389話 淀みの元を絶てません

 愛の説教タイムを終えて皆の待つ部屋に戻った俺は、深くため息をついてソファに座り込んだ。


「あ゛~慣れない説教で疲れた」

「もっと別の所に疲れるポイントあったと思うけどね。お疲れ」


 凄くナチュラルな動きで飲み物を差し出してきたイクシオン殿下のご厚意に甘え、レモン水を受け取る。極めて受け取りやすいタイミングと位置だったのは何故だ。


「ほら、アイドルの子たちのプロデューサーしてるし」

「流石は兄上。気遣いのレベルが違うな」

「そんなに褒めるな弟よ、はははははは」


 おとぼけ王族兄弟だが、俺は一応の確認を取る。


「イヴァールト王のお望みになるだけ沿ったつもりですが、いかがでしたか、イクシオン殿下?」

「やだなぁヴァルナくん、他人行儀に。身内しかいないんだし気軽にイッくんって呼んでくれよ」

「むしろ世の中の誰がその呼び方してるんですか……」

「えー? メラリン君と、あと二人きりの時たまにキレーネが私にも聞き取れるかギリギリくらいの小声でこっそり。ふふふ、聞こえないようこっそり言ったつもりなんだろうけど、我が付き人ながらそのいじらしさが可愛いじゃないか」

「やめましょう殿下。キレーネさんが大変なことになってます」

「……!? ……!!」


 イクシオン殿下の付き人ことキレーネさんが真っ赤な顔を手で覆って耳をぱたぱたさせながら恥ずかしがっている。なにやら悲鳴をあげているらしいが、相変わらずどんなに興奮しても声は爆裂小さいのでよく聞こえない。

 彼女は耳が尖ったフィサリ族だが、フィサリ族の耳って動くのか。全く知らなかったぞ。あとイッくん呼びもさらっと衝撃だぞ。


「……まぁ話を戻して、充分な内容だったと思うよ、ヴァルナくん」

「それを聞いて安心しましたよ。俺はそもそも他人にべらべら説教する趣味ないですし、うまく言えてるか不安だったんですよ」


 実は、俺としてはあんなに長々説教せずにズバっと問題点だけ言って撤退したかった。しかし演習開始前にイヴァールト王から「なるだけ容赦なく駄目出しをした上で、皇王に『おたくの騎士団役立たずだな』と遠回しに言って欲しい」という要望を受けてたのであんな形になったのだ。


 これも外交の一種らしい。

 王国は全然本気出さなくても皇国の騎士団程度なら片手間で圧倒出来る戦力持ってる訳だけど、あれあれ皇国さんそんなに騎士団弱くてどうしたんですかー?――みたいな感じのプレッシャーをかけて今後の外交を優位に進めるのだそうだ。


 俺には理解の及びにくい駆け引きだが、次期国王たるイクシオン殿下は父の狙いを理解しているようだった。


「ここ数十年、王国は順調に国力を伸ばして世界有数の先進国家に成長した。逆に皇国は帝国が台頭してきたにも拘わらず、対抗するような大きな改革はなく、次第に衰退を始めている」


 衰退してもなおこの国は元々の分母が大きいので依然として超大国だが、最新鋭の加工技術によって加速度的に機械化と発展が進む帝国の影響力は皇国も無視出来ない規模になりつつある。

 なのに皇国は何も変わらないし、王国と違って帝国の機械技術を取り入れたり発展させようという活動が殆ど起きない。この期に及んで機械技術を見下しているらしい。思いっきり機械技術に世話になっている外対騎士団の俺としては信じられない気持ちである。


「皇国がいつまでも大物気取りで王国を見下している現状に、父上はそろそろ切り込みを入れたいのだろう。王国が今以上に優位に立ちたいのもそうだが、大陸の国家の中でも重要な同盟国である皇国が落ちぶれれば我が国も決して少なくない損害を被るからね」

「はぁ……まぁ、不満や疑いはありませんよ。ただ、俺としては皇王に『あいつら物の役に立ちませんよ』って一言言って帰るだけで終わらせようと思ったんですけどね……」


 セドナは俺の言葉に意外そうな声を上げた。


「えー、問題点を指摘してあげないの?」

「してもいいけど、所詮他所の国の騎士団だからどこまで偉そうに言って良いかは俺にはよく分からないんだよな。自分で面倒見ることになる相手ならまだしも、よその騎士団に頭ごなしに偉そうなこと言ってもなぁ」

「ヴァルナくんそういうトコ拘るよね~。責任感はあるけど抱える範囲は決めてるっていうか。でも取れない責任抱えるよりはそっちの方が現実的だよね」


 セドナが納得してくれたところで、部屋の扉がノックされて一人の人物が招き入れられる。今朝にお世話になったルシルフル男爵だ。

 セドナ辺りとは初めましてのため丁寧に挨拶をする彼は、相変わらず柔和な笑みを浮かべている。


「いやぁ、大変なことになりましたな。皇王陛下は騎士団の体たらくに大層お怒りで、明日にも騎士団の改革会議を執り行うと意気込んでいらっしゃいます。わたくしも忙しくなります」

「騎士団を管理する立場ですもんね……ていうか、そうだ! 今更ながら騎士団にあんなことしてルシルフル男爵の立場は大丈夫なんですか!?」


 ルシルフル男爵は騎士団の監督者の一人だ。

 しかも騎士団の方針を決める他の貴族より立場は低く、真っ先に責任取りで切られる立場にある気がする。今更焦る俺だが、彼は気にした様子はなかった。


「大丈夫ですよ。今回の事はモルガーニ卿にも話を通した上でイヴァールト王が許可を出しておりますので」

「そ、そうですか……?」

「ええ。ご心配いただけたのは嬉しいですが、何とかなります」


 曰く、次に行われる騎士団の改革会議はモルガーニ卿が主導権を握るらしい。

 というのも、騎士団運営側はまさか今になって騎士団の存在意義が根底から揺らぐ事態が起きることなど想定しておらず、逆にモルガーニ卿は現体制の停滞した部分を切除するために様々な情報を仕入れ、手回しを進めていたので、その差が出るのだという。


「騎士団を変えると言っても、運営のノウハウを持った人間をいきなり飛ばしてしまえば組織がままなりませぬ。その点、わたくしは雑用を押しつけられていたため騎士団の裏方仕事はよく知っている。口出しだけで自分たちは大したことをしなかった他の貴族と違って便利に使えるコマなので、切るに切れないのですよ」


 ほっほっほっ、と笑うルシルフル男爵はどこか楽しそうだ。


 誰よりも間近で腐敗した騎士団とその運営を見てきた人の、実に快活な笑い。しかも頭ごなしに命令してきた連中の仕事をこなしたことで、逆に他の連中が焦る中で自分は次の役割が内定しているという事実。


 案外、騎士団がボロクソに負かされて一番せいせいしているのはこの人なのかもしれない。ルシルフル男爵も結構悪い人だなとは思いつつ、自分のやったことにも多少は意義があったと少し安心した。


 楽しそうな彼の姿を見たセドナがこそっと俺に耳打ちする。


「知ってるヴァルナくん? いま小説だとこういう感じのストーリーはざまぁ系って言うんだって」

「なんか違うくないか?」


 俺個人としてはダメ騎士団を一人の新人が熱意で変えていくみたいな方がまだ好きである。それはそれとして諦めも肝心だが。職場が肌に合わず騎士団におすすめされた転職先で才能を開花させた人の話はちょこちょこ聞くもの。

 大体の人が「あんな黒い職場にダラダラ留まってないでもっと早く自分で決断すれば良かった」って言うらしいので、それはそれで外対騎士団所属としては複雑だが。無論、気を許した者同士だから言えるジョークの類だ。……本当にジョークだよな?


 と、ひとしきり笑ったルシルフル男爵がふと佇まいを正す。


「おほん、失礼。それで以前に打診のあったスラム街を見学したいという話ですが……ひとり案内役に適任の騎士がいましたので短期間ならなんとかなりそうです。ただ、騎士団のいざこざ等ありますので今日の午後からでなければ都合を付けづらくてですね……」

「ああ、その時間で大丈夫です。お前らも良いよな。アストラエ、セドナ?」

「無論。むしろ僕ら的にも明日からギルド査察だから今日中に出来るならありがたいくらいだ」

「どんなとこだろ、スラム街! ……楽しい所じゃなさそうだけどね。社会勉強させてもらおっか」


 という訳で――王国のお上りトライアングルは、初のスラム見学に向かうことになった。




 ◇ ◆




 一般的にスラムは「都市の貧困層が過密状態で居住する地区」とされている。田舎ならそんなことせず農業にいそしむ事になるので、開発が進み人口が多くなった都市固有の現象と言えるかもしれない。


 開発され厳しいルールが敷かれた代わりに豊かになった都市。その裏で、第一次産業で成り立つ生活を否定する新秩序に馴染むことの出来ない人は出てくる。皮肉にも世界で初めてスラムという概念が生まれたのは、最も都市化が早かった皇国らしい。


 衛生状態は悪く、非合法の行為が横行する、貧民の掃き溜め。

 そのため、負のイメージがかなり強い。

 しかしスラムと一言に言ってもいろんな種類のスラムがあるらしい。


 案内役の騎士バーナード――虐められているのではと危惧されていた男だ。訓練中にも見かけた――は、その違いを説明してくれた。


「異なる文化や信仰を持つ人たちを一方的に現代文化に染め上げようとした際に発生するスラムもあります。これは厳密には文化を持ち込んだ側から見ればスラムに見えるだけで、言われる側としては今まで通りの生活をしてるだけってパターンが多いです」

「なるほどなぁ。王国は少数民族の自治権が手厚いからそういうことが起きづらいのか……」


 もちろんそれによって発生する不便もあるが、今はさておく。


「大規模開発で人手が必要になって沢山呼んだはいいものの、開発終了後にその人達の仕事と住居がない……などというパターンもありますし、経済の悪化で失業者が増えればそれによって発生するスラムもあります。あとは単純に社会になじめなかった人ですね」

「どんな風に暮らしてるんだ?」

「皇都の場合、再開発に際して住む人も管理する人もいなくなった地域に貧民が勝手に集まって占拠しています。そこで日々を凌ぐ低賃金の仕事にいそしんだり、犯罪に走ることも……」


 騎士バーナードは最初の方こそ俺たち四人――大三角プラス護衛のメンケント――の前に緊張を見せていたが、スラムに近づくにつれてそんな様子は見せなくなっていく。元々スラム出身だから、懐かしい空気に緊張がほぐれているとかだろうか。


 アストラエが疑問を挟む。


「犯罪者なら検挙しないのか?」

「何百人といる貧困層です。しかも捨て子や身元の分からない人も多い。そうした身分の不確かで罰金も取れる見込みがない人間を捕まえて、煩雑な処理で法の裁きを下し、刑務所まで運ぶのは非常に大変なんですよ。しかも罪の軽い者は数年で解放され、また行き場所がなくてスラムに戻ってきます」

「スラムの温床となる地域を徹底的に潰せばいいのでは?」

「そうした試みはあったそうですが、諸々の事情が絡み合い上手くいかず、逆に路上生活をするストリートチルドレンの類が増加しただけでした。そうした人たちはまともに教育も受けられないし偏見を受けて仕事にも就きづらい。生きるために犯罪を犯し、捕まって……と、キリのないループにうんざりした衛兵たちは、スラムを基本的に放置しています」

「成程な。居場所を潰しても、そもそも貧困者の事情を解消しない限りはいたちごっこか」


 一応は納得を見せたアストラエとは対照的に、セドナは金持ち視点で別の角度から話を聞いていた。


「普通に暮らしてる人を立派な大人に育てるのだって大変なんだもん。しかも立派に育った筈なのに不幸が重なったら、望まずして落ちぶれてしまう人だっているし」


 セドナの家は大商家だからか、その言葉には実感が伴っていた。


「パパがね、時々お酒で酔いが回るとよく言ってたんだ。助けようと思ったのに助けきれずに居なくなってしまった友達は沢山居るって。見込みがあったのに周りが納得してくれなくて仕事が続かなかった人の話とかも。お金で解決できない問題の最たるものは差別と偏見なんだって」


 差別も偏見も、長期的に見ればお金のかけ方次第である程度は緩和可能だろう。しかし、人の常識とは一定の年齢に達すると固定されるものだ。既に固定されてしまった価値観を後からお金でどうこうするのは困難を極めるだろう。

 バーナードもそれに同意する。


「人は自分より下の立場の人間がいると優越感を覚える。だから皇国は敢えてスラムの存在を黙認している。国家が解決するのが面倒な問題がそこに流れ込み、更には民の王に対する不満も体の良い差別対象がいることで分散されます」

「ぞっとしない話だ」

「はは……」


 バーナードは気まずそうに笑った。

 自分の言葉が幾つかブーメランになっている自覚があるのだろう。

 俺たち王国騎士だって突き詰めれば似た考えを持っている気はする。

 主にオークへの苛烈な殺意とか。


 バーナードが町の路地を通りながら、行き先に指を差す。


「……さぁ、この辺りから先が一般的にスラムと呼ばれる場所です」


 俺はその言葉を意外に思う。

 遠目に見た感じ、普通の町との境目が分からないのだ。

 アストラエもそうみたいだが、セドナは何となく気配を感じ取っていたのか驚いた様子はない。こいつ、こう見えても人混みに溶け込んだり施設に侵入するの滅茶苦茶得意だからな。何らかの本能で違いを感じ取ってるんだろう。


 一応、悪目立ちしないようにこの場にいる全員が皇国平民の服を着ているし、目立つ貴重品は持っていない。俺も腰から堂々と剣をぶら下げてはおらず、精々が聖盾騎士団が服の内側に纏う特殊な手甲などの装備をこっそりしている程度だ。


 バーナードは私服だが帯剣はしている。これは彼がスラム出身だからこそであり、普通こんなものをぶら下げてスラムをうろついたら警戒されて誰にも話を聞けないそうだ。


「スラムの人たちは空気感に過敏です。警戒心を態度に出したり、逆に馴れ馴れしく近づきすぎたりしないでくださいね。準備はいいですか?」


 バーナードの問いに、全員が頷いた。

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