第十九話・6

 香奈姉ちゃんは、僕なんかといて何が楽しいんだろう。

 特にも、今日みたいな日は友達といた方が楽しいだろうに。

 そうは思っていても、はっきりと口に出せない僕は、臆病なんだなっていつも思う。

 香奈姉ちゃんとの関係が壊れてしまうのが、怖くてしょうがないのだから。

 まぁ、香奈姉ちゃんがそれでいいと思うのなら、僕にはなんとも言えないが。

 いつものように自分の部屋でくつろいでいると、これまたいつもどおりに香奈姉ちゃんがやってくる。

 まるで、僕以外誰もいないこの時を待っていたかのように。


「弟くん。今、暇かな? 暇だよね? 暇なら手伝ってほしいんだけど」

「ん? 何かあったの?」


 香奈姉ちゃんから勝手に暇人認定されてしまったが、この場合は仕方がない。

 実際、何もしていなかったのだから。


「私の家でね。お片付けを手伝ってほしいんだ。別にいいよね?」

「別に構わないけど。大掃除とかは済ませたんだよね?」

「うん。それはもちろん済ませたんだけど。その……」


 香奈姉ちゃんは、恥ずかしそうに頬を赤くしてうつむいてしまう。

 ここでは言いにくいことなのかな。

 それなら仕方ない。


「わかった。とりあえず、香奈姉ちゃんの家に行こうか」

「うん! ありがとう」


 その屈託のない笑顔が、なんとも言えず可愛いんだよな。

 僕は、その笑顔に逆らえる気がしない。


 香奈姉ちゃんの言ってた『お片付けの手伝い』っていうのは、音楽の楽譜などのお片付けの手伝いかと思っていたんだけど。

 どうやら違ったようだ。

 香奈姉ちゃんの部屋に入ってそこに広がっていたのは、普段身につけているであろう下着だった。

 それこそ足の踏み場もないくらいに下着類で溢れている。

 ベッドの上だけだったら、まだわかるんだけど。


「え……。これって……」


 僕が思わずそう言ってしまうほどだ。

 一体、どうやったらこんな風になってしまうんだろう。

 真面目な香奈姉ちゃんが、ここまで散らかすなんてめずらしい。


「散らかっててごめんね。予定通り、お片付けをしたいんだけど。その前に探し物をね。探してたんだよね」

「探し物って……。もう見つかったの?」


 僕は、周囲を見やりながらそう訊いていた。

 探し物というのは初耳だ。

 香奈姉ちゃんは、元気がなさそうな態度で言う。


「ううん……。部屋中探し回ってるんだけど、全然見つからなくて……」

「そうなんだ。それじゃ、お片付けをする前に探さないとね」

「そこで相談なんだけど──」


 そんなもじもじとした態度で言ってくるってことは……。

 僕にも、香奈姉ちゃんの探し物を探してほしいってことだよね。


「僕は、これ以上香奈姉ちゃんの部屋を散らかす気はないよ」

「そんなぁ……。手伝ってくれるって言ったのに……」

「うん。まぁ、手伝うけど……」

「ありがとう、弟くん。やっぱり弟くんは、優しいね」

「だけどこれは……」


 僕は、乱雑に床に置いてある香奈姉ちゃんの下着を見て言葉をもらす。

 厳密に言えば、どこから手をつければいいのかわからない。

 なんというか、香奈姉ちゃんの下着の数ってどれだけ多いの。

 目のやり場に困るんだけど。

 そんな中から探せと?

 一体、何を?

 そんな中、香奈姉ちゃんは何を思ったのか、恥ずかしそうに頬を染めて言った。


「下着は今から片付けようかなって思ってたんだ。探し物はその中からは見つからなかったし……。綺麗にたたみたいなって思ってたから、弟くんも手伝ってくれるかな?」

「え……。僕が香奈姉ちゃんの下着を?」

「うん。ダメ、かな?」

「いいよ。どうやってたたむのか教えてくれるんなら、手伝うよ」

「ありがとう」


 女の子の下着のたたみ方はさすがに知らないから、教えてくれるのなら助かる。

 手伝うって言ったって、まず香奈姉ちゃんの下着を片付けないと、探し物を探すどころじゃない。

 香奈姉ちゃんは、下着を二枚拾い上げてそのまま僕に渡してくる。

 ブラジャーの方とショーツの方だ。色もお揃いだから、これで一セットなんだろう。


「まずね。ブラジャーの方はこうするの」


 香奈姉ちゃんは、拾い上げたブラジャーを丁寧にたたんでいく。

 僕は、渡されたブラジャーを見よう見まねで優しく丁寧にたたむ。

 それを見ていた香奈姉ちゃんは、安心したのか静かに頷いて、ショーツの方を手に取り、そのままゆっくりとたたんでいく。


「そうしたら、次にショーツはこうするんだよ」

「うん……」


 僕は、香奈姉ちゃんに言われたとおりにショーツをたたむ。

 女の子の下着なんて、普段なら触ることもないし、目にすることもないから、いざこういうことをするとなると緊張してしまう。

 なんだか、これだけで時間をかけてしまいそうな感じだ。

 幸いなのは、洗濯をしなくても大丈夫なことくらいだろうか。

 それにしても女の子の下着って、意外にも伸縮性に優れてるんだな。

 布の面積がこれだけしかないのに、大事な箇所をしっかりと守ってるんだから、すごいとしか言いようがない。

 香奈姉ちゃんの大事な箇所か……。

 ああ。ダメだ。

 思い出すと、またエッチな妄想をしてしまいそうだ。

 あまりまじまじと見ると、香奈姉ちゃんが不機嫌な表情になるからやめておこう。


 僕が全部の下着を仕舞い終えるのと同時のタイミングで、香奈姉ちゃんは洋服を仕舞っているタンスを開けた。


「次は、このタンスの中かな」

「ところで香奈姉ちゃん」

「なに?」

「一体、何を探しているの?」

「それを聞いちゃうんだ。弟くん」

「聞いちゃうって……。探し物が何なのかわからないと、探しようがないでしょ」


 僕は、軽くため息を吐いてそう言う。

 断っておくけど、香奈姉ちゃんの探し物について僕は何も聞いていない。

 なるべくなら、香奈姉ちゃんの口から聞きたいことなんだけど。

 そもそも女の子の下着を、男である僕がきちんとたたんでタンスの中に仕舞うっていうのも、通常なら考えられない事だ。

 もはや人が良いって言う問題ではない。


「どうしても言わないとダメ?」


 香奈姉ちゃんは、上目遣いでそう言ってくる。

 何なのかわからない以上、ここで聞いておかないとダメだろう。それに万が一、香奈姉ちゃんが探してる物を見ても、絶対に見過ごしてしまう可能性が大だ。


「言ってくれないと、わからないよ。この場合──」

「そっか。手伝ってくれるっていう手前、何なのか知らないと困るもんね」

「うん。まぁ、そういうこと」


 ようやく香奈姉ちゃんも納得してくれたか。

 香奈姉ちゃんは、僕を見てなぜか恥ずかしそうに頬を赤く染めて口を開く。


「あのね。とっても言いにくいことなんだけど……。あるものが入った小さな瓶なんだよね」

「小さい瓶、か。それは、探すのは大変そうだね」

「うん。弟くんの大切なアレが入った瓶なんだ。なんとしても見つけないと──」

「ちょっと待って。僕の大切なアレって、一体何のこと?」


 僕は、気になって訊いてみる。

 僕の大切なアレって、なんだろうか。

 誕生日プレゼント以外で、香奈姉ちゃんに何かをあげたことはないかと思うんだが……。


「いやだなぁ。忘れちゃったの? 私とのスキンシップ中に楓が──」

「っ……!」


 思い出したかもしれない。

 たしか、その小瓶の中には僕の──

 いやいや。そんなことあるわけがない。


「もしかして、僕の──」

「最後まで言ったらダメだよ。確実に幻滅されちゃうから」


 香奈姉ちゃんは、僕の唇にそっと指を添えてそう言った。

 ──まさかね。香奈姉ちゃんが、僕のアレを持っているわけがない。

 それができるとしたら、僕が寝ている時くらいだろう。


「言わないけど……。そんなに大事なものなら、ちゃんと仕舞っておかないと」

「うん。わかってはいるんだけどね。私としたことが……」

「めずらしいね。香奈姉ちゃんが持ち物を紛失するなんて」

「普段は私の大事なところに仕舞っているんだけど、いつの間にか無くなっていて……」

「誰かが、無断で持ち去っていったとか?」

「誰かって、もしかして花音かな?」


 香奈姉ちゃんの部屋に無断で入れる人間は、たしかに花音くらいだけど。

 花音を犯人と決めてしまうには、あまりにも早計な気もする。


「花音がそんなことするの?」

「わからない。だけど私の部屋に入ってくるのは花音しか──」


 香奈姉ちゃんがそう言った途端、ノックも無しに部屋のドアが開く。

 鍵はかけてないのだから、誰かが開けようとすれば開くのは当然なのだが。

 ドアを開けたのは、香奈姉ちゃんの母親だった。

 香奈姉ちゃんの母親は、僕たちの姿を見て笑顔を向ける。


「あら。二人とも仲良くしていたのね」

「あ、どうも……。お邪魔してます」

「お母さん? 私の部屋に来るなんてめずらしいね。何かあったの?」


 香奈姉ちゃんは、思案げな表情で母親に訊いていた。


「ああ、それがね。香奈の部屋に化粧品はあるかなって思ってね。来ちゃったの」

「ちょっと……。まさかそれって、私がいない時に入ってたりする?」

「今回だけよ。ちょっとだけ気になってしまってね」

「ちょっとだけって……。私にだってプライベートってものが──」

「わかってるわよ、そのくらい。だから香奈の部屋にも、化粧品くらいあるかなって思ったのよ。それで、香奈の部屋の中をいろいろ物色していたら、こんなものが出てきたのよね」


 香奈姉ちゃんの母親は、ある物を香奈姉ちゃんに手渡す。

 それは、小さな瓶みたいなものだった。


「あ……。これは……」


 香奈姉ちゃんは、母親から渡された物を見て思わず言葉をもらす。

 確認できなかったからよくわからないが、それは香奈姉ちゃんが探してた物で間違いないんじゃないのかな。

 香奈姉ちゃんの母親は、訝しげな表情で香奈姉ちゃんに言った。


「これって、香水なの? それにしては、ずいぶんと──」

「わー! わー! これ以上は言わないで! お母さんの言うとおり、ただの香水だよ。やましいものではないよ」


 香奈姉ちゃんは、めずらしく取り乱した様子でそう言う。

 僕に聞かれたら、まずい物なのか。それって……。

 香奈姉ちゃんの母親は、香奈姉ちゃんの態度を見て慮った様子で口を開く。


「そ、そうね。ただの香水なら、別にいいわ。…今度は、他の人に見つからないように気をつけなさいよ」

「わかってるって──」


 香奈姉ちゃんは、下着が入った段のタンスの中に小さな瓶を仕舞う。

 まるで大事な物を隠すかのような仕草だ。

 僕には、興味がないからどうでもいいんだけど。


「それじゃ、私はこれで失礼するわね」


 香奈姉ちゃんの母親は、僕の顔を見て意味ありげな笑みを浮かべ、部屋を後にした。

 ん? なんだろう。

 僕に関係のあることなのかな。

 僕に『頑張りなさい』って言ったような気がするんだけど。

 香奈姉ちゃんが探してた小さな瓶とどんな関係があるんだろう。


「さてと……。探し物も見つかったことだし。これから何をしよっか?」


 香奈姉ちゃんは、そう言って体を寄り添わせてくる。

 そんなことをしてきたって、僕の答えは変わらない。


「何をするって言われても……。用件はもう終わったことだし、もう帰ろうかなって……」

「いやいや。そんなこと言わずに、ね。私と一緒に遊ぼう」

「何をして遊ぶの? バンドの練習とか?」

「う~ん。一緒にゲームをするとか?」


 ゲームというのは、きっと僕の気を引くためのものだろう。

 何にせよ、ここでオッケーしないと香奈姉ちゃんが悲しむのはたしかだ。

 香奈姉ちゃんの部屋にも、ゲームくらいはあるからな。

 ジャンルまではよくわからないけど。


「仕方ないなぁ、香奈姉ちゃんは──。僕で良ければ付き合うよ」

「ありがとう。弟くん」


 きっと香奈姉ちゃんは、きっかけが欲しかったんだと思う。そうでなかったら、帰ろうとする僕を引き留めるはずがない。

 そういえば、小さな瓶をタンスの中に仕舞ったみたいだけど、用途はなんだろう。

 役に立つものとは思えないんだけど。

 とても気になるが、教えてくれそうにないし……。

 香奈姉ちゃんが黙っているのなら仕方ない。

 僕は、今回の探し物の件については黙っておこうと心に決めた。

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