万華鏡の向こう側

生オレンジティー

第1話 言霊の碑

遡ること約10年前。何の変哲もなかった世界は突然姿を変え、理を与えられた。

ある地下聖堂で発掘された『言霊の碑』によって―――。


2027年6月末日、事件が起こったその日は朝比奈 桂(あさひな けい)の11歳の誕生日だった。

朝比奈家の歴史は古く、政界に通じていることもあって自宅で催した誕生日パーティには大人も子供も関係なく多くの人が集まった。そこに政治的な思惑が潜んでいることなど子供に分かるわけはない。

少年はただ、大好きな両親、友人たちや自分に良くしてくれる大人達に囲まれて迎える11回目の記念日に心躍っていた。


「桂くん、お誕生日おめでとう。去年より背が伸びたみたいだね」

「先生!いつもありがとうございます!来年までにペロより大きくなることが目標なんですっ」


父親の恩師だと言う老人に声をかけられた少年は声を弾ませて礼儀よく頭を下げた。ペロというのは少年の家で飼われているラブラドールレトリバーのことだ。

老人が声をかけたことを皮切りに、周りの大人たちもパーティの主役を見つけたと云わんばかりに次々と桂への祝辞の言葉を述べに近づいてくる。

その度に一人一人にありがとうございますと感謝を伝え、頭を下げる桂は大人達からも子供達からも評判のいい『優等生』だった。


将来を約束され、沢山の優しさと愛情に包まれてこのまま大人になっていく……誰もが少年の幸せな未来を疑っていなかっただろう。この時までは。


―――――――――キィィィィンッ


突然、鉄同士をぶつけたような甲高い音が世界に響き渡った。けれどそれは空気を震わせて伝わったような明確な音ではなく、地面を這ってきたような鈍く重い音。

波紋が広がるように音に乗って何かが迫ってくる。それは幼い少年にとっても周囲の大人たちにとっても未知の恐怖だった。


「ヴ……アァァァァァァアアアアア」


叫び声が室内に幾重にも木霊した。

自分の周りで優しく笑っていた大人達は突然鬼のような形相をして自らを、近くにいた誰かを、傷つけ始めたのだ。

それが朝比奈 桂にとっての初めての言霊の碑に関する記憶。世界が生まれ変わった瞬間だった。



それから時が過ぎ、言霊の碑が目覚めてから約10年。新しく与えられた理に合わせて世界の形も様々な形で変化していた。


「おい、例の薬物の入手経路はどうだった?を引き起こす麻薬の元締め。」

「末端の売人までは特定できますがその先はトカゲの尻尾切りですね。元締めは尻尾どころか足跡すら見つかりません。」

「そうか……。お前ので探せないなら一筋縄じゃいかねぇ相手だな。引き続き頼む。」

「了解しました。しかし惨いことを考える輩もいるもんですね。矛盾をあえて誘発させようなんて。」

「……本当にな。」


それがあの日桂が見た大人達が傷つけあった現象の名前だ。

碑から溢れた無数の言葉が全ての人間に1つずつ宿り、それが個々の人間自体の性質として作用し始めた。宿った言葉と反する行動を続ければ心に矛盾が生じて蓄積し、最終的には心ごと壊して全てを破壊しようとする化け物にしてしまう。

命が惜しくば宿った言霊には絶対従わなければならない。それが善であろうが、悪であろうが。それがあの日からこの世界を覆っている理だ。


そして宿った言霊にはもう一つの意味があった。宿った言葉によって本来なら人間が持ちえない能力が顕現したのだ。

例えば目の前の男……南元 竜矢の言霊は偏執。簡単に言ってしまえばストーカー行為をしないと心が狂ってしまう代わりにその人物が歩いた道筋を可視化する尾行能力や収集に長けた能力を有している。

一見すると探偵や警察官向きの能力の様にも思えるが、そう出来ない理由も言霊と同じように碑から与えられていた。


「麻薬の方の情報が掴めないなら本来の仕事の方を優先させるぞ。そろそろ、ヴァイスの中にも矛盾を生じさせる奴が出てくる頃だ。」


碑から与えられたこの世界の新たな区分、それがヴァイス(悪)とヴァーチェ(美徳)だった。

言霊にはヴァイス・ヴァーチェのどちらかか、又はその両方が宿っていた。まるで光と闇の属性が与えられるように。

ヴァイスが強いものは悪事に能力を行使し、ヴァーチェの強いものは善行に能力を行使しなければならない。

自らに与えられた言霊の区分を無視した意図で己の能力を行使すれば言霊に反し、矛盾を抱え、心が壊れてしまう。


ヴァイスの言霊を持つ者に出来ることは良心に咎められ矛盾を抱えて心を壊すか、朝比奈 桂たちのように自らの言霊を受け入れ悪事を重ねていくか。そのどちらかだった。

正気を保って生きるためには卑怯でも誰かを傷つけてでも力を行使しなくてはいけない。


彼らの言う本来の仕事とは、生きるために必要な過程と手段だった。

いつしか暴力を振るうことを強いられたヴァイスを持つ者たちは自然とお互いを助け合うようになり、1つの組織へと成長した。


その組織はヴァイスを持たない者からは『犯罪集団』と蔑まれていたがヴァイスたちにとっては自分を理解してくれる場であり、助けてくれる場所だった。

だから今日、桂たちは仲間を自分を矛盾で奪われないためにまた罪を重ねる。


ヴァーチェたちと友好な関係を築き、彼らに力を貸す教会の襲撃を計画していた。

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