短編3 天下無双です

 人類の歴史とは病気との戦いの歴史である。

 と、この手の話を始めると「人類の歴史とはシリーズ」のレパートリーは無限にあるのだが、今回だけは病気に的を絞らせて頂くとして、である。如何なる偉人、鉄人、超人であれ、病と縁を切る事は至難の業である。こと流行り病に関しては、自らの意志に関係なく運が悪ければ患ってしまう。


 他人に伝染する病というのは往々にして一握りの感染者から広まるもので、その人間が一定環境下で菌をばらまいてしまうと感染爆発と呼ばれるほどに激しい勢いで感染者が増えてしまう。故に病は水際での対策が重要なのだ。

 つまり、そんな水際対策さえする暇がなかった王立外来危険種対策騎士団の実働メンバーたちは、騎道車内で阿鼻叫喚の地獄絵図の様相を呈することになったのである。


「騎士団の九割が戦闘不能ゴフゴフッ! 現在我が騎士団は、いつぞやのヘゲホッ、冬期山中騎道車エンスト事件以来の未曽有の危機に陥ってますゴッフ!!」

「あの、前置きはいいですから手短に。見てるこっちが辛いです」


 猛烈に咳き込みながらも職務を全うしようとするローニー副団長の惨状に、俺は哀れみの視線を向けた。かくいう俺も恐らく発症していないだけで菌そのものは貰っていると思う。一応マスクは装着しているが、恐らく手遅れだろう。広まった病気の症状が風邪止まりなのは不幸中の幸いかもしれない。


 きっかけは近くの村に買い出しに行った一人の騎士が体調を崩した事からだった。その騎士は、最初は発熱程度では休めないと奮起していたのだが、仕事中にぼーっとしたりくしゃみや咳を連発し始めたので医務室に叩きこまれた。


 だが、病気の癖に動き回っていたのが不幸の始まり。

 彼の体に潜む病は既に騎士団内を飛び散り感染が拡大、既に騎士団はオークと戦う前から壊滅状態である。日常的に口元を布で覆っているためか奇跡的に難を逃れた教練騎士のンジャ先輩曰く、「獅子身中の虫、敵に非ず故、尚度し難し也」だそうだ。


 やる気が空回って余計な事をすると、周囲がそのフォローに奔走する羽目に陥る。しかも我々は現在オーク掃討作戦の詰めの途中であり、このタイミングでの感染爆発はもう悲惨の一言に尽きる。既に一部の先輩方が戦犯のつるし上げを鼻水垂らしながら画策しようとしているが、それすら熱で考えが纏まらないようだ。 命拾いしたな、戦犯先輩。


 ともあれ、実働メンバーのうち働けるのが両手の指で数える程しかいないのならば、それは事実上の作戦頓挫を意味する。


「しかしゴフゴフ! 我々の撤退は我々の敗北ッボホ! ひいては……ぜぇ、ぜぇ、失態を理由にィッフ、予算削減の末の騎士団解散という最悪のシナリオに繋がぃ……オゴフッ!!」

「いや、もう何言いたいか大体わかりますから。オークの巣に単独奇襲かけて群れの中心であるメスオークを殺し、あと可能な限りでかいオークも殺してきます」


 ローニー副団長は言いにくい事があると前置きが長くなる悪い癖がある。俺の予想は的中だったらしく、既に汗と涙と鼻水と涎でぎとぎとになった顏を震わせて「おねがいじまず……」と項垂れた。騎士数名でオークの群れに突貫せよ――これ即ち、王国に於いては「死んでこい」と同義である。

 しかしながら、それは普通の騎士に命じた場合の話。

 我が身、尋常なる騎士に非ざる故。


「任せてくださいよ。最低限やることやって、無事に戻ってきますって」




 ◇ ◆




 ――その日、偶然にも病から逃れた騎士たちは、壮絶な光景を目撃する。


 始まりを告げたは、遠くから投擲された爆竹だった。


 連続する破裂音と閃光に気を取られてオークが警戒態勢に入った瞬間、背後から迫る稲妻のような剣閃が三匹のオークたちの命を一刀の下に、しめやかに首を狩り取った。殺されたオークは群体の序列三位、戦いの矢面に立つ兵士タイプ。オークの中でも真っ先に前線に突っ込んでくる厄介な戦力だった。

 犯人は、たった一人の騎士――ヴァルナ。

 死神のように峻酷な表情で敵を処理した彼は呟く。


「まずは三匹」


 背後からの奇襲に対応できなかったオークたちの首が地面に落ちるより早く、ヴァルナは更に深く踏み込み、嵐のような縦横無尽の剣捌きで周辺のオークを瞬く間に切り伏せていく。刃の全てが骨と骨の間をすりぬけて心臓か脊髄を正確に切り飛ばし、五匹の大型オークが悲鳴を上げる事も出来ず絶命した。殺されたのは序列三位の兵士タイプと、準ボスである序列二位の兵士長タイプだ。


「八匹」


 豚狩りの刃は留まることを知らない。仕留めたオークたちの鮮血が飛び散るより更に速く、深く、ヴァルナは群れの中心に踏み込んでいく。


「九、十、十一、十二……」


 剣が煌めくたび、命が断たれていく。

 抵抗するオークが振るった骨をも砕く棍棒さえ、殆ど見向きもせずに躱し、次の瞬間には鮮やかなまでの剣捌きで急所を貫いていく。回避と反撃を淡々と繰り返すヴァルナの歩みは止まらない。


 その様、天衣無縫。疾風怒濤。そして天下無双。


「ブッ……ブギャアアアアッ!!」


 たかが一人に負けてなるものかと総攻撃に出たオークの猛攻、そのすべてを風の如く掻い潜り、首や心臓を刺し貫き、乱戦の合間を潜り抜ける。しかし、実際には彼は目標に至るまでの空間に存在する最小限の敵を撃破しているに過ぎない。

 オークに死を齎す刃の行き先は、最初から一つ――群れの中核たるメスオークのみ。


「三十四匹。これでノルマはおしまいだ」


 一閃。

 群れの中核であるメスオークの首は天高く宙を舞い、そして既にヴァルナに殺されていた群れのボスオークの隣にぼとりと落ちた。

 群れは、たった一人の騎士の前に瓦解したのである。

 慄くオークたちを死体の上から見下ろした騎士ヴァルナは、ひとりごちた。


「ノルマの後は……残業だよな?」


 瓦解では足りない。

 言外にそう告げた彼に、オークたちは恐怖した。この人間と戦っては絶対に生き残れないと確信し、首元に添えられた鎌の如き殺意から逃れる為に一斉に悲鳴を上げて逃げ出した。

 無論、ヴァルナともあろう男が指を咥えてそれを見逃すことはあり得ない。背を向けるオークの首を更に求めて彼は疾走し、最終的に百匹のオークを殺害した。


 ――が、その後、人手不足故に死体回収の大半を自分でこなす羽目に陥って半泣きになりながら事後処理をしたという。


「ぶえっくし! くそぉ、段々俺も調子が悪くなってきたし皆にはドン引かれるし、俺だけ割食ってすげー納得いかねーッ!!」


 ちなみにオークの死体の損壊が大きかったのでノノカにいじけられたヴァルナは更にダメージを負って病状が悪化し、治癒師の女医フィーレスに珍しく優しい看病を受けたという。

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