第十六話 覚悟とは
その後、俺は家に帰ることも学校に行くこともなく、水無川の家に流れで居候することになった。
水無川は廣田たちとの険悪な関係とは裏腹に、尽影狩りで国尽対と個人的な契約を交わしているらしく、金銭的にそれなりの余裕があるらしい。
俺は水無川に住居のみならず食事も世話になってもらっていた。
ヒモ感溢れる生活の中、俺と水無川が何をしているかというと、ひたすらに尽影を狩り、尽影を狩るための修行である。
今日も刃と拳を交わす。
水無川の立つ場所は、今の俺より遙かに遠い場所にある。
けれど。
「先輩、今のいいですね」
「余裕たっぷりに言われたら嫌味に聞こえるぜ」
「あはは、それは申し訳ないです」
その距離はほんの少しずつであるけれど、縮まっているような気がした。
それは俺に実力がついてきているというわけで、少し、心が弾む。
少し前までは、ただの紅の閃にしか見えなかった水無川の太刀筋。
それが今では、各斬撃の初動と終了までは見えるようになった。
……それだけの進歩かもしれないが、俺には大きな進歩だ。
「……そろそろですね」
稽古を終え、水無川がぽつりと言う。来たか、と俺は身が引き締まる思いになる。
それと同時に、緊張。俺はまだ、あの日の答えを……いや、あの日の思い出に対する決別を告げていない。
本当に短い間だったけれど、俺は加藤に心を惹かれていた。
そして、御厨には望む望まないを関わらず、国尽対で世話になった。
そして加藤が、間接的にであれ、御厨を殺した。
御厨が死んだ瞬間は、未だに俺の中に焼き付いている。
そして、加藤……あるいは尽影、“歌姫”を狩ったとしても、それは消えることはないだろう。
ほんの少しの間ではあったけれど、間違いなく、加藤たちとの思い出は、俺に温もりをもたらした。
それは御厨も同様である。
いわば二人とも、恩人であった。
恩人が恩人を喰った。その事実に、俺はまだ迷いを抱いている。
仮に加藤を前にして、俺はこの腕でその命を刈り取ることができるのだろうか。
けれど、俺は戦う義務がある。
操者として、人間として。
俺は怪物のような異形の腕と力を手にしてしまったが、まだ人間の側にいるはずだ。
「迷ってるんですか?」
水無川が小首を傾げて問う。その瞳は冷たく、深い。まるで闇夜の水底にも似ている。
「……迷っているのかな、わからない。けれど、割り切れないところはある」
「まあ、知り合いが尽影だったって知ったら、そうなりますよね」
「…………その言い方は……」
「まあ、そういうことですよ」
水無川はそうからりと言ってみせて、笑う。水無川の過去を、垣間見た。
「こんなことを聞いていいのかわからんが、どうだった?」
俺がそう問うと、水無川は首を横に振る。
「まだ、それはできていないんですよ。ですから、先輩の感想待ちってところですかね」
「感想待ち、ねえ。まるでAmazonレビューだな」
俺がそう言うと、水無川は小さく笑った。
○
『田中へ、久々にメールして悪い。でもって学校もサボってて悪い。とりあえず、今夜は絶対に誰も家に入れないでくれ』
田中にメールを送信したあと、俺はスマートフォンの電源を切る。
「あら、彼女さんですか?」
「……なんでそう思う?」
隣で歩く水無川が、首を伸ばしてスマートフォンの画面を覗き込んでいた。
「いや、なんとなく。先輩って基本的に冷たいじゃないですか」
「ひどい言いぐさだな、オイ」
「否定はしないんですね」
「……まあな」
水無川の言うとおり、俺は冷たい人間なのだとは思う。それは自覚している。
原因もわかっている。大昔の話だけれど。
だからこそ、今の俺には人の情というものがよく染みる。
「だけど、そんな先輩がわざわざ心配するようなメールを送っているので、そうなのかなーと」
水無川はそう言って目を逸らし、空を見る。
「そんなことはない。……ただの友人だ」
俺が心に思っていることをそのまま伝えると、水無川は意地悪そうな笑みを浮かべた。
「それは先輩がそう思っているだけであって、相手はそう思ってないかもしれませんよ?」
「いいや、それはない」
俺は即座に否定する。
「どうしてです?」
水無川が目を丸くして問う。
「……メールを送った相手は田中っていうんだけど、まあ他のクラスの女子と俺がくっつくように色々と手回ししてくれてな」
「えっ、そんなことがあったんですか⁉ ってことは先輩、彼女持ち? なのに年下の家に同棲ってヤバくないですか⁉」
「落ち着け」
俺は両手を胸元に運び、押さえるようなジェスチャーをする。
「いや、落ち着きますけど。なんていうか、色々と意外で」
「…………どういう評価を受けてるんだ俺……いや、それもそうか」
「そこで納得しないでくださいよ」
「まあわかるよ。うん」
「勝手にわからないでくださいよ」
水無川は苦笑した。
「まあ、たぶん仲の良い友人、ぐらいだよ、この田中って奴は。……でまあ、クラスの加藤って女子と俺をくっつけようとしてくれて、俺はその加藤って女子に告白されたんですけど」
「…………はい?」
水無川が目を見開くように丸くして、首を伸ばして静止する。普段のクールでどこかミステリアスな雰囲気は、どこかに消えていた。
「え、ここに来てモテますアピールですか? っていうか彼女いたのに年下の以下略」
「いやだから、最後まで聞けよ。俺はその告白を保留したんだ」
「なんで。とりあえず聞いとけば良かったのに。……いや、まあ、うん……」
水無川はそう返し、最後の方はごにょごにょと何かを言っていたが聞き取れなかった。
「色々、思うところがあったんだよ。俺みたいな奴が、こんな子と、とか。……今思えば、ただの歪んだ自己愛なのかもしれないけど」
「……まあ、そこまで自分に厳しくならなくてもいいんじゃないですか?」
「……で、この前、俺が国尽対で世話になった人が殉職した」
「……それは言ってましたね。あそこ、アマチュアの寄り合いみたいなもんですし、割と殉職率高いと思いますよ」
「あ、そうなんだ。……それは水無川が居た頃からか?」
「あれ、その話してましたっけ」
「いや、聞いてない。なんとなく、居たんじゃないかなって」
「……まあ、『早く出て行った方がいい』なんて言ったら、そう思いますよね。その通りです。が、今はそれよりも先輩の話」
水無川は両手そろえて動かし、『それはそれで置いといて』的なジェスチャーをする。
「……でまあ、殉職したわけだ、先輩が。で、その場にいたのが、加藤だった」
「……あ、紛れ込んでいたわけじゃ……」
「ない。加藤は、尽影だったんだよ」
「……あー、それがこの前言ってた……尽影ですか。……で、今から狩りに行くのが……」
「そうだ、その加藤……あるいは尽影、“歌姫”だ」
「歌姫? あ、言っていた音波攻撃ですか」
「ああ、そういうことだよ」
加藤の歌声を、俺は頭の片隅で思い出す。透き通った水のような歌声。
断言できる。俺はあの歌声に魅了されていた。あの才能は無二のものだと、あまり音楽に詳しくない俺ですらわかる。
あの時点で、加藤は尽影だったのだろうか。それはわからない。
けれど、そのまま加藤が人間として成長出来ていれば、加藤はきっと名の知れた歌手になれたと思う。
そして今は、異形の怪物としてその歌を捕食のために使っている。
惜しい。そう思った。悔しい、とも思った。
「……まあ、相手が誰であれ、何を使うであれ、私たちがやることは実に簡単ですよ」
水無川は紅の刃を出現させて、空に輝く月に掲げる。
「ただ、戦い、狩る。それだけです」
水無川は、それだけ言い、口を閉ざす。
その沈黙は、きっと俺にこう告げているのだろう。
『迷いなんて、ありませんよね?』、と。
そして俺は、その問いに沈黙で返す。
迷いと、諦観と、覚悟がないまぜになった感情のまま。
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