第十五話 水無川鈴音 後半

 水無川との訓練が終わったあと、水無川の提案で水無川の家に行くことになった。


 俺と水無川は住んでいる場所が意外と近く、駅一つ離れているぐらいだ。ちなみに、この駅一つとは都会基準の話である。


 だからこそ、偶然出会うことが何度かあったのだろう。


 ポンチョを脱いだ水無川は、青いジャージ姿であった。水無川のボーイッシュな見た目と合わさって、まるで運動部のような趣が出ている。


「はい、ここが私の住んでるアパートですね」

 水無川がそう言って案内したのは、クリーム色の外観をしたアパートだった。アパートと言われてぱっと思いつくような、そんな見た目のアパートだ。


 水無川はそこの一〇一号室に住んでいた。すぐ隣には、二階に上る用の階段が設置してある。


 一〇一号室の前には、原付が一台止めてある。ナンバープレートがピンク色なので、二種だろうか。


「この原付……」

「ああそれ、私のです。普段の足って奴ですね」

「へえ、そうなんだ……」


 俺が抱く水無川像は、どうしても尽影を狩るときのものが強くなる。


 常軌を逸した強さの、超人。


 しかし、今こうやって水無川が実際に暮らしているところにやってくると、水無川も俺と変わりない、一人の人間なんだな、と思えた。


「はい、いらっしゃいませー。ご主人様もつけた方がいいですか?」

 水無川はそう悪戯っぽく言って部屋の扉を開き、俺を招き入れる。


「いや、それは要らんけど……。まあ、お邪魔しまーす」

 俺はそうぼそりと言って、中に入る。部屋に入ると、何やら甘い匂いがしたが、それと同時に、鉄っぽいような生臭いようなにおいも微かに感じた。


 これはきっと、俺の嗅覚が強化されているからだろう。普通の人ならば、気づかないであろう、そんな薄さのにおい。


 そのにおいは、日々血塵の中に身を投じている人間だからこそ、醸し出されるものだった。


 部屋の中には、ベッドと本棚と机がある。机の上には、ノートパソコン。


「……なんていうか、普通だな」

「なんですか、その感想」

 水無川が小さく声を出して笑う。


「いや、案外まともな生活してるんだなって」

「だからなんですか? その感想」

「……いや、なんていうか……実は部屋が汚いとか、あるいはそもそも住居がないとか、そのレベルだと思ってたから」

「わお失礼。これでも私、女の子ですよ?」

「そりゃそうだ。失礼した」

「全くです。反省してくださいね?」

 などと水無川と会話しつつ、本棚に並んでいる書物のタイトルを見る。


 本棚には、『生物急所読本』、『自殺学』、『軍隊式コンバット術』、『ナイフ術入門』、『上手くなりたい人のナイフ術』、『超ナイフ術』などなどのタイトルが並んでいた。


 とりあえず、普通の女子の部屋には並んでいないようなラインナップが充実している。っていうか、あんな本どこで売ってるんだよ。特にナイフシリーズ。


「そういえば、テレビないんだな」

「まあ、全然見ないですし、要らないかなっと」

「……まあ、俺もDVD観るばっかりだしなあ」

 地上波の番組を観るなんて、いつが最後だろうか。……思い出せないほど昔の話だ。


「先輩、汗かいたでしょ。先にシャワー浴びてもいいですよ」

 俺はその水無川の言葉を聞いた瞬間、ぎくり、と固まる。


「……あのさあ水無川、その言葉、含意はないよな? ただの純粋な善意だよな?」

「なんですかそれ。……ああ、なるほど」

 水無川は俺が言わんとしていることを把握したらしく、ぽん、と手を打った。


「……って、取られるから注意した方がいいぞ」

「いや、先輩が言葉の意味を深読みしすぎなんじゃないですか?」

 俺の言葉を、水無川はくすくす笑いながら返した。それは、そうかもしれない。


 それにしても。


 戦いの場で見る水無川は、無二の強さを誇る。けれど、今俺の前にいる水無川は、なんていうか、ただの女の子だ。本棚のチョイスは変わってるけど。


「シャワー、せっかくだけどいいよ。どうせすぐに帰るし」

「えー、今夜は帰らせませんよ?」


「だから言葉のチョイスがな」

「ふふっ、冗談です。まあ、すぐに帰られたら面白くないのは、本心なんですけどね」

「……そりゃ、どうも」


 水無川の微笑みは、無邪気な様子から、一気に妖艶な色を放つ。

 その変化に、俺は思わずどきりとしてしまうのだった。


「……そういえば、水無川」

 俺はこの機会に、水無川に聞いておくべきことがある。


「どうしました?」

「……あのとき、助けてくれてありがとう」

 望む、望まないに関わらず、あの雨の夜、水無川がしてくれた行為には礼を言うべきだった。


「ああ、いいですよそんなこと。……私のためにしたことでもあるというか、そっちの方がずっとウェイト占めるので」


「……水無川の、ため?」

 俺が首を傾げると、水無川は「先輩は気にしないでもいいです」と笑った。


「どうして俺を助けたんだ?」

「あー、それ聞いちゃいます?」

 水無川は、照れたような表情を浮かべて頭を掻いた。


「……そうですね」

 水無川は、くすりと小さく笑って、首を傾げる。


「簡単に言えば、この人いいなーって」

 その言葉を聞いた瞬間、俺はその意味を把握しかねて、いやその真意を確かめたくて、しばし、黙る。


「…………それって、どういう」

「秘密です」

「……………………そうか」


 粘れば、理由を聞けたかもしれない。けれど、なんていうか、俺と水無川の関係は、そのような色に染まらないような気もするのだ。そんな色とは……、まあ例えるならパステルピンクか。


 そんな色には染まらない。俺と水無川を結び付けるのは、いつだって夜の黒、雨の色。そこに赤系の色が交わるとすれば、それは血液に他ならない。


 そんな言葉を交わしたあと、二人して黙る。俺は沈黙が苦にならないタイプなのだが、しかし今のような話をしたあとだと、別である。


「そういえば水無川って何か趣味とかないのか?」

 そんな当たり障りのないことを問う。


「趣味、ですか?」

 水無川はそうぽつりと返し、「そうですね……」と前髪をかき分け、思考する。

 少しの間を置いて、水無川が口を開く。


「特にはないですね」

「……そうなのか?」

「まあ、強いて言うなら尽影を狩るのが趣味でしょうか」

「……殺伐としてるなあ。読書とかは?」

 そう言って俺は本棚を指さす。


「あれは、狩りのために学んでるだけなので。……だから、趣味とは違いますよ」


 水無川はあくまで尽影との戦いが趣味と言う。確かに、戦闘中の水無川は非常に楽しそうではあるのだが。


 だが、ここに至るまで水無川には人生があるはずである。物心つく前から尽影と戦っている……という可能性は低いだろう。ということは、水無川が戦いを始めるまでには、何らかの日常の娯楽があって然るべきなのだ。


「先輩は?」

 などと考えていると、水無川から尋ねられる。


「先輩こそ、趣味とかないんですか?」

「……まあ、俺もないんだけど」

「ないんですか」

「でもまあ、映画とか観るの好きだから、それが趣味なのかもしれない」

「あるじゃないですか」

 水無川が苦笑する。


「まあ、それが趣味じゃんってよく言われるけど。なんていうか、どこからどこまでが趣味って、規定しにくくない?」

「まあ、そうですね。どこからが趣味のラインなのか、そもそも趣味って何なのか。……先輩、辞書持ってます?」

「そこまでガチに考えなくて良いから」

 水無川の本気なのかそれともボケなのかわからない返しに、今度は俺が苦笑した。 


「先輩、映画が好きなんですね」

「ああ、そうだけど」

「じゃあ、一緒に観ましょうよ」

 水無川の唐突な申し出に、俺は一瞬、ぽかんとする。


「……どうしました?」

「いや、予想してない申し出だったから」

「あはは、そうですか。……で、どうします?」

 水無川は口を閉ざし、冷涼な瞳で俺を見据える。


「……そうだな、じゃあ観ようか。……といっても、映画館は今からだと無理だし、水無川、お前動画配信サービスとかは?」

「いや、それは入ってませんけど。……あ、ユーチューブで観るっていうのは……」

「それは高確率で不法視聴だからノウ」

「否定するの早っ。……ふふっ、じゃあどうします?」

「そうだな。……普段俺はレンタルビデオ屋に行ってるんだが、今から行くか?」

「かまいませんよ。私のノートPC、BDでもDVD観れるはずですし、そうしましょうか」

 俺たち二人は、水無川の家を出てレンタルビデオ屋に向かう。


 そういえば、水無川と初めて逢ったのも、その帰りの夜だった。


 今夜は――。

 今夜は、尽影が出る気配はない。


 その代わりに、満月が天高く煌々と輝いていた。

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