ドレは枯れ枝のような老人だった。わし鼻のむこうから気むずかしそうな表情でバロシャムをにらみつけ、挨拶あいさつもしない。

「ドレどの、ちょっとこれを」

 コンタルディは封を切った書類をドレに渡した。顔を近づけたり遠ざけたりしながら書類に視線を落とすドレの耳もとで、彼はささやいた。

「なんて書いてあります?」

「おぬしは字も読めんのか」ドレが地声で答えたので、コンタルディも声をひそめるのをあきらめた。

「そんなことあなたもご存知でしょうに。去年もお願いしてるんですから」

「一年の間、なにをしておったかというのだ。だいたいおぬしはだな」

「いいから。で、なんて書いてあるんです?」

「うむ、あー……」咳払せきばらい、「この者に……この者にだな、あー、うん、緑人鬼りょくじんき討伐の任を授ける、とあるな。この印章はボワダンどののものであるな」バロシャムに顔を向けて、「おぬし、名前は」

 当人が答える前に、コンタルディが口をはさんだ。「ジフィトーどのですよ。そこに書いてないんですか?」

 ドレはじろりと睨み返して「ふむ。合っておる。なにか問題でも?」

「兵は何人って書いてますか」

「うむ。しばし待て。ふむ。なるほど。あー」咳払い、「五人、とあるな」

「五人?六人か、六十人の間違いでは?」

 ドレは得意げな表情でバロシャムに向き直った。「間違いあるまい?」

「ああ、つまり、部下が五人ということです」とすると、ドレは少なくとも数詞なら読めるらしい。

「問題はなかろう?」

「ええ、まあ」ふたりとも、ほかの書類はどうでもいいようだった。

「まったく。この忙しいのに呼びつけおって。昼飯の最中だったんだぞ」

 そのことばを聞いて、コンタルディはまるで雷に打たれでもしたかのように叫んだ。

「おお、聖グレシェン!私の昼食!会議があるんだった!間に合わない!」

「知るか。わしは飯の続きに戻るぞ」肩をいからせてドレは出て行った。

「ジフィトーどの」と、川に落ちた猫のようにしょぼくれた顔でコンタルディは振り返った。

「いい忘れてましたが、昼食後、作戦会議があるんです。参加なさいますよね?」

「ぜひとも」とバロシャムは答えた。

「食事がまだでしたら、今のうちにどうぞ。どうせお歴々は遅れてくるんです。私はいろいろ仕事が残ってましてね」

「では、そうさせていただきましょう」

 新しい面倒ごとに巻き込まれないうちに、バロシャムは司令部を出た。扉を閉める前に、コンタルディの声が聞こえた。「ナタン!ナタン!」



 部下たち、といってもアネモネとサイプリスは旅の道連れといったところだが、五人はバロシャムのいいつけに従って、本隊から離れた木立のあたりに天幕を張っていた。

「遅かったわね」と長耳族の女アネモネがたずねた。タカはいない。そこらの上空で、文字どおり羽を伸ばしているのだろう。

「書類のことで手間どってな」

「どう?オルクスが攻めてくるのはいつごろになりそうなの?」

「まだわからん。この後、会議が」といいかけたが、司令部が把握しているとも思えなかったのか、バロシャムは自分の考えを述べた。「今日あす、遅くても明後日だろうな」

「でしたら、兵糧ひょうろうを分けてもらうよう手配していただけませんか」と頼み込んだのは、男装の麗人キャメリアだ。

「急いで発ったから、充分に準備していないんです」

「この軍勢でしょう。そのへんで狩をしようにも、警戒してけものも鳥も姿を見せないのよ」とアネモネも加勢した。

「むこうの森まで足を伸ばしてもいいんだけど、敵はあっちから来るんでしょ?」

 バロシャムはうなずいた。

「それとも、狩ついでに偵察してきましょうか」

「そうだな。頼む」

「近くに川もないのよ」とこぼしたのを聞いて、

「そういえば、たしか井戸があったな。水をみに行かなくちゃ」

 キャメリアが腰を上げ、小柄な女に呼びかけた。

「サイプリス、きみも手伝って」

 矮人わいじん族と小人こびと族、ふたりの従者も連れてキャメリアは出て行った。

 バロシャムは、頼りない総司令官のもとで開かれる会議の行方を案じるあまり、彼女たちが戻ってこないことに気づかなかった。



 携帯糧食りょうしょくで昼を済ませ、バロシャムは司令部に戻った。コンタルディのほかには、二十代半ばくらいの、眠そうな目をした男がいるだけだった。彼はバロシャムを見ると、眠そうな目を少し見開いて軽く会釈したが、自己紹介はしなかった。

 粗末な食卓の上に、戦場の略図らしき紙が広げられていた。コンタルディは、地図を見ては考え込み、眠そうな男に小声で話しかけては、不機嫌そうに部屋の中をいったりきたりした。そうこうしているうちに将校たちも三々五々集まってきた。ドレ老の姿もあった。

 そこへあわただしくナタンが入ってきて、コンタルディを呼んだ。兵士の間で喧嘩が起こっているらしい。

 いつものことじゃないか、とコンタルディはい顔をしたが、ナタンにそでを引っぱられ、しぶしぶ部屋を出ていった。バロシャムもついていった。

 人だかりをかき分けて見ると、井戸の近くで、キャメリアとサイプリスが十人ばかりの兵士に取り囲まれていた。同じくらいの人数が、地面に転がったり、仲間に傷の手当てを受けたりしていた。

 キャメリアはきりりとした眉を吊り上げ、腕組みをして兵士たちを睨みつけていた。小柄なサイプリスは半で拳を構えたまま、微動だにしない。従者たちはそばでおろおろしていた。四人に怪我はないようだったが、取り囲んでいる兵士の中には武器を手にしている者もいた。

「やめんか!」とバロシャムが一喝すると、彼らはこちらを向いた。

 と、司令部にいた眠そうな目の男がバロシャムの横を通り、兵士たちの前に立った。「お前たち、あるじは誰だ」

 目は眠そうだが、声には張りがあり、よく通った。

 兵士たちは返事をせず、ふてくされたような表情でそっぽを向いた。「わからんのなら、隊長の名をいえ」と彼は重ねて詰問した。やはり誰も答えようとしない。

 気まずい沈黙を破って、バロシャムがいった。

「そこの四人は、私の部下だ」

 眠そうな目の男は振り返ってたずねた。「貴君の名は?」

「ジフィトー」

 男が不審そうな表情を浮かべたので、つけ加えた。「ボワダン閣下の命を受けて、今日到着した」

 眠そうな目の男は納得したのかそれ以上追及せず、ふたたび兵士たちに申し渡した。「敵は明日にでも攻めてくるんだぞ。くだらん騒ぎを起こすな。わかったら散れ」

 この命令は受け入れられた。

 キャメリアは尾を股にはさんだ犬のようにうなだれていた。

「話は後で聞こう。もうおとなしくしていろよ」と、バロシャムはその肩を叩いた。

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