第6話 闇の国の女王

 帝都から去った俺は、重い足取りで一番近くの宿駅へ向かっていた。

 イグレッドの金はその場に置いてきたが、滞在する理由がなくなったからまだ旅費はそれなりに残っている。

 道中で馬車を拾うことも出来たけど、なんだか歩きたい気分だった。

 その時に考えていたのがもう故郷には帰らないということだ。


 村を出る時点の様子だとおじさんたちはセリアとイグレッドの婚約を知らない様子であった。

 本来ならば教えるのが筋だと思うが、とても自分の口からは言えそうにもない。

 まぁ、どうせそのうちに本人か軍から封書が送られるだろう。


 それにあそこはセリアと築いた思い出があまりにも多すぎる。

 1日いただけでも気がおかしくなりそうだ。


 母さんの墓のことは気がかりだけど、不測の事態が起きた場合のことを考えておじさんにお願いしてきたから荒れ放題になるということはないはず。

 失礼かと思うが、2人には落ち着いてから俺の動向も手紙で知らせることにしよう。



 しかしこの感情に身を任せた行動はどうやら失敗だったようだ。

 山越えもちょうど半ばとなった頃に、鼻先にポツリと水滴が落ちてきた。

 空を見やれば暗くなったところからは雷鳴が轟いている。

 これは直に荒れるな。

 どこか風雨を凌げる場所を探さなくては。

 本当に、悪いことは続くとはよく言ったものだ。

 思わず乾いた笑いが口からこぼれてくる。



 ◇



 とは言え、捨てる神あれば拾う神ありというというのも本当らしい。

 それほど対した神様ではないようだが、今は縋ることが出来るのならなんでもいい。

 偶然に見つけた洞窟で天気の回復を待つことにした。


 それにしても思っていたよりも雨が激しいな。

 入口付近に腰を下ろしていたが、ここでは雨宿りの意味がなくなるほどに濡れてしまう。


 どのくらいの深さなのかと、ふと奥の方へ目を向けてみる。

 ただ暗闇が広がっているだけで、その先は全く見えなかった。


 もしかしたら魔物か猛獣の巣になっていたりも。

 その可能性を考えれば、いつでも逃げられるようにこの付近にいた方がいいかもしれない。


 だけど……何故なんだ。

 危険だと結論づけた漆黒に言い知れぬ魅力を感じてしまうのは。

 さっきまでの懸念は何処へ行ったのだろうか。

 まるで手招きに応じるように無意識に立ち上がり、俺はどんどん深淵へと足を踏み入れていく。


 雷の眩い閃光も届かないようなところまで来ると平衡感覚も怪しくなり、片手をついていた岩壁の感触もいつの間にか消えていた。


 不思議な世界だった。

 音もない完全な闇。

 自分の足音すら聞こえてこない。

 錯覚なのだろうけど上下左右も分からず、本当に前に進んでいるのかも怪しくなってきた。


 だが唐突に額や体を何かにぶつけて衝撃が走る。

 重い音だが岩とはまた別だ。

 手を前に突き出して確かめてみると金属の壁ようだが。

 あまりにも近すぎる為、全容を掴めるよう数歩後退してから初めて把握する。


 壁ではなく扉だ。

 しかしなぜこんな洞窟に?

 誰が何の目的で作ったんだろうか。中には一体何があるのか。

 そんな好奇心に駆られて軽く両手で押してみれば、ガチャっという音と共に僅かに隙間が出来る。


 意を決して力を込め、開け放つとその先にはさらに異様な空間が広がっていた。


 実際に見たことがないからイメージではあるが、大きな屋敷の寝室のようだ。

 最初に目が止まったのは奇妙な台座。

 その他には本棚があり、衣装ケースがあり、ティーテーブルと椅子があり、屋根付きのベッドまである。


 その上ではベッドボードと自分の背中の間にクッションを挟み、もたれかかって本を手にしている妖艶な女性がこちらを伺っていた。

 腰まで伸びた銀髪に真紅の瞳、黒いカチューシャや衣服が美しい白い肌を際立たせている。


「貴様、どうやってここに入った? しかも……人間か?」


 少しばかりの驚きの表情を浮かべながら問い質してくるが、俺は一切答えられなかった。

 なぜならこっちだって状況を飲み込めていないし、少しどころか驚愕しているくらいなのだから。


「原因は分からぬが迷いこんだというところか。まぁ、それでも男ならば都合がよい。おい貴様、もっと近くに寄れ」


 吸い寄せられるように俺の足はベッドの方へ赴いた。

 女性の素性に興味があったからというのもあるが、それ以上に口から出た言葉に逆らえない命令のような重みを感じたからだ。


「顔は及第点といったところだが、体つきはなかなかよいな。思わずそそられるわ」


 言われた通りにすぐ側まで行った矢先、足先から頭の上まで品定めをするような目で見られる。


「光栄に思え、貴様には我の相手を務めさせてやる。して、名は何という?」


「エルトだ……」


「エルトか。一時の付き合いとなろうが礼儀を欠くのは名折れとなる。こちらも一応名乗っておいてやろう」


 なんかさっきからやたらと偉そうな物言いだけど、どっかの令嬢とかそんなところだろうか?


「我はスクレナ。闇の国の女王である」


 瞬時に彼女は可哀想な人なんだと理解した。

 俺は……いや、この世界に住む者のほとんどが知っている。

 闇の国も、スクレナという名前も。

 古いおとぎ話に悪役として出てくるからだ。

 子供の頃は日が暮れる前に帰らないと「闇の国の女王に連れ去られる」なんて大人に脅かされたりもした。

 まぁ、こんな場所に部屋を作るくらいだからまともな思考の持ち主ではないと思ってはいたが。


「ぬ? 貴様……その顔は信じておらぬな」


 眉を寄せて目を細める女の影が不自然な形になって動き出す。

 そして俺の影と交わり1つになると、急に体の自由が利かなくなった。

 それどころか意志とは関係なく、勝手に両手両膝を床についてしまう。


こうべを垂れぬか。無礼者が」


 見えない力に抵抗して上体を起こそうとしていると、フリルのついた丈の短いスカートから伸びる素足を頭に乗せて上から押さえつけられる。


「ふふ、屈辱か? だがこれが快感に変わり、自分から求めるようになるのもすぐであろう」


 全身を震わせているのは力を込めているからだけではない。

 俺の中は怒りに満ち満ちていた。

 帝都でもあんな扱いをされて、こんな訳の分からない場所でもまた尊厳を奪われるっていうのか。


「服従の証だ。ここへ口づけをせよ」


 そう言って女は顔の前に自分の足の甲を差し出してくる。

 俺は悔しさのあまり固く目を瞑ると、瞼の裏には様々なものが浮かんできた。


 帝国軍人たち。

 ヴァイデル。

 ルナとグラド。


 そしてイグレッドと――




「ふざっ……けるなぁ!!」


 俺は憤怒の雄叫びと共に、この身を縛り付けていたものから自由を取り戻す。

 さらには驚きのあまり目を見開く女の両肩を掴むと、ベッドへ押し倒して強引に唇を奪った。


「これが望みなんだろ! だったら期待に応えてやるよ!」


 一度顔を離し、今度は体を重ねて首筋に吸いつくと、右手で豊満な胸を包み、左手でスカートの中をまさぐる。

 女が吐息を漏らし、微かに体を反応させた直後だった。

 腹部に激しい衝撃が走ると、一気に壁際まで吹き飛ばされる。

 咳き込みながらも起き上がって先程までいたはずの場所を見れば、女の……


 ――いや、ここまでくれば彼女がスクレナだと認めてもいいだろう。

 その傍では黒い巨大な腕が拳を作っていた。


「誰が主導権を握っていいなどと言ったか! 馬鹿者!」


 尊大な態度は変わらないようだが、頬を紅潮させて、息が荒くなっているのを見逃さなかった。

 胸元を抑えて膝を閉じる姿など、本当に闇の国の女王なのかという疑いが再び湧き上がってくるほどだ。




 ――「くく……あっはっはっはっはっ!!」


 しばらく沈黙しながら鋭い目付きで睨みを利かせていたスクレナであったが、唐突に部屋中に響き渡るくらいの笑い声をあげた。


「よいではないか! まさか我の呪縛を振りほどくとはな。貴様の中に燻る闇を発散させてやろうと少しばかり刺激を与えただけだったんだがな。それでこの爆発力。なかなか心踊ったぞ」


 そう言ってスクレナはベッドの上の空いたスペースに手を添える。


「今のことは水に流してやる。ここへ来い」


 また何かをされるのではという懐疑心はあったが、冷静でなかったとはいえあんなことをした負い目から素直に従った。


「話してみろ。何があったのか」


 俺の不幸話でも聞きたいと?

 惨めな気持ちで肩を落とす様子を見て楽しむつもりなのか?

 水に流すとか言って本当は根に持っているんだろう。


「そう捻くれるな。我を高揚させた褒美だ。完全に消し去るのは無理でも、誰かに吐露すれば少しは胸のつっかえもマシになろう」


 確かに納得する部分もあった。

 このまま自分の胸中にずっと抱えていてはどんどん肥大化して、いつか内側から破壊されるかもしれない。

 ならばここに置いていくのが一番いいのだろう。


 だから俺はスクレナの厚意を受け取って全てを吐き出した。

 これまでのこと、今日起きたこと、その全てをだ。

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