短編2 夢を追う者です

 オークとはどんな生物なのか。

 どのような生態を持ち、どのような行動指針を持ち、何を成す生物なのか。


 比較的メジャーな生物として認知されるオークだが、余りにもありふれ過ぎていてオーク研究は世界的にも後回しにされがちだ。そんな穴場の研究対象にノノカ・ノイシュタッテという学者が興味を持ったのは、彼女が大学を卒業して冒険者と共にフィールドワークに勤しんでいた頃の事だった。


 ノノカは自然学者であり、より厳密にいうと『土』を調べることを専門としていた。環境にとって土とは植物を育むだけでなく、浄化作用や保水作用など様々な役割を持った地上の環境の基本だ。故にノノカは生きとし生けるものを育んできた土を調べる為に、地形や植物、生態系、果ては化学ばけがくや魔物学の知識も蓄えている。

 だからこそ、彼女は土地を調べているうちにあることに気づいた。


 ――オークが沢山殺された土地では、一時的に自然環境が悪化してる……?


 オークが住んでいるうちの環境被害は単純にオークが土地を荒らしているからなので理解はできる。しかし、オークが退治された後の環境を見ると、再生の早いところと遅いところがある。そして遅いところは決まって冒険者とオークが直接対峙した場所だった。

 この差異が気になったノノカはオークが土に特別な影響を与えているという仮説を立てた。


 周囲は『そんな訳があるか』と苦笑し、ノノカの話を一笑に付した。

 その当時、オークは毒を持つ生物とは考えられていなかった。仮に毒があったとしても、毒を攻撃手段に用いる訳でもないので、人間からすれば意味のない毒だった。


 しかしノノカは『必ず理由があるはずだ』と研究にのめりこみ、オークのいた土地の中には不毛の大地になった場所もある事を突き止めた。更にその土壌から自然界では魔物しか持たない毒が検出された事を理由にオークの血液に目をつけ、遂にはオークの血液に毒が含まれていることを突き止めた。


 しかし、ノノカの研究はそこで一度終わることになる。

 理由は様々あるが、最大の理由は研究者の宿命――金欠だ。


 新人ながら有能だったノノカは当時所属していた皇国学会から資金援助を受けていたが、ノノカがオークについて研究している事を知られてからは研究費を削られ、遂には打ち切りにまで至った。理由は簡単で、学会からすれば、研究しても世間から注目もされなければ役に立つわけでもないオークの研究に何の旨味も感じなかったからだ。


 ノノカは当時の上司の、いかにも全てを分かっているようで、実際には理解せんとする意思の欠片も感じない態度を克明に覚えている。


『ノノカくん……こんな下らない事を究明するために貴重な研究資金は割けないのだよ』

『くだっ、そんな……未知を既知に変えることが学者の本分じゃないんですか!?』

『君の研究には実りがない。解明したところで何の役にも立たない』

『役に立つか立たないかが、真実の究明を諦める理由になるんですか!!』

『もう少し聡明になりたまえ、ノノカくん。見た目の年齢に心が引っ張られすぎではないかね?』


 それから、ノノカの周囲の反応は急速に変化した。

 懇意にしていた冒険者や協力者も研究そのものには余り乗り気ではなかったらしく、資金不足が表面化すると同時に諦めの言葉ばかりを口にするようになった。誰一人、ノノカの研究の果てに何があるのかを期待する者はいなかった。


『ノノカさんは有能なんだから、別の研究でも成果が出るよ。ドラゴンとかさ』

『そもそも土の研究学者なんだから、今度は野菜とか果物とかを研究してみたら?』

『……意地張らないでさぁ。もうオークなんてどうだっていいじゃん』


 要するに、それが本音。

 仲間も周囲もオークには最初から興味はなく、ただノノカの才能だけを認めて着いてきてくれていただけで、彼らはノノカの仮説には欠片も興味を持っていなかった。もっと言えば、彼らはむしろ自分の我儘に予想以上に長く付き合ってくれていただけだった。

 ノノカは納得しなかったが、顔には出さず引き下がった。

 彼女が最も熱を注いだオーク論文に見向きする者は、現れなかった。


 研究者の探求とは未知への探求だ。

 分からない、知らない、どうでもいいと目を背けている日常にも謎は大量に眠っている。それを探求することが学者の本分。役に立つかどうかなどは後世や世間が決めるもの。しかし、貨幣と価値に縛られた社会が学者の在り方を否定する。

 ノノカは恩義あった皇国学会が急につまらなくなった。


 役に立てばなんでもいいんだろうと思い、試しに汚染された土壌を改善する特殊な毒素分解魔法を片手間に作って発表したら、お偉い学者たちは掌を引っ繰り返すようにノノカを褒めた。その魔法は確かに革新的だったが、魔物の毒には効果がないのでオーク研究の役には立たないものだった。賞賛を浴びたノノカが感じたのは虚しさだった。


『学者なんて、何でなっちゃんたんだろ……』


 ノノカは不貞腐れた。

 周囲の心配をよそに自腹を切ってオーク研究を進めたが、あと少しの所で周囲から止められたりして思うようにいかず、ついには恋人のいる地元に帰ろうかとさえ考え始めた。そして、小遣い稼ぎの研究成果発表と惰性混じりのオーク研究を往復して数年が経ったある日――古い付き合いだった研究者仲間がノノカの部屋に走りこんできた。


『ノノちゃん! ノノちゃんにぴったりのスゴい研究院見つけたんだけど!!』

『へー。今時学会の小うるさいおじい様方に口出しされずに好きなこと研究できるところでもあったんですか?』


 少々投げやりな態度を取りながら寝そべっていたソファから手だけ伸ばして資料を受け取る。興味なさげにチラシを見たノノカは、そのままソファから落下してごろごろ転がり床に脱ぎ捨ててあったダボダボの白衣を着てすぐさま起き上がった。……同僚曰く、すべてが計算され尽した完璧なずぼらムーブだったとのこと。


 そのチラシはとある外国に新設された魔法研究院の求人募集であり、チラシの最後部には『魔物学研究者、特にオークに関する知識が豊富な者を歓迎』という文言が踊っていた。まさにノノカの為だけにあるような求人だった。

 燻っていた情熱が一気に燃え上がり、胸がときめいた。

 自分のしたい研究が出来ない皇国に、未練はなかった。


『世界はまだノノカを見捨てていない! 海の向こうに研究の開拓地フロンティアがある!』


 ノノカは周囲の反対を押し切り、皇国学会に辞表を叩きつけ、そして――本当は一緒に着いてきて欲しかった恋人と縁を切り、王国への船路に着いた。数人の後輩と付き合いの良かった研究者仲間と共に――後に魔物学に新たな歴史を刻み込む、オークの血液に関する論文を携えて。


 そして今、ノノカは教授となって王立外来危険種対策騎士団に同行している。


「うわっ、何コレ。ノノカさん、こいつ肝臓ボコボコですよ」


 剪刀クーパーでオークの遺体を開腹していたヴァルナの言葉を聞いて、検める。


「ほうほう、恐らく肝硬変ですね。何らかの理由で肝臓が酷使され続けると起きるとされていますが、肝硬変になったオークは初めて見ます! よくこんなレアオーク見つけましたね!!」

「どうも顔色が変な気がしたんで、念のため綺麗に仕留めました」

「偉い! 偉すぎるぞヴァルナくぅぅ~~ん!!」

「はいはい、お褒めにあずかり光栄でーす」


 さらっと流されたことに少々の不満を覚えるが、それ以上に嬉しい。

 珍しい症例のオークを見つけたことも、それを目聡く見つけて少ない損傷で仕留めてくれた騎士ヴァルナにも、そんな生活を続けられる今の立場にも、全てに感謝している。特にヴァルナは皇国時代も含め、間違いなく最高のパートナーだ。研究者でもないのに解剖を手伝ってくれるし、物覚えがいい。


 ヴァルナは恐らくオーク研究の成果に然程興味はない。

 オークを効率よく狩る為の知識が一つでも得られれば、程度の考えだろう。

 しかし、ノノカはそのことに不満はない。


「解剖が楽しいのは分かりますけど、こいつが終わったら一旦休憩挟みましょう。でないと明日お寝坊ですよ」

「えー」

「えーじゃなくて。みんなもノノカさんの笑顔見ないと元気でないってよく言ってますし、出してやってくださいよ。俺もノノカさんが今日のオーク研究にわくわくしてる顔、見ると元気出ます」

「いやん、ノノカちゃんもしかして今口説かれてます!?」

「真面目な話のつもりなんですけどね……ま、楽しそうで何よりです」


 ヴァルナは小さく笑い、また解剖助手として作業に戻る。

 彼も仲間の騎士たちも、ノノカの研究と、研究に夢中になるノノカを決して否定しない。これほど良い職場は、きっと世界中探してもここにしかない。

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