第3話 引き継がれた依頼
「いらっしゃい」
萌奈美が接客モードに入り、高い声で席を案内する。
「……あ、あの」
女の子は周りをキョロキョロと見まわしながら、萌奈美に耳打ちする。
「樫木さんっていう方はいらっしゃいますか」
それを聞いた萌奈美は一瞬固まり、「あー」と声を出して樫木のほうへ近づく。
「……あんたにお客さん」
「まじか」
それを聞いた樫木はささっと髪の毛を整えるようにハンドブラシをし、クイっとコーヒーを飲み干した。
「俺が樫木です」
できる限り低い声を出しながら席から立ち上がり、女の子が案内されたテーブル席へと腰を下ろした。
「あの……、樫木さんでいいんですよね?」
若干の疑いのまなざしに樫木は心を少し痛めたものの、彼は胸ポケットから名刺を取り出した。
「……樫木探偵事務所の樫木啓太郎です」
すると彼女も同じ名刺を取り出した。
「あら?」
「私は三倉智といいます。依頼があってきました。あの、事務所に行ってもここに来るようにって入口に書いてあって……」
「はぁああああ!?」
智が言葉を続けている途中で、カウンターの向こうから萌奈美が声を上げる。
「しー、しー!」
樫木は萌奈美に人差し指で少し黙るように指示するも、彼女の険しい顔とこっそり立てられている中指を見ると彼女の会話が終わった瞬間、今彼女が手にしているお盆か、ケーキを切り分けるための包丁が飛んできそうであった。
「ま、気にしないで、気にしないで。ところで、なんで俺の名刺を持っているの?」
少し困惑気味の智に樫木が問う。おそらくは今までに担当した依頼主の誰かのつてか、その家族のどちらかだろうが、見たとことは中学生ほどの容姿で知人友人からこの名刺を受け取ったとは考えにくいので、おそらく家族側の問題であろう。
「あの、覚えているかどうかわからないのですが、私の母……、三倉美咲っていうんですけど、前に樫木さんを訪ねていたようで、その際にこの名刺をいただいていました」
「三倉、美咲さんですね……」
樫木はいったん、彼女から目をそらし、天井で回るシーリングファンのゆったりとした回転を眺めた。
「ああ、覚えている。夫、つまり君のお父さんがいなくなったから見つけてほしいという依頼だったかな」
樫木は少し三倉に近付き、小声で彼女に伝える。
「他になにか君が三倉さんの娘と証明できるものはあるかい?」
そういったあとの困惑したような智の反応を見て、樫木は言葉を足した。
「別に疑っているわけじゃないが……。いや、まぁ、疑っているってことになるかもしれないか。何が言いたいかっていうと、俺の仕事上、個人情報にはちょっと厳しくしていてね。何か目でみてわかる証明がないとこれ以上の話は出来ないんだ」
「わかりました」
智はごそごそと持っているカバンから生徒手帳を出した。間違いなく三倉智本人であることが証明される。
「ありがとう」樫木はもうしまって大丈夫、と合図する。「その件なんだけど、結局捜索途中からお母さんから中止依頼があってね。それ以来は全く連絡も取っていない。それに調査も終了してしまっているから当時の報告以上のものはもう……」
「違うんです」
てっきり父親の話を聞きに来たのかと思っていた樫木を智は止めた。少し声が大きかったので、萌奈美が少し心配そうな目で樫木を見るも、樫木は目で心配するなと合図を送った。
「どういうことだい?」
その樫木の質問に対し、智は思わず伏し目になる。
「……実は今朝、うちの母まで行方が分からなくなってしまって」
「お母さん、三倉美咲さんが?」
「はい、いつも遅くなる時は必ず連絡をくれるんです。だけど昨日は違ったんです。なにも連絡はなくて、それに職場にまで行ったのに誰もいなかったんです」
「お母さんは確か、スナックで働いていたよね、知り合いの伝手だとかでなんとか仕事に就けたって言っていたのは覚えている」
「そうなんです、先ほど交番にも行ってみたのですが、全く相手にされない状態で……」
なるほど、状況は夫の捜索依頼をしに来た母親と同じ状況だな、と樫木は察した。
「わかった。簡単に言えば君のお母さんを探せばいいんだね」
「お願い……出来ますか?」
「そりゃ、あなたは俺の依頼人ですし、俺はあくまでも仕事としてお母さんを探すまでだよ」
それを聞いた智は急に線が切れたように脱力した。
「萌奈美、この子にコー……、ココアを出してあげて」
樫木は少しばかりココアが届くまで彼女の様子を見ることにした
多少は話ができたということもあってか落ち着いては来たが、まだ不安そうな顔をしている。記憶の通りだと父親が突然消えてしまったことのトラウマが蘇ってしまっているのだろう。今にも彼女の精神状態は簡単に崩れてしまいそうだった。家に帰すとしてももう少し安心させてやりたいと樫木は一考する。。
「どうぞ」
萌奈美がココアを持ってきた。
「すみません……」
この店のココアは甘い。甘すぎて樫木には頭痛を起こしてしまうほどが、こういった気分が滅入っているときには安心材料の一つになるはずだ。
「少しは落ち着いてきたかな?」
「はい、なんとか……」
しばらくすると、彼女の表情は来店時より幾分柔らかくなっていた。
「それじゃ、少し汚い話をしよう」
「……は、はい」
「まぁ、当然のことだけども、調査をするにはお金がかかる。基本精算は事後報告時にまとめて請求するのだけど、物事にも準備がいる場合には先にいくらか払ってもらう必要がある」
「……はい、お金に関しては、その……、母が見つかってからで、というのはダメでしょうか……」
再び智の表情が曇っていくのを樫木は目を細めてみている。智自身も母親が万が一見つからなかったことのことを考えてはいる。もし、そうなってしまうと樫木に対しての調査費用を支払うことは出来なくなってしまう。
「ねぇ、ちょっと!」
話に割って入りそうである萌奈美を樫木は制止する。
「いいか、これは大人の約束だ。いくら君が未成年だからって俺は容赦しない。万が一のことを考えての保険として前金をもらおう」
「……わ、わかりました。でも、私、今千円くらいしかないですけど」
「充分!」樫木は声をあげる。「では前金としてここのシフォンケーキを奢ってくれ。そうすれば今すぐにでも調査を開始しよう」
萌奈美の乾いた笑いと智の安堵した顔を見て、樫木はこれからの調査をどう進めていこうか検討が始まっていた。
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