第5話 成田山


「で、なんでここで調べものしてるのよ、事務所に戻りなさいよ」

 喫茶ロマンに戻ってきた樫木を萌奈美は冷たくあしらった。

「ちゃんと閉店時間になったら帰るから」

「……」

 夢中で電話帳の折り目が着いたページの店舗を一つ一つ確認を取っている樫木に対して、萌奈美は「まったくもう」と少し呆れながらも、それ以上は何も言わなかった。

 電話帳の確認を進めていくうちに分かったことがある。それらのページはパチンコ屋の店舗情報が必ず含まれていた。そして、それ以外に共通する項目は一切なかったのである。

「……パチンコ、ねぇ」

 そこからはわからないことの波が押し寄せてくる。なぜ美咲がそこまでしてパチンコ屋を調べているのか。美咲のプロファイルを改めて確認しても、美咲はもちろんのこと、夫もパチンコどころか、ギャンブルひとつしないまじめな性格という話であった。

「わっかんねー……」

 思わず気持ちが漏れてしまったのと同時に萌奈美がコーヒーを一杯、カウンターに置いた。

「進展はありそう?」

 萌奈美は少し心配そうな顔で尋ねる。

「守秘義務があるからなんも言えませんね」

 そして、どことなく嫌味を含んだ笑みを見せて、コーヒーをごくりと飲む。

「ったく、まぁなんにせよ、早く見つけて智ちゃんを安心させてあげてよね」

「わかってらぁ、これから本気を出すところだっつーの」

 スマホでそれぞれのページに記載されているパチンコ屋の場所を調べ、次に確認に向かうとしたらここだな、と腰を上げる。時刻はまだ20時。パチンコ屋が閉まるにはあと二時間ほどある。

「よし、じゃあ行ってくる」

「……」

 樫木は荷物と頭の中の情報をまとめ、喫茶店を後にした。

「……マスター、あいつほんとにここを事務所にしそうですよ」

「ふふっ」

 萌奈美のそのぼやきに、マスターは思わず鼻で笑ってしまった。



 電話帳に載っていたパチンコ屋は13店舗、近所のものもあれば隣町のものもある。隣町については明日にまわすとして、樫木はこれから1店舗ずつ潰していくことにした。ひとまずはプロファイルの際に預かった美咲の写真とその夫の写真を店員に見せて、記憶の限りに来店したことがあるかを確認する。運が良ければお店にどちらかがいるかもしれない。いや、それはないか、と樫木は自分の淡い期待を嘲笑した。

 この時間になると、仕事帰りに一打ちしていくサラリーマンの姿や、空き缶を積み上げてまでこの席は誰にも譲らないという謎のアピールをする年齢不詳の男などさまざまな姿がそこにはあった。そんな姿を見ても、樫木はいまいち、パチンコの楽しさを理解するに至らなかった。

 店の中は騒音だらけで、たばこ臭いし、そこにずっと座って画面を睨み続けるなんて拷問のようにも感じる。

「あの!」

 樫木はさっさと聞くことだけ聞いて立ち去ろうと、周りの騒音に負けないように大声で店員を呼んだ。

 樫木は名刺を見せるだけ見せ、次に三倉夫婦の写真を見せた。店員は知らないと怪訝そうな顔で首を振った。その後、改めて店内を一回りし、期待している結果が得られないとわかると店の外に出た。

 ほんの数分いただけなのに耳の中に嫌な騒音が残っている。これから残りの店舗を回ると思うと早々に気が滅入りそうになったが、こういう時に一番効くやる気を出す方法は依頼を達成した時の依頼人の顔を想像することだった。前向きに思えるが、これはどちらかという諸刃の剣であることを樫木は自覚している。万が一、その期待に応えることが出来なかった時はもう探偵なんてやめてしまおうかと思うほど凹むからだ。正直、美咲が依頼をキャンセルした時はあまりの自分の非力さにシフォンケーキをやけ食いし、胃を痛め、数日間休養を取ったほどだ。

「よし、やったるぞ!」

 とりあえず今はやる気が必要となっているため、樫木は自分に鞭を打って、次のパチンコ屋へ向かう。そして、2店舗目、3店舗目と見事に成果のないまま店を出た時には少しばかりやつれた様な姿であった。

「なんでよりによってパチンコ屋なんだよ……」

 誰に言うわけでもなく独り言が漏れてしまう。

 時計に目をやると、時刻は21時半。時が経つのは早いものである。

 樫木は折れそうな心に添え木を当て、ガムテープでグルグルに巻き付けるイメージをする。

「ふっふっふっ……」

 そして少しばかり不気味に笑い始めた。これも絶望の淵に降り立った時にこそ必要なポジティブシンキングだと樫木は信じ切っていた。ポジティブは最強である。

「おい、樫木じゃあねぇか! おい、そこの企業探偵崩れよぉ」

 そんなポジティブな心に泥をかけるような声が耳に響く。

 振り返るとそこには、見覚えのある熟年刑事とその相方の若い刑事が立っていた。

「…………」

 そして何も見なかったように再び視線を前に戻す。

「おい、無視してんじゃねーよ」

 まるで酔っ払いに絡まれた気分だが、まだ酔っ払いの方が幾分よかったかと樫木はため息をついた。

「はい、すみませんね」

 完全にひきつった笑顔で改めて刑事二人に樫木は振り返った。

「てめぇ、よりによってなんでパチンコ屋なんかぶらついてやがんだ。とうとう仕事なくなってギャンブルに走ってんのか?」

 坊主頭で歳をとった方の熟年刑事、成田はジョリジョリとあごを擦りながら言う。

「ええ。まぁ、おかげさまで仕事がありませんのでね」

「それにしても仕事用の鞄一つで、随分と仕事ごっこに力が入っているじゃなぁい」

 少しオネエが入っているような話し方をする山本が少し嫌味を含めて指摘する。彼らは樫木が仕事でパチンコ屋を回っていると察しがついていることに、樫木は気付いた。

「いやー、ほんと勘弁してください。この依頼を解決しないともう事務所の家賃すら払えなくて」

「おうおうおう」

 そう言って成田は喫煙所まで樫木を拉致する。

「誰がおまえなんかの仕事の邪魔をするっていったよ。がんばってくれよなぁ。少しでもお前が事件を解決すりゃあ、俺たちは楽できるんだからよぉ、なんてなぁ」

「相変わらず、たくましい考え方で……」

 そういうと成田はガッハッハと笑った。

「そんなお前に一つ言うことがある。どんな依頼だか俺たちは全く、これっぽっちも、微塵にも興味はねぇ。ただな、お前が探している野郎がよくパチンコに出入りするような男であった場合は少しばかり仕事を控えてもらいたいんだがなぁ」

「……へぇ、それはいったいどんな事件で?」

「それはあなたが気にすることではなくてよ」

 山本がそれ俺の質問をピシャっと遮断した。

「そういうこった。おめぇは少しおとなしくして、家賃の安いどっか古アパートにでも引っ越しな」

 そう言いながら、”成田山ペア”は樫木を喫煙コーナーに取り残し、去っていった。

「…………ったく、相変わらず」

 何かを吐き捨てようとする前に、樫木の心はポッキリと音を立てて折れてしまっていた。

 結局、この日はもう1店舗で終わりを迎える予定だったが、その1店舗においては店内が既に空の状態で、廃店となっていたのであった。

 疲労に疲労が重なり、とぼとぼと夜道を事務所に向かって歩く。喫茶ロマンは九時に閉店となるため、今行っても寂しさが増すだけであった。

 白い息を吐き、たいして星の見えない夜空を見上げる。

 先ほどの成田山ペアは殺人事件担当の刑事である。その二人がパチンコ屋で人を探しているとなると、なんとなく嫌な予感がする。ただこれはあくまで予感であり、現実主義者を自負している樫木としては関連性はなにもないため、智に報告するような内容ではないとひとまずは結論づけた。

 成田山ペアのことは頭から切り離すとして、樫木は明日のスケジュールを検討する。午前中に回れるところは回り、一旦拠点にもどって報告内容をまとめたうえで夕方頃に智に報告しよう。そのころには何か良い情報を得ているといいのだが。

「なっはっはっ」

 樫木はボロボロになった自分を励ますためにも夜道に冷たい風に吹かれながら一人で笑っていた。

「……っくしゅん!」

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