第17話 フォールダウン

 ベッドの上でフと目を覚ました詩織は、隣で小さな寝息をたてるリリィに視線を向けた。暗い中でもこれだけ近ければ顔の輪郭がはっきりと分かる。


「可愛い・・・」


 色白で柔らかな頬を優しく一撫でしてからベッドを出る。肌寒さと窓にうっすらと映る自分の姿から裸であることを認識し、慌てて脱ぎ散らかされた衣服を身に纏った。


「そうか、リリィに脱がされたんだった・・・」


 寝る前のことを思い出して赤面するが、同時に幸福感も詩織の心にあるのは確かな事実だ。


「もう日付も変わった頃か。アイリア達は大丈夫かな」


 ラドロの風の襲撃を防ぐべく見回りをしているアイリアとミリシャの心配をしながら窓の外を見つめるが、月明りに照らされた木々しか見えなかった。





「テッドとアッチにテナー家の偵察を任せてよかったのか?」


 ケイオンの街の一角にて、物陰に身を潜めたいかにも怪しい一団が周囲を警戒していた。彼らの腕や肩にはラドロの風の紋章が刻まれている。


「アイツらは盗賊としての能力は低いが、それくらいの任務はできるだろう」


「無能はどこまでいっても無能だ。ヘマをやらかさなければいいがな」


「フンっ。人の心配より、自分のこれからの仕事の心配をしたらどうだ?」


「そうするさ。お前はいつも通り自信に満ち溢れているようだな、イゴール」


 ラドロの風の現リーダーであるイゴールはその部下の言葉を無視し、周りに人影がないことを確認して立ち上がった。彼の視線の先にあるのは、テナー家ほどではないにしても大きな屋敷である。これからその屋敷を襲撃して略奪した後、テナー家に押し入る算段なのだ。


「しかし、王都からの増援が動いているのだから、今はおとなしくして日を改めてから襲えばいいのでは?わざわざリスクを負う必要もあるまいて」


「臆病風に吹かれたか? 俺達は盗賊だ。ラドロの風なのだ。これしきで退くことはない。むしろ邪魔な者達をまとめて排除し、全てを奪ってこの街を去るのだ」


 イゴールは一度決めたことは曲げない男だ。ましてや他人からの助言で彼が意見を変えたりするなどありえない。


「それに、簡単な仕事など退屈なだけさ。俺を滾らせてくれるだけの敵がいるのなら、むしろ歓迎するべきことだな」


 ヒリついたスリルこそが彼の生きている証で、困難に立ち向かうことに喜びを感じる性格でもあり、だからこそ盗賊という生業の中で生きている。


「さぁ、始めよう・・・」





「・・・ん?」


 違和感を感じた詩織は窓に近寄り、魔力で強化された目を用いて様子を窺う。


「これはっ!」


 ロープだ。窓の外、上からロープが垂らされている。屋上に何者かがいると直感し、リリィを起こそうとしたその時、


「人っ!?」


 そのロープを伝って男が一人降りてきたのだ。その人物と目が合い、詩織はとっさに魔具を魔法陣から取り出す。


「見つかった!? こうなれば・・・!」


 窓ガラスを蹴破って男は室内に侵入、詩織めがけてタックルを繰り出してきた。 最初は驚いた詩織であったが、冷静になって男の動きを読んで攻撃を避けるとそのまま蹴りを放って男を壁に叩きつける。


「な、なにごとっ!?」


 その物音で目を覚ましたリリィがベッドから飛びのき、侵入者を睨みつける。


「コイツはなんなの?」


「わからない。でも、窓から入ってきた」


「ここ三階よ・・・あぁ、あのロープでか」


 男は背中を強打したことで動けなくなっており、詩織によって捕縛された。


「昨晩、リリィが私にお仕置きで使った縄が役に立ったよ」


「でしょ? これを想定していたのよ」


 ドヤ顔のリリィはともかく、この男を早急にシエラル達の所に連れてく必要があるだろう。


「まさか、敵の襲撃はもう始まっているのかしら」


「分からない。扉の先は慎重に進もう」


 ゆっくりと開いた扉の先には誰もいないし、物音もしない。どうやら戦闘状態ではないようだ。




「それで、コイツが飛び込んできたんだな?」


「はい」


 シエラルと合流した詩織とリリィは捕まえた男を差し出す。


「お前一人で夜中の奇襲か?」


「違う違う。俺はこの屋敷を見張れと命令されて来たんだ。もう一人の仲間と一緒に」


「見張り?」


「あぁ。イゴールがさ、別の家を襲った後にここに来るから、その間のテナー家の動きをチェックしておけって」


 シエラルの質問にベラベラと情報を喋る男。命が惜しくてなのか、ただのバカなのかは分からない。


「別の家だと?」


「そうさ。なんていったかな・・・そうだ、スクラー家だったな」


 それを聞いたシェリーは直ちに部下をスクラー家に派遣する。聞いたところによると、このテナー家からそう遠くない場所にあるらしい。


「それで、その後にこの屋敷に来るんだな?」


「そうそう。で、俺は一足先に金品を奪っておこうと思ったんだよ。じゃないとイゴールに先を越されちまうからな」


「ふむ・・・貴重な情報をどうもありがとう。おかげで奇襲攻撃に怯えなくてすむ」


「感謝はいいから、この縄を解いてくれよ。おとなしく帰るから」


「・・・お前、バカだと言われないか」


「よく知ってるな。そうなんだよ、皆俺をバカ呼ばわりするんだ。バカテッドってな。こんなにも正直に生きている人間に対して失礼だと思うがなあ」


 どうやら完全にバカのようだ。


「わざわざ捕らえた罪人を解き放つわけないだろ」


「そんなぁ。困るんだよなぁ」


「コイツを地下の空き部屋に閉じ込めておけ」


 イリアンが男を引きづって部屋を出ていく。テッドと名乗るその男は最後までシエラルに温情を求めたが、結局は無視されて終わった。


「さて、シェリーさんの部下にスクラー家のことは任せて、ボク達は急いでこの屋敷の防御を固めよう。すぐそこまで敵が来ているかもしれない」

 

「相手はもう奇襲できないのは確定したわけだし、襲撃してくるかしら」


「分からん。だが、悪名高いラドロの風がそう簡単に諦めるとは思えない。正面切って挑んでくる可能性も大いにあり得るさ」


 この騒動によってテナー家の屋敷はいっきに慌ただしくなる。これから襲いくるかもしれない盗賊を迎え撃つべく、各人が武器を持って配置につく。





「・・・そうか」


 テナー家から撤退してきたもう一人の偵察者であるアッチの報告を聞いたイゴールは頷きつつ、何かを思案しているようだ。


「やはり下手を打ったか。だから、あいつに行かせるべきではなかったのだ」


 先ほどイゴールに進言した部下が呆れたように眉をひそめながら戦利品をバッグに詰める。すでにスクラー家は制圧され、屋敷内の金品を物色しているタイミングのことであった。


「よし、ここはもういいだろう。ボルテとサモイに奪った物をアジトまで運ばせ、俺達はテナー家に向かう」


「だが、相手は警戒を強めているぞ。真っ向からぶつかることになる」


「臨むところだ。叩き潰し、我らの力を示す!」


 彼に恐れはない。むしろ妙な高揚感を感じていた。





「始まったな・・・」


 テッドという盗賊を捕まえてから、そう時間もかからずにラドロの風本隊によるテナー家襲撃が開始された。屋敷の外に配置された衛兵達の攻撃をすり抜け、その得意の機動戦にて翻弄し、容易に屋敷への侵入を果たす。


「馬鹿正直に突っ込んでくるか・・・」


 シエラルは一人の盗賊を切り捨て、背後から鈍器を振り下ろしてきた敵を振り向きざまに真っ二つに両断する。


「んっ?」


 殺気のする方向を見ると、そこにはクロスボウをかまえた盗賊がいた。そのクロスボウから放たれた矢はシエラルの鎧を掠めるが、ダメージにはならない。


「甘いな!」


 次の射撃も躱し、クロスボウごとその盗賊を切り裂いた。


「これは?」


 クロスボウに装填されていた矢を持ち上げ、矢じりの部分を確認する。鉄でできた矢じりは銀色ではなく緑色に変色していた。


「毒か。厄介な・・・」


 鎧で防げたからいいものの、皮膚を掠めれば毒でやられていただろう。他の敵も装備しているであろうし、注意しなければならない。





「シオリ、わたしから離れないで戦うのよ」


「了解!」


 お互いの死角をカバーしながら戦うために詩織とリリィは背中合わせで敵に対する。屋敷の廊下のような狭い空間での戦闘には行動に制限がかかるので、回避行動がとれない場合がある。だからこそ正面の敵に集中するためにこれがベターな戦法なのだ。


「くっ、手強いな・・・けどっ!」


 対人戦にまだ慣れていない詩織には苦行であるが、泣き言を言っている場合ではない。敵はこちらの事情などお構いなしに攻撃してくるのだから、立ち向かうしかないのだ。


「アイリア達がいれば状況も違うのでしょうけど・・・」


 ミリシャとアイリアは見回りから未だ帰還していなかった。外で襲われたのか、スクラー家の異変に気付いてそちらに向かったのかも不明な現状では彼女達の援護は期待できない。


「あの男は!」


 リリィの視界に入ったのは詩織とのデート中に襲い掛かって来た男だ。特徴的な大きいナタを握っている。


「ン? 前にも会ったか?」


「あの時は変装していたから分からなくても当然か。王都ではよくも襲ってくれたわね!」


「あぁ、あの二人組か。というか、よく見たらお前はリリィ・スローンじゃないか」


「そうよ。王族であるわたしを前にして、無礼な行為をこれ以上働くのは利口じゃないわね」


「ハッ、このイゴールにそんな脅しが効くかよ。お前はいい戦利品になるだろう。連れて帰って可愛がってやるぜ」


「負けはしない!」


 イゴールとリリィが激しく鍔迫り合う。剣とナタがぶつかり、火花が周囲に飛び散った。


「あまり怖い顔するなよ。せっかくの美人が台無しだぜ」


「アンタに愛想振り撒いても得はないもの」


「そういう強気な所も気に入った。ますます屈服させたくなる」


「気持ち悪いのよ!」


 リリィの怒りを乗せた一撃はイゴールには当たらずに空を裂く。


「動きはいいが、それでは俺には勝てん」


「そうかしら。どうやらアンタは一人のようだけど、こっちは二人よ!」


 詩織もリリィの援護に回り、数的優位をつくりあげる。だが、イゴールは危機感を感じてはいないようだ。


「それなら・・・」


 詩織を殴り飛ばし、更にはリリィの斬撃を回避してその腹部に蹴りを叩きこんだ。


「くあっ・・・」


 倒れはしなかったが後ずさる。これでは次の攻撃は避けられないだろう。


「あまり傷はつけたくないのでな・・・」


 イゴールは懐から掌サイズの球体を取り出すと、それをリリィに向かって投げつけようとした。


「リリィ!!」


 復帰した詩織はそれを目にして後先考えず咄嗟に飛び出す。何よりもリリィを守りたいという気持ちが勝ったのだ。

 投げられた球体がリリィに直撃するよりも先に、詩織がリリィの手を引いて自分の後ろへと引っ張る。その反動で詩織はリリィのいた位置へとよろけた。


「うっ・・・」


 球体は壁に当たって炸裂し、その中から緑色の煙が撒き散らされた。煙を吸ってしまった詩織の体から力が抜け、その場に倒れる。


「シオリッ!!」


 詩織のおかげで助かったものの、自分の目の前で倒れゆく詩織を見たリリィは取り乱すようにその名を叫ぶ。煙はすぐに収まったが、詩織は意識を失い立ち上がれない。


「ほう・・・いい部下だな。身を挺して守ってくれるなんて」


 飄々と呟くイゴールだが、内心では邪魔をした詩織への不快感で一杯だった。


「貴様あぁっ!!!!」


「その泣き顔は傑作だ。王族とは思えない感じがいいね」


 もう一つ球体を取り出し、それを今度こそリリィに当てるべくかまえた。しかし、


「別の殺気・・・」


 背後から強烈な殺気を感じてナタをかまえ、リリィを牽制しつつも目線を向けた。


「アイリア、久しぶりだな」


「イゴール!!」


 アイリアはナイフと共に一気にイゴールとの距離を詰め、その喉元を裂こうとするが軽い身のこなしで回避される。


「遅れてしまい申し訳ありません、リリィ様」


「いえ、よく来てくれたわ・・・」


 後一歩遅かったらリリィもやられていただろう。


「コイツは私に任せてください」


「ほう、やるってか?」


 不敵な笑みを浮かべるイゴールと、それに食って掛かるアイリアは素早い技の応酬を繰り広げながら廊下の奥へと移動し、リリィ達の場所から離れていった。




「シオリ、お願いだから目を覚まして・・・」


 弱弱しい呼吸はいつ止まってもおかしくない。だがパニック状態のリリィはこの戦闘中にどうしていいのか分からず、ただ詩織の名を呼ぶことしかできなかった。


「リリィ様!」


「ミリシャ・・・シオリが・・・」


 アイリアから遅れて到着したミリシャはリリィから事情を聞いて険しい表情になる。


「なるほど・・・恐らく、それは身体の自由を奪う毒でしょうね」


「そうなの?」


「似た物を書物でみましたわ。これなら処置できると思うので、そこの部屋にシオリ様を運びましょう」


 頷いたリリィは詩織をかついで近くの部屋へと運び入れる。ここなら戦闘の影響も受けにくいだろう。


「待ってくださいね・・・」


 いつも持ち歩いているカバンから器具といくつかの薬物を取り出し、調合の準備を始めた。


「今から解毒薬を調合しますわ」


「すぐできる?」


「はい。簡単な物ですから・・・これで!」


 そう言っている間に解毒薬を完成させる。博識で器用なミリシャだからできる芸当だ。


「これなら効くはずですが・・・」


「目を覚まして・・・シオリ・・・」


 口に無理矢理押し込んで水で流す。窒息の危険もあるが、この際には仕方がない。


「この毒は生物の自由を奪うのを主眼にしており、致死性は低い物です。しかし多量に吸い込んだ場合、身体機能の著しい低下を招いて最悪の場合は・・・」


「・・・死ぬ?」


 ミリシャの小さな頷きにリリィは絶望する。戦場にいる以上、死は隣り合わせだと分かってはいるのだが・・・


「解毒薬が効くのを期待しましょう。今は、それしかできることはありませんわ」


「・・・」


 リリィの中でイゴールへの憎悪が急激に増していく。大切な人をこんなにも気づ付けた相手を許すなどできないことだ。


「ミリシャ、シオリのことを頼んだわね」


「どうなさるおつもりですか?」


「アイリアの援護をするのよ。今も一人で戦っているわけだし、きっと助けが必要だもの」


「分かりましたわ。シオリ様は任せてください」


 ベッドで眠っているリリィに詩織がしたように、リリィは詩織の頬をゆっくりと撫でた後、剣を片手に部屋を出る。


「今、行くわ・・・」


 光の無い瞳がイゴールを探す。これ以上仲間を傷つけさせるわけにはいかない。


「必ず打ち倒す!」

 

       -続く-

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