第八話 影と紅

 水無川が、疾駆する。先導する黒い影に、俺も続く。


 黒い球体は、木の上から破片弾を撃ち下ろしていた。まるで破片の土砂降りのような中、水無川は右手に持った瓶から紅い壁を展開し、それを受け流す。


 俺もその壁の下に潜りつつ、前進。


 やがて、破片の雨が止む。見ると、触手の数本が伸びてきていた。


 水無川が跳び、一瞬の間に全ての触手を切り落とす。水無川はそのまま右手の瓶を振る。すると、瓶から紅の液体が宙にこぼれた。


 水無川はその液体に足をかけ、瞬く間に宙を駆け上っていく。


 紅は、水無川が踏んだ瞬間、放射状に広がる。それはまるで、宙に張られた赤い蜘蛛の巣のようにも見えた。


 俺はそれを踏んで、駆け上がる。


 あの日見た光景は、このような仕組みで出来ていたのだな、と今更ながら理解する。

 水無川は液体を前に展開しつつ、後方の液体を回収していた。器用なものだ。


「先輩、来ます!」

「わかった!」


 水無川がそう言った直後、破片弾が俺たちを狙い撃つ。水無川は紅の壁で、俺は異形の右腕でそれを防御する。


 球体はまだ上方。木々に触手で掴まっている。まるで、巨大な蜘蛛の王にも見えた。


 球体から、触手による攻撃。触手はその一つ一つに、小さな縦割りの口がついていた。


 先ほどは、水無川が触手を切り落とした。では、今度は俺の番だろう。


「水無川!」

 水無川に声をかける。水無川は強く首肯し、「わかりました!」と返した。


 水無川が跳び、宙返りをする。水無川が紅の液を大量にこぼし、それに触れる。

 瞬間、紅の液はまるで意思を持っているかのように、水無川の腕に絡みついた。


 水無川が宙返りをしている最中、紅の液は水無川の腕を離れ、滴が地面に落ちたときのように、放射状の広がりを見せる。


 そして、紅の刃に、その液は絡みついた。


 紅の網目模様が、水無川の周囲に広がっている。

 その上を、紅の刃が滑走した。


 紅の刃が、月下、無数の閃めきを描き出す。


 刹那の間に、縦横無尽に、一切合切を切り裂かんばかりの鋭さで動くそれは、容易く全ての触手を切断した。


 水無川はそのまま自分の足元に紅の足場を形成し、紅の刃をキャッチする。


「どうです?」

「…………ああ、いや」


 俺は水無川の美技に見とれつつ、あれ、俺は何をするつもりだったんだっけ、と思う。

 そうそう、触手を切り落とすつもりだったんだ。水無川が全て切り落としたけど。


「えっと、俺が切るわって意味だったんだけど」

「あ、そうなんですか。てっきり、私に任せるの意味かと」


 先ほど共闘を始めたばかりなので仕方ないことは仕方ないのだが、二人とも意思の疎通が微妙に出来ていなかった。


 さて、目下の敵は未だ健在である。


 とはいえ、二度触手を切られたダメージは結構なものらしい。触手攻撃をその後は放たなくなり、破片弾ばかりの攻撃である。


 その程度なら、水無川となら、容易く防御できる。

 俺たちは破片弾を適当に受け流し、防御しつつ、紅の足場を駆け上る。


「……やっとつきましたね」

「だな」

 今の俺たちは、漆黒の蜘蛛よりも高く、在った。


「左で」

「右だ」

 そう合図を交わした瞬間、俺たちは左右に展開する。


 紅が、左方に向かう。

 水無川は足場を展開しつつ、瞬く間に蜘蛛の足を根元から断ち切っていく。


 一方の俺は、そのような能力がないため、割と苦労していた。

 蜘蛛の上に着地しつつ、足を切り裂く。


 だが、蜘蛛もやられっぱなしでいるわけがない。

 破片弾による抵抗があった。


 そして、破片弾は俺の左方から飛来する。当然だ。蜘蛛の本体は、俺の左方にあるのだから。


 俺の能力は、異形の巨大な右腕。

 左から飛来する破片弾を防御する術は、ない。


 故に。

 俺は賭ける。

 俺の瞬発力やら、能力やら、そのようなものに。


 一瞬の判断で、俺は蜘蛛の足の付け根から滑り落ちる。俺の背後を破片弾が通り過ぎた。

 このままでは落下する。それはわかっている。

 だから、抗おう。


 右腕の力を総動員させる。

 俺は蜘蛛の体に爪を突き立て、自身をホールドする。


 そのまま右腕で弾くように上へ行き、そのまま落下。

 落下する力を活かし、別の足を切り裂き、またも爪を体に突き立てホールド。


 これを繰り返して蜘蛛の足を切り裂こうと思ったのだが、蜘蛛の体が左方に傾く。

 水無川が、左方の足を全て切り落としたのだと察した。


 今、破片弾を放っていた本体が、傾いたことにより、俺の足場と化す。

 俺はその足場を全力で駆けつつ、蜘蛛の足を切り裂いていく。俺のすぐ後ろで、破片弾が飛んでいく感触がした。正直怖い。

 残り、六本、五本、四本……。


「先輩、こっち!」

 視界の先に水無川が見えた。水無川は紅い足場を俺の向かう先に展開してくれている。


「助かる!」

 残り、三本、二本、一本……。


 切り裂き、切り裂き、切り裂き、支えを失った蜘蛛が傾き、そして――。


「これで、最後っ!」

 残り、〇本!


 支えを失った不格好な球体が、重力に従い落ちていく。

 俺はそいつを思い切り蹴りつけ、跳躍する。


 左手を伸ばす。水無川が、足場から体を乗り出して右手を差し出している。

 二つの手が絡まり、結び合い、俺は水無川に引き上げられた。


「大丈夫ですか?」

「助かった。俺は空を飛べないから」

「それはどーも。ま、私も空飛べるわけじゃないんですけど」

 俺と水無川がそんな会話をしている最中、地上で轟音が響き、俺たちの体を震わせる。


「落ちましたね」

「ああ、落ちたな」

「じゃあ、私はお先に」


 水無川はそう言い残し、足場から降りて、地上へ。俺もそれに続く。


 水無川はその途中に、足場となる紅をいくつか残してくれていたので、楽に降りることが出来た。


 地上には、身動きのとれなくなった黒い球がいた。


 かつて俺を喰らおうとした巨大な口は大開きになり、吐息と入れ違いに死を受け入れている。


 その姿に、俺は既視感を覚える。……いつだったか、このような状況で、俺は。


「先輩、やりますか?」

 隣に立つ水無川が、そう尋ねてくる。

 俺は少し、考える。


 こいつは放置してもどうしようもないし、放置して回復したとしても、俺たちに害を為すだけだ。


 先ほどのようにはいかない。生かしておくだけ仕方ない。

 ならば、簡単なことだ。


 俺は能力を起動させ、巨大な爪を振り上げる。

 水無瀬も俺に倣って、紅の刃を振り上げる。


 黒と紅が、同時に振り下ろされる。

 今宵の戦い、その幕は下りた。

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