第二十話・3

 バイト先。スタッフルームにて。

 古賀千聖は、いつもよりも上機嫌な様子でスタッフルームに入ってきて、僕に話しかけてくる。


「ねぇ、楓君。今度の14日なんだけど、暇かな?」

「突然、どうしたの?」


 いきなりの事に話がついていけず、僕はつい聞き返していた。

 その日はちょうどイベントがある日だから、暇っていうわけではないんだけど……。

 素直に言った方がいいかな。


「あのね。今度の14日にね。渡したいものがあるんだ。だから、その日は暇かなって思ってさ」

「その日は、ちょうどバンドのイベントがあるかな」

「イベントかぁ。それは、ちょっと残念だな……。それなら、前日に渡す必要があるのかな」


 それって確実にバレンタインデーのチョコだよね?


「前日って……。そういう大切なものは、当日に渡した方がいいと思うけど……」


 僕は、なんとなくそう言っていた。

 他でもない古賀千聖からのバレンタインデーのチョコレートだ。

 貰える人は、とても幸せだろう。

 僕にとっては、恋愛対象にならない女の子だが。


「当日かぁ。でも楓君は、その日は難しいんだよね?」

「うん、まぁ……。でも他の人にあげるんでしょ? それなら、問題はないかと思うけど」

「問題あるよぉ~。私が渡す相手が、他ならぬ『あなた』だからこんなに悩んでいるのに……」

「ごめん……」

「なんで謝るかなぁ。プレゼントするのは、私なんだよ。そんな申し訳なさそうな顔をしなくても……」

「うん……。わかってはいるんだけど……」


 貰えるのは嬉しい事だけど、そうなると『お返し』のチョコを渡さないといけないな。

 僕は、こうした事はしっかりしないと気が済まないのだ。

 千聖は僕の腕をギュッと掴み、笑顔で言った。


「楓君は、素直に喜んでいいんだよ」


 そんなアプローチをされたら、どうしていいのかわからない。

 とりあえず、素直に喜ぶべきなのかな。


「う、うん……。ありがとうね」

「もう! そういうのは、ちゃんとプレゼントを貰ってから言ってよね! 今、言われたって、全然嬉しくないんだから!」

「それもそうか。それじゃ、貰ってから言おうかな」

「楓君、わざと言っているでしょ?」


 千聖は、不機嫌そうな顔をしてそう訊いてくる。

 別に意図的にやっているわけじゃないんだけど。


「え……。いや、その……」


 こんな時、なんて言ったらいいのかわからない。

 しかし、千聖は俄然やる気なのか、僕に指を突きつけてこう言った。


「それならイベント後の帰り時間に渡すから。文句はないよね?」

「イベント後って……。ひょっとして、ライブに来るつもりなの?」

「当たり前じゃない。その日は、女の子にとって大切な日なんだから。行くに決まっているでしょ」


 そこまで言われてしまうと引き止めるのが逆に失礼な気がする。


「でも……。今回のイベントは……」


 僕はライブ中のことを思い出してしまい、言うのを途中でやめてしまう。

 確実に女装してのライブになるから、千聖にはあんまり見られたくないのが本音だ。

 そんなこととはつゆ知らず、千聖は思案げな表情で首を傾げる。


「どうかしたの? ちょっと都合が悪かったかな?」

「そんなことはないんだけど。ちょっとね……」


 僕は、そう言って苦笑いをした。

 勘の良い女の子なら、これで察してくれるはずだ。

 しかし、千聖に限ってはそんなはずもなく。


「なに? 見られたら困るようなことでもあるの?」


 と、むしろそんなことを訊いてくるくらいである。

 まるで知っているかのような口ぶりだ。

 僕は、しどろもどろになり口を開いた。


「いや……。困るっていうか、その……」


 さすがに


『女装してライブをやるんだ』


 とは言いにくい。

 でもライブ当日はバレンタインデーでもあるから、女の子にとっては大切な日でもあるし。

 やはり千聖さんも、同じ用件なんだろう。

 どうしても、その日じゃないとダメなんだろうか。

 ライブ当日は、たぶん女装してライブをするから、女の子からチョコレートを貰うのは体裁が悪い気がする。

 僕が不審な目で見られかねない。

 しかし、千聖さんはその事にも気づいていないんだろうな。

 千聖は、ちゃんと理解しているのか、ため息混じりに言った。


「女装してライブをやるんでしょ? 私、ちゃんと知ってるよ」

「どうしてそれを?」

「だって西田先輩たちのライブは、ちょくちょく観に行ってるからね。楓君が女装してることもよく知ってるよ」

「そうなんだ。どうりで詳しいわけだ……」


 僕は、肩の力が抜けたような感じになる。

 まぁ、知っているのなら別に構わないか。

 ──いやいや。

 たとえ知っているからと言って、ライブを観に行くという判断にはならないだろう。

 これには、何かしらの意味があると思われる。


「うん。私は主に楓君の姿を見てるんだよね」

「え……」

「楓君はベース担当だから、すぐにわかるんだよね。弾いている曲自体はよくわからないけど、あまりにも女装が似合っているから、つい見惚れてしまうんだ」

「………」


 千聖の正直な感想に、僕は何も言えなくなってしまった。

 見惚れてしまうって、僕の女装のどこにそんなものがあるんだろうか。

 真剣に考えてしまいそうなことだけに、自分自身、かなり深刻な悩みだ。

 でも休憩時間はそろそろ終わりそうなので、僕は準備をし始める。


「──さて。休憩時間もそろそろ終わりだし。残りの時間も頑張ろうかな」

「ちょっと! 誤魔化さなくてもいいじゃない! ホントのことなんだから!」


 千聖は、そう言って僕の腕をギュッと掴む。

 なんか、ちっとも嬉しくないんだけど……。

 女装姿が似合うと言われて、嬉しい気分になったりはしないだろう。

 特にも、男である僕に対して言っていいことではない。


「そうなんだ……。ホントのこと…なんだ」


 僕は、心の中でガックリと項垂れてしまった。

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