388話 そのようです

 演習終了から十分後、皇国の広大な訓練場に集結する騎士たちは、訓練開始前のやる気に満ちた様からは想像も出来ないほどの虚脱感と無力感に苛まれていた。


 重装歩兵隊は結局ヴァルナに追いつけず無駄に走り回っただけ。

 歩兵、軽装兵は散々蹴散らされ、弓兵はヴァルナの雑な投擲物に怯え、騎馬隊は隊長が無様を晒しただけで終わり、最後の防衛戦は訳の分からない攻撃で崩壊。世界最大規模の騎士団である筈の皇国騎士団は、三百対一の戦いでヴァルナに一撃も加えることが出来ず惨敗した。


 一部にはこの演習に納得がいかない、認められないという表情の者もいるが、今更結果が覆る筈もない。何故なら大勢の証人として外国や国内の要人、果ては皇王も見学していた中での敗北なのだから。


 騎士バーナードはこの騎士団の中で誰よりも先に勝利を諦めたため、結果の無力感より先のことを考えていた。


(騎士団はこれから荒れそうだな……)


 これは国辱的結果である。

 七星ドゥーベ級冒険者の人間離れした戦闘能力は前々から耳にしていたが、その七星冒険者を相手に勝利した騎士ヴァルナは想像の更に上だった。しかも、皇国から招いたようなものとはいえ、ここまで派手に負かせてくるとは誰も予想していなかったのは確かだろう。


 はためく旗に描かれたアリコーンのエムブレムが泣いているようにさえ見える。

 皇国騎士団総勢三百名の前に立った騎士ヴァルナの視線は心なしか厳しい。


「俺はあまり言葉が上手くないので、端的に言う。君たちは騎士とは呼べない」


 その言葉が癪に障った騎士たちのヴァルナに対する敵意が強まるが、誰も口に出して反論はしない。何故なら、ヴァルナが勝者で皇国騎士団は敗者だからだ。

 いや――ひとりだけ食ってかかる人物がいた。

 騎馬隊長のアレインだ。


「姑息な手段で陣形を突破しておいて何を言うか!! 貴殿こそ騎士の風上にも置けぬ!!」

「そもそも前提を勘違いしてるんだが……ではいまから決闘でもするか? 俺は構わないが」

「貴様、田舎騎士の分際で偉そうにッ!! いいだろう、騎馬隊長アレインの名の下に貴殿に決闘を申し込む!! 命までは取らぬが、覚悟をせよッ!!」


 アレインは額に青筋を浮かべて槍を構える。

 仮にも指導して貰う立場でこの言動は余りにも無礼だが、それだけ彼は気位の高い貴族出身であり、そして演習も納得がいかないものだったようだ。彼は正々堂々のぶつかり合いで敗北したなら納得は行かずとも結果は受け止めるが、今回彼は戦えてすらいないため、不満を抑えきれなかった。

 ヴァルナは特に気にした様子もなく淡々と剣を抜く。


「王立外来危険種対策騎士団、騎士ヴァルナ。決闘承った」

「せやぁーーーーッ!!」


 アレインの槍がヴァルナに迫る。

 ヴァルナはその槍に歩いて近づき、身を翻して躱し、アレインの首筋に剣を突きつけた。言葉にすればアレインが間抜けに聞こえるが、他の皇国騎士が真似していれば槍が腹か胸に直撃して吹き飛ばされているのを、神懸かり的なタイミングで躱している。

 剣の腹をひたひたとアレインの首筋に当てたヴァルナは、「まだやるか?」と問うた。アレインは即座に「今のはまぐれだ!! 認めない!!」と叫んで槍を振り回してヴァルナを強引に遠ざける。


「改めて勝負ッ!!」


 アレインはそれでも一応対策を考えたのか、今度は突っ込まずにヴァルナの出方をうかがう為に槍を構えて待った。するとヴァルナはゆらり、と横に歩いたと思った瞬間に急加速し、アレインの槍の先端近くに刃を振り抜く。

 デザインと実戦を兼ね備えたアレインの槍が穂先から切り飛ばされ、宙を舞う。


(遠くで見てたから何となく分かったけど……急加速して接近した後、隊長が咄嗟に反応して穂先を動かしてたのにさえ反応して切り落とすって……!!)


 改めて見ると、バーナードはこの騎士に限って自分の『まぐれの一発』が当たる要素など最初から皆無だったのだなと思い知る。

 ヴァルナはそのまま咄嗟に引こうとしたアレインの槍を手で掴んで動きを封じる。

 アレインは焦って手を前に出す。


「ま、待て!!」

「いいぞ、待ってやる。次はどうする?」


 アレインはその返事に僅かな時間呆け、そして自分で待てと言ったにも拘わらずプライドが傷ついたのか憤怒の形相を浮かべて槍を手放し、腰の剣を抜く。


「槍だけが騎士の武器と思うな!! 皇国式剣術第一奥義、リコンホーンッ!!」


 空気をも穿つ俊足の刺突。

 並のオークなら急所を突けば優に致命傷を与えられる一撃だ。

 刃は吸い込まれるようにヴァルナに迫るが――。


「王国攻性抜剣術八の型、白鶴」

「あッ!?」


 剣が逆袈裟の一太刀であっさり跳ね上げられ、今度は剣の先端がアレインの喉先をぴたりと捉える。誰がどう見ても実力差は歴然で、アレインに勝機はない。


「もう一度待ってやろうか?」

「うがあぁぁぁぁぁぁッ!!」


 アレインは自分のプライドを守る余り、一種の禁じ手に出た。

 訓練は原則不殺という制約を利用して敢えて前に出たのだ。

 ヴァルナもうっかり殺すわけにはいかないので剣を引くと、彼は手甲を剣に押しつけて切られないよう封じ、ヴァルナに肉薄する。その狙いにバーナード含む騎士達はすぐ気付いた。


(組手術に持ち込む気だッ!!)


 アレインはプライドは高いがそれだけ騎士団内では優秀な武術の使い手でもある。鎧姿でも組み付くことが出来れば勝機があると判断したのだろう。しかし、接近した瞬間にヴァルナが左手でアレインの顔面に首が吹き飛ぶような正拳突きを放つ。


「フッ!!」

「ぅゴブはぁッ!?」


 ごりゅ、と骨のぶつかる嫌な音を響かせて仰向けに倒れ伏したアレインの首筋に、今度は二本の剣が鋏のように交差した状態で突きつけられた。顔を上げるアレインは鼻血が垂れるが、剣が邪魔で拭くことも出来ない。


「演習が早く終わって時間が余ってるからな。まだ付き合っても良いぞ」

「この……わたしの、顔に……!?」


 アレインは仰向けのまま剣を突きつけたヴァルナの股間に向けて蹴りを放とうとするが、ヴァルナが先に足を踏みつけて動きを封じる。それでも血走った目で藻掻くアレインだが、いよいよ埒があかないと感じたのかルネサンシウス騎士団長が前に出る。


「もうやめよ、アレイン。百度繰り返しても結果は同じだ」

「しかし騎士団長ッ! こんな、コケにされた形で終われますかッ!」

「これ以上の駄々はやめよ。おぬしは確かに騎士団内でも指折りの名家の出身だが、矜持の持ち方を勘違いしてはいかん。怒りを飲み込むのも矜持というものだ」

「……くっ。刃をどけろ!」


 アレインは自分の敗北を認めなかったが、それ以上何も言わず、戦う意思が失せたのを感じたヴァルナは剣を収める。ルネサンシウスは眉間に深い皺を寄せて俯く。


「大変申し訳ない、騎士ヴァルナ殿。私は部下を余りにも甘やかしすぎたようだ……話を続けてくれまいか?」

「承知しました。では、本題に戻ります」


 改めてヴァルナは騎士団を見渡した。

 まるで一人一人の目に問いかけるような視線に、バーナードも自然と背筋が伸びる。威圧感がある訳でも怖い訳でもないのだが、あの目には人を無視させない力が籠っていた。


「まず諸々の細かな指摘に先んじて言っておかねばならないんだが……君たちは不逞の輩が姫を狙いにやってきたとき、真っ先に何をすべきだと思う?」


 騎士たちの大半がざわつき、残りの騎士たちは何を言わんとするかに気付いてうなだれたり反抗的な視線を向ける。騎士の一人が思わずと言った風に口を開いた。


「不逞の輩を排除するために、戦うのではないのですか?」

「それは重要なことだ。しかし、そもそも姫を守りたいならもっと守りやすい場所に誘導するなり、不逞の輩の目の届かない場所に避難させることも同時進行で行うべきだろう? 何故僅かでも危険性があると分かっている場所に護衛対象を置きざりにする?」

「えっ……それは……」


 あちゃあ、とバーナードは頭を抱えたくなった。

 それこそまさに、バーナードがディアマント参謀に頼まれた伝達の内容だった。


(腐っても参謀。正解だったんだな、あれ……)


 ディアマント参謀はあのとき、バーナードにその事情と共に「一刻も早く騎馬隊の人間を姫を逃がす為に後方に回すべし」というメッセージを託してきた。


 騎士ヴァルナは訓練場の入り口から直進して姫の元へ向かうと言った。

 訓練場が戦いの場だとも、姫を動かしてはいけないとも、一言も口にしていない。しかも、相手の想定はあくまで『不逞の輩』であり、前提としてこの訓練は騎士同士のぶつかり合いではない。


「時と場合によっては動かせないときもあるだろうし、正々堂々としておかねばならないときもあるかもしれない。しかし、それを差し置いても守るべき存在を守り切るのが責任ある地位にいる人間の職務だ。まして高い国民の税金から活動資金を貰って有事に備える皇国騎士団には、並では済まない責任がある」


 責任。

 その言葉は、騎士団ではよく使われる。

 責任を感じる、責任を持って事を為す、責任は自分にある。

 誰も責任なんか取らないくせに――軽々しく使われすぎて中身の伴わないバルーンのような言葉だとバーナードはいつも思っていた。

 今、その責任を取らなかったツケが回ってきている。


「君たちは率先して守るべき姫の役に途中まで護衛の一人もつけていなかった。後半は騎士団長含め気付いた者がいたようだが……時既に遅し。伝達の不備もあったようだ。これは王国と皇国の監視役からの報告だがな」


 ヴァルナは不備の犯人が誰とは一切言わないが、バーナードをあしらったあの騎馬隊員は顔面蒼白で震えている。これまでならファミリヤのせいに出来たのに、今回は伝達の不備が生まれた現場を完全に見られていたからだろう。

 ざまぁみろ、と内心で思う。

 と、騎馬隊の一人が声を荒げた。


「目の前に敵が迫っているのに引いては騎士の沽券にかかわる!! 我々は貴方が来るから引けなかったのだ!!」

「もし不逞の輩が本物で、姫が首だけになっていても皇王陛下に同じことを言うのか?」

「黙れ! 論点をずらすな!!」


 どっちがだよ、と周囲が思うが、ヴァルナは動じない。


「そうだな。大事な論点は一つ、騎士は誰の為にどのような行動をすべきか? この一点だ。君は、騎士とは姫の命を救うよりは沽券の方が大事だと考えていることは今のやりとりでよく分かった」

「な、違……!!」

「分かってる。君はそんなつもりで言った訳じゃないだろう。ただ――考えたこともなかっただけなんだろ? 違うなら訂正してくれ。俺も勘違いはするかもしれない」

「違う……違……だから、それは、違うだろ!!」


 途中までせせら笑うような気持ちで騎士とヴァルナのやりとりを聞いていたバーナードは、ふと、自分もヴァルナに対して何も言い返せないことに気付いて背筋が凍った。


 自分はヴァルナと対峙したとき何を考えていた?

 伝令を受けたとき、本当に合ってるのか首をかしげたのは自分では?

 伝令が失敗した後、真っ先に責任の所在だけ気にして、あとは姫を守る為に動くという発想を全く持たず見物に回っていたのはどこの誰だ?


(俺は……同列……? あいつらと? 人を勝手な理由で見下すあの連中と?)


 気持ちの悪い虚脱感が全身を苛んでいく。


 自分の目標は偉くなること。

 騎士になったのはその近道だったから。

 そこに国家や王家への忠誠心が、どの程度含まれていただろうか。

 自分は偉くなって、どうなりたかったか真面目に考えただろうか。


 『君たちは騎士とは呼べない』――その一言が、バーナードの心の中で加速度的に重みを増していった。ヴァルナは、その重みを更に増させるように騎士団の不備を指摘する。


「この現場には今朝まで怪我人だった人間や二日酔い、先日の夜に腰のトレーニングにいそしみすぎてふらふらした騎士がいる。それを今まで常態化させておいて、実戦形式の危険な訓練に出撃させた騎士がいる。伝達を無視し、連携を無視し、勝手に動き回った騎士がいる。そして、何よりも大切なものを見失った騎士がここには大勢いる」


 騎士とは誰の為とは言わずとも、最低限『誰かを守る』存在であってこそ意義がある。たとえ皇国騎士団が平民を無視する騎士団でも、せめて貴族や王族を守るのに十分な働きをするなら職業としては成立する。

 ヴァルナは、それさえ皇国騎士団では成立していないことを言外に指摘していた。


「……確かに少々意地悪な言い方だったとは思っている。『直進して』、『姫に向かう』。だから『俺を阻止してもらう』。そう言われれば訓練場内に陣を組むだろう。しかし実際の不逞の輩はそんな事情は考慮しない。俺が本当に相手を殺す気なら訓練場の塀を跳び越えれば君らの殆どを無視できる。そちらが陣を組むより戦力を小出しにして建物で籠城しながら延々と時間稼ぎしてれば本当に三十分を乗り切れた可能性はあった。それが統一された意識を持って事に当たる集団の力というものだ」


 そこでヴァルナは一度言葉を切った。


「と、偉そうに語ったが、所詮俺は王国の騎士で、今のは王国人的な考え方に過ぎない。今後の参考の足しにでもなればそれで満足だ。もし次にまたこの騎士団と刃を交えることがあれば、もっと強固な目標と結束を持つ組織になっていることを願う」


 騎士ヴァルナは最後に騎士式の礼をし、皇国騎士団に背を向けてその場を去る。

 去り際にヴァルナは見学に来ていた皇王に一礼し、そこで最大級の破壊力を持った一言を残す。


「皇王陛下、恐れながらこの国の騎士団はこのままでは陛下をお守りできません。抜本的な組織の見直しを図るべきかと愚考いたします」

「……そのよう、であるな」


 皇国騎士団の組織的欠陥を、皇王は全く否定出来ずに頷いた。

 それが、騎士団の現体制の致命傷となった


 ――後に『三十分演習の悲劇』と呼ばれ、皇国騎士団の勢力図を破壊することになるきっかけとなった事件の終幕である。

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