第十話 君のことを 後半

 俺たちは映画を観終え、ファミレスで昼食を食べながら、映画の感想談義に花を咲かせた。

 その後、店を出てすぐ、田中が口を開く。


「私、用事あるから。ここで解散ね」

「そうなのか?」

 俺がそう問うと、田中はこくりと首肯する。


「そうなんです。じゃ、あとは二人でごゆっくり~」

 田中は手をひらひらと振って、俺たちから立ち去っていく。


「……今日初めて聞いたぞ」

「そ、そうだね……」

 俺も加藤も困惑しているようだった。時刻は昼過ぎ。このまま帰るにしては、少し早い時間だろうか。


「どうする?」

「……えーと、そうだね……」

 加藤は唇に指をあてて、何やら思考する。


「もうちょっと、遊びたい……かな」

「わかった。それで、どこ行く? 行きたい場所とかは?」

「い、行きたい場所? そ、そうだね……えっと……」

 加藤はどうしてか知らないが、緊張しているように思えた。


「本屋さんとか、行きたい……かも」

「ん、わかった」

 というわけで、本屋に行くことになった。


                   ○


「この作家さんの作品は、なんていうか人に対する諦めに満ちた展開から、最終的に人への愛に……」


「この作家さんは、登場人物の細かい感情の機微を各自の立場から描いてて……」


「この人はエログロ系だね、発想が突飛すぎてついて行けないこともあるけど、それだからこそ面白いって言う人もいるみたいで……」


 書店で加藤は饒舌になっていた。好きなものを語る人間特有の熱が、そこにはある。


「あのさあ加藤」

「あ、ご、ごめん。ちょっと語り過ぎた? 気持ち悪かったかな」

「ああいやそうじゃなくて。本、好きなんだな」


 俺がそう言うと、加藤はぱあっと表情を明るくする。その頬は、先ほどのトークの熱で、ほんのりと紅に染まっていた。


「うん。本、好きだよ。新書とかも好きだけど、小説が好き。昔から色々と読んでいたってのもあるんだけど、個人的には他人の体験や人生を、追体験して、物語が終わったあとに、自分の中に生まれた変化を自覚するのも好き」

「……あー、なるほど。俺の映画にも通じるところがあるな」


「そうなの?」

「多分。俺は映画観るの好きなんだけど、まあそこには脚本とか映像効果とか色々な要素を混ぜ込んで好きなわけなんだけど……」


 でも、それだけでは説明できない何かがある。そう、俺は理解していた。

 そして、加藤の発言で、その何かが説明できるような気がした。


「多分、俺が好きなのは、鑑賞後の余韻なんだと思う。何かが、自分の中にあるものを強く揺すぶって、その震動が残っているのを自覚するのが、好きなんだと思う」


 いつしか、俺は渇いた植物が水を求めるように、映画を週に何本も観るようになった。


 特に前触れもなく、そうなったのだ。どうしてかわからなかったが、今ならそれが、わかる。


 俺はきっと、自身を揺さぶる何かを欲しかったのだ。

 あるいは、映画の中において登場人物たちが発する感情の熱を、自身の中に移したかったのだ。


 冷え切り、震えることのないそれを、どうにかしたかったのかもしれない。


「わかるわかる。小説読んだあと、そういう感覚になると嬉しいもん」


 加藤はそう言って、ふわりと笑った。

 丸い目がきゅっと細められて、綻んだ口元が、加藤の柔らかさをさらに引き出している。


 そしてその笑顔を見た瞬間――。

 俺の中に、小さな電流が流れた。


「……あ、ああ。そうだな」

 加藤の話に、生返事を返してしまう。

 別に、加藤の話が面白くないわけじゃなくて、ただ、俺は。


「だよね。……えへへ、山瀬君とこんな話できるなんて、思ってもみなかったな」

 俺は、俺の中に生まれたこの感情を、把握しかねていた。


                  ○


 日はもうとっくに沈み、ホームには買い物袋をひっさげた人々が、多数並んでいる。


「山瀬君、今日は楽しかったよ」

「いや、それは、こちらこそ」


 今日の終わりが近づくにつれて、俺たちの会話も少なくなっていく。

 それにも関わらず、周囲の音は遠くなっていっているような気がした。


 電車がホームに到着する。列が動き始める。

 俺はその列に追従しようとした、が。


「あのね、山瀬君」

 加藤は俯いて立ち止まっていた。


「どうした?」

「いや、ここで……うん、言わなきゃって」

 加藤は顔を上げ、そう言う。その目には、何か意思を決めたような、そんな光が宿っていた。


 俺は列を離れ、加藤の話を聞く。


「言わなきゃ? 何が?」

「……うん。山瀬君は気づいてないかもしれないけど」

 あ、この雰囲気は。

 鈍感な俺ですら悟った瞬間、加藤が続ける。


「私、……山瀬君のこと…………、好き……です」

 好き。その二文字を聞いた瞬間、がつん、と何かが揺れるような気がした。


 加藤は黙って俺を見つめている。

 そして俺は、その感情に対し、どう対処するか困っていた。


 加藤がそう言ってくれたのは嬉しい。けれど、加藤が向けてくれた感情に、俺は応えられるのだろうか。


 俺は残念ながら、普通の人間とは情緒面で何かが違っている。原因はわかりきっているので、この場では言及しないけれど。


 だから、加藤が言ってくれた言葉に衝撃を受けつつも、心のどこかでは他人事のように見ている自分がいた。


 この場に応じた言葉を返した先に、おそらく破滅が待っている。そんな気がした。

 それに。


 俺は怪物だ。怪物と戦う怪物。

 そんな人間と、お前は本当に付き合っていいのか、加藤。

 そんな人間に、そんな言葉をかけていいのか、加藤。


 深夜、お前が本を読み寝ている時間に、俺は怪物と戦っている。黒い血しぶきを浴びている。


 お前は、そんな俺の姿を知らない。俺は、俺のそんな姿を、お前や田中のような、日だまりの下で生きるような人間に見せたくない。


 断る、方がいい気がした。

 けれど。


 今日感じたものを思い出す。俺は、加藤と話していて楽しかった。理解者を得られたような気になれた。


 楽しい時間を共有出来たのではなかろうか。以前見た映画に、楽しい時間を共有することが大事、みたいなことが言われていたような気がする。


 それに。今日という日だけは――。


 怪物が、人間になれたような気がしたのだ。


 断る、べきなのだろう。それでいて、こうも思う。

 断るには惜しい、と。


 加藤の言葉を受け入れたら、俺の中の渇きが癒えるだろうか?

 俺の中にある、過去の傷痕が治るだろうか?


 けれど、俺はそもそも加藤に見合う人間か?

 俺たちは、本当に同じ、人間という生きものか?


 思考が絡まり、錯綜する。

 電車の発車時刻は迫っている。そのタイムリミットに、俺は急かされているような気がした。


「……わからないんだ」

 ぽつり、と言葉が漏れる。


「わからない……?」

「ああ、わからない。色々と……わからない」


 だから。


「少し、保留させてくれ」

 俺がそう言うと、加藤は少し哀しそうな目をしながらも、微笑む。

「うん、大丈夫だよ」

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