ある愛のカタチ

草詩

人生の変わった日

 頭の中が真っ白だった。

 思考放棄した世界は現実味がなくて、ただただ全てが自動的に過ぎ去っていく。


 かけられた言葉も、起きたらしいことも呑み込めない。噛み砕けない。吐き出して拒絶してしまいたい。

 そんなことを朧気にイメージ出来たのも、真っ暗な自室へと戻ってきてからだった。


 のろのろと、感覚の薄れた身体を引き摺ってベッドへと転がり込む。逃避した頭の半分は冷静に、着替えないとスーツが皺になるだとか、そんなことを考えていた。

 そしてもう半分で、さっき聞いたばかりの事を反芻してしまう。そんなことは思い浮かべることすら嫌なのに、どうしても頭から離れない。


 病室は消毒液の匂いがした。

 横たわる彼女に意識はなく、艶やかで美しかった髪はなくなっていた。頭を何針も縫ったらしい。


 幸いと言って良いのか命は助かり、数日で目も覚めるだろうと医師が言っていた。僕はしゃがみ込み、彼女の手を握ってそれを聞いていたと思う。衝撃が強すぎてあまり覚えていない。


 この日起きた玉突き事故は大規模なもので、歩道にいた通行人にまで被害が及び、大きなニュースとなっていた。

 僕は事故当時、馴染みのパスタ屋さんでなかなか来ない彼女を待っていて、備え付けのテレビから流れた彼女の名前には動揺が隠せなかった。


 大きなニュースになるくらいだから当然注目度は高く、記者が詰めかける中、彼女に会いに行くのは大変だった。


 今夜彼女は加害者となってしまったのだ。


 病室を出る時、見つかった僕はそのことについて色々と忠告を受けた。頭の中はごちゃごちゃで、正直そんなことは聞きたくもなかったけれど。

 これから目覚めた彼女は色々な事に晒されて、大きな責任を問われてしまう。確かに、そんな時支えになるのは恋人の僕くらいしかいないだろう。


 そうなのだ。目覚めて一番ショックを受け、大変な目に合うのは彼女だ。僕だけがショックを受けて打ちのめされている場合ではない。


 僕は項垂れていたい衝動を放り出し、どうにかベッドから立ち上がった。やることは山積みなのだ。今、彼女が目覚めるまでに動かなくてはならない。恋人の僕が。


 ああ、しかし血縁でもない他人である恋人では色々と不自由かもしれない。それは困る。丁度良い機会だし、そろそろ籍を入れよう。彼女の着替えも準備しないといけないし、合鍵は持っている。彼女の部屋にも何度かお邪魔しているから、判子の位置もわかるし、筆跡の模写もばっちりだ。伊達にゴミ袋を漁っていない。


「僕がついているからね」


 僕は部屋の電気をつけて、壁一面に貼られた彼女たちに声をかけてあげた。大丈夫大丈夫。これからもずっと僕がついている。

 そうだ、集めていた髪の毛でウィッグを作ってあげよう。彼女自慢の髪で作るのだからきっと気に入るはずだ。


 僕はこれから僕を必要とするだろう彼女を考えて、とても嬉しい気持ちになった。

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ある愛のカタチ 草詩 @sousinagi

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