿よ」


 口元を抑え「くくっ」笑いを漏らすスクレナであったが、今は冷やかしへの抗議や再会の喜びよりも先んずることがある。


「どうして俺の傷が綺麗さっぱりなくなってるんだ? この腕は一体? それになんで影の中から?」


「待て待て。順番に話してやるから口を噤め」


 一度にあらゆる疑問を投げかけると、スクレナは鬱陶しそうに手を前に掲げて言葉を制した。


「掻い摘んで言えば、お前とは主従としての契約をさせてもらった」


「いや、さっぱり分からん」


「それによって我の魔力の一部を分け与えたのだ。お前の傷の修復も失われた身体機能の補助もその力によるものである」


 スクレナは右腕に手を置くと、指を滑らせてそっと撫でた。


「ただこの腕の破損はどうにもならなかったのでな。魔力を使用して義手を作ってやった。とは言え、元の腕と変わりなく動かせるぞ」


 言われてから指を1本ずつ順番に曲げてみると――なるほど、確かに自分の意思通りの動作が可能なようだ。


「最後になぜ我が影の中にいるのか。この世界の日中は闇の魔素が少ない上に、日光は我にとって害を及ぼすのだ。だがこうして影を通じて体を繋げておけば影響を受けずに済むからな。そんな状況下で器となるのも黒の騎士の役目である」


 確かにこれまでの疑問は晴れた。

 でもまた1つ新たな疑問というか、納得の出来ないことがあるんだが。


 主従関係の契約とか勝手なことを言っていた気がするけど、俺はそんなことは承諾していないぞ。


「馬鹿を言うな。契約というのは互いの同意がないと成り立ちはしない。つまりお前は自覚はなくとも潜在的に望んでいたというわけだ」


 顎を上げて得意げに鼻で笑いながらそんなことを言われたが、なんだか腑に落ちなかった。


「さぁ、我をこの世界に招いたのはお前だ。しっかりとエスコートせぬか」


 スクレナが笑顔で手を差し出すと、俺は深いため息をつきながらも口角を上げて握り返してやる。


「どこまでもお供しますよ。女王様」


「うむ、だいぶ自覚が出来てきたようだな。とりあえずは強そうな魔物でも倒して回るか。体もだいぶ衰えておるだろうし、お前には我に相応しい男になってもらわねばならんからな」


 差し当っての目的も決め、俺は新たな門出に奮い立ちながら洞窟の中から飛び出した。

 この胸の高鳴りを思えば、きっとスクレナはあの時の約束を果たしてくれているのかもしれない。

 ならば俺だって、要求されたことに応えてやらねばなるまい。


「スクレナ……俺、精一杯生きるよ。生きて最後まで役目を果たすよ」


 小声で囁いたからよく伝わらなかったのか首を傾げられたが、それ以上は何も語らずに前だけを見据えて次の街を目指して歩き続けた。

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