第十七話 決別 2

 俺と水無川は、二手に分かれて攻撃を加える。俺が蛇の左方から、水無川はその逆から。


 あの日、蜘蛛と戦ったときのことを思い出した。今回は左右逆だけど。


 蛇の頭が俺たちに牙を立てようとする。俺は右腕を盾のように構え、地面を蹴る。


 何かがぶつかる感触、体の芯が歪む。俺は腕を弾き、視界を広げる。


 目の前には、明後日の方向を向いた牙。


 俺はそれに左腕を伸ばし、掴む。反射的に、蛇はその頭を閉じる。

 しかし、遅い。


 俺は右腕の爪を展開し、蛇の頭を切り取る。黒い血液が傷口から溢れるが、そんなもの知ったことかと突っ込む。


 蛇の双首から、二本の頭が迫り来る。俺は左腕に持った生首で片方を防ぎ、もう片方を右腕で防ぐ。


「水無川っ!」

「了解です!」


 水無川がふわりと跳躍し、紅の刃を煌めかせ、蛇の双首を切断しようとした――。


 瞬間。


「――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!」


 頭の中を割るような音が聞こえる。俺も水無川も、思わず耳をふさいでしまうような怪音。


 俺たちは反射的に退却し、蛇は間一髪逃れる。


 音の主は、歌姫。

 かつて聞いた透明な歌声とは似ても似つかないそれに、俺は思わず顔を歪めた。


「あれが噂の歌姫ですか。たしかに、あんなのを至近距離で聞いたら気絶しますね」

 水無川が苦々しげな声を出し、続ける。


「先輩、私はあの蛇を相手します。先輩は、歌姫に。耳栓、持ってきてるんですよね?」

「ああ、それなら大丈夫だ」

 俺はそう返し、懐から業務用の耳栓を取り出す。


「安心しました。これで心置きなく、私も戦えます」

 水無川はそう言って笑う。水無川の頬から耳元にかけて赤い線が伸びている。

 それは血液。水無川は、自身の血液で自身の耳を覆ってしまう。水無川にしかできない、怪音対策であった。


 俺たちは二手に分かれる。俺は歌姫へ、水無川は蛇へ。

 蛇は俺を阻止しようと向かってくるが、水無川がその前に立ちはだかる。


「どこ行くんですか? あなたの相手は私ですよ?」


 水無川がそう言った瞬間、蛇が水無川に食らいつこうとする。


 水無川は目の前に赤い壁を展開し、蛇の頭の進路を制限する。


 蛇の頭は、水無川の壁を左右に迂回して水無川に向かう。


 無論、それは水無川の術中だった。


 水無川は右方に向かい、二つの頭を即座に切り裂く。赤い刃が上下に閃いた瞬間には、二つの頭が落ちていた。


 蛇の頭は、残り一つ。蛇は形勢不利を悟り、逃げようとするが。


「そうは問屋が卸しません。あなたはここで、終わりです」


 水無川が弾むような声を出し、紅が舞う。


 黒い血液が、雨のように広がった。


                  ○


「……加藤」


 歌姫と俺は対峙する。歌姫の無貌は表情を計り知ることが出来ない。

 けれど、目前の彼女は、敵として俺の前にいる。その気配は、ひたすらに濃い。


「…………なんでお前は俺の前に現れた? いつからお前は、尽影だった?」

 俺がそう問うと、尽影の無貌が波打つ。何だ、と思った瞬間には、尽影に加藤の貌が浮かんでいた。


「…………あーあ、山瀬君、ここに来ちゃったんだ」

「……ああ。……悪いか」


「そりゃ悪いでしょ。ここに来なかったら、私は加藤聡子のまま、君と接することが出来たのに」


「残念ながら、この前の戦いから……、それはもうあり得ない。俺は操者として、お前たち尽影を倒すしかないんだ」


「どうして? 私が君に危害を加えるとは限らないじゃない」


「そうだな。俺には、危害を加えないかもしれない。……なぜならお前は、俺に愛の言葉を伝えてくれた。……なあ加藤、あれは、なんだ」


「なんだとは?」

 漆黒の体躯に、色彩に溢れた相貌を持つ加藤が首を傾げる。


「あれは加藤の意思か、それとも“お前”の意思か」

「ああそういうこと」

 加藤はそう言って、妖艶に笑う。


「あれはそうね……私の元となった人間が抱いていた感情かしら。孵化したとき、私は彼女の……加藤聡子の記憶と、感情をトレースしていた。勿論、外見も。だったら実質、私は彼女そのものじゃない。だから、私は彼女の願いを叶えることにしたの」


 加藤の願いとは、そういうことだったのか。……俺相手に、そんな感情を覚えて。

 もっと、あっただろう。叶えるべき願いが。


「……その話し方も、そうか。加藤の」

「ええ、そういうこと。もっとも、ちょっと今は固いかもだけど」


 加藤はそう言って笑う。その笑みは、俺が何度も見た物と寸分違いない。それを見て、俺は自身の中にある芯のようなものが、ぶれるのを感じた。


「で、どうするの? 山瀬君は、私と戦うの?」

「ああ、お前が尽影である限り。恩人の、友人の仇として、二人の鎮魂のために……、俺はお前と戦うよ」

「……あら、そう。それは残念だわ」


 加藤の貌に、黒のカバーが両端からかぶせられる。“歌姫”は一言も発することなく、俺と対峙する。


 戦闘が、始まる。


 俺は腕の爪を展開し、歌姫に突っ込む。


 歌姫が怪音を発する。耳栓など、児戯に等しい。視界がぶれ、平衡感覚が狂う。

 けれど、地面を蹴る足の感触が俺の立つ場所を教えてくれる。


 何度も、戦った。

 何度も、何度も、戦った。


 あの日から、今日まで。


 幾多の陣営との戦い。

 そして、水無川との稽古。


 それら全てが、俺に戦士としての在り方を知らせる。


 俺は足がもつれ、倒れ込もうとする。しかし、右腕を地面に突き立て、そのまま体を弾き上げる。


 俺は宙に浮かぶ。歌姫は、窺い知れないその顔を俺に向けていた。


「―――――――――――――――――――――――――ッ!」

 空気が震える。激震と言っても差し支えないそれに、俺の世界が歪む。鼻からは血が垂れ、耳の中には血だまりができる。空中にいるのに、俺は血に溺れていた。


 平衡感覚が狂う。視界が歪む。けれど、倒れるわけにはいかない。


 歪む世界の中、黒い影を見る。俺はその影に向かって爪を繰り出す。


 爪は地面に突き立ち、手応えはない。回避されたか。


 歌姫が逃げた方を見る。歌姫は怪音を再び発し、同時に――。


 地面が、槍のように突き立っていた。槍は波のようになって、俺に向かっている。俺は慌てて身を捩り、それを回避する。


「クソッ!」

 間一髪のところで回避出来たが、しかし、槍の穂先が俺の腹部を掠める。


 切り裂くような痛みに、目が覚める。これはこれで良いのだが、傷口に溢れるは、焼けるような熱と痺れるような痛み。……切れている。けれど、致命傷ではない。


 先ほどの一撃は、きっと歌姫が空気の振動で、地面を隆起させたのだろう。どんな理屈だと、と思いたいが、実際にそうなってしまったのだから仕方ない。


 俺は態勢を立て直そうとして――倒れる。土の味が口内に広がる。


 さすがに群れの長を務めるだけあって、歌姫は強い。けれど、強いから負けました、で済ませるわけにはいかないのだ。


「う、お」

 俺が呻いて這っている間にも、歌姫が俺ににじりよってくる。おそらく、超至近距離からの怪音で、俺の鼓膜ごと脳を破壊するつもりだろう。


「……ぐ、」

 立ち上がろうとする。足に力が入らない。さすがに弱すぎないか、俺。歌姫が強すぎるのかもしれない。知らんけど。


 このまま敗北するのだろうか。そんな考えが浮かぶ。


 その問いに対する答えは否。敗北とは即ち死。


 死の安寧は、きっと苦しくも安らかであろう。けれど。


 俺には答えるべき問いと、終わらせるべき因縁と、――果たすべき約束がある。


 故に、戦う。


 例えこの身の足が動かずとも、異形の右腕は未だに健在。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 吼える。起きろ、と右腕に命じる。


 右腕は、俺の感情に応えてくれた。

 右腕が跳ね、地面に食いつく。


 右腕を弾くと、俺の体がきりもみ回転をしながら宙に浮かんだ。

 俺は眼下の尽影に向けて、右腕を繰り出す。

 爪よ届け。


 果たして。


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