第13話 オーバーリミット


 正午前、樫木はロマンを訪れていた。

「樫木さん……、大丈夫ですか?」

 制服には着替えたもののまだ登校していない智が心配そうに樫木に尋ねる。

「ああ、大丈夫。いいから気にしないで学校に行ってこい」

 何とか営業スマイルを醸し出すが、その顔を見ても智から心配そうな表情をぬぐうことはできなかった。

「なんとなく、お母さんの気持ちがわかったかもしれないです」

「あ?」

「人に、迷惑をかけるから依頼をキャンセルしたって話……」

「ああ、そのことか。正直、俺からしたら精神的ダメージ以外のなにものにもなかったよ」

「……、そうなんです?」

「そりゃそうだろ。俺は人の依頼を受けて、それに応えるために必死に動く。だけどキャンセルされたってことはあれだ、お前は力不足だって直接言われてるようなもんだろ?」

「そ、そんなこと……」

「そう、実際はそうじゃなかったとしてもだ、俺はできる限りその依頼主の依頼に応えていきたい。だから、まじで、冗談じゃなくて、キャンセルってのはやめてくれ」

「ボランティアでも始めればいいのにね」

 萌奈美が少し水を差し、それに智の表情も少し和らいだ。

「生活できりゃ、それでもいいけどな……」

 その回答に萌奈美から失笑のようなため息が聞こえる。

「とにかくだ、お母さんのことは俺に任せて、お前は学業に励めってことだ。お前の心配事は俺の心配事だ、いいな。そんだけ命かけて仕事してんだ。かっこいいだろ?」

「そうだね」

 智はやっと笑顔になった。

「よし行ってこい」

「うん、いってくる」

 そう言って、扉に近づいてもう一度振り返った。

「樫木さん、ありがとう」

 ちりんとベルが鳴り、扉が閉まると樫木はひっそりと歯を食いしばった。

「ねぇ、大丈夫?」

 いつもは雑な扱いの萌奈美ですら、そう声をかけるくらいに樫木の疲労は目に見えてわかった。

「うるせーな、大丈夫だよ。とりあえずコーヒーおかわり」

「まったく……」

 萌奈美は少し困った顔でコーヒーを注ぐ。

 智を見ていると自分の非力さや焦りが少しずつ滲んでくる。ただ今の俺にとって次の手が見えない状況であった。せめて聞き込みをする先さえ見つかれば。

「もなみちゃーん」

 萌奈美の客である大学生の畑谷が勢いよく扉を開ける。

「おおう、まじか……」

 このタイミングでのやかましい常連客の登場に樫木は更に頭を抱える。

「ども、樫木さん! おつかれっす!」

 大学生でキラキラしている上、探偵という単語に過敏に反応し、よくわからない憧れを持っている畑谷。加えて言うと、萌奈美に対しての淡い恋心も抱えている。疲労が取れない状態での彼の登場は樫木の頭痛を更に悪化させるものでしかなかった。

「もなみちゃ~ん、俺、コーヒーとシフォンケーキおねが~い!」

 樫木はなんとなくコーヒーを飲みこむことが出来ず、口の中でそれをちゃぷちゃぷと躍らせた。

「どうなんすか、最近の探偵稼業は?」

「うるせぇな、ほっとけ。今疲れてんだよ」

「そんなこと言わないでくださいよぉ。俺も疲れてるんすからぁ」

 いつもなら笑ってやるところだが、今日この日だけは、ぶん殴ってでも畑谷の口を塞ぎたかった。

「畑谷くんもなんか疲れてる感じなの?」

 萌奈美は少しバカにしているような口調で言うが、畑谷からすれば萌奈美から話を振られたという理解であり、それは水を得た魚状態。好きな女に自分の話ができるタイミングでもあった。そして畑谷は意気揚々と口を開く。

「いや、ほんと俺も大変だったんすよ、俺サークルいくつも掛け持ちしてるんすけど、その中のサークルの一つのイベントっていうからひょいひょい付いていったんすよ」

 樫木は耳を塞ぎたいが塞いだら塞いだで畑谷が絡んでくることはわかっていたので、流し聞きすることにする。

「そしたら、誘ってきたそいつがベロンベロンに酔っちゃって、気付いたら救急車に運ばれちゃってて」

 誰もこれといって反応を返さないまま、畑谷は話を続ける。

「そしたらそいつが幹事で、なんとお金全部持ってちゃってて! なぜか俺が人質になって、幹事の人が戻ってくるのひたすら待つっていう! ちょっとその幹事と知り合いだったからってだけっすよ?」

「……」

 不意に樫木が立ち上がり、畑谷に近づく。

「おいいいい!」

 そしてそのまま、畑谷の襟をつかみ上げた。

「え、え? なに、なんすか?」

「ちょっとなにやってんのあんた」

 あまりの展開に畑谷と萌奈美は目を丸くして樫木を見た。

「答えは簡単じゃねぇかぁぁーー!」

 樫木はそう叫んで、ぱっと畑谷の襟から手を離す。そしてトイレに行って、手洗いに頭を突っ込んで蛇口を緩めて水を放出させた。

「ね、ねぇ、大丈夫、樫木さん」

「さぁ……」

 店内の方からそんな会話が聞こえたが、びしょびしょになった頭を上げ、鏡に映る目を見開いた己と向き合った。

「……ほれ」トイレから出ると萌奈美のその声と同時に頭にタオルがかかる。

「お目覚め?」

「ああ……、なんか頭がすっきりしてきた。ちょっと行ってくる」

 がっと頭を拭いて、樫木は店の扉に向かう。

「いってらっしゃい。新しいシフォンケーキ、作って待ってるよ」

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