434話 前振りです
五行試合の見物客たちは大いなる熱狂に包まれていた。
それは当然、ドンロウ道場がまだ一敗もしていないという不敗神話の継続に対する興奮ではある。しかし、同時にレイフウ道場の見知らぬ精鋭たちの実力が予想以上にドンロウ道場と拮抗していることへの期待感もどこかにあった。
二敗一引き分けという数字には表れていない、熱い拳と蹴りの応酬。
これまで触れることさえ困難だった筈の四聖拳が苦戦しているという事実。
「これってさ、もしかするのかな……?」
「馬ぁ鹿、無敗のドンロウ道場がこのまま押し切って仕舞いよ。バン・ドンロウには特に絶対……」
「でもよ、二試合目とか実質レイフウ道場の勝ちだったろ?」
「何にせよ、こりゃ外国人なんぞと食わず嫌いした馬鹿共は損したな」
流石にレイフウ道場もここが限界だ、巻き返しは出来ない、と言う者もいる。
しかし、レイフウ道場の二大切り札はまだ盤面に出ていない。
期待感は心の底に熱となって潜り、今、会場はその感情を爆発させる時を今か今かと待ち望んでいる。
そして、遂にその時が訪れた。
土行対決――ヴァルナ・イセガミ、対、レン・ガオラン。
この戦いの結果如何によって、レイフウ道場が滅ぶか、首の皮一枚で続くかが決まる。
というわけで、不甲斐ないアストラエに代わって勝利を手にする為に俺はステージに上がる。
(改めて見ると、凄まじい観客者数だな……)
王国御前試合は当然素晴らしい会場で行われるが、案内される者が特権階級に限られるためにスケールではコロセウム・クルーズに劣った。コロセウム・クルーズは巨大船という構造を極限まで活かすことで相当な動員数を誇っていた。
しかし、宗国の闘技場は土地をいくらでも用意出来るという地上の利点を活かしているため、とにかく巨大だ。しかもただ巨大なだけではなく、かなり歴史のある古い建築物をそのまま流用している。青龍、白虎、朱雀、玄武という架空の神聖な魔物を四方にガーゴイルの如く設置し、手すり一つでさえ創意を凝らした作りには、荘厳さと歴史の深さが共存している。
(さて、本来は試合を長引かせるなんて俺の得意分野なんだが……)
話を整理すれば、レイフウ道場がやっているのはあくまで時間稼ぎだ。
少なくともゴウライェンブ王の頼みでは、勝つことは重視されない。
それはそれとして、王国筆頭騎士として無様は見せられないので情け容赦なく勝利を狙いにいく。
(問題は、対戦相手のレン・ガオランの情報が全くないことなんだよなぁ)
遠巻きとはいえ二度目の邂逅だが、やはり以前見かけたときとはどこか雰囲気が異なる。気分によって戦法を変えるようなタイプなんだろうか。色々と想像はしてみるが、これといった答えは出来ない。
とはいえ、修行段階から既にレンの情報がないことは分かっていた。
それに、ショウ師範から早い段階で根本的な指針は示されていたので、俺は一通り技術を吸収しながらもその指針に合わせて研鑽を重ねておいた。
レン・ガオランとステージ上で向かい合う。
レンは俺と試合前の一礼を交わすと、即座に拳を構える。
ドンロウ道場に限らず多くの道場で採用されているという、基本の構えだ。
何の変哲もない構えで、何の変哲もなく勝つ。
彼の実力は「普通に強い」という曖昧なベールに包み隠されている。
普通の強さとはすなわち俺が以前から唱えている『反復練習最強説』に代表される基礎の徹底であり、彼はこれぞといった尖った力を見せることがない。相手がどのような流派のどのような技を放っても、彼は当然のように模範的な反応、模範的な迎撃をする。それを逆手に取るカウンターを狙っても、模範的に堅実に距離を取って梯子を外されたり、カウンターの種類を見切られてしまう。
ある意味兄と似ているのだろう。
どんな状況にも嫌味なまでに見事に対応するのだ。
故に、その普通すぎる強さが彼の強みだと世間では言われている。
俺、或いは嘗て
本来なら長々戦った方が都合が良い筈なのだが、俺にその気はない。
理由は二つある。
一つ、レン・ガオランが余りにも未知数すぎて実力を推し量れないこと。
今の彼からは感じないが、嘗て初めて彼を見たときに感じた嫌な気配の印象がどうしても拭えない。何より今まで普通に戦ったにも拘わらず無敗だというのは、真の姿を見せるまでもなかったという可能性が否めない。
もう一つは、ショウ師範から「考え方を変えるべきだ」と忠告され、それに感じ入るところがあったからだ。
ほんの数日前にあった、師範とのやりとりを俺は回顧した。
『確実に勝つ為に確実に勝てる状況を作るという、その考え方自体を否定する気はない。しかし、衝突を避けられぬ真剣勝負にはやり直しも言い訳も通じない。そのような世界で悠長なことを考えるのは如何なものかな?』
『しかし、俺の戦いは仕事というか、やるべき事のためにある訳でして……そのために可能な限り堅実に戦うのは体に染みついた癖なんです』
『仕事とはこれからもずっと続いていくものだ。しかし命のやりとりには刹那しかない。そんな世界において、君は無駄な事を考えすぎなのだよ』
ショウ師範はなんのかんのいいつつ最後まで完全に追いつけた気がしないほどには強かった。そんなショウ師範は、俺の癖や騎士団としての仕事を理解した上で、それでも真剣勝負の場に於いては余分な思考だと切り捨てた。
『君はなんというか、心の切り替えが上手いところがある。今までの真剣勝負では無意識にその辺りの無駄な思考を脳の片隅に追いやって器用に心を入れ替えてきたのだろう。それはそれで立派な才能と言える』
言われて見れば、絢爛武闘大会の強敵相手だと、途中からその辺のことをすっかり忘れて戦っていた気がする。俺が素直に師範の言葉に頷くと、師範は「しかし」と続けた。
『極まった者同士の戦いでは、最初の一合、たった一回拳を交わした瞬間に全ての決着がつくことは珍しくない。そこに至るまでにどれほどの研鑽を積み、何の才能があろうが、その一瞬を手にすることが出来るか否かが全てを運命づける。故にこそ、真剣勝負の場では澄み切った心でいるべきなのだ』
『澄み切った心……以前教わった明鏡止水というものですか』
『うむ。しかし澄んだ心にも種類がある。例えばこれは列国の武人と武について語り合った時のこと……彼は、儂には到底真似できない境地を見せてくれた。そして奇しくも彼と同じ境地に至った存在が、過去に宗国にも存在した』
『その、境地とは……?』
ショウ師範は、ほんの僅かに冗談めかして言った。
『一撃に己の力、技量、魂、命運の総てを乗せて叩き込む。それで駄目なら死ねばいい』
とんでもない、本当にとんでもない意見だ。
しかし、確かに考えてみれば戦いとは元来そういうものだ。
戦うしかないときは戦い、通じなければ死ぬ。
そこには余りにも無情な、しかし自然界では当然として行われる摂理がある。
せめて戦うのであれば己の注ぎ込めるありったけを注いだ極限の一撃を放った方がいいというのは、立派な武術のあり方だと俺は感じた。
要するに、全部必殺のつもりで撃てば良いのだ。
相手がフェイントをかましてくるならフェイントが意味を為さないくらい叩き込んでやればいい。相手が避けるなら当たるまで叩き込んでやればいい。相手がガードするならガードごと壊すくらい叩き込んでやればいい。それで駄目なら俺の負け。
割り切ってしまえば、意外と簡単だった。
ごちゃごちゃ考えることがない分、集中力を余すことなく自分に注げる。
ついでに、俺が剛氣使いであるのも相性が良かった。
故に、俺は迷うことはない。
「試合、開始ッ!!」
直後。
ドウッ!!! と、会場の中心で氣が物理的破壊力を伴って爆ぜる。
そして、レン・ガオランが吐血して吹き飛んだ。
「……は?」
そう間抜けな声を漏らしたのは、果たして誰だっただろうか。
起きたことは単純明快だった。
俺が周囲からすればあり得ないくらいの速度で瞬時にレンを拳の間合いに捉え、そして石畳の床を陥没させる踏み込みと共に剛氣をありったけ収束させた拳でレンをぶん殴ったのだ。
ただそれだけのことが、レンのガードした両腕の骨をへし折り、肋を砕き、鼻血を噴出させてステージの端まで無様に血を撒き散らして転がり続けるという結果を生んだ。
ショウはその光景を見て、天を仰いだ。
「レイフウ流奥義、破孔突……ああも完璧に決めてみせるか」
レンは痙攣するばかりで動かない。
致命の一撃でも叩き込んでしまったかと不安になるほどだ。
強烈な光景に会場がしん、と静寂に包まれる。
だが、俺もまた、心に冷たいものが落ちるのを感じた。
俺は油断せずにそのままレンの元につかつかと歩み寄る。
レンは焦点が合っておらず、必死に呼吸を整えているが誰がどう見ても戦える状態ではない。俺はそれを気にとめる余裕もなく、レンに声をかける。
「お前――誰だ」
今、拳を当てたことで俺は確信を得てしまった。
「俺は前に五行試合でお前を見た。外見はそっくりだ。放っていた氣も質もそっくりだ。しかし違う……お前は明らかに、あの時見たレン・ガオランより弱かった!! 答えろ、お前は誰だッ!!」
俺の言葉にレンが答えるより前に、レンの兄であるユージーがステージに駆け込んできてレンを俺から守るように抱き寄せる。アストラエさえ屠った巌の肉体が、今だけはやけに弱々しく見える。審判は一瞬迷ったが、レンの敗北という判断を下す旗を掲げた。
ユージーは哀れにも骨をへし折られて喋ることも出来ない弟を庇い、懇願するように叫ぶ。
「やめてくれ! 弟はもう戦えない! この試合はあんたの勝ちだ! それでいいだろ!?」
「よくはない。試合結果はよくとも、この俺の疑問の答えはともすればお前達道場の名誉にも関わる重大なことだ!」
俺はもう彼の胸で弱々しく息をするレンが偽物だという確信を抱いていた。
氣の感覚までは隠せない。
彼は五行試合で全勝できる実力はない。
しかし、ユージーが俺の追求から逃れたいかのように発した一言に、俺は後頭部をハンマーで打ち抜かれたような強烈な衝撃を受けた。
「今日のレンが本物なんだ!」
「……なに、言ってる?」
「今までが偽物なんだよ、あんたが見た無敗の化物のレンが偽物なんだ! あいつは四聖拳最強の弟子なのに、バン師範が急に今日は弟の方を出せって! 弟は『あいつ』の素性を隠すための隠れ蓑なんだ!! ああ、レン! だからあんなに反対したのに、よりにもよって王国最強をぶつけてくるだなんて……!!」
「に、い、ちゃ……ごめ……」
レンが弱々しい声を漏らすと、ユージーは一層悲壮な表情で救護係の下へ弟を割れ物のように丁寧に抱えて連れて行く。
俺は反射的にバン・ドンロウの方を見た。
バンは、自分の予想が当たったとばかりに含みのある笑みを浮かべていた。
ぞくり、と背筋を悪寒がなぜる。
「やられた……セドナッ!!」
ドンロウ道場総本山には、秘密を守護する切り札が残されている。
突入組を全滅させかねないほどの、得体の知れない『何か』が。
◇ ◆
頬に当たる、ざらざらした土の感触。
冷たく、拒絶する固い感触。
抵抗しようとして体を起こすために藻掻くが、手足の動きは酷く緩慢で、思考に追いつかない。気付けば荒い呼吸を必死に整えていた。
体中が痛い。
口の中一杯に鉄臭い血の味がする。
かすむ視界がいつもより狭く、顔に触れてみると目の周りが腫れていた。
記憶が飛んでいる。
さっきまで何をしていたのか、なぜ誰も助け起こしてくれないのか、何も思い出せない。と、目の前に何かの気配を感じる。ああ、助けてくれるのかな――一瞬そう思い、しかし即座に本能が警告を発する。
この影の落ち方、この気配は、違う。
咄嗟に力を振り絞ると、思ったよりスムーズに体は動いた。
放ったのは、倒れた状態から放つ回し蹴りだ。
足の先端が相手に当たる。が、まるで木でも蹴ったようにびくともしない。脳裏で誰かが囁く。効いてないなら尚更止まるなと。その教えに忠実に従い、今度はその相手を両足で蹴り飛ばした反動でその場を離れ、地面を転がりながら立つ。
「見た目に似合わず行儀が悪いじゃないか。いけないなぁ。年頃の娘がそんなことではいけない」
優しく、見下した声。自らが上の存在であると仮定したからこそ成立する、特有の柔らかさ。霞む視界の焦点が合い、にこにこと笑う男の顔が視界に入る。
今まで様々な作り笑いをする人間を見てきたが、これほど気色の悪い笑みは見たことがない。顔立ちや清潔感の問題ではない。まるで愛玩動物のおイタでも見ているかのように、男は徹底的に自分以外の何者かを支配すべき矮小な存在と見ていた。
男がゆらりと揺れる。
直感的に、攻撃の前兆だと感じる。
丹田に力を込め、両足を地につけ、しかし相手の動きではなく気配を読む。
直後、男の拳が目の前にあった。
誰かが、来るのが分かっていれば反らすのは難しくないと囁いた。
気付けば片手で男の腕を下から打ち上げ、もう片手で拳を横に反らし、男とのすれ違い様にその背中に肘打ちを叩き込む。効いている気配はあまりないので、そのまま通り抜けて男に向けて構え直した。
この上ない痛みと疲労に苛まれ、攻撃も効かない。
自分は戦いの場にいることを強く自覚する。
そこでセドナは、蹴りを用いて離れるのがヴァルナの、拳を受け流すのがアストラエの教えであることを思い出した。教えと言うほど大したものではないが、模擬戦の中で培われた二人の考え方をセドナが自分なりに実行しただけだった。
「おや、まだ跳ねる元気があるのか? 仕方ないなぁ、聞き分けがないなら仕方ない」
男が拳を握り、濃密な氣を背から噴出させる。
強い、勝てない――即座にそれに気付く。
しかし自分はいま丸腰で、ヴァルナもアストラエも周囲にいない。
そして、相手は自分を逃がす気はまったくないと本能が告げる。
意識がないのは、強烈な攻撃を受けたことによる一時的な意識の混濁だろう。呼吸が整うほどに、次第に意識が鮮明になっていった。
(そっか、私……)
セドナはいま、漸く自分が何故遙か格上の男を相手に戦っているのかを、思いだしていく――。
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