第四話 来襲来援 前半

 視界が黒に包まれる。


 意識が深く沈んでいく。


 それはまるで、温度の無い海に沈むような感じだ。


 冷たくなければ、熱くもない。ただ、沈む。


 自分の立ち位置が不鮮明になり、自身の意識を包む膜のようなものが、溶解していく。


 自身を包み込む境界が綻びを生じたとき、その映像は俺の中に流れ込んできた。


 視界が、激しく揺れている。


 誰かが、何かから逃げているのだと思った。


 背後を見る。そこには、漆黒の人間。


 先ほど俺が戦ったものとは違うけれど、同種の怪物がそこには映っていた。


 視界の主は、そいつから逃げようとするが――。


 一度大きな痙攣をしたのち、逃走する足が止まる。


 映像が大きく傾き、視界には九十度横になった地面が目に映る。


 倒れたのだ、と悟った。


 そして、目の前に、先ほどの怪物が現れる。


 おそらく視界の主が感じたであろう、強い恐怖が、俺にまで伝わってくる。


 怪物は、正中線から縦割りになる。


 その狭間にあるのは、漆黒の牙。


 怪物が、視界の主に覆いかぶさる。


 そこで、映像は途切れていた。


                 〇


 目を覚ます。気が付くと、横になって寝ていた。


「……なんだ今の」

 意識を取り戻した俺は起き上がり、ついさっき見た映像に疑問を呈する。


 おそらく夢のようなものだろうが、俺の体験した出来事に、似たような状況はあっても、食べられるところまではいっていない。

 

 普段何作も観ている映画に影響されたのかもしれないが、グロ系の作品はあまり好まないし……。何だ、今の。


 それにしても。全身に広がる、重々しい感じ。立とうと思う気すら起きない。


「……つっかれた……」

 黒い液体が広がっている。俺はそこから数歩さがり、腰を下ろす。


 慣れない戦いで、疲労困憊していた。

 というか。


「この力はなんだ? それに、あの怪物は? っていうか、なんで俺がこんなことを?」

 わからないことが多すぎて、混乱する。


 俺に突如として現れたこの力。黒い腕と爪。これはいったい、どうしたことだろうか。


 フィクションにありがちな、能力者の血筋として生まれたわけではない。……たぶん。


 一つ思い当たることがある。

 それは、あの夜のこと。怪物に殺されそうになり、あの少女の血を傷口に流し込まれたあの瞬間。


 きっと、あれがこの力の根源なのだろう。なんとなく、そんな気はした。


 では、この怪物は何だ? あの夜と、この前の駅と、そして今。俺が十七年生きてきた中で、見たことのなかったものが、ここ数日立て続けに出現している。


 それは今まで俺を取り巻いていた世界が変貌していることを示しているが、俺はそんなことを欠片も望んでいない。


「……本当に?」

 自問する。変化を望んでいたかどうかはさておき。


 怪物の成れの果てを見る。

 あの殺し合いは、確かに疲れた。それに、恐ろしかったし、何度か死にかけた。


 けれど、楽しかった気がする。

 俺は不思議と、よくわからない充足をも覚えていた。


「……さて、とりあえず帰りましょうかね」

 体力が戻ったので、立ち上がる。レンタルビデオの荷物を拾おうとしたところで。


「#####################################################!!!!!!」

 叫喚が、けたたましく響く。体を芯から揺るがし、聴覚の一切を奪う、暴力的な音の怒涛。


 俺は驚き、それが聞こえた方向を見る。


 その先には、満月。しかし、その月は様子がおかしい。


 右下から半分近くまで、円形に抉れていた。

 なんだ? と疑問に思ったところで、その現象の正体を悟る。


「……………………マジかよ」


 それは、怪物だった。俺がついさっき倒した怪物の数倍は大きいであろう異形が、ビルの上から俺を睥睨していた。


 真っ黒いそれは、顔がどこなのかもわからない。

 けれど、それが俺を見ているのは、嫌というほど感じられた。


「……また、やれと」

 俺は能力を発動させて、右手に異形の黒鎧を纏わせる。


 瞬間、怪物が、跳んだ。

 飛来する。俺が予測していたよりも、それはずっと巨大であった。


 怪物が、橋の上に着地する。轟音と地響きが俺を揺さぶる。


「……マジかよ」

 今度の相手は、まるで小さな山ぐらいの大きさがあった。直径五メートルほどの黒い半球である。


 見た目的に、俊敏な移動は出来なさそうだ。

 ただ、先ほどの動きを見る限り、跳躍は出来るのだろう。


 疲れているし、なんとか逃走したいところだ。俺はそう思い、脳内で作戦を整える。こっちは消耗しているのに、まともに戦ってたまるかよ。


 俺がそうやって思考を巡らしているところで、黒い半球に変化が生じる。


 半球の表面上に、小さなブツブツが無数に出来ていた。小さな、といってもサイズの対比からそう見えるだけで、実際は人の拳大ぐらいの大きさはあるだろう。


 そのブツブツが、割れる。そこにあったのは、歯であった。


 その歯は、動物的なそれではなく、まるで人間の――それも綺麗な歯並びのものに似ていた。それが、黒い球体の上にぎっしりと生じている。


「うわっ、気持ち悪っ」

 思わずそんな言葉が漏れてしまった。集合恐怖症の人とかが見たら死にそうなルックスである。


 そして、球体はごろり、と重量感のある音と共に転がった。歯が球体の下敷きになり、ごりごり、ばりばり、と何かが割れる音が聞こえてくる。


 俺は右手を構え、相手の出方を観察する。


 球体が、もう一度回転する。俺は後ずさりつつ、レンタルビデオの袋を街路樹の茂みに投げ込んでおいた。壊れたら弁償が面倒なんだよわかるか。


 やがて、球体がその回転を止める。先ほどとさして変化はないが、心なしか、ブツブツが膨らんでいるような気がした。


 そして。


 そのブツブツの一つ一つから、細かい破片が無数に放出される。まるで破片のマシンガンだ。

 俺は驚き、右手を地面に突き立てて盾とした。


 どがががががっ、がんがんがんがんがん、がががっ、ごごごごごっ。


 破片が右腕にぶつかる音が響く。

 その速度はどうやらかなりの高速らしく、右腕に生じる衝撃は重い。聴覚が麻痺しそうになる。


 試しに、右腕からそっと顔を出してみる。即座に超高速の破片が頭上を掠め、俺は慌てて身を隠した。


 おそらく、命中精度はそこまでないのだろう。今ので、そんな感じがした。


 では、どうするべきか。このままでは防戦一方だ。あの破片は橋の床を砕いて作られたものだろうから、弾切れを待つか?


 しかし、おそらく相手は回転しながら破片を生産し、その間も打ち続けることができるだろう。移動しながら、弾を捕球できると考えれば、弾切れは実質ないに等しい。


 では、どうする。


 とここで、俺はぞわりと嫌な予感を覚える。

 それは、頭上から。


 見上げる。

 触手から伸びる口が、そこにあった。口は俺の方を向いている。


 刹那、俺は横に跳ぶ。俺が直前まで居た場所を、破片が打ち砕く。


 俺に余裕は与えられない。本体から射出された破片が、俺を射貫こうとしている。

 俺は右腕でいくつかの破片を防御するも、それをすり抜けて、一発の破片が飛来する。


 それは、俺の太腿に命中した。ばちり、と肉が弾ける感触と、何かが折れる音が耳の裏で聞こえた。


「ぐっ、ああああああああああああっ!」


 激痛に、思わず声を上げる。見ると、見慣れない石が、俺の中から生えている。俺は右腕を伸ばし、橋の欄干にかけ、そのまま落下して逃避する。


 その最中、石を取り除くと血が噴き出した。一瞬だけ見えたのだが、太腿の肉が無惨に爆ぜて、白い何かが露出していた。白い何かは多分骨だな。


 水に落下すれば、そのまま身動きが取れずに狙い撃ちされて終わるだろう。そう思った俺は、渾身の力で水面ごと橋脚を殴りつける。


 巨大な飛沫と破片が舞い、波が巻き起こる。

 そして俺はというと、その反動で飛ぶ。川岸になんとかたどり着き、地面に転がった。


「……マジかよ」

 見ると、黒い球体はそのブツブツを触手のように伸ばし、それを足のようにして素早く移動していた。


 そして、球体が俺の目の前に現れる。

 今度こそダメか。


 球体の真ん中が縦に割れる。そこには、まるで人の口を巨大な模型にしたような、そんなふうになっていた。


 なるほど、これで捕食するわけだ。


 人間が異形の怪物に食われる光景は、主に映画などのフィクションで見てきたが、当事者として関わりたくはない。


 ここで終わるのか。それはちょっと嫌だなあ。


 ここであの女の子が助けに来てくれればいいのだが、どうも今日はシフト入ってないらしい。来る気配がない。


 だから、ここで終わり。……終わり?


 怪物が口を開く。右腕で抵抗してやろうと思って動かそうとするも、即座に怪物の触手がそれを押さえつける。


 生きたまま食べる、と。そりゃあ、趣味のいい食い方で。そういえば踊り食いって普通に残酷だよね。


 俺は目を閉じる。少し、疲れた。

 諦めたくはないが、これ以上、どうしろというのだ。


 泣き叫んで食われるのは三下っぽい。駄目なら駄目で、泰然とした方がまだマシに思える。そんなことを考える時点で、投げやりなのだろうけど。


 やがて、湿った空気が俺を包み込み、硬質の何かが俺の肩に触れ、ばきぐしゃと肉と骨が砕ける音が聞こえて――。

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