第十四話 再会 後半

 雨の中を走る。


 まとわりつく水はひたすらに重く。周囲を包む夜の闇は、敵が隠れているとしか思えない。


 俺はどこに向かっているのか、自分でも判然としないまま、ひたすらに駆ける。


 気が付くと、あの橋にたどり着いた。水無川と初めて出会って、この夜の世界に足を踏み入れるきっかけとなった地。


 そして、そこで今日も――。


 黒い影が、二つ踊る。一つはまるで猛獣のように四肢を地面につけ、疾駆している。


 もう一つの影は、どうやらレインポンチョを着ているようだった。


 ああ、あいつだ。


 猛獣が爪を繰り出すが、レインポンチョの黒い影は、それを容易く回避する。


「雨だと“壁”使いにくいんだよなー。面倒だなー。……って、あれ、先輩?」


 水無川が俺に気づいたらしく、きょとんとした目をレインポンチョのフードから覗かせる。俺は思わず手を軽く挙げて返してしまう。


「……いやそうじゃなくて、敵来てるぞ!」

「あ、そうだった」


 猛獣が水無川に飛びかかる。繰り出される爪を、水無川は刃で受け流し、受け流し、返す刃で切り飛ばす。


 水無川は透明と黒の飛沫を浴びながら、紅の刃を猛獣の腹に突き立て、一気に切り裂く。


 黒い獣が、地面にばたりと倒れ込み、何度か痙攣したのち、溶けて消えていった。


 黒い染みを、雨は洗い流していく。


「……またここかよ」

「そうですね。ここで先輩と逢うのは二度目。ここで尽影を狩ったのは……忘れました」


「……そんなに出るの、ここ」

「まあ、かなり。たぶん、橋だから、自殺者とか多いんでしょうね」


 水無川はからりと言って、刃を振る。黒い血液と雨粒が、地面に弧を描き溶けていった。


「で、どうしたんですか先輩。こんな雨の中、そんな格好で」

 水無川は紅の刃を消失させ、空いた両手で俺の頬に触れる。


「そんな顔をして。……嫌なことでもありました?」

 俺の双眸には、水無川が映っている。その漆黒の瞳は、まるで俺の奥底すら見透かすような光を放っていて。


 それでいて、こちらからは見通せないほどに、深い。このような目をしている人間を、俺は今まで生きてきて見たことがなかった。


 水無川がこの目を浮かべるようになるまでに、歩いてきた道程はどのようなものだったのだろうか。想像すらできない。


「……………………本当に、情けない話なんだが」

 そう切り出して、俺は水無川にここ数日の出来事を話す。


 御厨が死んだこと。国尽対が信頼できなくなったこと。友人が尽影だったこと。そしてその友人が、家までやってきたこと。


「……最後はきっついですね」

「…………だろ? 動転して、逃げまくって……」


「こうなってる、と」

 俺は水無川の言葉に、素直に首肯する。水無川はそんな俺を見て、「そんなところで素直にならなくても」と苦笑した。


「でもまあ……、良かったですよ」

「……良かった?」

 水無川の言葉の意味を把握しかねた俺は、思わず尋ね返してしまった。


「ああ、気分を害したのなら謝りますけど」

「いや、そういうんじゃなくて、単純に……」


「なるほど、説明が要ると」

「そういうこと」

 水無川は俺の言葉を聞いて、微笑を浮かべる。


「簡単なことですよ。この一連の出来事で、先輩は国尽対に見切りをつけることができたじゃないですか」

「それがいいこと、だと?」


「ええ。私、前に言ったでしょう? あそこは、早めに出た方が良いって」

「……それは言っていたが……」


 しかし、水無川の言っていることには無理がある。俺たち操者は、国尽対に所属することで、天下の往来を歩くことが許されている。


 東条は言った、やめるならばすぐにお縄だ、と。

 抜けるも何も、無理な話ではなかろうか。


 それを水無川に言うと、水無川は肩をすくめて首を横に振る。


「それも簡単な話ですよ」

「どこが簡単なんだよ。相手は国家権力だぞ」

 俺が反論すると、水無川は首を横に振って笑う。


「できますよ。現に私が、そうじゃないですか」

「……それは」


 水無川は国尽対に所属しておらず、フリーで尽影を狩っているように見える。それに、水無川の口ぶりからして、一度国尽対に所属していたのではなかろうか。


 では、水無川だけどうして、そのようなことが許されるのだろうか。


「お前は、なんていうか特別扱いだよな。……どんな魔法を使ったんだ?」

「魔法とかじゃなくて、実に単純な話です」

 水無川はそう言って、紅の刃を出現させる。


「……これです」

「……これ? その能力が、何か特別なのか?」

「いや、能力は関係ないですよ。これはただの刃。ただ、この刃は私の自由を保証してくれる」

 水無川の刃は、自由を切り開くという。枷をつけられた、俺の右腕とは大違いだ。


「……わからない」

「難しく考えなくていいんですよ。話はとても簡単なんですから」


 水無川はそう言って、刃を煌めかせる。落ちる雨粒の一つが、四つに割れて落ちていくのが、俺の目にも見えた。


「私が、強いからです」

 俺をじっと見据えて、水無川は何の照れも気負いも冗談気もなく、淡々と言い放った。


「……それだけ、なのか」

「ええ、それだけです。それだけで、私は自由なんです」

 水無川はそう言うが、それは裏を返せば、弱ければ操者に自由はないということである。


「国尽対の人たちは、弱い。そして、先輩も同様に弱いんです。だからあんな組織に所属し、人をみすみす死なせることになり、友人の姿をした尽影からは逃げている。……違いないでしょう?」


 その言葉に、俺は何も返せなかった。それは単純で幼稚な理屈ではあったが、それ故に真理を突いている。


「さて、ここで先輩にクイズです。先輩は弱い。ではどうすればいいですか?」

 弱い弱いと言われて、複雑な気分だが、しかし実際のところ、俺は水無川より間違いなく戦士として劣る。


「……強くなればいい?」

「その通り。では、どうやって強くなるのがいいんでしょうか」

「修行……訓練を重ねる」

「それも一つの正解ですね。でも最適解ではない。方向を違えた努力は、徒労になっちゃいますよ」

 水無川は弾むような声色でそう言って、にっこりと笑った。


「訓練にはコーチが必要です。結果が欲しいなら、優秀なコーチが。……私、先輩の面倒を見て差し上げますよ?」

 笑ったまま、水無川は自身を指さす。


「……それは、師匠になってくれるってことか?」

「師匠、それもいいですね。ちょっと格好いいかも。でもまあ、そんな仰々しいものじゃなくてもいいですから。コーチが嫌なら、バイトの先輩的なポジションで」


「ずいぶんと殺伐としたバイトだな」

「でも楽しいじゃないですか」

 何の屈託もない声色で、水無川はそう返す。


 水無川は戦うことを、命を奪うということを、楽しいと言った。いくら相手が異形の存在とはいえ、その理屈はおそらく世間一般にそぐわないものだろう。


 そして、その理屈に、心のどこかで同意している俺がいる。


「そうだな、楽しいよ。……水無川、頼んでいいか?」

「勿論。で、報酬なんですけど……」

 水無川は人差し指と中指を立てる。


「二つ、願いを聞いてくれたらなあ、と。あ、勿論、先輩のゴタゴタに協力してからでいいですから」

「まあ、それはいいけど。……現実的なラインで言えよ?」

 水無川は、つかみ所がわかりにくい性格をしている。


「あ、じゃあ一億円欲しいから、一千万円欲しいってラインに変えときましょうか」

「変更前も後も無理だ」

「あはは、冗談ですよ。……本当に、簡単なことなので。安心してください」

「本当かよ……」

 俺が首を傾げてそう言うと、水無川は柔らかく笑った。


「大丈夫です。本当に、簡単なことなので」

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