第5話 幼馴染の裏切り
見立てが甘かったのか、旅慣れしていないから所々で無駄金を使ってしまったのか。
帝都に着いた時には思っていた以上に残金が少なくなっていた。
それでもしばらくの滞在は可能であるが、問題はセリアの行方を探すことだ。
さらには居場所を知ったところでどうやって会いに行くか。
手紙によれば聖女となったセリアは今や帝国の希望の象徴。
村でのヴァイデルの言葉を思い出す限り、田舎から出てきた平民が簡単に面会できるものでもなさそうだ。
正面から突入しても追い返されてしまうだろう。
とにかく帝都に来ることばかりを考えていたから正直そこらへんに関しては無策だった。
街中を歩きながら何かいい案はないかと思慮しながら歩いていると、ふとおかしなことに気付いた。
本来なら一目見て分かるものだが、熟考していたせいか今更なことなのだが。
首都というだけあって人が多いとは予想していたけど、こんなひしめき合うほどとは思ってもみなかった。
それになぜ道行く人の手には国旗が握られているんだろう。
もしかしてこれは帝都に住む人たち特有の文化なのか?
「旅の方ですか? よろしければどうぞ」
いきなり俺の目の前に周りの人が皆一様に手にしている物が差し出される。
相手は軍の広報らしき女性だった。
反対の腕にかけたカゴの中にはさらに何本もの旗が差してある。
どうやらこうして配って回っているようだ。
「あの、これから何かあるんですか? お祭りとか」
「はい、今日は我々にとっての一大イベント。なんと! 剣聖様と聖女様の婚約記念パレードが開催されるのです!」
俺の質問に女性は満面の笑みで答える。
耳を疑うような、そしてこの身を絶望の渦に沈めるような言葉で。
その瞬間、目の前の世界が歪んでいくような錯覚に襲われた。
どっちが上か下かも分からなくなるほどに平衡感覚を失い、近くの建物の壁に手をつくことでようやく立っていられる状態だった。
それから息苦しさを覚えて呼吸することも困難になり、不規則に回っていた視界は光を失いそうになる。
「あの……大丈夫ですか?」
心配というよりは面倒事は勘弁してほしいといった口調でだが、女性に声をかけられ多少は持ち直すことが出来た。
そして俺は思い直す。
これは自分の勘違いなんだ。
聖女とはセリアではない、他にもいるんだ。
最初からこの世に聖女が1人だけだと勝手に思い込んでいただけなんだと。
心の大部分では滑稽なことだと理解している。
しかしこうして言い聞かせないと、今にも自分が壊れてしまいそうで必死になっていたんだろう。
女性の問いかけに何も答えることなく、俺は力ない足取りで群衆の中へと姿を消した。
◇
大通りの沿道に出来た人集りを押しのけて俺は最前列を陣取った。
めでたい催しとはいえさすがに警備は物々しく感じるくらい厳重だ。
そこかしこに軍が配置されている。
だが俺はその中であることを決行しようとしていた。
かなり大それたことではあるので、目を瞑って気持ちを固める。
程なくして周囲からの歓声を耳にすると、顔を上げて道の先へと向けた。
馬に跨り行進する軍人に先導されながら、
何頭もの馬に引かれる、車輪が付いた荘厳な造りの台座が迫ってくる。
その上には護衛の他に四人の人物が佇む。
そして馬車を見上げて国旗を掲げながら熱狂する市民たちに、笑顔で手を振る女性に一言で表せない感情が押し寄せてきた。
純白の生地に金の装飾が施された、ドレスを思わせる僧衣。
同色のベールを被った懐かしい女性。
下ろした髪は随分と伸びていたがそれ以外は何も変わらない。
間違いない、見間違えるわけもない、セリアだ!
予め決心をしていたことだが、そうでなくても体が勝手に動いていたことだろう。
俺は警備の目が近くまで来た馬車へ移る一瞬を見逃さずに、道の真ん中へと飛び出した。
突然のことで御者が反射的に手網を引いたのか、馬は嘶き動きを止める。
あれだけ賑わっていた街中は騒然となるが、さすがに軍人の反応は早いもので、俺はあっという間に取り押さえられてしまった。
それでも構わない。こうなるのは初めから承知している。
目的は馬車を止めること、そしてセリアに俺の存在を知らしめることだ。
「セリア!……セリアァァァーーー!!」
だからこそ何人もの軍人に組み伏せられながらも、必死に幼馴染の名前を叫んだ。
何度も何度も、姿を見もせずにひたすら叫ぶことだけに集中した。
「この無法者が! 汚らわしい口で聖女様の名前を叫ぶな!」
「牢にぶち込んでやる! このような狼藉、重刑は免れんぞ!」
いつまでも地面に転がしておけばパレードの再開は不可能だ。
今にも俺を連行しようとする軍人であったが、それを制する者が歩み寄ってきた。
「待ってください!」
聞き慣れた声にゆっくりと視線を上へと向けると、目の前には遥か遠くの故郷から追い求めてきた姿があった。
「セリア!」
「エルト……どうしてここに……」
驚き、困惑、様々な表情を浮かべるセリアだったが、その中に喜びは見られなかった。
「手紙は読まなかったの? 帝都には来るなって――」
「セリア、彼は何者なんだい?」
セリアの言葉を遮って背後から男が1人近づいてくる。
空色の髪を首元まで伸ばした淡黄色の瞳の端正な顔立ち。
金の装飾が施された純白の鎧に身を包み、青いマントを翻す佇まい。
セリアの衣装と類似した意匠になっていることから、何者なのかは瞬時に把握できた。
「イグレッド……」
「ひょっとしてセリアの知り合い?」
イグレッドと呼ばれたこの男が剣聖と見て間違いないようだ。
「エルトは私と同じ村の出身で……」
「あぁ、彼が例の幼馴染か」
するとイグレッドはセリアの腰に手を回し、自分と密着するほど傍へと抱き寄せる。
「もしかして今日の為にわざわざお祝いに来てくれたの?」
一見すると向けられた笑顔は社交的なものだった。
だけどこいつが全ての事情を知った上で口にしていることはすぐに察した。
その目の奥に潜む嘲りと愉悦さえも。
俺の最も大切な人を奪った男に殺気を込めた視線を向けて、悔しさのあまり骨が軋むほどに拳を握っていた。
「黒毛の大きな物体が飛び出してきたからダーティラットかと思ったけど、人間だったの?」
「うむ、とは言え同じようなものみたいだがな」
いつの間にか他の2人も護衛を引き連れながらセリアやイグレッドの元まで来ていた。
1人は背の低い杖を持った少女で、おそらく俺よりも年下だ。
外に跳ねた肩口までの長さの紫色の髪。同じ色の瞳。
黒いストールを肩にかけ、白地の衣服の上にフードがついた赤い派手なローブを羽織っているが、こちらも先の二人と同様で所々に装飾されている。
もう1人は対照的に体が大きく逞しい、グレーの短髪の男性である。
堅牢なイメージを漂わせるネイビーの鎧を纏い、腰には剣、背には盾を携えている。
どちらも侮蔑の眼差しを向けてくるが、今は気にもならない。
俺は全神経をセリアとその横に立つ男に向いていたからだ。
「どうせ国の都合なんだろう? あの日みたいに……脅されて仕方なく。俺たちは多くを望んでいるわけじゃない。ただ普通に暮らしていたいだけなんだ。だから、もう……これ以上邪魔しないでくれよ」
自然と口から出た言葉だった。
心に唯一抱く切実な願いだ。
しかしそれを聞いたイグレッドは、呆れたように静かにため息をついた。
「セリア、もしかして手紙にきちんと詳細を書かなかったのかい?」
問いただされたセリアは押し黙って目を伏せるばかり。
イグレッドはその様子を肯定の意と受け取ったようだ。
「ならここまで来て彼が怒るのも無理はないよ。何も知らなかったんだから。僕らの婚約のことも、これが君の意思だということも」
「セリアちゃんが気を使ってあげたんでしょ。あんたバッカじゃないの! わざわざ自分から惨めな思いをしにくるなんて」
イグレッドの言葉を後押しするように少女が口を挟んできた。
「だいたいイグレッドとあんたを比べたら女としてどっちを選ぶかなんて明白でしょ。身の程をわきまえなさいよね!」
「やめろルナ。彼が納得できないのも仕方がないよ。だから自分の口で言うんだ、セリア。僕らが先に進むには避けてはいけないことなんだから。君がどんな答えを出しても決して咎めたりしないと約束するよ」
芝居がかった仕草で勝手なことを言うイグレッドにさらに苛立ちを募らせる。
だが俺はこれをチャンスだと踏んだ。
幼い頃から長い時を経て育んできた2人の絆を信じていたからだ。
自分の気持ちを正直に打ち明けることを許されるのであれば、俺を選んでくれるという自信がある。
だからこそ顔を上げて一歩前へ出るセリアの言葉に希望を抱きながら耳を傾けた。
「エルト……プロポーズを受けた時に伝えた言葉、あれは嘘偽りないことでした。あなたはかけがえのないものを与えてくれるし、傍にいてくれれば私は幸せ」
俺の心の中には目映い光が指し、高揚感が湧き上がってくるのを感じた。
やっぱりセリアはセリアだ。
何も変わってなんかいなかった。
聖女としての務めを終えるまでは全てが元通りにならなくても、俺は最も大切なものを取り戻せたんだ。
「だけどそれは私がヤディ村という狭い世界しか知らなかっただけです。あなた以上に満たしてくれる人にただ出会えてなかっただけ。それに気付かせてくれたのはイグレッドでした。だから……この婚約は私の意思なのです」
その瞬間に自分を支えていたものが乾いた音を立てて折れた気がした。
そして何もない真っ暗な世界で1人だけが奈落の底に落ちていく感覚に襲われる。
「ぷっ!……きゃははは! セリアちゃんってばすっごい残酷ぅ! 1回持ち上げてから思いっきり突き落とすなんて!」
ルナと呼ばれていた少女は、絶望に打ちひしがれている俺を見て腹を抱えながら笑う。
イグレッドの方はセリアよりもさらにこちらに近づいてくると、重そうな包を地面に置き、膝をついて肩に手を添えてきた。
「もう諦めなって。いい加減にしつこいよ、君も。寧ろ今のうちに運命を正すことが出来てよかったじゃない。まだその歳ならいくらでもやり直せるんだし。せっかくだからこれで楽しいお店にでも行ってスッキリして帰れば?」
またさっきの目だ。
俺はただイグレッドを楽しませる道化師になる為に体に鞭打って働いて、長い旅路を経てここまで来たのだろうか。
「あぁ、これ手切れ金も兼ねているし、遠慮なく収めてもらっていいからね」
肩を二度叩いてから立ち上がり、踵を返してイグレッドはこの場から離れていく。
その背を放心したまま見つめていると、護衛の者から受け取ったハンカチで俺に触れた手を拭っているのが目に映った。
それからセリアの方に向き直ると、その拍子に何かに気付いたようだった。
「あれ? セリア。今日の為に贈ったペンダントはどうしたの?」
「え? あぁ、ごめんなさい。今日の服にはこっちの方がよく合うから」
「ふーん、別にいいけど。これも僕がプレゼントしたやつだし」
ペンダントに触れながらも、イグレッドは周囲にだけ見えないように体で死角を作り、いやらしい手つきで胸元を撫でる。
わざとこちらに見せつけるようにだ。
しかしセリアは恍惚とするだけで拒絶する様子を表さない。
その光景によって、先ほど幼馴染が口にしていたことが事実なのだと否応なく認めさせられた。
「剣聖様、そろそろパレードの再会を」
1人の軍人が耳打ちをすると、イグレッドは無言で頷く。
そして手を払いながら早く俺を退かすように指示を出した。
「最後に1つだけ。これを……」
力なく顔を上げると、セリアは俺の目の前に何かを投げ捨てた。
「それはあなたにお返しします。私にはもう必要ないものですから」
視線の先にあったのは、俺がセリアに贈った手作りのペンダント。
お守りと言ってずっと身につけてくれていた木彫りのペンダントだ。
手に取ってよく見てみれば、チェーンが強い力で引きちぎられていた。
さらにセリアは何かを言っていたが、もはや耳に入ってこなかった。
きっと追い討ちをかける言葉だろうと、無意識に聞くことを拒んでいたのかもしれない。
無機質な目で一瞥すると、セリアはイグレッドを追いかけて俺の元を去っていく。
やがて護衛に囲まれ姿が見えなくなるまで、一切振り返ることもなく。
「そうだ! ねー、お兄さん。私も最後にいい?」
いまだ地面に伏している俺の眼前に今度はルナがやって来た。
見上げれば満面の笑みをこちらに向けている。
この憐れな結末にそれほどご満悦なのか?
だが特に怒りも覚えなかった。
もう既に全てのことがどうでもよくなっていたからな。
すると直後に俺の頬には衝撃が走って脳が激しく揺れる。
切れてしまったのか、口内には血の味が広がっていた。
何が起きたのか理解するまでは一瞬だった。
ルナが俺の顔を蹴り飛ばしたのだ。
そしてそのまま足で頭を踏みつけてきた。
「あんたが馬車を急停止させたせいで転んじゃったじゃないのよ! 膝は打つし、みんなの前で恥かかされるし、本当ムカつく!」
ルナは自分の体重を乗せながら足首を何度も捻って罵倒してくる。
後ろから大柄な男に肩へ手を置かれるまでずっとだ。
「よさないか、ルナ。民衆の見ている前で暴行など。我々の印象が悪くなるだけだ」
「はぁ!? 何言ってんの? グラド。これは躾よ。し・つ・け! 頭の悪い動物には当たり前のことじゃない!」
「しかしお前が今していることは公衆の面前で自ら汚物を踏みにいくのと同義だぞ。少しは恥じらいというものを持たないか」
そうは言っても、さすがにこの行為には目にしていた市民も否定的であった。
所々でざわめきが起こったことによって、ルナは舌打ちをしながらも引き下がるしかなかったようだ。
「ふん! 最大魔術で跡形もなく吹き飛ばしたいところだけど、今日のところはこれで済ましてあげるわ! ただし今度またセリアちゃんに近づいたら容赦しないわよ!」
いまだに怒りの収まらないルナと、それに呆れ返るグラドの2人もまた馬車へと戻っていく。
「あーもう! 最悪! 靴に血がついちゃってる。これじゃもう二度と履けないわね。汚らしい」
意図的であると分かるほどの大声でこぼす愚痴を聞かされながら、俺は項垂れたまま両脇を抱えられ強制的に他の場所へと連れられていった。
◇
城壁の周りの堀にかけられた橋の上で俺は軍人から解放された。
飲食店に迷い込んできた野良犬を追い出すように背中を蹴飛ばされながら。
その勢いで倒れ込むと、頭上からは辛辣な言葉を浴びせられる。
「今をもって貴様を帝都から強制追放する。今後はこの城門を潜ることすら許さんぞ!」
「これは聖女様が決めた処分とのことだ。よほどお前との過去を知られたくないと見えるな」
笑い声が遠ざかっていくのを耳にしながら、俺はずっとその場に突っ伏していた。
その間に何人もの人が橋の上を行き来していたが、体を震わせ、嗚咽を漏らす姿に声をかける者は1人もいなかった。
それでも薄情だなどとは思わない。
誰だって面倒なことに自分から巻き込まれたくはないだろう。
今の俺のような、見るからに強者に打ちのめされた弱者に関わろうなどとは考えない。
《弱い者は強い者が望むものをただ奪われるだけ。それがこの世界の日常だ》
自ら作った暗闇の中に身を置きながら、俺はまたもこの言葉を思い出していた。
そして失意のまま立ち上がると、祝賀に沸く都をゆっくりと後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます