第6話 占い師・ペガサス
事務所のソファから随分と重く感じる身体を無理やり起こす。
探偵の朝は早い、とかっこつけて言いたいところだが、時刻は九時である。樫木は顔を洗い、歯を磨いて、ボサボサの髪をワックスで一撫でし、整える。クローゼットからその日の気分の色のワイシャツを選び、ネクタイは付けずにそのままジャケットを羽織る。
改めて自分の手帳をさらりと流し見て、これからどうするのかを思い出させる。ただ、この時点で樫木としてはやはり足りないものがあった。
「目覚めにはコーヒーが必要だな」
「そういや、あんたなんでお金持ってないのにアマゾンで買い物してんのよ」
カップにコーヒーを注ぎながら萌奈美は素朴な疑問を樫木にぶつけた。
「おまえ、そりゃあ世の中クレジットカードっていう便利ものがあってな」
「……あんたがよくクレジットカードなんて持てたわね」
「そりゃ、俺だって一時は会社に属していましたのでね」
「あー、クビになったってやつ?」
「クビじゃないし! こっちから辞めてやったんだし!」
樫木がムキになって萌奈美に反抗する。
「おーい、樫木ちゃん。朝からうるせーよ、人が真面目に新聞読んでるってのによぉ」
「あぁ?」
テーブル席で朝食を取っている常連の中でも最年長の男、安井がじろりと樫木を見る。
「どうせ読んでるって言っても漫画かクロスワードかエロ記事のどれかだろ」
「ふふん。これだから現代社会に乗り遅れてるやつらは困るぜ。いいか、樫木ちゃん。今の時代はインテリよ、インテリ」
普段からギャンブル三昧の安井から言い方こそ古臭いが「インテリ」などと信じられない言葉が出たので、椅子をくるりと回して安井と向き合う。
「本気で言ってる?」
「もちろん。今な、仮想通貨の「フューチャーコイン」ってんで、金持ちも夢じゃないってんだ」
「おいおい、大丈夫かぁ。そりゃまた、随分と遅い波に乗ってんなぁ」
「ちっちっちっ、ロマンがねぇな樫木ちゃんはよ、この店の名前は何よ、ロマンよ?」
「……では、お尋ねしますがね、安井さん。本日のご予定は」
「あぁ、開店と同時にマリンちゃんと海にダイブしてフィーバーだ!」
「結局パチンコじゃねーかよ!」
呆れ半分で、椅子の向きを戻した。
「あんた、今少しでも安井さんのことを下に見たかもしれないけどね。正直あたしからすればどっちも同類だからね」
ここ最近の言葉の中で最も深く樫木の心にグサリと突き刺さった。客観的な意見ほどつらいものはない。
「コーヒーが……、しょっぱいよぉ……」
「それ、あんたの涙の味でしょ。いいから調査行ってきなさいよ」
朝から喫茶ロマンは辛辣である。もう二度と来てやらねーからな、と捨て台詞を吐いてみたい気分でもあったが、樫木はここに来られなくなると本当に居場所を失ってしまうため、伝家の宝刀の如く、その言葉を蔵の奥底へと封印した。
樫木は濡れた頬をぬぐい、立ち上がり、人差し指をビシっと萌奈美に向ける。
「なに人に指をさして……」
「来週にはこの店のシフォンケーキ、全部食ってやるからな!」
そう叫び、さっそうと店を後にした。
「……いや、正直それはありがたいんだけど」
*
パチンコ屋の開店前、樫木は開店待ちをしているギャンブラーたちの列に交じって、ひたすら自動ドアが開くようになるのを待った。しばらくすると、店員が店の旗を持って外に出てきた。おそらく開店の合図だろう。他の客がいそいそと店内に急ぐところ、樫木はその店員に話しかけた。
「すみません、ちょっとお話いいですか?」
店員はちらりと樫木を見て、やれやれといった様子で体をこちらに向けた。
「また事件のことすか?」
「……事件?」
そう聞き返すと、店員はいけねぇといわんばかりに口を押さえた。
「もしかして昨日、成田か山本っていう刑事が何か聞きにきてます?」
樫木がそう尋ねると店員は少し安心したように肩をなでおろした。
「危うく関係者外に漏らすとこだった……。あんた、刑事さんたちの知り合い?」
ほどよく勘違いをしているようだったので、ここはそれに乗っかった方がよさそうであると樫木はゴホンと一つ咳払いをした。
「ええ、実は私もその事件の担当部署に配属されたんですが、成田刑事や同期の山本とはいまいちウマが合わなくて、独自で捜査をしておりまして……」
「でも話せるようなことはないって昨日言っていて、こっちとしてもなんとも言えないんすけど……」
ここぞとばかりに樫木は三倉夫妻の写真も提示する。
「……このお二人は?」
「実は調査の中でこの二人の居場所を探す必要がありましてね、特にこの男性の方がここ最近、この周辺のパチンコ屋に訪れたという話で……」
「昨日、刑事さんが言っていた殺人事件の件とも関係があるんすか?」
殺人事件という単語が出た時、驚きのあまり変な声が出そうになったのを樫木は必至でごまかした。
「そ、そうなんです。彼らは重要人物と考えていて……」
「あ」
店員が写真をまじまじとみて声を上げた。
「この男の人、なんか見た様な気がします」
この店員は有能だな、と称賛してしまうほどの気持ちで、樫木は耳を大きくして話の続きを聞く。
「とはいってもハッキリと覚えているわけじゃないんすけど、店に入ってきたときからなんか怪しい動きをしていた人がいて、それがこんな感じの人だったんすよ」
「怪しい動き、というと?」
「いや、なんか遊びに来たのかと思ったら、店内をやたらウロウロして台を確認するわけでもなく、だれか人を探しているような感じで」
「それで、この男は誰かと接触していたりしました?」
「いや、結局探していた人はいなかったみたいで、なにもせずに出ていきました。ただ、あれは先々週くらいかな。その日に時間を空けて二、三回来たんですよ」
「なるほど……」
「このこと、昨日の刑事さんに話してないんすけど、改めて伝えたほうが良いですか?」
まずいと思い、樫木は頭をフル回転させる。
「いえ、こちらの方で会話しておきますので大丈夫です。いやぁ、すいません色々とありがとうございました」
そう軽く礼を言って、樫木はその店を後にした。
なかなかの進展はあったものの、朝一発目にしては刺激の強い内容が多かったのも事実だった。まず、ずっと行方不明だった三倉の夫、三倉友和が数週間前にこの地域にいた可能性が高いこと、そして誰かを必死な様子で探していたこと。ここで一つの線がつながる。美咲はおそらく誰かから自分の夫が近所のパチンコ屋で目撃されたことを耳にしたのだろう。そしてそれから近所のパチンコ屋を調べていたのかもしれない。問題は夫が一体だれを探していたのか。それにもう一つ、かなりインパクトがあった情報は、成田山ペアはなんらかの殺人事件でこの周辺のパチンコ屋の目撃情報を集めているようであった。この夫婦の行方不明と関連がなければいいのだが、樫木にはそう願うことしかできなかった。
「ったく、朝から情報過多だ」
次の店に向かう前にやはり、成田山ペアが追っている事件の件も頭からぬぐえないのも事実であった。
「ここまで来たらいっそ情報をもっと仕入れますかね」
手帳に午前の予定を変更し、樫木は別の方向へ足を向けた。
*
「ちーっす」
「なんだい、金ない奴が来るんじゃないよ、まったく」
「今日はどこ行ってもみんな冷たいなぁ……」
占星術や手相との看板を掲げられた、ツルだらけの小さな家で女性が樫木を冷たくあしらう。外の看板の一つには太田・ペガサス・翔子と書いてあり、彼女はこの地域では多少は名の知れた占い師の一人である。
「ちょっと『未来予知』をしてもらおうかなと」
そう言って、銀行の封筒を胸ポケットから取り出し、彼女の机の前に置いた。封筒の中身は銀行から下ろしたての五千円札が一枚入っている。
「冗談抜きでしけてるねぇ……。はい、じゃあ座ってちょうだい」
「しょうがねぇだろ、こっちだって毎日生きるのに必死なんだよ」
「で、何が知りたいの」
「ここ最近で起きた殺人事件でなんかパチンコ屋が関連してそうな話」
「……へぇ、あんた、いっちょ前に随分と面倒な事件のことを気にしているじゃないか」
「あ、そうなのか」
「ただ、今わかっているのは殺された被害者の名前が秋津ひとみってことくらいで、容疑者についてはまだ割れてないみたいだよ」
「ふむふむ」
「まぁ、おそらくどこかからパチンコ屋での目撃証言でも得たのかもね。ギャンブル好きな男に殺される女、ひどいもんだよ、まったく」
「……なるほどね、てことは刑事殿たちもリアルタイムで調査進行中ってわけだ」
ペガサスは、財布から千円札を取り出した。
「今回の分のおつりだ。まだ起きたてのヤマの話だから、情報が少ないからね。まぁ。これで数日乗り切りな」
「ペガサスだと思ってたら、マリア様だったとは……」
「ったく、くだらない冗談言ってないで、バイトでも始めるんだね!」
樫木はありがたくその千円札を受け取った。
「とりあえず、俺の案件はこの殺人事件と関係なさそうってことがわかったからまぁ良しとするか」
「行方不明にあった夫婦の話だろう、もしなにか情報を仕入れたらそっちはそっちで格安で提供してやるよ」
「ご慈悲をありがとうございます」
そう言って、樫木は席を立ちあがった。
「ほんと、余計な心配事が減ってよかったわ」
ペガサスの店を出て、一つ伸びをする。ひとまず、成田山ペアの事件については放っておいて良いだろう。
それにしてもここまでキーワードにパチンコ屋が絡んでくると、朝のうちに安井にも何か話を聞いておけばよかったと考える。一年前ほどに定年を迎え、それ以降は毎日のように喫茶ロマンとパチンコの往復を繰り返している男、安井。三倉友和が誰かを探していたという件もあり、なにかしら知っているかもしれない。
パチンコ屋はすでにどこも開店しているので、聞き込みをしているうちに安井に会えるかもしれないな、と樫木は次の目的地を決めて歩を進めるのであった。
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