第十話・7

 ライブが終わると、私たちはステージから降りて、そのまま楽屋へと戻る。

 時刻は、午後の五時。もう夕方だ。

 ライブで歌ったのは二曲ほどだが、他のバンドのこともあって、順番がだいぶ後だったため、終わってみたらこの時間になっていたのだ。


「今日はありがとうな、香奈。おかげでライブは大盛況だったぜ」


 隆一さんは、私の肩に手を置いてそう言ってきた。

 今日は、隆一さんにとって特別な日だから、一緒にライブをやったんだけど。

 そうじゃなかったら、やることなんてなかった。


「断っておくけど、今日だけだからね。次はないんだからね」

「いやいや。…そんなこと言わずに、次も頼むよ」

「私は自分のバンドのこともあるから。それは無理なお願いだよ」

「いや、もうみんなにメンバー紹介もしちゃったし……。そこをなんとか頼むよ」

「今日は、隆一さんにとって特別な日だから、ボーカルをやってあげただけだよ」


 さらに付け加えるなら、明美に頼まれたからなんだけどね。


「そこを何とか──」

「ごめんなさい。無理なものは無理です」


 隆一さんの懇願に、私は首を横に振る。


「そんなぁ。香奈がいなかったら、これからどうすれば……」

「自分たちで、どうにかしてよ」


 私がいることが前提で、ライブをやったのか。

 呆れてものがいえないよ。


「…ライブはもう終わりなんだよね?」

「ああ。今日は、もう終わったよ」

「そう。それなら私は、先に家に帰らせてもらうね」


 私は、そう言って隆一さんから背を向けて楽屋から出ようとする。

 しかし、すぐに隆一さんは、私の腕を掴んできた。


「…待ってくれ」

「何?」

「やっぱり、俺としては、楓と付き合ってるってことを容認できるほど諦めが良いほうじゃない。…俺じゃ、ダメなのか?」

「隆一さんのことも、もちろん好きだよ」

「だったら──」

「だけど、隆一さんに対する『好き』は、恋愛的なものじゃなくて、友達か兄妹に対する『好き』なんだ。だから、隆一さんのことは、恋愛の対象として見れないの」

「そんな……」


 私の言葉に、隆一さんは愕然とした表情になる。

 それが事実なんだから、しょうがない。

 隆一さんには、私のことは諦めてもらわないと。


「そういうことだから、私は先に帰るね」

「おう。気をつけてな、香奈ちゃん」

「まともな見送りができなくてわるいな。こっちは、任せてくれ。なんとかリュウを元気付けるからさ」


 と、慎二さんと祐司さんが隆一さんの側について、そう言った。


「うん。お願いします。それじゃ──」


 私は軽く手を振り、その場を立ち去った。

 後はもう、自分の家に帰るだけだ。

 そのままライブハウスを後にしようとするところで、明美と会ってしまう。


「あ……」

「香奈」


 できるなら、明美とは会わずに、そのままライブハウスを後にしたかったんだけど。

 そう簡単にはいかないか。

 明美は、迷わず私の方に近づいてくる。


「今日は、最高のライブだったね。とってもカッコ良かったよ」

「ありがとう。私は、いつもどおり歌っていただけなんだけどね……」

「ふ~ん。いつもどおり…ね」

「うん。いつもどおりだよ」

「そっか。香奈が作ったバンドでは、いつもそんな風に歌っているんだね。すごいわ」


 明美は、キラキラと目を輝かせてそう言った。

 ボーカルとかやってれば、自然と歌えるようになるのは当然だし。

 すごいのは、ギターやベースなどを弾いてるメンバーさんたちだ。


「やっぱり私のバンドとは勝手が違うから、少し違和感があったけどね」


 私は、誤魔化すように苦笑いをする。

 本音を言わせてもらえば、楓や奈緒ちゃんたちが一緒じゃないから、少しだけ心細かったんだけど。


「そうなんだ。それで、香奈はこんなところで何してたの?」

「今から、家に帰ろうと思ってね」

「そっか。もう夕方だもんね。家に帰るには、ちょうどいい時間帯か」

「明美は、どうするの? お兄さんたちともう少しここにいるの?」

「う~ん。これ以上、私がいても邪魔になると思うし。…帰ろうかな」


 さすがの明美も、兄には気を遣うんだな。

 ここにいること自体、悩んでいる様子だ。


「それなら、私と一緒に帰らない?」

「うん。別にいいよ。個人的に話もあるし」

「話って?」

「とりあえず、ここを出てからにしようよ」

「う、うん」


 私と明美は、そのままライブハウスを後にしようと歩き出した。


「ちょっと待ってくれるかな」


 それは、ライブハウスを出ようとしたときにかけられた言葉だ。

 それは女の人の声だった。

 誰だろう。

 そう思い、私は振り返る。

 私たちを引き止めたのは、さっき隆一さんと話していた金髪の女性──紗奈だった。

 紗奈は、迷わず私のところにやってくる。


「あなたは、リュウのバンドでボーカルをやってくれた香奈ちゃん…だよね?」

「はい。香奈は、私ですけど……。あなたは?」


 私は、改めて紗奈にそう訊いていた。

 隆一さんにしてみたら、紗奈は友人かもしれないが、私からしたら、友人でもなく知人でもない。赤の他人だ。

 紗奈も、そのことを察したのか改めて自己紹介してきた。


「私は、結城紗奈っていうの。紗奈でいいわ」

「紗奈さん…でいいのかな?」

「ええ。それでいいわ」

「…私に何か用でも?」

「一つだけ確認させてほしいことがあってね」

「なんですか?」

「香奈ちゃんは、その…リュウのバンドでボーカルを続ける気はあるの?」

「隆一さんのバンドで…ですか?」


 さっき隆一さんとの話でもそうだけど、私は、隆一さんのバンドに入るつもりはない。


「リュウは、真剣な気持ちでバンドに打ち込んでいるの。だから、中途半端な気持ちでやられても迷惑なだけだと思ってね」


 紗奈は、厳しい表情を浮かべてそう言った。

 それは、事実かもしれない。

 やる気がないならやめてくれっていうことを、私に言ってるんだと思う。

 それだけ紗奈は、隆一さんのことを信頼してるんだな。

 そんな彼女を見ていたら、もしかして紗奈は、恋愛的な意味で隆一さんのことが好きなのでは…と思ってしまうくらいだ。

 だから、誤解のないようにきちんと説明しておかないと。

 私は、口を開く。


「安心してください。私は、隆一さんのバンドに入るつもりはありませんので」

「あら……。そうなの? リュウが強い口調で『香奈は、俺たちのバンドのボーカルにする』って言ってたから、てっきり私は──」

「それは、隆一さんが勝手にそう言ってるだけです。私には、関係のない話です」

「だけど……。個人的には、恋人として付き合っているんじゃないの?」


 紗奈の言った『恋人』という言葉に、私はムッとなる。

 私が恋人だと思っているのは、あくまでも隆一さんの弟の楓だ。

 隆一さんってば、何を勝手に言ってるんだか。


「いえ……。隆一さんは、私の恋人じゃありません」

「え、違うの? それじゃ、隆一さんの恋人って誰なのよ?」

「私には、わかりません」

「そう。わかったわ。あなたが恋人じゃないとしたら、他の誰かってことね。そのことは、私個人として調べておくわ」

「そうですか。私には関係のない話なので、報告は必要ないですよ」


 たぶん、こっちには来ないと思うし。


「香奈ちゃんだったかしら。あなたは、リュウと付き合う気は無いってことでいいのかな?」

「はい。私には、もう好きな人がいるので──」

「なるほど。他に好きな人がいるんなら、リュウと付き合ってるっていうことにはならないわね。…よくわかったわ。今日は、ありがとうね」

「いえ、こちらこそ。…行こう、明美」

「う、うん」


 私は、紗奈に会釈すると踵を返し、明美に声をかけて歩き出した。

 明美は「もういいの?」と言わんばかりの表情で私を見てきたが、私は「もう大丈夫だよ」と小さく頷いて答える。

 そういえば、明美も話があるって言ってたけど、何なんだろう。


「ところで、明美も私に話があるって言ってたけど、それって?」

「ああ、そのことね」

「うん。なんだったの?」

「それはね。やっぱり聞かないことにするよ」

「え~。そう言われてしまうと気になるよ」

「別に気にしなくていいよ。訊きたいことは、あの人が言ってくれたから……」


 最後の方は、小声だったのでよく聞こえなかった。

 私は、思案げな表情で明美を見る。


「何か言った?」

「ううん。なんでもないよ。はやく帰ろう」

「うん」


 明美にそう言われ、私は頷いていた。

 隆一さんとのデートも終わったことだし、できるだけはやく帰ろう。

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