433話 SS:ここまで辿り着きました

 ドンロウ道場四聖拳、木行のユージー・ガオランは、ドンロウ道場の門弟の中で最強であると噂されている。

 そして、それは事実である、と医務室でベッドに横たわるイェン・ロンシャオはイーシュンに語った。二人の間にはもうわだかまりはなかった。極限の勝負の中で互いに互いを認め合ったからだ。


「ユージーは俺もリューリンも一回も勝ったことがねぇ。師範曰く、技、体は完成してるから後は心の問題だけらしい。暴風を受け流す為には柳の如くあるべしとは言うが、奴は柔らかすぎるとか」

「確かにまともに戦っているのを見たことがない」

「練習相手が壊れちまうからな。師範じゃないと相手出来ない。本人もそれを分かってるから戦いたがらねぇ」


 強すぎる力で全てを壊してしまう。

 だからまともに相手と戦わない。

 分かるようで、矛盾しているようにも思える。

 イェンはその矛盾をイーシュンとは違う形で捉えていた。


「力加減が出来ねぇのは心の問題だ。技術的には出来る筈なのに自分で自分の力を警戒して、結果的に力加減が一〇〇とゼロしかねぇ。ただ……」

「ただ?」

「今日のあいつはいつもと気合いの入り方が違え。お前の所の木行、下手すると死ぬぜ」


 ユージー・ガオランはドンロウ道場に入って有名になったが、入る前にも一部では有名だった。自らの弟に手を出した存在を絶対に許さず、相手が役士だろうが武装した山賊だろうがお構いなしに血祭りに上げてきた狂人。

 彼がドンロウ道場に入門したとき、地元民は安堵したという。

 あの怪物を受け入れてくれるのなら、安心して暮らせると。


 しかし、兄が化物ならば。

 土行に鎮座し、ユージーと似ても似つかない弟は、一体なんなのだろう。

 イーシュンはそのことが少し心に引っかかった。




 ◆ ◇




 暴虐の嵐――枷から解き放たれた獣の如く駆け、豪腕を振るうユージーを、アストラエはそんな陳腐な言葉で捉えた。


(なるほど、ヴァルナが初めてガドヴェルトと素手で戦う決意をしたときもこんな気分か?)


 何をどう足掻いても力では敵わないと察して回避と受け流しに徹するアストラエに、ユージーは殺意を剥き出しに腕を振るう。まともに受ければオークの首さえへし折りかねない威力と重量に拳法の技術と氣まで加わり、それは完全に殺人拳と化してした。


「グラァァァッ!!」


 拳を振るったあとに発生する突風で脚が揺らぎそうになる。

 拳や蹴りが掠めただけで、殴られたような衝撃が走る。

 これほど馬鹿馬鹿しい攻撃力を振り回す相手とは初めてだ。

 ヴァルナがガドヴェルトと行っていた戦いを思い出すが、ユージーはガドヴェルトとは明らかに違う。この男からは強い野生の鋭さを感じる。


 不意に、前進し続けたユージーの体が沈む。

 何をする気かと思った瞬間、彼は両手を大地につけて、でんぐり返しの要領で自らの体をアストラエの方に投げ出した。


 アストラエの頭上から、彼の巨体と筋力が相乗された原始的なまでの重量攻撃が迫る。見上げた瞬間に彼の尻と足が広がる光景は、アストラエをして想像を絶する恐怖だった。


「馬鹿かッ!?」


 思わずそう叫んで横っ飛びに回避すると、彼の重量がステージ上にズシンッ!! とのしかかり、地面が揺れる。もし直撃すれば下敷き、そうでなくても踵あたりが当たっていれば骨が砕けている威力だ。

 しかも攻撃はそれでは終わらない。

 ユージーは仰向けの体勢になったまま両足を振り回したのだ。


「大刈竜巻ィッ!!」


 立った姿勢からの脚ならリーチを見極められるが、寝そべった姿勢からの蹴りなどアストラエは未経験。しかも常人ならそんな姿勢からの攻撃は悪あがきの類だが、ユージーに限って言えば当たれば草のように薙ぎ倒される破壊力に変貌する。


 退避が間に合わずに咄嗟に跳躍したアストラエだが、ユージーはそのまま背を軸に肉体を回転させて跳躍したアストラエに脚の高さを合わせて更に回転。咄嗟に動きを合わせてユージーの脚を蹴ることで凌ぐが、今度は衝撃を逃しきれずにアストラエの体が空中で後ろ向きに回転する。


「これは、まずいッ」


 ゴウ、と大気を押しのけたユージーの回転蹴りが背に迫るのを感じ、アストラエは咄嗟に全力で身を捻る。

 間一髪、捻った体の肘がユージーの脚に命中し、その衝撃で身が逸れて直撃だけは避けられる。アストラエは連続攻撃を凌いで軋む肉体に鞭打って態勢を立て直し、接地と同時に地面を蹴り飛ばしてその場を無理矢理退避する。


 この間合いに留まっていては殺される、という判断だったが、それさえ甘い。


「オォォォォォッ! 猛角衝ォッ!!」

「おいおい……」


 ユージーは、両手を前足のように使って四足歩行でアストラエに迫っていた。

 確かに二足歩行の姿勢に戻ってからよりはそちらの方が速く動けるかもしれないが、彼は四足歩行から即座に前傾姿勢の疾走に変わり、そのまま防御を捨てて両腕を横に広げて突進してくる。その力、暴れ牛が突っ込んでくるのと変わりない。


 幾ら強烈なカウンターを叩き込もうが自分の重量と加速ならばそれ以上のダメージを相手に与えられると、彼は正しく理解している。そして連撃を躱して無理に離脱したアストラエの姿勢は安定していない。


 突進で跳ね飛ばされるか、彼の上腕二頭筋を首で受けるか、それとも突進の膝で骨を砕かれるか。

 勿論、そのどれも選ぶことはない。


「裏伝二の型、紙鳶! からの――」


 一瞬でも地面に足の裏がつくならば、染みついた技術は発動出来る。

 次の瞬間、アストラエはふわりと宙を舞い、空中でユージーの頭めがけて強烈な踏みつけを叩付ける。


「雷跳脚ッ!!」


 裏伝三の型、雷跳を応用した蹴りだ。

 常人ならこれで脳を揺さぶられる。

 しかし、アストラエの足に伝わってきたのは鋼のような感触。

 本来人間はどんなに肉体を鍛えようが頭だけは鍛えられない筈だが、鍛錬、体躯、氣の三種を揃えたユージーはこの可能性も意識に入れて備えていたらしい。不意打ちの一撃ならば効果はあるが、来ると分かっていて備えられてはこの一撃も効果は著しく減退してしまう。


(安い威力は込めてないんだがな……まったく、化物か?)


 アストラエはその事実に笑うしかない。

 否、彼は本当に楽しくて笑っている。

 高い壁ほど、彼はどうやって昇ってやろうかと燃える性格だからだ。


 この攻防一体の戦法を破る術は一つ。

 ヴァルナがそうだったように、相手のガードを突き破る高密度の氣を乗せた一撃を叩き込むしかない。王国攻性抜拳術はそのどれもが瞬間的には上位の氣に匹敵する力が籠っているが、その中でも勝負をかけるとなれば使える手は多くない。


 ただ、剣の時とは勝手が違う以上、求められる間合いも変わってくる。

 アストラエを見失った後も暫く突進を続けたユージーがカーブしながら回転して戻ってくる。万一背中を狙われても逃げられるように敢えて見えないまま加速を維持したのか、それとも本当にイノシシのように止まれないだけなのだろうか。


 何にせよ、正面きっての戦いは臨むところだ。

 全身に氣を漲らせ、アストラエも今度は真正面から挑む。


 ヴァルナ曰く、氣が外に漏れ出しているようでは王国攻性抜剣術はまだ極まっていないという。だから抜剣術を応用した拳でも究極的には同じことで、今のアストラエはあるべき姿となっていないのだろう。

 だが、それは運用上の理想であって、実戦では効果があることも彼は証明した。だからアストラエは己の持てる力を集結させて挑む。


「勝負だ、ユージー・ガオラン!!」

「ォォオオオッ!! この試合だけは、この試合だけはァァァッ!!」


 ユージーの形相は、もはや鬼の類であった。

 柔和そうだった顔面は野生を発露させたように血管が浮き出て、全身の血流が加速しているのか真っ赤に紅潮、それでいて視線は打倒すべき相手を明瞭に捉え、その上で頭に昇る血を全て戦いの為に回している。


 アストラエはそこに、妄執めいた彼の生々しい感情がある気がした。

 この試合、彼にとってはいつもと違う意味があるらしい。


(そのために己の強みを捨てるか)


 アストラエは彼の強さには感服していたが、一つだけ不満があった。 

 それは、彼の最大の強みであった「柔よく剛を制する」戦いが、今の彼からは完全に消え去っていたことだ。


 光明が見える、一筋の光明が。

 しかし辿り着かせまいと阻む無数の破壊の拳。

 アストラエは己の神経を極限まで研ぎ澄まされる。


 修行の日々を思い出す。

 肉体の中に収まっている筈の五感が外に漏れ出すような感覚。

 奥義・水薙の呼吸と合わせ、アストラエはユージーの拳の嵐に飛び込んだ。


「ぬあああああああああッ!!」

(もっと静かに、もっと深く――)


 トランス状態に突入したアストラエの視界は、現実の荒々しさとは対照的に全てが静かだった。音や破壊力を耳や肌で感じずとも、僅かに波打つ空気が教えてくれる。当たらない拳、躱すべき方向、時には敢えて身に掠らせることでダメージを受けなければ見えない道までもがアストラエには感じ取れた。


(感謝するぞ、ユージー。お前ほどの敵でなければ、僕はここまで追い詰められ、力を発露させることはなかっただろう)


 アストラエの右拳に激しい氣が宿る。

 激しい激情の拳は、吸い込まれるようにユージーの肉体に命中した。


「グッ……!!」


 されど、その拳は。

 レイフウ道場の門弟ならば耐えられずに膝をつき、立ち上がれなくなるその拳は。

 ユージーの恵まれた体格と氣の密度の前には、余りにも不足していた。


 故に。


 アストラエは最初から右手で仕留める気はなく、右拳が命中したことでユージーの意識が逸れるのを待っていたのだ。時間差で確実にもう一撃を直撃させる為に、反撃のリスクを織り込んで。


 本命は、最初から左手。

 敵の本命を穿つ最強の矛。

 アストラエが今持てる全ての技術を注いだ一撃。


紅雀くじゃく明応撃みょうおうげき


 氣による直前までの肉体の強化。

 王国攻性抜剣術の神髄、瞬間的な氣の発生と爆発。

 更に、蒐氣による防御無視を抜剣術の氣によって擬似的に再現。


 ここまで重ねられた氣の要素を奥義としての動きに破綻を生じさせず練り上げたのは、奇蹟と言ってよい。全てを貫く最強の矛、アストラエだけが生み出せた最強の奥義。そして、それを成功させる間合いに、アストラエは辿り着いた。


 突き出した拳、込められた氣、その全てはアストラエの想像と寸分の狂いすらない。

 言葉に言い表すのが難しい、全てが繋がったような未知の快楽。

 出し切った、という満足感が肉体を包む。


 アストラエは、終わった、と感じた。


「……いつから?」

「ほんの微かに違和感があった。本当に少しだけ」

「はッ――奥深い世界だな」

「効いたよ、すごく。でも今日は……」


 アストラエの拳は、ユージーの手に受け止められていた。

 彼の真骨頂である、剛をいなす柔の手で。


「こちらの勝ちだッ!!」


 ドウッ、と、肉体がバラバラに裂けるような衝撃が全身を強かに打ちのめし、アストラエの視界は一時の闇に落ちた。


 ――後に分かったことには、この時点でアストラエの一撃を受け止めたユージーの手の骨には亀裂が入っており、ガード越しに爆発したアストラエの氣はユージーの腹に青痣としてくっきりと残っていたという。


 ユージーは、それでもアストラエに勝利した。

 十数秒後に意識を取り戻したアストラエは、負けたにも拘わらず嬉しそうに笑ったという。

 レイフウ道場、これにて二敗一引き分け。

 残りの二試合を全て勝利しなければ、敗北確定。

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