第七話 再戦 3

「……は?」

 本隊に合流した俺は絶句する。それは御厨も同じであろう。


 アシナガグモが、三体に増えていた。球体も回復しており、俺が最初戦ったときのような動きを繰り出している。


 廣田の指揮のもと、国尽対チームは善戦していたが、一目でわかる程度には、多勢に無勢だ。防戦一方を強いられている。


 氷川が氷の壁を張っても、球体の破片弾がそれを砕き、仲田の防御も、さすがに三体同時攻撃は防げない。廣田の剣は、アシナガグモと球体の牽制により、攻撃範囲にすら入れてもらえてなかった。


「廣田さん!」

「御厨ちゃんか! 索敵、もうちょっとちゃんとやってくれないかな⁉」

 廣田は少し苛立った声を出す。


「すいませんっ! これからは、私と山瀬君もそっちに参戦するので」

「頼む! 人が足りない! 仲田と理子のところに行ってくれ!」

「わかりました!」

 御厨はそう返し、仲田と氷川がいる方向に駆けていく。


 国尽対チームは、明らかに消耗していた。全員が全員、振るう武器にもいつものような精細はない。


 球体は、仲田と氷川が押さえてくれていた。だがそれも、やっとのことで、という言葉が頭に付くような状況だ。


 ……これは、明らかにマズくないか?


 いつの間にか、狩る側が狩られる側に回っているのではないか?

 こんな状況において取り得るべき選択肢は――。


「廣田さん!」

 俺は思わず声を上げていた。


「なんだ、山瀬くん!」

「撤退は……撤退はどうなんですか!?」

「そうだな、そうしたいところだが――」


 三体のアシナガグモが発射した糸が、そして球体が発射した無数の破片弾が、廣田に向かう。


 廣田は剣を振りかぶる。その剣が淡く光ったと思った瞬間、廣田はそれを振り下ろす。

 巨大な剣は、質量以上の衝撃波を放ち、相手の牽制攻撃を落とした。


「こいつらが、許してくれるかな⁉」

「……ですねっ!」


 俺は廣田の前に出て、右手でアシナガグモを殴ろうとする。だが、アシナガグモはひらりと身を躱す。


 俺が追撃しようと突っ込むと、そこにはアシナガグモ三体が扇状に展開していた。


 糸の攻撃が来る。そう直感した俺は、右手で地面を抉り、砂岩の壁を作った。


 直後、三方向から飛来した糸が、砂岩に直撃。刹那、威力が鈍る。


 俺は体をかがめ、糸を回避しつつ、間合いを詰める。


 アシナガグモのうち一匹を、右腕の攻撃範囲内に捉える。手を広げ、爪を展開させる。


 残りの二匹が、両前足を振りかぶり、俺を貫こうとする。


 ああ、これは回避が間に合わない。ならば、俺は目の前にいるこの一匹を、この一撃で屠ることに専念しよう。


 渾身の力を、この一瞬に込める。あとのことは、あとのことだ。


 乾坤一擲の気迫を込めて。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 放つ。


 果たして。


 ――俺の爪が、目の前のアシナガグモの顔を掠める。渾身の一撃も、どうやら軽いダメージしか与えられないようだ。


 さて、応報の攻撃が来る。俺は来たる激痛に備えて、覚悟を決めた。


 できれば、重傷となり得る箇所の直撃は避けたいけれど、少し厳しいかもしれない。


 最悪、死ぬのか。


 俺はここ一ヶ月近くの間、何度死にかけているんだ。そう思い、笑いそうになる。


 最初に死にかけた日は、あの少女に助けて貰った。二度目は、国尽対チームに。


 では、三度目は? 二度あることは三度あるというが、さすがに今の状況だと、俺に助けの手をさしのべる者はいないだろう。


「山瀬くん!」

 廣田の声が聞こえる。ああ、これはいよいよダメなパターンな気がする。


 終わりか、まあ、それならそれで。


 あ、田中と加藤との映画の約束、果たせないかも。

 なんて後悔を、来たるべき終わりに備えてしてみる。


 だが、それは徒労と終わる。


 紅の閃光が、月夜に煌めく。

 瞬間、右のアシナガグモが真っ二つになっていた。


 そして、俺の左方には、紅の壁が展開し、アシナガグモの前足をその内に取り込み拘束していた。


 アシナガグモだったものから、黒い飛沫が勢いよく吹き出し、地面を濡らす。

 まるで、黒の雨。


 そしてその雨の下――。


「先輩、また死にかけてますね」

 透んだ声が、涼やかに響く。


 レインポンチョを着た、あの少女が立っていた。


「……君は」

 あの雨の夜、彼女と初めて出会った日のことが、フラッシュバックする。初めて見た尽影、一度死にかけたこと、そして夜を自在に舞う一人の少女。


 少女はあの日と同様、俺を切れ長の大きな目で見つめていた。


「……えーと、誰だっけ」

「えっ、その反応マジですか。それは予想してなかった」


「ああいや違うんだ、名前、知らないから」

「あ、そういうことですか。なるほど。私の名前は」


 彼女が名乗ろうとした瞬間、俺の左方に刃が叩きつけられる。アシナガグモが押しつぶされて、黒い水たまりと化していた。


「…………水無川みながわ鈴音すずねェ!」

 廣田が多少の怒りを孕んだ声を出している。


「あ、それが私の名前なんですけど。……ちょっと廣田さん、せっかくの名乗りを邪魔しないでくれます?」

「うるせえ! お前……、そうやって俺たちの獲物を横取りしやがって!」


「でも、私が割って入らなかったら、この人、死んでましたよ?」

「……………………ちっ」

 廣田は舌打ちを残し、仲田と氷川たちに合流すべく、走り去った。


「はあ、相変わらず、頑固というか面倒というか……自意識が強すぎるというか」

「知り合いなの?」


「ええ、まあ、昔の同僚です」

「昔の同僚? ってことは……」


「まあ、そういうことですね。先輩は後輩になるわけです」

 つまり、この水無川は、元々国尽対に所属していたということになる。そして離属したのだろう。


 ならばどうして、水無川は国尽対を辞めたのだろうか。それに、俺が所属するときに言われたのは、能力を持っている人間を野放しにはできない、という旨のことだ。


 しかし今、水無川を見る限り、野放し状態ではなかろうか。


「……はは、そうなんだ。よろしく、先輩」

「水無川、でいいですよ、先輩。水無川みながわ鈴音すずね。それが私の名前です」

 水無川はそう言って、フードを取り、にっと笑ってみせる。


 フードの下には、艶やかな漆黒の髪があった。水無川はそれをうなじあたりまで伸ばしている。


 前髪はいくらか長く、目にかかるであろう長さで、それを適当に左右にわけていた。


 肌は白く、艶やか。眉は細い。鼻はすっと筋が通っており、それで居て絶妙な大きさとバランスをしている。


 何度かフードの下に見た双眸は切れ長で大きく、瞳は漆黒。


 唇はその刃と同様に紅で、口角の形は慎ましやかであった。


 化粧っ気はないけれど、兎にも角にも、明らかに美人の分類に入る。


「俺は山瀬、山瀬向陽。……あの日、命を救って貰った礼をしてなかった。ありがとう」

「大丈夫ですよ、お礼なんて。私、自分のためにしたんですし」


「自分のため?」

「まあ、気にしないでください」


「……そういえば、どうして俺を先輩と?」

「ああ、それですか。簡単なことですよ。学校、同じですし」


「えっ、そうなの⁉」

「とはいえ、今はもう不登校みたいなもんですけどね」


 水無川はそう言って笑い、視線を俺から球体の方に映す。俺もそうする。

 球体は全身から触手を伸ばし、その触手を使って森の上を自由に移動していた。


「あの獲物、私も結構前から目を付けてたんですよね」

「あ、そうなんだ」


「そうなんです。だって、明らかに狩り甲斐がありそうじゃないですか。見た感じ、攻撃も色々あって面白いし。あのサイズですよ? 大物です」


 水無川は尽影を見ながら、楽しげにそう言った。

 その後、俺を見て、涼やかに笑う。


「どうです、先輩。あの尽影、一緒に狩りませんか?」

 水無川はそう言って、レインポンチョのフードを被り、俺に紅の刃を差し出す。俺は一瞬の間の後、異形の黒をその刃の上に重ねた。

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