第十話・8

「それじゃ、そろそろあたしは帰るとしようかな」


 部屋の置き時計を見た奈緒さんは、微笑を浮かべてそう言った。

 ちなみに、時刻は午後の七時である。


「あ、はい。それなら、途中まで──」

「見送りはいいよ。あたしがいることは、香奈には内緒にしておきたいしね」

「だけど──」

「楓君が気にする必要はないよ。今日は、楓君と一緒にいられて楽しかったから」


 奈緒さんは、そう言って頬を染める。

 途中まで見送りをしようと思っていたけど、なぜか嫌がるし。

 それなら、せめて玄関先までは見送るとしよう。


「それじゃ、せめて玄関先までは見送るよ」

「うん。ありがとう」


 奈緒さんは、立ち上がるとそのまま部屋を後にした。

 先に行かせるわけにはいかないから、奈緒さんを追いかけていき、僕が先に階段を降りていく。

 玄関は、階段を降りてすぐそこだ。

 玄関にたどり着くと、奈緒さんは「ここでいいよ」と言わんばかりに、僕を引き止める。


「それじゃ、またね。楓君」

「あ、はい。また……」


 僕は、そう答えて奈緒さんを見送った。

 奈緒は、軽く手を振って僕の家を後にする。

 ホントに見送りはいらないのかな。

 そう悩んでいると、後ろにいた母が声をかけてくる。


「あら……。途中まで見送りには行かないの?」

「奈緒さんがいいって言ったから……」


 奈緒さんがそう言ったのならしょうがないだろうというニュアンスを含ませてそう言ったんだけど、母には通用しないようだ。

 母は、僕の背中を優しく叩いて言う。


「たとえそうでも、こんな時間に女の子を一人で歩かせるのは、男の子としてどうなのかな?」

「それは……」

「どんなにカッコ良く帰っていったって、その子は女の子なんだから。楓がしっかりとついていってあげないと」

「でも……」

「でももくそもないわ。今からでも追いかけて、しっかりとエスコートしなさい! さもないと香奈ちゃんに、今日あったこと、全部バラすわよ」

「もしかして…見てたの? 母さん」

「もちろん。全部見たわよ。香奈ちゃんというものがありながら、楓もよくやるわね」

「何もしてないよ。あれは奈緒さんが勝手に……」


 どうやら、僕の部屋での奈緒さんとのやりとりをこっそり見ていたらしい。

 はっきり言うけど、やましいことは何もしてないからね。

 それにエスコートって言っても、奈緒さんの家なんて知らないし。


「言い訳はいいから、さっさと行ってきなさい!」

「はいっ!」


 問答無用に母にそう言われ、僕は家を後にした。

 今から追いかけるのは別にいいけど。

 奈緒さん、怒らないかな。

 僕の家を出たばかりだったから、奈緒さんはすぐに見つかった。

 僕は、奈緒さんのところまで走っていく。


「あの……。奈緒さん」

「ん? どうしたの?」


 僕が声をかけると、案の定、奈緒さんは思案げな表情でこちらを見る。

 奈緒さんの近くには、声をかけそうな人はいないみたいだ。


「やっぱり、途中まで送るよ」

「いや、別にいいよ……」

「奈緒さんを一人で帰らせるわけにはいかないよ。だから、途中まで一緒に行くよ」


 そう言って、僕は手を差し出した。

 ──さて、奈緒さんはどんな反応をするか。


「仕方ないなぁ。そういうことなら、楓君の好きなようにするといいよ」


 奈緒さんは、仕方ないといった様子で軽くため息を吐き、僕の手を取った。


「うん。僕の好きなようにしますね」

「そのかわり、誰も見てないからってエッチなことをしてきたらダメだからね」

「そんなことしませんよ。僕は、あくまでも奈緒さんを家まで送るだけですから」

「あたしの家を知らないのに?」

「う……。それは……」


 たしかに、奈緒さんの家がどこにあるのかは知らないけど。


「まぁ、いいよ。あたしのボディーガードをやってくれるんなら、素直に嬉しいし。それに──」

「それに?」

「あたしのことを心配してくれたのは、楓君が初めてだから」


 そう言って、奈緒さんは優しく抱きしめて僕の頬にキスしてきた。


「っ……⁉︎」


 あまりのことに、僕は呆然となってしまう。


「あ……。唇にすれば良かったかな」


 奈緒さんは微苦笑し、僕の唇に指を触れてそう言った。

 ──いや。

 唇にしたら、色々と問題あるだろう。


「あの……。奈緒さん。これって……」

「楓君は、何も気にしなくていいよ。あたしが好きでやってることだから」

「それって、どういう意味なの?」

「そのままの意味だけど……」


 恥ずかしかったのか、奈緒さんは頬を赤く染める。

 そのままの意味って、まさか……。

 好意を持っているから、能動的にキスをしたってことなのか。

 それって、僕が何かしらの形で気持ちを返さなきゃいけないんだよね。

 奈緒さんは、頬を赤くしたまま言葉を続ける。


「──とにかく。楓君は、何も気にする必要はないからね。あたしの気持ちが、そうさせているだけなんだから。…香奈には内緒だよ」

「う…うん」


 僕が頷くと、奈緒さんは再び歩き出す。

 僕のどこが良くて、好意を向けてくるんだろう。

 下手をしたら、香奈姉ちゃんよりも大胆な感じがするんだけど。

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