第六話・6

 目を覚ますと、香奈姉ちゃんは僕に抱きついたまま眠っていた。

 現在の時間は、午前5時。

 この時間になってもまだ寝てるということは、今日のお弁当交換は無しだな。

 お弁当交換については、個人的には嫌だなって考えていたところだったからちょうどいい。

 だけど、僕には朝ごはんの準備がある。

 なんとかして香奈姉ちゃんから離れて、朝ごはんを作らなきゃ。

 僕は起き上がろうとして、抱きついていた香奈姉ちゃんの腕をそっと退かした。

 すると、香奈姉ちゃんの眼がゆっくりと開く。


「…おはよう、弟くん」


 まだ寝ぼけているのか、その目は僕を捉えていない。

 着ている寝間着も少し乱れていて、胸元の辺りがチラリと見えている。

 起床するには、まだはやい。

 僕は、布団をかけなおし香奈姉ちゃんを寝かせようとした。


「まだ時間的に早いから、もう少しだけ休むといいよ」


 たぶん、それがいけなかったんだと思う。

 僕も、すっかり油断していた。

 香奈姉ちゃんは、迷うことなく僕の腕を掴み、そのまま布団の中に引き摺り込んだ。


「弟くん……」

「っ……⁉︎」


 ちょっと……。香奈姉ちゃん⁉︎

 思わず声に出して言うところだったが、僕はなんとかして口を閉ざしていた。

 香奈姉ちゃんは、ぎゅうっと締めつけるように僕を抱きしめてくる。

 それにしても、いつから目覚めていたんだろうか。

 僕は、たまらず香奈姉ちゃんの腰のあたりをポンポンと優しく叩いて降参の意思を示した。


「香奈姉ちゃん! ギブギブ! ギブアップ! 参ったから、離して!」

「ホントに降参したのかな?」

「うん。ホントに降参だよ」

「だったら、私にすることがあるでしょ」


 香奈姉ちゃんは、笑顔を浮かべそう言ってくる。

 そんなこと言われてもわかるはずもなく、僕は思案げに訊いていた。


「香奈姉ちゃんにすることって?」

「『おはよう』のキスだよ。そんなの恋人同士だったら、当然するでしょ。それとも、言わないとわからないのかな?」


 香奈姉ちゃんは、恥ずかしそうにそう言って頬を染める。


「いや……。それはさすがに……」


 こんな時、僕はどうすればいいのかよくわからない。

 しばらくジッとしていると、香奈姉ちゃんは僕の首元に腕をまわしてきて


「まったく……。しょうがないなぁ、弟くんは──」


 そう言って、唇を押しつけてきた。

 抵抗なんてできるはずもない。

 僕は、香奈姉ちゃんの綺麗な顔をジッと見ていた。


 とりあえず、香奈姉ちゃんとのお弁当交換はなしにしても、自分の分のお弁当は作らないと……。

 そう思い、今日の分のお弁当を作っていると、制服に着替えを済ませた香奈姉ちゃんが思案げな顔をして近づいてきた。


「ねぇ、楓。やっぱり、私とのお弁当交換はダメなの?」

「香奈姉ちゃんは、どうしたいの?」


 僕は、お弁当のおかずを作る手を止める。


「私はその……。楓が、いいって言ってくれるのなら、私は喜んで作るよ」


 香奈姉ちゃんは頬を染め、もじもじしながらそう言った。

 そんな、もじもじされてもなぁ。

 またあのお弁当を作られたら、僕の方がたまらないし……。


「ハートマーク付きの恥ずかしいお弁当を作らないのなら、別に構わないよ」

「そんなぁ……。愛情たっぷりのお弁当なのに……」


 香奈姉ちゃんは、すごく哀しそうな顔をして言う。

 別に香奈姉ちゃんの愛情が迷惑なわけじゃないんだけど……。

 香奈姉ちゃんのそのまごころが、僕の胸にささるのだ。


「愛情なのはわかるけど……。普通のお弁当の方が、僕としては嬉しいかも」

「普通のお弁当? そんなもので本当にいいの? 何の取り柄もない普通のお弁当だよ」

「普通だから、いいんだよ。変に何かにこだわったものよりも、普通のお弁当ならまずハズレがないからね」

「何よ、それ。私のお弁当は、ハズレだって言いたいの?」


 香奈姉ちゃんは、ムッとした表情になる。

 いや、別にハズレとは言ってないんだけどな。

 そう言いたかったが、僕は口を閉ざしてしまい、つい別のことを言ってしまう。


「うーん……。香奈姉ちゃんが作るお弁当はとても美味しいんだけど……」

「美味しいけど…何かな?」


 あ……。これは、香奈姉ちゃん、怒ってらっしゃいますね。

 笑顔を浮かべていても、確実に怒っているよ。

 僕は、この際ハッキリ言おうと思い、口を開く。


「他の人に見せられるお弁当じゃないし、なにより、一人で落ち着いて食べられないよ」

「そうかな? 私的には、これ以上ない完璧なお弁当だと思うんだけどなぁ」


 たしかに完璧だと思うよ。味もまったく問題ないし。しかし、あれはどう考えたって……。


「完璧なのはわかるんだけど、僕の気持ちも察してくれないと。僕でさえ、香奈姉ちゃんのために作るお弁当は、周りに見られても恥ずかしくないようにしてるんだしさ」

「楓は、女子校に伝わっているジンクスを知らないから、そう言えるんだよ」

「大体のことは、慎吾から聞いてるよ。──女子校の子からお弁当を貰った男子は、その日のうちに返事を返さなければならないって……」

「そうだよ。女子校の子にとって、意中の男子にお弁当を渡す行為は、愛情を伝えるための唯一の手段なんだから。すぐに返事をしてもらわないと、女の子の方も困っちゃうからね」

「気持ちはわかるけど……。僕たちの場合は、お弁当交換だよ。お互いに恥ずかしくないようにお弁当を作って渡すっていう話だと思ったんだけど……。香奈姉ちゃんが、僕のために作ってくれるお弁当は、紛れもなく愛情が表現されてるよね」

「うん。だから、私のお弁当は恥ずかしくないように工夫して作ってるんだよ」


 香奈姉ちゃんは、自信ありげにそう言った。

 あのハートマークとか『LOVE』とかって、香奈姉ちゃんからしたら恥ずかしくないんだ。


「そっか……。香奈姉ちゃんなりに工夫してるんだね」

「当たり前じゃない。むしろ楓のお弁当に困ってるんだよ」

「どう困っているの?」

「楓が作るお弁当から愛を感じなくて、不満に思ってたところなの」

「そんなこと言われてもなぁ。栄養バランスはしっかり考えて作ってるから、そこまではさすがに……」

「それならさ。『香奈、愛してるよ』とかの内容でお手紙を書いて、一緒に入れてほしいかな」

「ははは……。それは、ちょっと恥ずかしいかな」


 僕は、苦笑してそう言った。

 手紙にそんなこと書いたら、僕はもう、恥ずかしくて香奈姉ちゃんの前に顔を出すことができなくなりそうだよ。

 どこのキザ男なんだ。それは……。

 僕の兄ならやるかもしれないけど、僕にはできそうにない。

 香奈姉ちゃんは、僕の態度が気に入らなかったのか、ムッとした表情になり口を開く。


「恥ずかしくなんかないよ。楓なら、絶対にできるって!」

「そこ、強調するところかな?」

「それじゃ聞くけど、私と楓の関係はなんなのかな?」

「姉弟みたいなもの…かな」


 僕は、『うーん……』と唸りながら答える。

 すると香奈姉ちゃんは、僕の唇に指を当てて言う。


「違うでしょ! 私と楓は、正式に付き合ってるんだから、恋人同士みたいなものだよね」

「恋人同士っていうには、さすがにまだはやいんじゃ……。まだエッチなこともしてないんだし」


 まぁ、エッチなことと言っても、大したことはしてないと思う。

 軽いスキンシップみたいなことはしたとは思うけど……。


「それは、楓が拒否するからでしょ。私は、いつでも準備はできてるんだからね」

「そうは言っても、僕たち、まだ高校生だよ。さすがに、できることには限度があるって……」

「エッチな本に載ってるような過激なことさえしなければ、全然大丈夫だよ。それとも楓は、私の身体に触れることは嫌なことなの?」


 香奈姉ちゃんは、悲しそうな顔をして聞いてきた。

 そんな顔をされると、僕はどうしていいのかわからなくなるから、やめてほしいな。

 それに、普段から過剰気味に触れているし。


「嫌ではないよ。香奈姉ちゃんは、僕の大切な人だよ」


 僕は、香奈姉ちゃんを優しく抱きしめてそう言っていた。

 香奈姉ちゃんは、嬉しそうに僕に抱きしめる。


「ありがとう、楓」


 ──まったく。

 まだお弁当を作っている途中なんだけどな……。

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