第六話 温かい日常 前半
「…………だるい」
たとえ国家尽影対策室とやらに所属しようが、俺は学生である。学生である以上、俺は学校に行かなければならない。
とはいえ、行くことと、そこで授業を受けるということは、全く別の話で。
無事、俺は授業を寝落ちし、教師にこっぴどく叱られたのであった。
「やーい山瀬、また怒られてやんのー」
田中が小学生男子のようなからかい方をしてくる。
「……うるせえな、疲れてるんだよ」
「毎晩のオカズ消費で?」
「違げえって言ってんだろ。それに下品だ。お前、女子だろ?」
「あ、男女差別だ。時代遅れの発想だ」
「男女差別もクソも、使う言葉は時と場所を選べよ」
「辛気くさいジジイみたいな説教だね」
「……その説教をさせないようにしてくれませんかね」
「それ、多分教師もアンタに思ってるよ」
「……………………返す言葉がねえよ」
などと俺たちがくだらない会話をしていると。
「二人とも相変わらず仲がいいのね」
加藤が長い黒髪を揺らしつつ、透き通った声を響かせてこちらにやってきた。
「まあねー、小学校以来の腐れ縁だし?」
「……いつ腐れ縁になったよ」
「あらあら、山瀬さんは素直じゃないですね~。心の中ではそう思ってるくせに~」
「うっぜえ……」
真顔で呟く。つい心の声が漏れてしまった。俺たちのやりとりを見て、加藤は笑う。
「……何かおかしかった?」
「いや、二人、ほんと仲がいいねって」
「……まあ、悪くはないわな」
「そりゃあねえ、このコミュニケーション強者、田中真理ちゃんにかかれば、どんな根暗シャイボーイもこうやってニッコニコですよ」
「お前、俺の表情見て言え、表情」
っていうか、誰が根暗シャイボーイだ、オイ。
「はい見ました」
田中が俺に顔を向ける。
「これが笑顔に見えるか?」
今の俺は、実に仏頂面をしていることだろう。
「……ほんと、辛気くさい顔してるね、あんた」
「うるせえよ」
そんな俺たちの横で、加藤が吹き出す。
「ぶっ、ふふっ……ちょ、ちょっと待って……」
加藤は絞り出すように声を漏らし、腹を抱えてうずくまった。少しして、加藤が顔を上げる。
「お、おっかしくて……」
「……そんなに面白かった?」
「うん、山瀬君、もっとクールなキャラだと思ってたから、ギャップが……」
それはどういうギャップか、と聞きたくなるが抑える。
「そうなんだよ。こいつ、話してみると案外面白いのに、普段暗いから友達いなくてね」
「最後、付ける必要性あるか?」
「でも事実でしょ?」
「…………」
ぐうの音も出ない。俺が沈黙すると、加藤がまた吹き出した。こいつ、清楚っぽい見かけによらず、笑いの沸点が低いのだろうか。
「なんていうか、二人、お似合いだね?」
加藤が何気なくそう言うと、田中がばっと両手を押し出した。
「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや、コイツはないって」
「……すっげえ否定されてる」
「なんていうの? 私の趣味じゃない? 無い寄りの無理?」
「フォロー入れようとしてまた否定されてる」
「……えーと、ね。……あのー、その、ね?」
田中が口ごもる。おしゃべりマシンガンのコイツが言葉に詰まるのは珍しいな、と思い俺は傍観する。
「サトコの方が、多分似合ってるんじゃないかなーって?」
「ッ⁉」
田中の予想外の言葉に、俺は目を丸くする。加藤が笑うのを止めて、目を丸くして俺たちを見ていた。
「えーと、真理?」
「ああいや、えーと、口がすべっ……じゃなくて、えーと、その……」
田中がしどろもどろしていると、加藤が田中の肩を掴んで立ち上がらせ、そのまま手を握って教室を退場しようとする。
「えっと、山瀬君、私たちちょっと用事があるから、またねっ」
「用事って言っても、そろそろ授業始まる……ぞ?」
「大丈夫だから。またねっ」
加藤が柔らかい笑みを浮かべて小首を傾げ、そのまま俺に背を向ける。艶やかな黒髪が揺れる様が、妙に印象的だった。
「あだだだだだっ! あだだっ! サトコ! ほっぺは! あいふぁっ! ふぉっぺふぁふぉふふぇふふぉふぁ、ふぁふぇふぇ~」
遠くで田中の悲鳴が聞こえたような気がするが、聞こえなかったことにした。
○
時間が経つのが遅く感じられた。
俺はここに居ていいのだろうか、という疑問すら浮かぶ。
昼は一学生として過ごし、ありふれた日常を過ごす。
夜になれば、俺は異形の腕を駆って尽影と戦う。
陳腐な日常は、濃厚な夜の闇に侵食されつつあった。
この空間にいて、きっと俺のように戦っているのは、俺だけ。
その事実を誇ることも嘆くこともないが、ただ、己は異物なのだ誰かに言い聞かされているような気がする。
怪物と戦っているうちに怪物となる話を、どこかの映画で見たことがある。
俺はこの日常から完全に乖離したとき、怪物となるのだろうか。
「…………山瀬、めっちゃ食うね」
昼休み、田中が弁当を食べつつぽかんとした表情を浮かべる。
「……そうか?」
俺が首を傾げると、加藤が首肯した。
「うん。なんていうか、まるで運動部の人みたい」
「……あー、なるほど」
それは否定しない。運動部みたいなものだし。
「っていうか山瀬」
田中が俺の腕を掴んでくる。二の腕付近に思わぬ感触があったので、俺はびくっとする。
「……鍛えてる?」
田中が目を細め、そう尋ねてくる。
「…………まあ、ちょっと」
俺は田中から目を逸らし、はぐらかすように答えた。
「あら、陰キャの山瀬くんから思いがけぬ回答」
「誰が陰キャだ誰が」
夜な夜な映画を借りに行っていたりしていたので、否定はしないが。
「あはは、まあそれは半分冗談として」
「五割は本気なのかよ」
田中が小首を傾げて、問う。
「なんで鍛えてるの?」
「……なんでって言われても……」
必要に迫られて、としか返せない。けれど、そう言ったら、『必要って?』と尋ねられるに違いない。
だから、俺は誤魔化すしかない。が、会話スキルに乏しいので、上手い誤魔化しが思いつかない。
「……えーと、ハリウッドスターに憧れて?」
さすがにそれは無いだろ、と自分に言いたくなるほどに、酷い。
「えーと?」
「えーと?」
田中と加藤の声が揃う。不出来なごまかしだったとしても、そこで二人シンクロするのはなんて言うか、俺の努力が徒労と化している感が二割増しなので止めて欲しい。というか、加藤がいつの間にか近くに来ていて驚いた。
「ごめん、山瀬、もう一度」
「……ハリウッドスターに憧れて体を鍛え始めました」
「……山瀬、マジで?」
嘘だし、俺に似合わないことを言っている自覚はあるけれど、押し通すしかない。
「…………ああ」
「ぷっ」
「おい、笑うな田中テメー」
「プッハハハハハハ!」
「……豪快に笑うな田中テメー」
田中はツボに入ったのか、机をバンバン叩きながら笑っている。
その笑いの波は加藤にも伝播しそうだった。加藤は真っ赤になった顔を俺から逸らしつつ、肩を細かく震わせながら口ごもっている。
俺は場の空気が収まるのを待つことにし、静かに食べ進める。やがて田中も飽きたのか、笑うのをやめた。
「ま、動機はさておき、体を鍛えるのはいいことじゃん。お姉さん、山瀬がこのまま映画好きの引きこもりにならないか不安で……よかったよかった」
「誰がお姉さんだ。お前、俺より後の生まれだろうが」
「ぷっ」
「あ、サトコのスイッチ入ったねこれ」
そう田中が言った直後、今度は加藤が笑い始めた。収集が付かないので、俺は食べ進めることに専念する。
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