第五話 国家尽影対策室 後半

 俺と東条は、部屋の奥にあるホワイトボードで一対一の授業を行っていた。


 ちなみに、他のメンバーは御厨以外帰った。御厨は当直らしく、休憩室で仮眠を取っている。


「まず、尽影。あれは十年ぐらい前から現れた、夜を跋扈し、人を喰らう怪物だ」

「結構最近なんですね」

 だいたい俺がガキの頃に出始めたのか。


「彼らは人を襲い、その魂を喰らう」

「……一度、二度、喰われかけたことがありますけど、魂だけ喰うなんて上品な食べ方じゃなかったと思いますが」

 あの球体の尽影なんて、大口を開いて俺を丸呑みにしようとしていたし。


「ああ、そうだね。魂と、それを覆う肉体も喰らう。ま、要するに食べ殺すってわけだ」

「……なるほど」


「まあ、ここまでの説明だと、尽影はただの危険な害獣としか思えないかもしれない。けど、ここからが違う。……君、自殺者を見たことは?」


 そう問われて、あの駅での出来事を思い出す。飛散する肉片と、屋根の上にあった黒い影。


「……ありますよ。ついでに、その場には尽影っぽいやつもいましたけど」

「なるほど。じゃあ、その自殺者は繭だったわけだ」


「繭?」

 俺が首を傾げると、東条は首肯する。


「ああ、繭だ。尽影は食べた人間の生前の形、そして思考や行動ルーティンを真似た繭を作り、その中に自身の子を埋め込む。あ、産み込む、って言い方でもいいかもね」

 細かいところに東条はこだわっているが、そんなことはどうでもよかった。


「……思考や行動ルーティンって、どこまで詳細に?」

「それはわからないけれど、もしかしたら、ほとんど本人と同じって事もあり得るし、それに――」


 東条は一度顔を伏せる。少しの間。後、東条はゆっくりと顔を上げる。

 その表情には、冷えた微笑が浮かんでいた。


「とある人が喰われて、死んで。記憶がそっくりそのまま受け継がれて、自身は人間だと思い込みながら日常生活に紛れ込んでいる繭もいるかもしれないね」

「…………嫌すぎますね」

 俺が苦笑して返すと、東条も笑った。


「いやほんとに、嫌すぎる想像だ。でも、あり得ないとは断言できないし。……君は朝目が覚めて、今日の自分が昨日の自分と同一だと断言出来るかい?」

「……それは」


 なるほど、東条の言うことも一理ある。俺は俺という思考・意識の連続体であるが、それは一日に最低一度は途切れる。


 睡眠前後の自身が、全く同じ人間だとは限らないのだ。外見も、思考法も意識も全く似ているけれど、実は全く違う他人の可能性だってあり得る。


 そもそも、俺という存在は、何によって規定されるのであろうか。俺を俺たらしめているものは、何なのか。そして、それがあったとしても、それの正しさは何によって保証される? 


 考えれば考えるほど、思考の深みに沈んでいく。


「ま、意地の悪い質問だね。僕らは僕らでしかないし、朝起きたら全く違う他人になっていた、なんてことは基本あり得ない」

「……けど」


「ああそうだ。尽影に襲われた人間は、その限りではない。自分が怪物の子供と成ったのも知らず、毎日を過ごしている可能性だって大いにあり得る。……ま、脱線はさておいて」

 東条はホワイトボードに棒人間を書く。


「これが尽影の繭だ。繭は出来不出来はあれど、人間の形を取り、社会の中に紛れる。そして、その間、繭の中の尽影は少しずつ、確実に成長する。成長の果てに、繭はどうなる?」

「……割れる?」


「ああそうだ。数多の生き物がそうするように、尽影もまた、産声をあげなければならない。繭を割るために……尽影は死ぬ」

「……死ぬ? ……ああ、なるほど」

 一度その光景を見たから、把握しやすい。


「自殺して、繭を割るわけですか」

 あの駅で見た光景のように。なるほど、あの黒い瘴気を纏っていた男性は、繭だったわけだ。


「その通り。そして、成体となった尽影は人々を襲い、同族を増やしていくわけだ」

「……尽影が孵化するまで、どのくらいの期間があるんですか?」


「それはわからない。長いのもあれば短いのもあるだろう。……たしか僕らが観測した個体だと、三ヶ月程度だったかな?」

「……なるほど。で、俺たちの能力は、どうして?」


「それもわからない。けどまあ、君たちに共通することは、尽影に襲われ、そして生還したという点だ」

「……なるほど」


 あのメンバーの全員が、俺のような状況に一度はあっていたのか。てっきり、最初から能力があり、強かったのかと思っていた。


「それと、尽影と戦ったあとに壊れたものが元通りになるのは、何故なんです?」

 俺がそう問うと、東条はお手上げのポーズをして首を横に振る。


「わからない」

「……そうですか」

 大丈夫か、ここ。そんな気持ちになった。


「……っていうか、わからないことだらけじゃないですか」

「あはは、手厳しい指摘だけど、その通りだ。そもそも尽影が現れて十年程度、日が浅い上に、被害の大きさも不鮮明だ。そんなものに割く予算も人的資源も、この国にはない。ま、実に余裕がない状況でね」


「だからこんな一室に追いやられてる、と」

「そういうこと。……ま、尽影の被害が大きくなって表面的な問題になると、今度は人々の疑心暗鬼とか、そんなんで色々起きそうだし、それにそんな状況だとこの国滅んでそうだし」


 そうなると最悪だな、と思いつつ、心のどこかでそうなった世界を見てみたい気もした。


「今のままで良いとは言わないけれど、今のままでそれなりに手が回り、それなりで済んでいるからね。予算や人がやたらとここに回されるような状況は、それこそ一大事だ」

「……なるほど。で、俺はここに強制参加させられるんですよね?」


「無論。無理に抜けだそうとすると、それこそ適当な罪状で補導ないし逮捕しちゃうよ?」

「……国家権力、横暴過ぎでは?」


「何、罪無き無辜の民、その平穏な日常生活を守るのが、僕らのつとめだからね」

 東条はそう言って、貼り付けたような笑みを浮かべた。


                  ○


『国家尽影対策室に入った君には二つの義務がある』


『まず、尽影を倒すこと』

『そして、戦闘の訓練を重ね、尽影のことを知り、生き残ること』

 東条は、俺にそう言った。


 そして、今日は日曜日。空には燦々と太陽が照りつけ、窓の下の公園には、子供連れの家族が和気藹々と遊んでいる。


 そんな、ふんわりとした空気溢れるホリデイに、俺は。


「……ご、ごじゅう……ごじゅういち……ごじゅうに……」

 府の警察本部、そのトレーニング場で肉体鍛錬に勤しんでいた。


「はい、ラスト十回~」

「し、死ぬ……」

 たった今、俺は一〇〇キロのバーベルを担いでスクワットをしていた。


 かつての俺だと、一度も出来なかったであろう重さだが、操者になってからは身体能力が大幅に強化されたらしい。こうやって、五十云回もそれをこなすことが出来る。


 無論、苦悶の表情を浮かべながら。


 一〇〇キロのバーベルをラックに戻すと、金属音が響いた。


「……つ、つっかれた……」

「お疲れ様」

 御厨はトレーニング用のシートに、色々と書き込みつつ俺の労をねぎらってくれた。


「だよね。私も最初はしんどかったもの」

 御厨はそう言って苦笑する。


「いくら操者になったとはいえ、しんどいのも痛いのも変わらないもんね」

「……そうですね。っていうか、ハードな日々が続きすぎて、正直うんざりしてます」


 氷川からは座学、仲田からは能力のコントロール、廣田からは実戦訓練、そして御厨からは基礎トレーニング……とこのように、ルーキーの俺に課される鍛錬の量は多い。


 おかげでこの数週間、レンタルビデオを観るような暇もなくなっていた。


「でも、訓練は大事だから。……特に、こんな仕事だと」

 御厨はそう言って、少し表情を曇らせる。


「……私、どっちかというとインドア……いや、もう真性のインドア派だったの」

「……はあ」


「でも、ある日尽影に襲われて、能力に目覚めちゃって、こんなことになっちゃった」

 御厨は一定のリズムでペンの軸を押し込む。クリック音が響く。


「でね、やっぱりインドアだから、こんなこと慣れてないわけじゃない? だから、みんなの足、引っ張っちゃって」

「……そうなんですか?」


「そうよ。山瀬くんを助けた日も、もう少し私があの尽影を拘束出来ていたら、廣田さんが一撃で倒してくれたのに。……耐えきれなかったもの」

 御厨は残念そうな表情を浮かべ、俺から顔を逸らす。


「廣田さんね、私を助けてくれたの」

「はあ」


「私が尽影に襲われたときは、山瀬君の時よりも、ずっと小さな尽影だったの。でも目覚めた私の能力は大したことなくて、私は全然戦えなくて……。だから、私は逃げてたの。でも、そればかりじゃ限界が来るのね。……日頃運動してないツケもあったんだけど」


 御厨は自嘲し、笑う。なんていうか、御厨は妙に自虐的だ。生きてきて、染みついたクセなのだろう。


「私は転んじゃって、そんな私を尽影は捕食しようと跳んだ。私が振り返ると、今にも私にとどめを刺しそうな尽影が飛んできてたの。もうダメだ、って思ったわ、そのときは」


「……けど、そうじゃなかった、と」


「そう。……廣田さんがね、助けてくれたの。何か素早い影が横から飛び出たと思ったら、尽影が真っ二つになって、黒い血液がどばーって飛び散る下で、廣田さんは立ってた」


「……なるほど」

「廣田さんは命の恩人。だから、私はあの人のためになることだったら、なんでもする」


「それは、俺を鍛えることも?」

「そう。あの人に言われたからって理由だけじゃなくて、君が強くなることでみんなが楽になるから。……それに」


「それに?」

「君に、死んで欲しくないし」

 御厨はそう言って微笑む。その笑みは飾り気のないものだった。


「……ありがとうございます。ご期待に応えれるように、頑張りますよ」

「うん、頑張って。私も、頑張るわ」

 御厨はそう言って、はにかんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る