夢か現か

佐藤来世

第1話 夢か現か

 二人の男は向かい合わせになって電車の席に座っている。電車は今の時代には珍しく木造で二人の頭上には古めかしいランプが彼らを照らしている。電車は夜の闇を切り裂きながら北へ向かっている。一人の男は顎に手を置いて窓の外をぼんやりと眺めている。もう一人の男は先程までは物珍そうに窓の景色を眺めていたが、変わり映えしない真っ暗な景色に飽きて、今は新聞紙を読んでいる。

「読めよ」

 新聞紙を読んでいた男が車窓を眺めていた男にある記事を指さした。

「この女は男たちを誘惑して保険金をせしめるために殺したらしいぞ。殺した男の数は十人近くいるらしい。とんだ毒婦だな」

 男は興奮しているようだったが個人的な正義感から来るものではなく野次馬根性から来るものだった。しかしもう一人の男は新聞の記事を一瞥しただけで特段の興味を示さなかった。

「なんだよ。興味ないのか? 」

「もしかしたらこの女は元来毒婦ではなく男のせいで毒婦になったのかもしれないぞ」

「どういうことだ? 君は面白そうな話を知っているようだ。教えてくれたまえ」

「僕が昔聞いた話しさ」

 男は昔話を語り始めた。

「昔、ある所に異様に出世欲の高い男がいた。その男は出世のために権力者の娘と結婚をして権力を思いのままにしようとした。もちろん婚約者には愛はない。ただの出世の道具だ。婚約者は身持ちが固くて野暮ったい女だった。男はそんな婚約者が疎ましく思い、黙って婚約者の他に愛人を作った。愛人は水商売の女で派手な顔立ちだったが容姿端麗で、純朴な婚約者とは正反対な女だった。しかし水商売の女は見かけによらず一途な女で男のことを心から愛していた。一方の男は愛人とは本気じゃなくただの遊びのはずだったが、愛人は妊娠をしてしまった。男はこのままだと面倒なことになると考えた。男は愛人に腹の中の赤ん坊は病気を持っていて十歳まで生きることは出来ないだろうと言った。どうせ苦しむなら早い方がいい。それは赤ん坊と君のためになるとな。しかしそれは男が女に堕胎させるための嘘だった。そんなこともつゆ知らず女は堕胎してしまった」

「最低だな。その男は」

 話を聞いていた男は憤った。

「ああ」

 もう一人の男は微かに頷いた。


 だが話はこれで終わりではなかった。愛人はひょんなことから男から騙されていたことを知った。愛人は男に詰め寄った。男は宥めすかそうとするがむしろ火に油を注ぐことになってしまった。男はどうしようも無くなってしまい近くにあった花瓶で愛人の頭を何度も殴りつけた。何度も殴りつけたせいで頭は割れて皮膚から頭蓋骨が覗いていた。男は愛人の死体をどうしようかと思い悩んだ。男は近くに古い日本家屋があり、そこの庭に愛人の死体を埋めることにした。その庭は四季折々の植物が咲き乱れ、見る人を楽しませるそんな素晴らしい庭だった。しかし家主が亡くなり手入れをする人間がいなくなったせいで、今では酷く荒れ果てていた。そんな庭に訪れる人間はいるはずもなく、そこに愛人を埋めても誰も気づかないだろうと男はそう思った。庭に石灯籠があり、その近くに男は大きな穴を掘って愛人の亡骸を葬った。男はいつか警察が自分を逮捕するのではないかと恐れていたが、それは杞憂に終わった。男と婚約者は無事に祝言を挙げ、正式な夫婦になった。

 夫婦は温泉地に新婚旅行へ行った。二人が旅館に着いた時はもう夜が更けていた。旅館は古い建物であったが趣があり、立派だった。

「素敵な旅館ね」

 婚約者は旅館を見てうっとりした声を上げた。しかし男にはその旅館が闇の中にぽつんと建てられていて、不気味に感じた。男は妻の言葉を否定することが出来ず従者のような笑みを浮かべた。二人は旅館に入ると中は玄関しか灯りが灯っておらず真っ暗だった。まるで蛇穴に入ったようだと男は感じた。暗闇の奥から何かが現れた。そしてそれはこちらに近づいてくる。それは人の背丈ほどの大きさの肉の塊だった。男はぎゃあと悲鳴を上げると腰を抜かした。

「お待ちしておりました。この旅館の女将です。驚かせてしまい申し訳ございません」

 肉の塊は二人にぺこりと頭を下げた。

「いいえ。こちらこそ遅くなってしまいすいません」

 妻は驚いた様子を見せず肉塊の女将に一礼した。妻には普通の女将に見えているのだ。しかし男には肉塊が動いているようにしか見えない。その肉塊はまるで愛人の子宮から掻き出した胎児のようだった。肉塊は二人の荷物を持ち上げると部屋に案内した。

「綺麗なお庭ですね」

 肉塊と一緒に廊下を歩いている時、妻はそう言った。廊下から庭を覗くことが出来、庭に様々な木々が植えられていて、立派な石灯籠も置いてある。

「そうなんです。ここの庭はこの旅館の目玉なんですよ。春には桜が咲いて夏には新緑が楽しめる。秋には紅葉、冬には木に雪が積もって綺麗ですよ」

 しかし男は庭を見た時に嫌な既視感を覚えた。すぐにその理由が分かった。それは愛人を埋めた庭に似ていたのだ。あの庭にも石灯籠が置いてあった。男はなんとも言えない息苦しさを感じた。

 部屋に着くと既に布団が敷かれており、二人は入浴を済ませた後に二人で褥に入った。男は元来神経質な男であり、枕が変わると中々寝付けない体質だった。男は何度も寝返りを打っていた。

「眠れませんか? 」

「ええ。起こしてしまったならすみません」

「いいえ。もし良かったらお話しませんか? 」

「いいですね。ぜひ」

 男はわざとらしく明るい声を出した。妻はそんなことに気づかず楽しげに話し始めた。

「子供はお好きですか? 」

「ええ。好きですよ」

「よかった。私も子供が好きなんです。両親に早く孫の顔を見せてあげたいので早く子供が欲しいんです」

 男は妻の拙い誘いに辟易し、妻を心の中で軽蔑した。しかし男はおくびにも出さないようにした。妻は体を起こして期待する眼差しで男を見つめている。男は夫としての務めを果たすべく、体を起こして妻の顔を見た。そこには妻はおらず、頭から血を流して微笑んでいる愛人の姿がいた。愛人は少しずつ近づいてきた。

「来るな! 」

 男は腕を振り回した。

「どうしたんですか? 」

 愛人は妻の声で近づいてくる。

「止めてくれ。来ないでくれ」

「大丈夫ですか? 」

 しかし愛人は男の言葉を聞き入れなかった。男は床の間に置いてあった花瓶で愛人の頭を殴りつけた。愛人は何度か止めてと言ったが男は殴り続けた。男は動かなくなった愛人に恐る恐る近づいた。そこには既に死に絶えた妻がいた。男はうわぁと悲鳴をあげそうになるのをぐっと堪えた。確かにあの時は妻ではなく殺したはずの愛人の顔をしていた。しかし今、男の目の前で倒れているのは妻だ。男は今まで築いてきたものが崩れていく音を聞いた。男は様々な犠牲を払ってきた。好きでもない女と結婚し、出世のために愛人を殺した。ここで諦める訳にはいかない。男は妻の亡骸を抱いて庭へ向かった。男は石灯籠の脇に妻を埋めようとした。近くに掘る物がなかったので男は犬のように土を掘り始めた。しばらく掘ると何か白いものが見えた。男は無我夢中で穴を掘り続けると、そこには頭をかち割られた愛人の死体があった。

 愛人を埋めた庭とここは遠く離れている。なのになぜ愛人の死体がある? 

 なぜだ。なぜだ。なぜだ。なぜだ。なぜだ。なぜだ。なぜだ。なぜだ。なぜだ。なぜだ。なぜだ。なぜだ。なぜだ。なぜだ。なぜだ。なぜだ。なぜだ。なぜだ。なぜだ。なぜだ。なぜだ。なぜだ。なぜだ。なぜだ。なぜだ。

 男は穴の中で立ち尽くしていた。男の脇には女の死体が二つ転がっていた。


「酷い話だ。男は自分の行いのせいで全てを失ったんだな。男が愛人を狂わせてしまったことは分かった。だが何の罪もない妻を殺させたのはどうしてだ? 」

「さあ」

「その後男はどうなった? 捕まったのか? それとも逃げ仰せたのか? 」

「さあ」

「勿体ぶらないで教えてくれ」

「知らないよ。だってこの話は僕が見た夢だから」

「夢? 」

「そうだ。この前民宿に泊まった時に見たんだ」

「そうか。夢か……」

 男は夢と言ったが話を聞いていた男は本当だろうかと思った。夢にしては描写があまりにも細すぎると感じた。男は聞き返したかったが、目の前の男は窓の外をぼんやりと眺めている。男は口を閉ざして同じように窓の外を眺めた。窓の外は相変わらず真っ暗で、電車は暗闇の中を走った。まだ夜明けは遠い。

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