第七話 再戦 2

 運動公園は、ひっそりと静まりかえっている。静かな虫の音、風に揺さぶられた草木の葉音、それらが耳に届く。


 緊張していない、と言えば嘘になる。多少、緊張していた。なんたって、自身の命が懸かっているのだ。


 しかし、その一方で俺の心中はこのような感情を抱く。


 それは、“復讐心”。


 あの夜、俺はあの球体に好き勝手にされた。食べられる寸前まで行った。


 それは、実に屈辱だった。それを晴らすと心に誓う。


 たかが怪物如きが、人間様に楯突いたことを後悔させてやる。


 今回は援軍がいるという前提があり、心強い。だが、それはさておき、俺一人でも今度こそは狩る、という意識がある。


 さて、しばらく歩いた。今のところ、球体の尽影が現れる気配はない。


「……ボウズかもな、今日」

 そう俺が独りごちた瞬間であった。


 場の空気が、一変する。全身が総毛立ち、血が冷える。

 俺は能力を発動し、右手を異形の黒に変える。


 瞬間。

 空気が歪んだ気がした。

 冷えた空気に、あるべきではない歪曲が生まれた気がした。


 それを察知した直後、俺は横に飛ぶ。コンマ数秒前に俺が居た場所に、何か巨大なものが落ちた音がした。


 地響きが鳴り、塵が舞う。


「……来やがったか」

 奴、が現れた。

 接敵を知らせるブザーを鳴らし、チームのメンバーに知らせる。


 さて、正面にいる巨大な異形の怪物を見る。


 あの日のことを思い出す。あの痛みを思い出す。


 そして、俺を喰らおうとしたあの口を思い出す。


 俺は血液が冷えるのを感じつつ、歯を剥いて逃走心を高めた。


 黒い球体は、その表面に細かいツブツブを浮き上がらせる。


 早速来るか。そう判断した俺は、突撃を開始する。少しして、怪物から口のついた触手が数本、伸びてきた。


 俺は右手でそれらの触手を払いのけ、殴り飛ばし、そして――。


「よう、久しぶり」

 俺の間合いに、敵を捉える。


 右手を握る。敵は新たな触手を伸ばそうとする。


 敵の挙動は間に合わない。

 俺が、先だ。


 握った拳を、渾身の力で振り抜く。


 確かな感触が右腕から骨を伝わり、全身へ。自身の脳を揺らすような一撃に、恍惚とする。敵は、少し浮かび、数メートル後ろに飛んでいった。


 追撃。俺は距離を詰め、さらにもう一撃加えようとする。


 敵も抵抗し、触手を数え切れないほどに伸ばしてきた。


 さすがに捌ききれない。そう判断した俺は、追撃を諦め、右方に移動して触手を避ける。


 無論、俺よりも触手の方が早い。それは、わかっている。


 けれど、今の俺には――、味方がいる。


「氷川、今だっ!」

 廣田の声が響く。


 直後、氷の矢が飛来した。

 氷の矢は俺と触手の間を飛び去り、氷の壁を張る。


 予想よりも大質量の氷に俺が驚いていると、今度は仲田が飛び出してきた。

 仲田は両手に巨大な鈍色の手甲を装着している。


「よっしゃあ!」

 仲田が叫んで拳を振り上げ、尽影に向けて振り下ろす。尽影は触手を集めてそれを防御し、反撃に出る。後方から触手を伸ばし、仲田を攻撃しようとする。


 しかし。


「御厨ちゃん!」

 廣田の声が轟くと共に、触手の動きが止まる。御厨の能力で、動きを阻害しているのだ。


「そのウネウネした腕、貰うぜ!」

 廣田が高らかに叫び、大剣を大上段に構え、跳ぶ。


 轟音と斬撃音が入り混じった音が響き、黒い飛沫が舞う。

 尽影の触手は切り落とされ、地面に転がっていた。


 廣田は振り下ろしから、横薙ぎに移行し、尽影を斬ろうとする。だが、尽影も判断が早い。すぐさま後方に転がり、その一撃を回避した。


 尽影は転がり、跳ねる。尽影が去ったあとの地面は、クレーターのような窪みが出来ていた。


「……遠距離攻撃、来ます!」

 俺は右腕を構え、尽影を追う。

 しかし、俺の先に、二つの影が躍り出た。


「大丈夫だ山瀬くん! 俺に任せなぁ!」

「あと俺も!」

 廣田が叫び、仲田が続く。

 尽影は砂岩の破片を全身の口から射出し、弾丸とした。


「仲田ァ!」

「あいよっ!」


 仲田が手甲を体の前で構え、跳躍。仲田はそのまま体を丸めるようにした。おそらく、正面からは仲田の姿は一切見えないだろう。


 仲田は今、盾となっていた。廣田は大剣を体の前で構えながら、仲田に続き突撃を開始している。俺も彼らのあとに続く。


 仲田が尽影の目前に着地する。

 尽影に、惑いが垣間見えた。


 おそらく、今射出すれば仲田に当たることは当たるだろうが、致命傷になるような部位は、仲田が手甲で防ぐだろう、と思ったのだろう。


「ここだぁ!」

 廣田が、月夜に大剣を煌めかせる。尽影は回避を選択したが、少し遅い。


 振り下ろされた剣が、回避運動を開始した尽影の右端を切り裂く。半球が、歪な形に変化した。


「#################################!」


 絶叫が聞こえる。断末魔ではなく、憤怒のそれだ。


 尽影は大きく跳ねて、俺たちの上方に。そのまま弾丸を射出する。


 雨のような弾丸が、俺たちを襲う。廣田も仲田も、そして俺も、それぞれの獲物を頭に構えてそれの直撃を避けようとする。


 だが、それは無意味な行動だった。

 弾丸が、俺たちの直前でその軌道を歪めているのだ。


「…………み、みなさん!」

 御厨の声が聞こえた。なるほど、と俺は理解する。御厨はその能力で、破片弾の軌道を変えたのだ。


 そしてついでに、一つの発想が生まれた。

 俺はすぐさま横に移動し、道の端に出る。そこは鬱蒼と木々が生い茂っている場所であった。


「すまん!」

 俺はそのうちの一本に詫びつつ、それを右手で引っこ抜く。大木と呼んでも差し支えのないサイズのものだ。


 それを掴んだまま、俺は疾走り、跳ぶ。


 尽影と廣田たちが丁度正面だとすれば、俺はその左方四十五度近くのところから、尽影に向けて突入している。現状、尽影の意識の外であろう。


 俺の推測の通り、尽影の対処が遅れる。というか、俺にかかずらっていたら、今度は正面の国尽対チームにやられると、尽影もわかっているのだろう。


 尽影が、俺に牽制の破片弾を放つ。俺は大木を振り上げ、それらを防御しつつ、攻撃態勢に移行。


 大木を担ぎ、生い立つ木を足場として、跳ぶ。

 尽影より、高く、俺はいた。


 つい最近、俺を蹂躙し、喰らおうとしたもの。

 それに対し、俺は見下し、歯を剥く。


「…………この前の借りを返すぜ」

 俺はそう呟き、振り上げた大木を、一息に振り落とす。


 葉が擦れる音がした。枝がへし折れる音が次々と鳴った。


 手に伝わるは、確かな感触。そして耳に届くは、重量感のある打撃音。


 大木が折れる。だが。


 振り抜いた、という感触があった。


 大上段からの一撃を食らった尽影は、超高速で叩き落とされる。

 轟音を鳴らし地面を揺らしながら、それは転がっていた。


「ナイスだ山瀬くん! 理子、御厨ちゃん、拘束!」

「了解」


「りょ、了解!」

 瞬間、尽影の動きが鈍くなり、尽影と地面の間を氷の矢が居抜き、尽影の足回りを凍らせる。


 もう一矢、氷の矢。今度は尽影の正面を居抜き、凍らせ、破片弾の射出能力を奪い去った。


「これで大丈夫だろ。理子はこのまま尽影に、御厨ちゃんは増援が来ないか警戒しといて」

「了解」

「わかりました」


 廣田の指示に従い、氷川は俺たちの少し後方で待機、御厨は周囲を警戒すべく、離れた位置に移動していった。


「……さて、と」

 廣田は一つ息を吐き、俺の方を見る。


「どうする? とどめは君が刺すか?」

「……そうですね……」


 俺は目の前にいる巨大な、そして歪になってしまった半球を見る。


 この尽影は、明らかに弱っていた。かつて俺を蹂躙した面影はなく、今はただ哀れを誘うばかりだ。


 こいつは憎むべき敵なのはわかっている。


 そして、廣田が俺に手柄を渡そうとしているのも、なんとなくわかる。


 けれど、と俺はここで立ち止まる。


 結局こいつは、一体何なのだろうか。この世界に適応できない、異形の怪物あるいは獣。


 そして今、静かに裁きの時を、死の時を待つ。


 こいつらはこいつらなりに、生きているのではなかろうか。

 いや、わかっている。人間に害為す以上、こいつらは俺たちに狩られる運命なのだとは。


 俺もついさっきまではそう思っていた。しかし今、ただ狩られる運命にある怪物を見たとき、俺の脳裏に、幼い頃の光景がフラッシュバックする。


 ああ、こいつに襲われてやられそうになったときも、これは見たっけな。

 ぐらり、と世界が揺れた。


「……すいません、少し疲れたみたいで」

「……そうか、じゃあ、俺がやるよ」

「ありがとうございます」


 嘘をつけ、と自身に言いたくなるような言い訳で、その場を去ろうとする。

 瞬間、俺たちはこの場に接近する何かを察知した。


「廣田さん!」

 御厨の鬼気迫った声が聞こえる。この場にいる四人とも、武器を構えた。


 木々の上から、蜘蛛のような何かが、月に照らされて見えた。


 それが蜘蛛じゃないのは、サイズからして明らかだ。また、蜘蛛にしては足が少ない。計四本。


 しっかりと見ると、それは尽影だった。胴体はまるで人のようだが、四肢は違う。肘膝関節までは人間と同じような長さだが、そこから先が、まるでアシナガグモのように長い。


 異形、ならば尽影の他はない。


「###############################################!」


 “アシナガグモ”が、奇声をあげる。俺たちを威嚇しているのは明白だった。


 アシナガグモが跳び、上空から何かを射出する。俺たちが散開して避けると、その何かは地面にぶつかり、広がる。べちゃり、という音がしたので、恐らく粘性を帯びているのだろう。まさに蜘蛛だな、と思う。


 アシナガグモが俺たちの間に着地する。前の二本足を振り上げ、攻撃を繰り出す。

 対象となったのは、俺。

 俺は右腕を横に薙ぎ、それを防御する。


 アシナガグモは俺の横薙ぎで体勢を崩しつつ、今度は前足を支えにして、後ろ足で攻撃を繰り出す。関節が曲がる向きなどを一切無視したその攻撃は、予想の埒外にあり、そして速い。


 俺は防御が間に合わないと判断し、バックステップで回避。アシナガグモは攻撃の反動を活かして一回転し、元の姿勢に戻る。


「############################################!」

 尽影の叫喚が響く。今度は、俺の反対側から。


「……は?」

 後方を見て、絶句する。アシナガグモが、もう一匹居た。二体目のアシナガグモは、その鋭い前足で、球体の戒めを破壊している。


 解放された球体が、歓喜なのかそれとも憤怒なのかわからない叫びをあげる。聴覚の一切を奪い去るような凶音に、平衡感覚が狂うような錯覚がした。


 戦況が悪化する。こちらは五人に対し、相手は三匹。そのうち一匹は巨大な尽影で、残りの二体も、先ほど戦った感触だけで考えると、そこまで弱くない。


「こ、来ないで!」

 御厨の声が聞こえた。見ると、御厨が能力でアシナガグモを拘束しようとしているが、アシナガグモの機動性が高く、御厨の能力が追いついていない。


 アシナガグモが御厨に迫る。御厨の表情が凍ったように見えた。


 瞬間。


 俺は御厨に向かって駆ける。後方では、廣田の指揮のもと、三人が共闘しているのがわかった。


 アシナガグモが、御厨に前足を振り下ろす。御厨の能力で、二本の足は拘束された。


 だが。


 アシナガグモが、前足を支えに、御厨の上方へと乗り出る。


 アシナガグモは御厨の頭上から、その顎を開き、御厨を喰おうと、襲いかかる。


「――だっ、ラァ!」

 俺は右腕を渾身の力で振り放ち、アシナガグモの横っ面を痛打した。


 ぐわり、と蜘蛛の出来損ないが揺れて、転がり落ちようとする。だが、御厨の能力が、それを許さない。


 ならば、俺が許してやろう。


 爪を開く。振り下ろす。アシナガグモは、二本の前足を失い、地面に崩れ落ちた。


「……御厨さんっ、大丈夫ですか!?」

「…………え、ええ。……………………」

 御厨は呆然としていた。


「あ、あの、山瀬くん?」

「なんですか?」

 俺はアシナガグモの動向を注意しつつ、御厨に背中を向けて返す。


「その、ありがとうね」

 背中越しに、御厨の柔らかい声が聞こえた。


「……いえ。そんな」


 淀みなく、『仲間ですから』と言えたなら楽だろう。

 けれど、俺はそんな人間ではない。

 

 仲間、という言葉は気恥ずかしい。当然のこと、と言ってしまうのもなんだか気障だ。

 俺は自身の言葉が、なんとも言えない微妙なものだとわかりつつ、そう返す。


「トドメは、私がやるよ」

 御厨がそう言って、俺の前に出てくる。御厨はふわふわとした髪を揺らしながら、にこりと笑う。


「ごめんなさいね。けど、これ、仕事なの」

 御厨が能力を使い、アシナガグモを拘束する。その後、アシナガグモは御厨の能力で宙に浮いた。アシナガグモは抵抗しようとじたばた動くも、足は御厨に届かない。


 では、糸は? 俺がそう思った瞬間、アシナガグモの口が御厨に向く。

 糸が、御厨に向けて発射される。


「御厨さん!」

「大丈夫」

 微笑む御厨、その目前に糸は迫っている。


 このままでは直撃すると思ったが、それは杞憂であった。


 御厨の前に、見えない壁が張られているように、糸は宙で広がり、しばし留まり、そして落ちる。


「……今のは?」

「えへへ、私の能力、こんな風にも使えるの。私は盾って呼んでるけど」

 御厨は柔らかい笑みを浮かべてそう言い、アシナガグモの方に顔を向け直す。


「山瀬君、ちょっとグロいかもしれないから、嫌だったら見ないようにしてね」

 御厨がそう言うと、アシナガグモの高度が上がる。何が起こるのだろうか、と見ていると、アシナガグモが超高速で地面に叩きつけられた。


 べぎぐちゃり、という、何かが折れた音が聞こえた。


 もう一度、べぎぐちゃり。さらにもう一度。


 三度、叩きつけられたアシナガグモは、本来の方向とは明後日の向きに、残った足二本を向けている。


「んー、ちょっと柔らかくなったかな~?」

 御厨がそう言って、手をアシナガグモがいる方に掲げ――。


「えい」

 と言って、見えない雑巾を絞るように動かす。


 アシナガグモは、まるでその見えない雑巾と動きが連動しているように、歪み、軋み、そして。


 ぶちゅり、という潰れた音と共に、黒い血液を周囲にぶちまけた。事切れた異形の怪物、その返り血を浴びながら、御厨はいつものように微笑む。


「私の能力、こんな風にしかできないんだよね」

 そう言って、御厨はアシナガグモを二つに引き裂いた。

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