第十六話・8

 翌日。

 いつもどおりの学校の登校時間。

 僕は、さっさと制服に着替えて、学校に行く準備をする。

 そんな中、香奈姉ちゃんは、僕の家の玄関先で、僕のことをじっと待っていた。


「おはよう、楓。今日は、一緒に学校に行ってくれるよね?」

「え、うん。もちろんだよ」


 僕は、ぎこちない笑顔を浮かべてそう答える。

 なんか香奈姉ちゃんのその笑顔が、逆に怖いんだけど……。

 玄関先で待っているのは、僕と入れ違いにならないためだろう。

 ひょっとして、あの時、一緒に登校できなかったことを根にもってるのかな。

 ──いや。あの時は、慎吾との約束があったから急いでいて、仕方なくだったんだけど……。

 今回は違う。

 香奈姉ちゃんに渡すお弁当もちゃんと準備してある。

 忘れ物はない。

 僕は、香奈姉ちゃんにお弁当箱を差し出した。


「はい、これ」

「あ、うん。ありがとう。…それじゃ、私からも」


 香奈姉ちゃんも、手に持っていたお弁当箱を僕に差し出してくる。


「いつもありがとう、香奈姉ちゃん」


 僕は、笑顔でお礼を言った。

 しかし香奈姉ちゃんは、どこかご立腹だ。

 少しだけムッとした表情で言う。


「二人っきりの時は、『香奈』でしょ」

「ごめん……。いつもの癖で……」

「まったく。いつになったら、私のことを『香奈』って呼んでくれるのかな? 楓は──」

「うぅ……」


 香奈姉ちゃんのことを、普通に名前呼びするなんていうのは、さすがに……。

 僕には少し、ハードルが高い。

 普段でさえ、香奈姉ちゃんのことを『香奈』だなんて呼ばないのに……。


「いつかは、呼べるようになると思うから……。その時までは……」

「うん。私はいくらでも待ってあげるよ。なにしろ楓とは、恋人として付き合っているんだから」


 香奈姉ちゃんは、そう言って僕の手を握ってくる。

 それはまるで、自分の今の立ち位置を確保しているかのようだった。


「ありがとう、香奈姉ちゃん」

「お礼なんかいらないよ。それよりも、はやく学校に行こうよ」

「うん」


 僕は、香奈姉ちゃんに手を引かれ、そのまま自分の家を後にする。


 香奈姉ちゃんと一緒に学校に登校するのは別に構わないんだけど、周囲の人たちの視線が非常に気になるんだが。


「どうしたの、楓? はやく行こう」

「う、うん」


 香奈姉ちゃんは、なんの迷いもなく僕の手を握り、そのまま引っ張っていく。

 こんな僕たちの姿を見て、羨ましいと思う男性は多いんだろうな。

 ただでさえ、香奈姉ちゃんは他の女子たちに比べたら、かなり可愛い部類に入るから。

 そんな可愛い女の子と一緒に歩く僕の身にもなってほしい。

 周りの視線がすごく痛いんだよ。

 自分で言うのもどうかと思うが、僕はそこまでイケメンではない。

 どちらかといえば、普通の男子だ。

 香奈姉ちゃんは、何を思ったのかいきなり僕の腕にしがみついてきた。


「っ……⁉︎ どうしたの?」

「どうもしないよ。ただなんとなく、楓にくっつきたくなっただけだよ」

「ちょっと……。香奈姉ちゃん。恥ずかしいよ」

「私は、全然恥ずかしくないよ。むしろ、すごく嬉しいよ」


 そう言うと、香奈姉ちゃんはとても嬉しそうにギュウッと抱きしめてくる。

 これは、僕が何を言っても無駄な流れだ。

 男子校に着くまでこの状態なのかな。

 そう思って歩いていたら、とある人物が声をかけてきた。


「朝から何をしているの、西田さん!」


 怒声が混じったかのように声をかけてきたのは、いかにも生真面目そうな女子高生だ。

 香奈姉ちゃんと同じ制服を着ているから、女子校の生徒だろう。

 たしか名前は、宮繁先輩だったかな。


「え……。宮繁先輩? なんでこんなところに?」

「『なんで』じゃないわよ! 西田さんは、女子校のお手本にならなければいけない生徒なのよ! 男子校の生徒なんかと手を繋いで歩くなんて、本来あってはならないことなの! …わかるわよね?」

「そんなこと言われても……。彼とは、数ヶ月前……。ううん。小さい時から付き合っているから。無理かな~」

「だったら幼馴染関係をやめて、すぐに別れなさい! 西田さんは、次期生徒会長になるんだから、幼馴染と別れることくらいはできるでしょ⁉︎」


 宮繁先輩は、強引に僕たちの間に入ってきて、引き離そうとする。

 しかし香奈姉ちゃんは、僕にしがみついて離れようとしない。だけど、すごく冷静な口調で言う。


「前にも言ったけど。私は生徒会長になるつもりなんてないよ」

「そんなの。みんなからの推薦があったら──」

「男の子と交際していて、さらにはバンドを組んでる。そんな女子を生徒会長にさせるかなぁ」

「それは……」


 さすがに女子校にとって、問題児になりかねないような生徒を、生徒会長にさせるのには問題もあるようだ。

 たしかに成績優秀で品行方正、さらには眉目秀麗な生徒であることは変わらないようだけど。

 最近だと、品行方正とは言い難くなってきている。

 そもそも、香奈姉ちゃん本人は、そんな風に見られたくはないみたいだし。


「私なら、男の子と交際しているって聞いただけで無理って判断しますね。ただバンドを組んでるってだけっていうなら、我慢もできるかもしれないですけど」

「う~ん……。でも……」


 宮繁先輩は、いかにも悩ましいといった感じで声をあげる。

 せっかくの人材が生徒会ではなく、バンド活動をやっているっていうのがショックみたいだ。

 でも、成績優秀だからって、必ずしも生徒会に入るかって聞かれたら、そうではないかと思う。

 ただ周囲の人たちから、信頼されてるってだけだろうし。


「学校での成績が優秀だからって生徒会に入れたいっていうのは、その人たちの身勝手だと思う」


 僕は、誰にともなくそう言っていた。


「………」


 僕の言葉を聞いていた宮繁先輩は、押し黙ってしまう。

 香奈姉ちゃんにとって学校の成績は、大学進学のための足掛かり的なものだろうし。

 たしかに生徒会長になっておけば、内申点もあがるだろう。

 だけど、香奈姉ちゃんにとっては、僕と一緒にいること自体に価値を見出しているみたいだ。

 香奈姉ちゃんは、僕の腕をギュッと掴んで言った。


「私は、できるだけ楓の傍にいたいし、バンド活動を中心にやりたいの。だから、生徒会に入るつもりはありません」

「でも生徒たちの何人かからは推薦されてるのよ。だから西田さんが何を言おうと、もう無駄なことなのよ」

「それは、宮繁先輩がみんなの前で私を指名したからですよね? 私は、特に何もしてないし」


 宮繁先輩は、そんなことをしていたのか。

 それは、香奈姉ちゃんがムッとなってしまうのも頷ける。


「やっぱり、西田さん以外に生徒会長を任せられる生徒はいないから、その……」


 宮繁先輩は、そう言って香奈姉ちゃんから視線を逸らす。

 それは宮繁先輩の個人的な主観であって、みんなの声じゃないような。

 そうは思ったが、僕にはなんとも言えない。

 それを見た香奈姉ちゃんは、ふぅっと大きく息を吐いた。


「私には、バイトに加えてバンド活動があるから、生徒会の仕事はどっちにしても無理だよ」

「まぁ、バイトしてる人間に生徒会の仕事は無理だよね。基本的に──」


 僕も、香奈姉ちゃんの援護とばかりにそう言う。

 ──さて。宮繁先輩の反応は、どうだろう。

 僕は、宮繁先輩の方を見てみる。

 宮繁先輩は、しばらく考え込んだ後、名案だと言わんばかりに掛けている眼鏡をクイっと押し上げて、口を開いた。


「それじゃ、バイトもバンド活動もやめてもらって、生徒会活動の方を優先してもらうってのは、どう? 学校側の内申点も上げられて、良い大学にも推薦枠で入れるようになるから、良い事ずくめだと思うわ」

「丁重にお断りします。たしかに私が目指してる大学は、男子と共学になるので、先輩にとっては良いところとは言い難いけれど……。それでも、楓と一緒に叶えられるようなものだったら、それでいいんです」


 香奈姉ちゃんは、そう言って微笑を浮かべる。

 おまけに僕の手をギュッと握ってくるのを忘れない。

 僕と一緒に叶えられるようなもの…か。

 つまりは、僕と一緒の大学に行きたいってことだよな。

 香奈姉ちゃんは、そこまで僕のことを信じてるんだ。

 僕は、香奈姉ちゃんについていくだけでも、やっとだと言うのに……。


「とにかく。私は、絶対に諦めないからね。──西田香奈さん。私は、なんとしてもあなたを次期生徒会長にさせてみせるから! …見ていなさいよ!」


 宮繁先輩は、そう言うと軽い足取りで先に行ってしまった。

 こうして普通に見たら、宮繁先輩も充分に可愛いんだけどな。どうして中野先輩と付き合ったりしないんだろうか。

 二人は、幼馴染なのに……。

 ちょっと不思議だ。

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