第十話 君のことを 前半

 夜が明け、日常がやってくる。

 今日も今日とて、俺は学生の本分を果たすべく登校している。


 ……のだが、どうして異物感が否めない。


 夜の世界からは一転して、昼の世界は実に平和だ。


 実にありふれた話題ばかりが、教室内を飛び交っている。あのドラマを観たか、あの曲を聴いたか、あのカフェに行ったか、宿題やったか、そろそろ抜き打ちテストらしい……等々である。


 狩った狩られたなんて話題は、この場に一切存在しない。

 そして、俺の中に深く食い込んでいるのは、その話題一つだった。


 いつの間にか夜の闇に体が順応して、昼の明るさに酔う自分がいる。

 俺は果たしてここにいていい存在なのか、という考えが浮かんだ。


「ヘーイ、ヤマァスェ」

 田中が変ちきりんな外国人の物まねをしつつ、右手をぴしりと挙げながら俺に声をかけてくる。


「……なんだ」

 そのノリについて行けない俺は、目を細めつつ返した。


「おー今日も目つき悪いね~。コワイコワーイ」

 うざい。


「いやあのね、明日、何の日か覚えてる?」

「……何の日?」

 教室の隅に貼ってあるカレンダーを見る。土曜日。それ以外には何も。


「土曜日、だな」

「……えーと、それは山瀬くんなりのジョークですかい?」

「いや。それ以外、何かあるのか?」

 俺がそう言うと、田中は信じられないものを見る目で俺を見てきた。


「……映画」

「……あ」

 忘れてた。思いっきり。


「ほんと、なんていうか……もうちょっと協調性とか、社会性とか、そういった……」

 田中が頭を掻きながら、何か言いたげにする。けれど、田中は言葉を紡ぐことなく、俺をじっと見つめる。ついでに顔をぐいと近づけてきた。


「明日、映画の日だから、よろしく」

「お、おう」


「サトコ、すっごい楽しみにしてるから、よろしくっ!」

「お、おう……」

 加藤、関係あるのか? そう思うけれど、何か言えばやぶ蛇に成りかねないので、黙っておくことにした。


                  ○


 というわけで、映画の日になった。俺はファストファッションで揃えた衣服を身につけ、駅へと向かう。駅には田中がいた。


「出た、ユニクラー」

 田中は目を細め、前屈みになりつつ、両手を前に出す。なんだそのポーズ。


「うるさいな、一人暮らしで金がないんだよ」

「AV借りる金はあるのに?」

「AVじゃねえっつてんだろ。殴るぞ」

「きゃーこわーい」

 などというやりとりを交わしたあと、俺と田中は改札を抜ける。


「そういえば、加藤は?」

「サトコはそっちのが近いから、現地集合ゲンシュー

「なるほど」


 そんなこんなで、電車に乗り込み、集合場所へ。

 休日とだけあって、車内は混んでいるが、運良く座ることが出来た。


「っていうかさ山瀬」

「なんだ?」

「サトコのこと、どう思う?」

「……どう?」

 返す言葉に迷う。どうもこうも、という気がした。


 それは加藤だけじゃなくて、人間全体に対してである。なんていうか、人に対する興味が急速に失われつつあった。


「…………あー、やっぱそうか。別にいいよ。うん、別に。ただ、私からこれだけは言わせて」

 勝手に納得した田中が人差し指をびしりと立てて、ずいと顔を近づけてくる。


「あの子、すっごい良い子だから、よろしく。……泣かせたら怒るわよ」

「……は、はあ」

 妙な話の流れになっているな、と他人事のように思う俺だった。


                  ○


 集合場所に到着する。府で一番の繁華街がある駅、それも休日とだけあって、人が非常に多い。酔う。


 俺と田中は多少の苦労をしつつ、加藤を発見した。


「あ、二人とも」

 加藤が近寄って来る。


 加藤はパステルピンクのカーディガンに、白いワンピースを着ていた。

 

 そういえば、田中はさておき、加藤の私服姿を見るのは初めてだということに気づく。制服を着ている姿が脳内にあるので、少し認識に遅れが生じた。


「おはよう、山瀬君」

「ああ、おはよう」

 加藤がにこりと笑う。田中とは違い、加藤は物腰柔らかで、上品な雰囲気を帯びている。


「ま、三人揃ったことだし、行きますか」

 田中がそう言い、先行する。田中の歩みは早く、自然、隊列は田中が一人の俺と加藤が二人並ぶ、という形になっている。


 というか、映画が始まるまでそれなりに時間があるのに、田中は何をそんなに急いでいるのだろうか。


 さて、俺と加藤であるが、二人ともあまりしゃべらないタイプなのであろう。互いに沈黙。一応、こういう沈黙はあまりよろしくないらしい。……世間一般的に。


「え、ええと、加藤って映画観るの?」

「そ、それなりに……。うん、でも、今日観に行くやつの関連作品は全部観たよ」

 加藤はそう言って笑い、サムズアップをする。


「マジで? じゃあ……」

 と俺は関連作品のタイトルを挙げると、加藤は「それも観た」と返し、続ける。


「主人公の人がかっこよかったよね。最初はひょろひょろなんだけど、それでも意思が強くて……」

「そうそう。あの手榴弾に覆い被さるシーンは……」


 俺は人生で初めて出会えたかもしれない、映画の話が通じる相手に、少し声が弾んでいることに、自覚する。確かにオタクだな、と自嘲する。


 けれど、そんな考えとは裏腹に、俺は自身の中に湧き出たものを、好ましく思っている。

 俺の心の中にあるものは、きっと、楽しいという感情なのだろう。


 人と交わってこんな感情を覚えたのは、いつぶりのことだろうか。


                 〇


 しばらく歩き、映画館に到着。

 各自チケットを買い、待合のホールへ。


「さーて、ポップコーンを買いますかー」

 と田中が何気なく口を開いた。


「……え?」

 俺は信じられないものを見る目で、田中を見る。


「え、って何、山瀬」

「ポップコーン買う派の人間、初めて見たから」

「いや、初めても何も、あんた基本一人映画じゃん」

「……ぐぬ」

 田中の指摘は実にごもっともで、俺は言葉に詰まる。


「っていうか、なんでポップコーン買わないの? 映画館来たぞ、って気がして楽しいじゃん」

「いや、うるさいじゃん」

「……はい?」

 今度は田中が信じられないものを見る目で、俺を見てくる。


「うるさいってそりゃあ、映画観てる間は音がしてうるさいじゃんよ」

「いや、そうじゃないんだよ、映画の音は全然気にならない。映画以外の音はもう気が狂うほどに気になる」

 俺がそう言うと、田中は『うげー』と言わんばかりに辟易した表情を浮かべる。


「神経質かよ山瀬、だからモテねえんだよ!」

「神経質っていうけどな、むしろそっちががさつなんだよ。みんな静かに観てるだろ?」

「いや、映画館で買ったものなんだから、別にいいでしょ。ねえ、サトコ」

「わ、私⁉」

 急に話を振られた加藤は、困惑した後、俺と田中の二人を見比べる。


「まあ、うん。そうだね。映画館で売ってるものの音なら、ある程度は仕方ないと思う」

「ほら見たことか、これが世間の声だオタクめ! 嫌なら永遠に引きこもって家で寂しく観てろ!」

 田中がここぞとばかりに、俺を煽ってくる。俺は悔しさを滲ませて奥歯を噛んだ。


「でもまあ、私もその音、得意じゃないから、できれば静かに食べてね」

「おっ、どちらにもつかない見事な処世術、さすがはサトコさんです」

「そ、そんなんじゃないってば!」


 ちなみに、映画館の収入のうち、ポップコーンなどの食事メニューや、グッズ収入はかなりのウェイトを占める。スマートフォンで調べたらそう書いてあったので、俺は田中のポップコーンに文句を言うのはやめた。

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