第11話 フューチャーローン


 日付が変わるころには、缶コーヒー片手に歩道のガードに腰をかけて、中野茜の登場を待った。今、情報を持っていない樫木にとって、中野茜という人物が最後の鍵になるようなものであった。

 寒い風が路上を通り抜ける。樫木は歯を食いしばり、その場にじっととどまる。いつからだろうか、苦しい時でさえ時間の経過が早くなったのは。昔は苦しい時ほど時間が長く感じたものだが、今はそういった感覚はなかった。時間は誰にもどんな時にでも平等だったと実感する。そんな風に感じたのは、ほんといつ頃のことだろうか……。


「依頼人なんかな、ただの金ヅルだ。必要以上に気にかけるだけ損なんだよ!」


 意識が遠くなりかけた樫木の脳裏に二度と聞きたくない言葉が蘇る。

「あっ……ぶねぇ」

 一瞬、睡魔に支配されたが、樫木は首を振って目を覚まさそうとする。

「しかもよりによって……」

 脳裏に蘇ったのは、かつて興信所に属していた時に耳にした先輩殿のありがたいお言葉である。嫌な記憶のおかげで目が覚めたと樫木は体を起こした。時刻は午前五時。正直、日の出が待ち遠しかった。なけなしの小銭で新しくホットの缶コーヒーを購入し、再びポジションに戻った。日が昇り、少しずつ人の流れが生まれる。浮浪者と間違えられないように、公共トイレで顔をさっと荒い、髪を整える。大した代わり映えはないが、樫木としては少しリフレッシュした気分で中野茜を探し始めることが出来た。

 そして更に2時間が経った頃、通勤ラッシュで大きな人の波が流れてくる。樫木は一人一人の顔を見て、中野茜を探した。すると駅からくる人の波とは逆方向から中野茜と思われる人物が姿を現した。どうやらこの日は夜勤担当だったようだ。樫木は体に力を入れて、中野茜に近づく。

「すいません」

「……」

 キャッチか何かと思われたのか、ひとまずは無視される。

「お疲れのところ本当に申し訳ない、私はこういうものでして」

 彼女にも見えるように名刺を取り出した。

「……探偵?」

 振り返った彼女の顔は起業したときの顔と違い、どことなく毒の抜けたさわやかな顔をしていた。



 モーニングコーヒーをだしにして、樫木と中野は近くにある喫茶店に入った。

「探偵さんが、何か用ですか?」

 名刺を何度も見回し、怪訝そうな顔で樫木を見る。樫木としてもいきなり本題を話す前に筋だけは通しておこうと言葉を用意する。

「おそらく、まだ世間的には表沙汰になっていないかもしれないのですが、秋津ひとみさんがお亡くなりになりまして……」

「……」

 中野は驚いた顔を見せながらも、少し間をおいてから鼻でそれを笑った。

「それで?」

 最初の態度とは違い、少し挑発的でもあった。

「私の調べですと、二年前に一緒に起業した仲間だと伺っておりまして」

「仲間? ふざけないで!」

 話の途中で中野は声を上げた。

「なにか気に障ることを言っていたら申し訳ない」

「あ、いえ、こちらこそすみません」

 そして力が急に抜けたように運ばれていたコーヒーを一口飲んだ。

「ええ、確かに。私とその秋津、あと半田と三倉の四人は二年前に会社を立ち上げました」

 彼女の反応に樫木は考えを巡らせる。知人が亡くなったと聞いて、悲しむどころか、怒り出すとなると、あまり変なことを言って刺激を与えるのはよくないであろう。そして樫木は話を続ける。

「こちらとしても勉強不足で申し訳ないのですが、その会社について少しお伺いしたいのです」

「会社、会社ね。色々教えてあげられる。あの会社がただの見せかけだったこと、私以外のメンバーが姿を消したこと、ほんともう色々と最悪だった」

「姿を消した?」

 その問いに彼女は不意にメニューを手に取った。

「探偵さん?」

 そして中野はずいっと顔を出す。

「これ以上の話をするなら、このパンケーキセットを頼んでもいい?」

「……どうぞ」

 樫木はこの店がクレジットカードに対応していることを確認はしているので、そこは承諾した。彼女が注文を終えると、再び顔をこちらに向ける。

「実はね、私はもともと水商売をしていたの。いつか自分の会社を立ち上げるためにね。そうやってお金を貯めていっていつか輸入雑貨を扱う会社を始めるつもりだった。秋津も同じ店で働いていたの」

「秋津さんとはそこで?」

「そう、そして会社を始めたいことをつい口にした日から、彼女から起業の話を持ち掛けられた。最初は役員として一緒に動いて、しばらくしたら輸入物品の担当をお願いしたいって。今考えれば本当に上手い話よ。最初はローンを組んでっていう話をされたけど、見たこともないローン会社だったし、ある程度貯金もあったから資本金のために私は三百万ほど渡したの。もちろん自分で会社を興すためのお金だったけど、結果が同じならいいかなって」

「そして会社が立ち上がった」

「そう、それで実際に信じられたのは最初の一週間だけ。会社に来ていたのは私と別のもう一人の男の三倉とかいうやつだけ。一週間後にはリースが切れたからってオフィスを追い出されたわ。社長、半田ってやつに電話してももう全然繋がらなくて」

「リースが切れてオフィスを追い出されたって、まさかレンタルだったのか」

「そういうこと。見かけ上、会社は起業したけれど、その実態は一切無くなったわ。三倉についても被害者だったみたい。私はもうただ泣き寝入り。その時はもう辞めていた水商売に戻る気もなくして、なんとか入れた今のところで仕事してる。もう夢もなく、ね」

 中野は体の毒を抜ききったかのように話し終えるとちょうど運ばれてきたパンケーキを切り始めた。

「ちなみに、そのローン会社の名前は憶えていたりしますか」

「たしか、……フューチャーローン、とかだったかな。しつこいぐらいに誘われたから。胡散臭すぎて貯金でどうにかするっていう話をしたの。私も会社のためにいくつかローン会社とか見たりしてたけど、本当に見たことも聞いたこともないとこ」

樫木はその名前を手帳に書き残す。

「探偵さんが聞きたいことがこれなのかわからないけど、私と会社の関係ってこんなもんよ。社長の半田ってやつともまともに話したこともないんだから」

 ひとまずここでは切り替えるポイントだなと樫木は察した。

「実をいうと、私は今のお話にあった三倉さんを探していましてね。そこから遡って中野さんにつながったんです。三倉さんについてなにか知っていることをお聞きできればと……」

「三倉、そうね、覚えてるわ。本当に真面目そうな人だった。あの人がいるから信じてみようと思ったくらいだもの。でもあいつらの姿が消えてからは知らない。ただ……」

「ただ?」

 中野は少し伏し目気味に言う。

「その温厚そうな感じの三倉が泣きながら鬼みたいな顔をしていたのは、なかなか忘れられないかな……」

 その言葉を聞いても、写真からでもわかる人の良さそうな顔が鬼のようになるなんて想像がつかなかった。

「ねぇ、もしかして秋津を殺したのって……」

 樫木も自分の中で引っかかった単語が中野から発せられて思わず息を飲む。

「残念ながらそれはわかりません。私の仕事は彼を……探すことなので」

「そう……。どちらにせよ三倉は私と違って、ローンも組まされて、もっと借金を押しけられているはず……」

 中野から聞けることはこのくらいだなと樫木は礼を言って立ち上がった。

 約束通り彼女の分の会計も済ませ、疲れた体を休めるために事務所に移動することにした。

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