第2話 親交

 七月初めの学祭ライブまで、準備期間は残すところ半月程となった。曲目はすでにほぼ決まっている。選んだ六曲のうち、メジャーバンドのコピー曲が二曲とオリジナルが四曲。オリジナル曲のうち、三曲は裕太の作った曲だ。

 高校の頃から、誰に聞かせるわけでもないが、裕太は曲を作っている。少しずつ趣味で作っていくうちに、五十曲ほどストックができた。

 大学でバンドを組んで初めて、自分の作った曲を人に聞かせるようになった。それまで、曲を作っているということは、どうにも気恥ずかしくて誰にも聞かせることが出来なかった。その時、再生ボタンを押す指が震えたことを裕太はよく覚えている。

 部室に集まったバンドのメンバーが、真面目な表情で聞き入っている。一体どんな反応が返ってくるのか、裕太は怖くて仕方がなかった。緊張が止まらない。気楽に聴いてくれたらいいのに、裕太は内心そう思っていた。たった数分のはずなのに、永遠かと錯覚してしまうほどに長かった。

「いい曲だね」

 曲が終わり、真っ先に手を叩いてそう言ったのはボーカルの櫻井だ。彼は裕太よりも一学年上で、裕太をバンドに誘った張本人である。櫻井に続き、ベースの中川もドラムの鈴木も裕太の曲を褒めた。涙が出そうなくらい、その言葉は嬉しかった。

 それから裕太の作った曲はたびたびバンドで演奏されている。ここをこうしたらもっとよくなるんじゃないか、とメンバーからアドバイスを受けることも多く、それまで以上に裕太は曲を作るのが楽しくなった。

 今回の学祭はアップテンポなロックチューンと、明るいポップスとバラードの三曲を演奏する。裕太も特に気に入っている曲ばかりなので、練習により一層熱が入る。

「今回の曲、今までにないくらい、明るくてポップだ。結構好き」

 一通り口ずさんだ後、楽しそうに櫻井が言った。櫻井本人としては軽く口ずさんでいるだけだろうが、裕太は内心感動していた。自分が頭に描いていた以上の歌を櫻井はくれる。櫻井が歌うだけでパッと曲が色鮮やかになるのだ。

 ボーカルとして、またギタリストとして、櫻井は才能のある人物だ。歌声は美しく、細い指から奏でられるギターは激しい。裕太は時々、隣でギターを弾いているのが恐れ多くなる。それ程、櫻井の歌に惚れ込んでいた。櫻井だけではなく、ベースの中川もドラムの鈴木も尊敬できるメンバーだ。このメンバーでバンドを組めてよかったと、裕太は心から思う。

「あの、コピーの選曲なんすけど、この曲もコピーしませんか?」

 バンドスコア片手に、遅れて鈴木がスタジオへ入ってきた。鈴木は丁寧に印刷されたそれを一人一人に渡していく。

 裕太はこの曲を知っていた。先日鈴木が解散を嘆いていた、あのインディーズバンド、『Tactics』の曲だ。裕太も大好きな曲で、穏やかで美しい旋律の中に激しさを秘めている。櫻井は楽譜を見ながら軽くメロディを口ずさんだのち、言った。

「いいね、やろっか」

 裕太も中川も頷いた。そうと決まれば練習するのみだ。櫻井は手を叩き、マイクを握る。最初の曲からな、と櫻井は言った。裕太も他の二人も楽器を構える。ドラムのカウントの後に音が重なる。この瞬間が裕太は好きだった。「バンドが好きだ!」そんな気持ちを裕太はギターの弦に乗せる。

 

 近くの大通りの裏にあるこぢんまりとした古着屋で働いている、と馨が言っていたので、時間の空いたある日の昼下がりに裕太は店へと足を運んだ。昼間は古着屋、夜はバーで働いているのだと言う。ドアを開ければカラン、と木の鳴る音が聞こえる。どこからか「いらっしゃいませー」と間延びした声がした。馨の声だ。

 入って数分もしないのに、もう欲しい服が次々と出てくる。また来よう、裕太は馨に挨拶をする前からそう決めた。手持ちの現金では、欲しい服全てを買うことは難しそうだ。

 どうやら馨は接客をしているらしい。男性客と話す声がする。裕太はこっそり服を見ながら、陰から馨の姿を伺った。この服にはこれを合わせた方がいいですよ、とジャケットを比べている。客に向かって真剣な表情で、声を弾ませながら馨は話していた。

 平日の昼間の古着屋は裕太のほかに客が一人しかいない。店内BGМは彼の好きなパンクバンドの曲である。並べられている古着も、彼の好みに合っているのだろう。店長と意気投合したおかげで、かなり自由に働けているのだと言っていた。

「古着が好きなんだよ。音楽と同じくらい」

 前に馨がそう言っていたのを裕太は思い出した。言っていた通りだ。本当に馨はこの仕事が好きなのだ。

 客の男が数枚購入して店を出ていくのを見計らって、裕太はレジへ向かう。数枚気になる服を手に取って、レジの前に置いた。いつもは裕太がレジの向こうにいて、馨は客としてやってくるから、何だか不思議な気分だ。

「え、来たの?」

 馨は驚いたように大きな目をさらに大きく丸くした。

「よかったら来てって言ってたでしょう」

「言うたけど……来るなら来るって言えよ。びっくりした」

 数週間前、連絡先を交換したあの夜から、裕太と馨は度々メールをしたり、一緒に買い物に行ったり、映画を見に行ったりと一気に距離を縮めていた。東京にいるはずなのに、地元の旧い友人と街を歩いているような、妙な懐かしさがあった。

「事前に言ったら何か用意してくれたんですか」

「何もない、こっちの気持ちの問題」

 うわーはっず、馨は手で顔を覆いながら笑う。

「何がはずいんですか、仕事してる馨さんめっちゃかっこええですよ」

「いーやー仕事しとるとこあんま見られたくないっつうか……はっず」

 頬を赤くして馨はレジに置かれた服を見た。

「これ全部?」

「ほんとは全部欲しいんですけど、さすがに財布ん中厳しいんで、選んでもらってええですか?」

「いいけど、気に入らんかったら言えよ? 買ってから文句言うのはなし」

 しぶしぶ了承するように言いながら、楽しそうに笑う顔を見、裕太はほっと胸を撫で下ろす。なんだかんだ言いながら、面倒見のいい人なのだ。

 ちょっとこっち来、と言って馨は裕太を全身鏡の前へ連れて行く。裕太の選んだ服に加え、並んでいる服からも何枚か手に取った。

 それから、こっちのが、うーんさっきの方がまだ、と馨は唸りながら裕太に服を見立てていく。裕太はされるがまま、時折どう? と聞かれても頷くしかなかった。馨の真剣な眼差しを間近で見たら、この人に任せておけば大丈夫だと思った。

「どう?」

 十分ほどで馨は上下三組を選び、裕太に尋ねた。全部買ったとしても、それほど値段は高くない。しかもどれも裕太の好みにどんぴしゃで、どれか一つを選ぶのも無理だった。「全部欲しいです」迷いなく裕太は言った。

「全部?」

「やってこんなん全部好みやから選べませんって」

「ほんとに言ってんの」

 ええ、と裕太が言うのを聴いて「じゃあ半額にする」と馨は言う。

「えっどうして」

「俺からの礼。あの時の」

 馨は服を綺麗に畳んで袋に入れた。

「あれは俺が勝手にやっただけですし」

 裕太は言いながら値段通りの金額を馨に渡した。馨は怪訝そうな表情を浮かべる。

「だったらこれも俺が勝手にやりたくてやってるだけだし」

 馨は強引に服の入った袋と一緒に、渡したお金の半分を裕太の手に握らせた。

「年上の好意は素直に受け取れよ」

「すんません、ありがとうございます」

 くしゃ、レジ越しに馨は裕太の痛んだ金髪を撫でた。馨は時々、まるで弟のように裕太を扱う。それが少し嬉しいような、照れくさいような。裕太はどうすべきか迷って、じっとしてその手を受け入れるほかなかった。

 馨の目にわずかに寂しさに翳る。裕太の向こうに別の誰かを見ているような瞳だ。気のせいかもしれないが、馨と話していると度々そう感じられる瞬間がある。

「じゃ、また来てな」

 馨の笑顔に見送られ、裕太は店を出た。

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