第三話 覚醒 後半
甲高い音が響く。
硬質の物同士がぶつかりあった音だ。
怪物の刃を、黒い異形の手が止めていた。
その黒は、漆黒よりも黒く、一切の光を反射しない。完全なる黒。
見ているわけではないが、感覚でなんとなくわかる。これは、俺の傷跡から広がり、俺を覆っている。
黒炎が肩口から漏れて散り、消える。無数の黒い鱗が鎧のように右腕を覆っていた。
そしてその先には、手と呼ぶにはあまりにも無骨な手の甲と爪。手の甲は突起に覆われており、その先にある爪は大きく鋭い。
まるで、自身の右半分が、怪物になったかのようだ。
刃を握り、力を込める。
「……残念だったな。あんたはここで、俺が」
刃を握りつぶし、砕く。
「叩きつぶす」
俺はそのまま拳を握り、怪物を殴り抜く。異形を殴ったにしてはあまりにも軽い感触と、その後、拳を振り切ったあとの重量感。
怪物が吹き飛び、俺はフォロースルーの体勢のまま、それを見守る。
怪物は反対側の欄干にぶち当たり、
「……あれ、案外すんなり行った?」
なんて呟きを俺が漏らした瞬間、すとととっ、という音が聞こえてくる。見ると、怪物が刃を橋に突き立てて、水面から上ってきている。
「……そうかぁ、そう簡単には終わらないかあ」
手間だなあ、とため息を漏らしつつ、拳を握る。横目でレンタルビデオの袋を見ると、特に今のところ損傷はなさそうなので安心した。
怪物と相対する。不思議と、恐怖はない。
先ほどの一撃の手応えがあるからかもしれないが、そんな簡単な理由では説明がつかないような、そんな感覚があった。
怪物がこちらに駆け寄る。刃を残す三本の触手が、素早く動いていた。
俺は異形の右手を構えて、怪物の接近を待つ。
おそろしく大きな右腕は、この場において盾のような役割を果たしていた。
怪物が、跳ぶ。上方から俺を攻撃しようという意図らしい。
一本の触手が、俺を突き刺そうとする。俺は右腕でそれを防ぐ。
甲高い音が響いたと思ったそばから、今度は二本目と三本目の触手が、俺の右腕を左右から迂回するようにしてやってくる。
俺は防御せず、回避もせず、ただ、突っ込む。
触手が俺の両頬を切る。傷口から、熱と血が漏れ出る。
俺はそのまま右拳を握り、裏拳を怪物の頭上にお見舞いする。
べごり、という音と感触。橋の床板が砕け、破片が散る。
怪物は頭を橋にめりこませ、下半身が宙を浮いていた。まるで、勢いよくずっこけた人みたいになっている。昭和のコントかよ。
俺は右手を引き、拳を握る。このまま殴って砕こうとするが――。
「おっと」
怪物は危機を察したのか、触手を激しく動かし、俺を威嚇する。俺はそれに思わずたじろいでしまい、それが一瞬の間を生んでしまう。
怪物は立ち上がり、体勢を立て直すため俺から離れる。俺は右手を楽にしながら、怪物の動きを観察する。
怪物は、その刃で橋の欄干を切り裂き、その破片を刃に突き刺して投擲してきた。
高速で跳ぶ金属や石材の破片を、俺は右手で防いだり、払ったりする。
怪物は三本の触手で、一個の巨大な破片を持ち上げる。ゆうに乗用車ぐらいの大きさがある。
「……あれ、投げるのかよ」
あんなものを受け止めろと? それは嫌だ。腰とか痛めそうだし。
ならば。
投げる前に、潰す。
今度は、俺が怪物に接近する。
怪物は破片を振りかぶり、投擲する。
視界が、破片で一杯になる。
俺はその破片の下を潜ろうと、姿勢を低くして走る。
破片の下を通り過ぎた先には、あの怪物がいる。今度こそ、潰す。
そう思っていた俺は、意表を突かれることになる。
俺の視界を奪っていた破片が、俺の目前で、二つに割れる。
怪物が、二つに切り割ったのだ。
怪物は破片を一本ずつの触手で貫いて保持しつつ、残った一本の触手で俺に攻撃を加えてくる。
刺突。攻撃を察した俺は、身をよじって回避する。
間一髪でその攻撃を回避したが。
「だよなっ!」
破片による追撃が待っていた。一撃。巨大な破片が俺の横っ面を叩きのめす。視界が白く染まり、体が橋の上を勢いよく転がっているのがわかった。
何かに頭を強かに打ち付ける。それが橋の欄干だと理解するのに、少しの間があった。
そしてその間に。
破片が二つ、俺に飛来している。
なるほど、そういった戦い方もできるのか。
俺は敵ながら、異形の怪物を少し見直していた。知恵、あるじゃないか、と。
どうするべきか、思案する。
回避、おそらく追撃されるであろう。
破片の迎撃。おそらく、迎撃の隙を攻撃されるだろう。
倒れた俺に対する巨大な破片の投擲は、非常に上手い牽制だと言えた。
ならば、と俺は発想を転換させる。
注意を前ではなく、後方へ。
右手を伸ばし、思い切り背中に向けて振り抜く。
異形の爪は、容易く欄干を切り裂いた。
俺の背後に、穴が出来る。俺はその穴に向けて、体を滑り込ませた。直後、俺のいたところに破片が到達し、橋を砕く。
轟音が俺の体を揺らす。その最中、俺は落下していた。
上方を見上げる。橋の裏が見えている。
俺は右手を振り上げて、爪をそこに突き立てる。ブランコのように体を揺らし、高度が充分になったところで、体に横方向の回転をかけつつ、爪を抜く。
これは予想してなかったろ。俺は姿の見えない怪物に、心中でそう言った。
俺は今、橋の真裏にいる。そこはきっと、怪物の足下。
俺は橋に向けて、右の爪を繰り出した。
右手から、何かを突き抜けた感触がした。俺はそのまま手を広げ、振り下ろす。
破片が落下し、水面に波紋を立てる。爪は、ザイルの如く橋に突き立つ。
俺の右手は、橋と俺の体をつなげる役割を、十二分に果たしていた。
右手と橋の間には、穴が出来ている。俺は体をそこに滑り込ませ、素早く橋の上に帰還した。
すぐ近くには、あの怪物がいた。怪物は俺が体勢を整えるよりも先に、触手を奔らせている。
一本目、刺突。回避しつつ、それを右手で軽く弾いておく。
二本目、接近して斬撃。俺はすぐさま右手を戻し、防御の構えを作り、防ぐ。
三本目、もう一度刺突。俺はその刃に向けて、前のめりになりつつ近づいた。
頬を刃が掠める。瞬間、俺の左手はその触手を掴んでいた。
右手が、奔る。触手がぶつりと千切れ、怪物が悲鳴をあげる。
俺は左手で、触手の断片を怪物に向かって投擲する。怪物は自身の元・体の一部を敵の武器と見なしたのか、残った触手で切断した。
その隙を、俺は見逃さない。
俺は右手を開き、怪物に斬撃を繰り出す。
怪物の斬撃を俺は防御できたが、逆は果たしてどうだろうか。
怪物は慌てて退避するが、爪の先が怪物の脇腹を切り裂く。黒から、黒い臓物と血肉が跳ぶ。
怪物は体勢を崩し、地面に倒れ込む。
そして俺はというと。
「おらああああああああああああああああああああああああ!」
湧き立つ血のまま、叫んで跳び、怪物に接近していた。
顔に浮かぶは、微笑。
これは、恐ろしく、そして楽しい。そんな確信があった。
右手を振りかぶる。命を刈り取る五つの爪が、夜を切り裂く黒い月となる。
轟音が響いた。
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