第4話 暗雲
ライブから三日後、裕太は馨の働くバーへ向かった。馨は裕太を見るなり「カッコよかった!!」と肩を叩いた。
「ほんっとカッコよかったわ。特に最初の曲と最後のバラード、痺れた」
席について注文を終える。馨は興奮冷めやらぬといった様子であった。
「ありがとうございます。両方とも俺が作ったんです」
「マジで? 凄いな!」
馨の率直な褒め言葉に、嬉しさがこみ上げる。じっと目を見つめられたまま、正面から褒められるのは、なんだか照れくさくもあった。決して馨は世辞で言っているわけではない。それが分かるからこそ裕太は顔を真っ赤にして、その言葉の一つ一つに感謝の念を抱く。
「馨、褒めちぎんのはいいけど、そろそろ仕事に戻れよ」
デザートを渡す代わりに、呆れた顔の上野が割り込む。ゴメンゴメン、馨は慌てて上野に謝った。
「また次も呼んで」
「もちろんです」
「俺も行っていい?」
上野が言った。
「はい、ぜひ」
会話の中で、馨は不自然なほどに『Tactics』のカバーについての話を避けていた。馨は裕太のオリジナル曲を褒めちぎったが、カバー曲については一切触れなかった。
もうあの曲は歌わないのか、尋ねてみたい気持ちもあったが、どうにもできなかった。巧みに話題を逸らされて笑っているうちに、聞くタイミングを逃してしまった。それに、馨の触れてはいけないところに触れてしまう気がして怖かったのだ。
馨のあの顔が忘れられない。熱気に満ちたライブの中で、一人だけ時が止まってしまったような、あの顔が脳裏に焼き付いて離れない。
「バンドを、解散しようと思う」
それから何度かライブをこなした冬のある日のことである。急遽スタジオにメンバー全員が集められたところで、櫻井がそう口火を切った。
まっさきに、鈴木の「何でですか!?」という悲鳴にも似た叫びが上がる。櫻井の傍らで静かに中川が立っていた。とっくにそれを知っていたと言わんばかりの落ち着きようである。
「今すぐにと言うわけではないんだ」
なだめるように櫻井は言った。裕太は何も言えないまま、鈴木に視線を送る。鈴木は納得がいかないと言う顔で続けた。
「いつですか? 予定はもう入ってるでしょ」
「俺と中川が四年になるあたりで解散しようと思う。二人には申し訳ないけど、もうそろそろ俺たちは進路を決めなくてはならないし、このままずっとバンドを続けていくのも限界だと思ったんだ」
穏やかな口調で、しかし決してノーとは言わせない声音だ。鈴木が悔しそうに唇を噛んでいる。裕太はぽかんと口を開けたまま、いまいち状況がつかめずにいた。解散、そう言われてもうまく事実が呑み込めない。
「あと四本、決まってるライブが終わったら解散しよう。いいか?」
二人の返事を待たずに櫻井は言った。
「……櫻井さんはそれでいいんですか。もう歌わないんですか」
気が付けば勝手に口がそう口走っていた。櫻井の表情がぎこちなくなる。
「俺には才能がなかったんだよ」
ガン、と頭を殴られたような衝撃が走った。
才能がない? 何を言っているんだこの人は。あんな才能を持っていて、それでも無いと言うなんて。
「将来のことを考えたら、バンドなんかやってる場合じゃないんだ」
追い討ちをかけるように櫻井は言う。
裕太は拳を握りしめ「分かりました」と言った。本当は何も分かっていないくせに、分かっているふりをした。やめたくないと心の中で喚いているのに、無理矢理その声を押し殺した。まだ認められない鈴木と、静観する中川を櫻井は交互に見て、一人頷いた。
「そういうことで、今後の予定を決めようと思う」
パン、と手を叩き、平静を装った声で櫻井は言った。ほのかに滲む苦い表情に、裕太は櫻井から視線を外して、楽譜に目を落とす。この曲を演奏するのも、あとわずかなのだ。
途端に怖くなった。解散した後も、自分はバンドを続けられるのだろうか。自分も将来を見据えて楽器を置くべきなのではないか。楽しい、だけで続けてきたけれど、それでよかったのだろうか。分からない。
しかし、決してバンドをやめたくはなかった。ずっとバンドをやっていたい。いつか終わりが来ることが分かっていても、終わりなんて見たくない。
やがてこのメンバーでメジャーデビューしてバンドとして成功する、そんな夢物語を裕太は信じていたわけではない。けれども、この時間は永遠に続くものだと思っていた。四人で音を鳴らすこの瞬間が永遠に続けばいい、と願っていた。変わらないものなど一つもないのに。
裕太はすみません、とだけ言って練習を抜け出した。こんな状態でギターを弾くなんてとてもできそうになかった。櫻井の、誰の顔も今は見られなかった。
「ひっどい顔してんな」
深夜のレンタルビデオ店のレジに立っていると、いつものように閉店間際に馨がやって来た。裕太の顔を見るなり、心配そうにのぞき込む。
「誰かにフラれたか?」
「……バンドが、解散することになったんです」
馨が驚いて息を飲むのが分かった。裕太はこれ以上言葉を続けられず、馨も何を言っていいのか分からないのか、無言で手続きが進む。
「……大丈夫か」
絞り出すように馨が言った。裕太は無理矢理笑みを浮かべてCDやDVDの入った袋を馨に差し出した。馨はじいと裕太の目を見ながら、それを受け取る。眉間に皺を寄せて、ぐいと腕を掴んだ。
「時間ある? そこで待つ」
有無を言わさぬ物言いだった。裕太は小さく頷いて、ほな、と去っていく馨を見送った。
馨は店の前で煙草を吸って待っていた。細い背中を丸めて、寒空の下で白い煙を吐いていた。裕太を見ると煙草の火を消し、吸殻を携帯灰皿の中へ捨てる。すっと腕を伸ばして、裕太の手を掴んだ。
「行くで」
どこへ、とは聞けなかった。馨の歩む足取りは早い。五分ほど無言で歩いたところ、裕太はようやく馨の住むアパートへ向かっていることに気付いた。
そういえば、馨の家の場所は知っていたが、中へ入ったことは無かった。裕太の家に馨が来たことは何度もあったけれども、馨の家へ行く流れにはなったことがなかった。
手を引かれるまま、アパートの階段を上る。深夜のしんと静まり返ったアパートにカンカンと足音が響く。手前から二つ目のドアの前で立ち止まると、馨は裕太から手を離して、ポケットから鍵を取り出した。ドアを開けて、裕太を招き入れる。
「入って」
馨は裕太にソファへ座るよう言った。言われるがまま、裕太はそこに座る。しばらくして馨はコップに暖かいお茶を淹れて、小さなテーブルの上に置き、傍の床にちょこんと座った。
「バンドが解散した後、どうするか考えてるか」
いきなり、核心をつかれる。単刀直入に胸を抉る質問だった。裕太は俯きがちに、分からないと答えた。
この先新しく仲間を見つけてバンドをするのか、はたまた将来を見据えてバンドをやめるのか、裕太にはまだ何も考えられなかった。どうするべきか、どうしたいのか、色んな感情がせめぎ合って、うまく言葉にならない。
「新しくバンドを組むか、それともいっそギターごとやめるか」
もう一撃、馨が胸を刺す。顔を近づけて、馨は裕太の目を覗き込む。嘘や建前など言える空気ではなかった。今ここで全てを吐き出せ、と言っているようだった。
「……やめたくなんかないです」
やめたくないんですほんとは、やめたくない、そう言い出したら止まらなかった。ぼろぼろ、ぼろぼろと堰を切ったように涙が零れ出す。
うん、うんと頷いて聞いていた馨の手が、裕太の肩に差し伸べられる。頭を抱きかかえるように寄せられた。吐息を感じられるほどに抱き寄せられて、裕太は肩を震わせながら、子供のようにわんわん泣いた。
馨は何も言わなかった。ただただ泣きじゃくる裕太の背を撫で続けた。
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