第十話・3

 香奈姉ちゃんが兄と一緒にデートに行った後、僕は自分の部屋に戻って、ベースを弾き始める。

 香奈姉ちゃんと一緒にいることが多かったため、しばらく楽器にすら触れていなかった。

 ホント、久しぶりに楽器に触れているな。

 香奈姉ちゃんってば、ほとんどの時間を僕と過ごすことに費やしていたから、僕自身、あんまり練習ができなかったのだ。

 いくら僕のことが大好きだからって、そこまでしなくてもいいのに……。

 とりあえず、今日は特にすることがないから、ベースの練習にはもってこいだ。

 思い切って練習に励もう。

 そう思っていたのだが……。


 ピンポーン──。


 それは、誰かが玄関の呼び鈴を鳴らした音だった。

 今日は、誰かと約束をした覚えはない。

 そうなると、ご近所さんかな。

 そう思い、僕は速やかに玄関に向かう。


「はい。どちら様ですか?」


 そう言って、僕は玄関のドアを開けた。

 無用心だったのは、この際言わないことにする。

 そこに立っていたのは髪をショートカットにしている女の子──奈緒さんだった。


「やあ、楓君」


 奈緒さんは、僕の顔を見るなり安心したような表情を浮かべる。

 なんで奈緒さんがここに?


「奈緒さん。どうしたんですか? 香奈姉ちゃんなら、いませんよ」

「そうなの? あたしは、暇だったからなんとなく来てみただけなんだよね──。近くを通ったからちょうどいいと思って、そのまま楓君の家に来てみたんだよ」


 ホントにそうなのかな?

 奈緒さんの格好を見ると、とてもそうとは思えないんだけどな。

 奈緒さんは、それなりにおめかししているのか普段から着ているような服装ではなく、おしゃれで可愛い服装だった。下はいつものハーフパンツではなくミニスカートだった。

 女の子同士で遊ぶというより、男の子とデートに行くような服装だ。


「はぁ……。そうなんですか」


 僕は、奈緒さんの格好を上から下まで見た後、そう相槌をうつ。

 すると奈緒さんは、僕の腕を掴んできて、こう言ってきた。


「せっかくだからさ。あたしと一緒にショッピングモールに行かない?」

「奈緒さんとショッピングモールですか?」


 その格好で?

 そう思ったが、口には出さなかった。

 制服で仕方なくスカートならまだわかるが、奈緒さんが私服でミニスカートを穿いているだなんて、今見ても信じられない。

 奈緒さんの性格を考えたら、ハーフパンツがちょうどいいくらいなのだが。

 香奈姉ちゃんに対抗して、そうしているのかな。


「嫌…かな?」


 奈緒さんは、ねだるような目でこちらを見てくる。

 頼むから、そんな上目遣いで見ないでほしいな。


「嫌ではないですけど……。僕でいいんですか?」

「楓君だからいいんだよ」


 奈緒さんは優しそうな笑顔を浮かべてそう言った。

 そう言われたら、断るわけにはいかない。


「わかりました。それなら、ちょっとだけ待っていてください」

「何をしにいくつもりなの?」

「服を着替えに行くつもりなんだけど」


 僕の今の服装は、今の季節でも着れるルームウェアだ。

 さすがに、これを着て奈緒さんと歩くわけにはいかない。

 奈緒さんも納得したんだろう。


「そう……。そういうことなら、待っていてあげる」

「ありがとう。それじゃ、居間の方で待っててよ」

「わかった。お言葉に甘えて、お邪魔するね」


 奈緒さんは、そう言って家の中に入る。

 いくらなんでも、先輩を玄関先で待たせるのは心苦しいし。

 だから僕が自分の部屋で着替えている間に、奈緒さんには居間で待っていてもらおう。

 僕は、すぐに自分の部屋に向かった。


 休日だからか、ショッピングモールは人でいっぱいだった。

 僕は、奈緒さんとはぐれてしまわないように手を繋いで歩いていく。


「大丈夫ですか? 奈緒さん」

「う、うん。あたしは大丈夫だけど……」


 奈緒さんは、恥ずかしかったのか頬を赤くする。

 そんなに恥ずかしがらなくても、大丈夫なのに。


「大丈夫なら、よかった。奈緒さんがせっかく誘ってくれたのに、そんな緊張されたら、どうしたらいいのかわからなくなっちゃうし……」

「カップルが多いからさ。恥ずかしくなっちゃって……」


 たしかにここのショッピングモールは、家族連れや男女のカップルが多いから、僕たちを見ても男女のカップルにしか見られていないかと思うんだけど。

 ん……。男女のカップル?

 それって、逆にまずい状況じゃないのか。

 もしも香奈姉ちゃんに、これを見られてしまったら……。

 僕は、途端に不安になり周囲に視線を馳せる。

 …さすがに香奈姉ちゃんはいないか。

 僕は平静を装い、言った。


「たしかに家族連れよりもカップルが多いね」

「もしかして、香奈がいるのでは…て考えたでしょ?」

「え……。そんなことは……」

「そんなことはなかったかな? …でも、顔を見たらすぐにわかるよ。楓君ったら、心配しすぎ」

「なんとなく、いるんじゃないかって思って、つい──」

「そっか。つい気になっちゃったか。それならしょうがないね。──だけど、安心していいよ。香奈はここにはいないから」


 僕の内心がわかっていたのか、奈緒さんはそう言って微笑を浮かべる。

 まるで香奈姉ちゃんが、ここにはいないって知ってるような口ぶりだ。

 どういうことか、さっぱりわからない。


「どういうこと?」

「どういうことだと思う?」

「そう言われても……。僕にはわからないよ」

「まぁ、そうだよね。普通にわかるわけがないよね」


 奈緒さんは、微笑を浮かべたままそう言った。

 これは、何か知っているな。


「奈緒さん。何か隠してないですか?」

「いやいや。あたしが、楓君に隠し事なんて……。そんなことできるわけないじゃない」

「今日の奈緒さんの服装…あきらかに誰かとおでかけに行くっていう態度が見え見えなんだけど……」


 僕は、奈緒さんの服装を見て、そう言った。


「それは……」


 奈緒さんは図星だったのか、恥ずかしそうに自分が着ている可愛い服を手でギュッと掴む。


「それに、香奈姉ちゃんが出かけていったのを見計らったかのように、奈緒さんが僕の家に来たのも、なんかあやしいんですよね」

「だから、それには事情があって……」

「どうせ香奈姉ちゃんに、頼まれたんでしょ?」


 僕がそう聞くと、奈緒さんは微苦笑する。


「やっぱり、楓君にはわかってしまうか……。さすがだね」


 やっぱり香奈姉ちゃんに頼まれたんだ。そうでなければ、奈緒さんが僕の家に来るなんてことはないはずだ。


「なんとなく、そうじゃないかなって思ってね」


 香奈姉ちゃんと入れ違いになるようにして奈緒さんがやってきたら、そうなんじゃないかって思ってしまうよ。

 しかし、奈緒さんにも事情があるみたいで、僕を見て言う。


「断っておくけど、あたしは香奈に頼まれたから楓君の家に来たっていうわけじゃないよ」

「え? それって……」


 え……。違うのか。

 僕に気を遣って…というわけではないのか。


「あたしは、自分の意思で楓君の家に行ったんだよ。香奈からは、たしかに『楓のお兄さんとデートに行く』とは聞いたけど、それ以上のことは何も言われなかったし。楓君が暇してたのは、たまたまだよ」

「そうなの?」

「そ、そうだよ。変な勘違いは、ちょっと困るかな」


 奈緒さんは、頬を赤くして顔を背ける。

 まぁ、どっちにしても嬉しいかな。

 こうして僕をショッピングモールに連れ出してくれたんだし。


「そっか。…たとえ勘違いだったとしても、僕的には嬉しいことかな」

「そ、そう? 嬉しかったの?」

「うん。こうして僕を誘ってくれたし」

「そ、そっか。嬉しかった…か。それじゃ、今日は、とことん付き合ってもらうかな」

「とことん…かぁ。あんまり自信がないけど、奈緒さんがいいと思ったところなら、付き合うよ」


 僕は、微苦笑してそう言った。

 こういう機会がなければ、奈緒さんとショッピングモールの中を歩くなんてできないからな。

 香奈姉ちゃんもいないし。

 せっかくだから、今日は奈緒さんとのデートを楽しむとしようかな。


「ありがとう」


 奈緒さんは笑顔を浮かべ、僕にお礼を言った。

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