第375話 とぼけてはいけません

 数日間、騎士団はアルキオニデス島で活動した。


 ハルピーによって被害を受けた建物の復旧は勿論のこと、住民たちの相談に乗り、東の民やキジーム族との間を取り持ったりもした。

 未だにお金という概念を失ったフロンの人々に戸惑いの色は消せないが、そもそもフロンの貨幣経済は商人が勝手に持ち込んだだけの代物だ。貨幣とはそれに価値があると信じるからこそ成立するものであり、ここには王国の役人も貸金業者もいない。


 もしかすれば、ハルピーを信じないどこぞの商人がまたこの島にやってくるかもしれない。そうでなくとも今回の襲撃で大きな被害を受けず生き延びた商人は存在する。彼らの齎す王国の品の便利さを思い知ったフロンの人々は、それを完全に断ち切る事は出来ないだろう。


 それでも、ハルピーたちの怒りを買わないやりようは幾らでもある。

 お金は便利だが、所詮は不完全な人間が生み出した物なのだから。


 事件終結後の話をしよう。


 まず、腹部を負傷したシャーナさんの治療は無事完了した。

 ほんの僅かに傷跡が残ってしまったが、当人は「戦士の箔がついた」と冗談めかしていた。あと数日はフロンで休み、体力が戻ったらムームーと共に東の村に帰る予定らしい。


「西と東、もっと関係を深めて森に対する意識を共有していきたいと思う。トゥルカの奴も手伝ってくれるそうだ。あの頑なな男にも弱点はあると見える……なぁムームー。ふふふ」

「トゥルカ、昨日女の子にものすげー怒られてたぞ! 妹らしい! 普段あんなに強気なのに俺より年下の妹に弱いなんて、なんかヘンだよなー」


 件のトゥルカは、バウさん改めタキジロウさんが王国本土に戻ることになったのをどこからか聞きつけ、船頭の役割を継承する気らしい。汗を流して苦労しながら操舵の練習をしていた。


「……シャーナが、東西どちらの民にも罪があると言ったこと……俺も本当は心のどこかで気付いていた。妹のカチーナに泣きながら怒られて、父のエトトに抱擁されて、改めてそれを感じた。大義の為と言い訳して家族に知らぬふりを決め込んだことが、逃げ以外のなんであろうかと……だが、王国への不信感が消えた訳ではない。だから俺は船頭を継ぐ。あの人は島の誰よりも王国と自然との距離感をよく見ていた。俺もただ反対を喚くだけでなく、別の道を探るよ」


 最後にトゥルカは俺に対して深く頭を下げてここまでの非礼を詫び、他の仲間たちにも伝えて欲しいと言ってまた船の操舵練習に戻った。指導しているタキジロウさんが無言でトゥルカの肩を優しく叩いたのが印象的だった。


 東の民との接触と自然環境の調査に同行してくれた植物学者のプファルさんは、新たな仕事が突如として舞い込んできたらしい。

 それはなんと、キノコの研究だ。

 しかも命令を出したのは我らがノノカさんであるという。


 何でも、ハンターが勝手に仕留めたせいで回収が遅れたギルデプティス・トーテムの死体にキノコが生えていたらしい。しかし、今までオークの死体は血中の毒の影響でカビやキノコは生えないと考えられていた。つまりこのキノコは魔物の毒を分解する作用があるのかもしれないとノノカさんは考えたようだ。そりゃもう鼻息が荒かった。


「もしかしたらアルキオニデス島には王国本土と同じくオークの毒が自然分解されるサイクルが存在するのかも知れません! だから是非研究したいんですが……それには現地に留まっての研究が必要不可欠なんですよ。よって、もんのすごーく後ろ髪引っ張り散らかされてますが、菌糸にも造詣のあるプファルくんにやってもらおっかなーと」

「こっ、光栄ですノノカ教授!! すっげー、マジもんの教授だー……土壌研究の論文めちゃくちゃ読んだことあるけど、こんなにキュートな人だったんか……マジか……」


 オーク関連の研究は国から補助金が下りやすいそうなので、プファルさんはこれをチャンスに頑張るらしい。とりあえず森で遭難しないよう忠告しておいた。最悪ハルピーが見つけてくれるかもしれんが、助けを求めるには代償を払うことになるし。


 そして、彼と同じく調査に同行していた海洋学者のハピさんは、例の王国~カシニ列島間の海流調査という新たな研究に着手することを決めたらしい。海流を知れば航海、漁業、天候などにも役に立つ……とは言っているが、実際のところ、自分の海洋学知識がバウさんの正体を判明させる一因になったことで、少し考え方が変わったらしい。


「研究者として人に役に立った実感が初めて湧いたってゆーか……モチロン研究ってそういう即物的なものを求めてやることは少ない訳だけど、でも調べなければ分からない訳じゃない? しっかり調べておくことで後々の人たちの役に立てたらなぁ、なんてガラにもないこと考えちゃった」


 と、口では言っていたが、どうやら今回の事件によって王国からアルキオニデス島の環境保全の為に聖艇騎士団が動くかもしれないという噂を聞き、逆玉狙いで今のうちに実績を磨いてお近づきになりたいのではないか、とは他の研究者の言だ。

 研究者といえば、オーク襲撃時に沸騰したミルクをオークの顔面にぶちまけた猛者がいたらしい。非常に貴重なデータなので今後その人の行動は騎士団アーカイブで様々な人に語り継がれることだろう。


 コリントスだが、傷害と騎士団の任務妨害以外にも、銃の不法所持等の余罪が出てきている。どこまでも身勝手な男だったが、フロンの人々にはそれほど嫌われてはいなかったのか、減刑を求める声があった。人間関係とは不思議なものだ。

 当人は未だに息子を失ったことで空いた穴が埋まらないようだが、せっかく助かった命なのでもう一度改めて人生のあり方と向き合うべきだと俺は思う。たとえ、向き合う事実が余りにも残酷だったとしても。


「それでも……私には、息子が全てだったのだ……妻も息子も居ない世界など……今更……」


 コリンの死の真相は、俺も知らない。

 人によって証言がまちまちだし、当事者のトゥルカは騎士団には詳細を一言も話すことはなかった。ただ、コリンのことは今でも親友だと思っていると――彼の死を笑う者を許す気はないと言っていた。


 コリントスの教育が間違っていたとは一概には言えない。

 間違いなく、俺の受けたものよりは上等な教育を子供に与えていたはずだ。

 しかし、命の大切さや自然の過酷さをもう少し教えていれば、悲劇は起きなかったかもしれない。子供は感情の生き物だ。理性だけで行動しないから、良くも悪くも大人には予想できないことをする。

 コリンはたまたまそのとき、悪い方だっただけ。

 命とは、そんな些細なことで生と死の境を揺れるものだ。


 ハルピーたちは、子供の虎と、虎狩りを免れた大人の虎たちを自然に帰す手伝いをしている。ずっと洞窟付近で保護されていた子虎たちは野生の生き方が鈍っているからだ。虎の生活サイクルが自然に馴染むまでは、ハルピーが島に常駐するそうだ。


 森と畑の境、余所者の監視、やることは様々だ。

 ゆくゆくはこの役割を王国側が担うことになればいいと願う。


「きたいしてるぞ、のりやすいあたまたちとそのたおおぜい。あとナ」

「最後まで俺はナ扱いか……まぁ、詳しいことが決まったら知らせるよ」

「おかねがたりないならだすぞ。しょうにんとまちからまきあげたやつを」

「その言い方されると汚い金受け取るみたいで嫌なんだが」

「しまのためにつかわれるんだろう。なんのもんだいがある。ちなみにしまのためにつかわなかったらやくそくやぶりなので、おまえらのしまにかちこみしかけるぞ」


 とりあえず未来のプロジェクトに聖靴派閥は関わらせないようにしようと決めた騎士団と研究院メンバーであった。いや、証拠はないけど裏でくすねそうだもの。


 ちなみにぴろろだが、結果オーライとは言え血に動揺しまくって『喚び風』を吹かせてしまったことに当人なりに責任を感じたのか、修行の旅に出ると言い出した。なお、修行の意味はよく分かっておらず、人間の言い回しを真似ただけのようだが。


「というわけで、うちはしばらくきしだんでせわになるぞ。のりごこちのいいあたまはあるし、はばたかなくてもはこんでくれるし、おいしいごはんもでるし。しゅぎょーによいかんきょうだ。よろしくな、えーと……キャン」

「キャリバンね。てか今のところ発言から修行的な要素が一切見受けられねぇ」


 まぁ何となくそうなるとは思っていたし、ぴろろの家族の反対もない。

 王国としても、これからハルピーと話し合いの場を設けるときに仲介役がいるのはよいことだ。ぴろろの姿はこれまた愛らしいので、騎士団メンバーの注目を集めている。水のヴィーラ、陸のナーガ、空のハルピーと各種亜人の子供を誑し込んだキャリバンはどこを目指しているのだろう。どこも目指してないのに勝手に集まってる説もあるが。 


 そうこうしているうちに、あっという間に時間は過ぎ、騎士団の駐留は最終日となった。




 ◆ ◇




 騎士団駐留最終日――コーニアは、出港準備が進む船の近くでカチーナの父、エトトと最後の会話をしていた。


「じゃあ、エトトさんはもう王国に住むのは諦めるんですか?」

「ええ……今回の騒動、本土に資産を移していた私だけ大した被害を被らなかった訳ですが、それだと皆に申し訳ないですし。フロンの生活が安定するまで、資産を切り崩してお手伝いしていこうと思っています。その後のことは……後になってから考えますよ」


 エトトはどこか吹っ切れた表情で微笑む。


「久しぶりに息子のトゥルカに会いましたが、あいつも今回の騒動で色々考えを改めたようです。息子が過ちから逃げないと言うのだし、親の私も少しは立派なところを見せないとね」

「娘さんのために戦った姿は立派でしたよ」

「君や騎士団の皆さんがいなければ守り切れませんでした。本当に……コーニアくんには感謝してもしきれない。本当に、ありがとう」


 深く頭を下げるエトト。

 コーニアはオーク襲撃時は結局時間稼ぎ程度しか出来なかったため、自分に礼を受ける資格があるのかと戸惑い、言葉を濁しかけた。しかし、ふと周囲を見ると先輩騎士たちが、さりげなくこちらを見ていることに気付く。少しは自信を持て、と――そう伝えたいのではないかという気がした。


「……騎士として本分を全うしたまでですよ」

「すごいな、騎士というのは。こんな立派な騎士なら安心か」

「……?」

「いえ、何でも。そうだ、そろそろ退散しないとカチーナが順番待ちで拗ねてしまうので、ここらで失礼します」

「あぁ、はい。どうかお元気で」


 エトトは最後まで礼儀正しくお辞儀をして去って行った。


 個人的にお礼を言われるのは、今までの騎士団生活で経験のなかった充足感をコーニアに与えた。今までこういったことはヴァルナのような選ばれた存在にしか齎されないと僻む気持ちも微かにあったが、それは誤りだったようだ。

 悲観的になることが多かったコーニアにとって、この成功体験は感動もひとしおだ。


「……ちょっと、なーに誰もいないところ見つめてぼーっとしてんのよ」

「うぇっ!? あ、カチーナか……」

「あたしだと何か問題あるわけ!?」


 暫く感動の余韻に浸っていたせいで、コーニアはカチーナが目の前でぷりぷり怒っていることに暫く気付けなかった。この詰めの甘さが駄目なところだ、と内心で落ち込む。


「もー、せっかくお別れに来てあげたのに何なのよー!!」

「ごめん、ごめんて!! この島ともお別れだと思うと色々思い出しちゃうんだよ!!」

「ふーん……何をどう思い出すのよ?」

「そりゃ……えっと……カチーナの機嫌を取ったり、カチーナを追いかけなきゃいけなくなったり、カチーナにスリッパを修繕するたびにケチつけられたり。結局修繕は最後まで合格は貰えなかったし」

「あたしががめんどくさい女みたいじゃん!! 別に構って欲しいなんて頼んでないしですしーっ!!」


 拗ねたようにそっぽを向くカチーナに、参ったなと思う。

 また気持ちが綻んでしまい、よりにもよって彼女を怒らせるようなことを口走ってしまった。慌ててフォローする。


「いや、違うんだよ! まぁ大変ではあったけど、もう会えなくなるなら寂しいなーとか」

「……へ、へー?」

(お、照れてる)


 合わせた両手を所在なさげにもぞもぞさせながらこちらに視線を送る彼女の様子を見て、コーニアはなんとかフォローが成功したことを悟る。短い間とはいえ頻繁に顔をつきあわせていたためか、コーニアも少しはカチーナの気持ちが読み取れるようになってきた。


「ま、まぁそんなに私が恋しいっていうんなら? 最後の思い出作りに付き合ってあげなくもないけど?」

「え、なに? 今から間に合うやつ?」


 もう出港準備は殆ど整っているため、幾ら彼女の頼みでも時間は取れない。

 しかしカチーナもそこは計算済みだったのか、「すぐ終わるよ」と、近くに落ちていた適当な木の棒を拾い上げる。そして、オモチャの剣でも扱うように構えたカチーナは、意を決した表情で叫ぶ。


「戦士カチーナ、これよりコーニアに決闘を申し込む!!」

「……いや、なんで?」

「何でじゃなくて、受けるの!? 受けないの!?」


 遠くで、コーニアの尊敬するヴァルナがアマルやトロイヤたち三兄弟に「止めなくていいんですか?」と質問し、アマルは「さぁ?」と、三兄弟は何故かニコニコしながら「いいんじゃない?」と肯定している。三兄弟の反応を見たヴァルナは、どうやら納得したようだった。

 事情は飲み込めないが、最後の思い出作りと自分で言っていたのだから、断るのも薄情かと思ったコーニアは自分も手頃な木の棒を拾う。


「騎士は逃げも隠れもしない。かかってこい!」

「受けたね!? 後から嘘でしたはナシよ!?」

「いいから来いって。武器を手放した方が負けな」

「いくよぉぉぉぉ~!!」


 カチーナが勇ましく吶喊してくるが、いくら彼女が運動を得意としていると言っても別に正式に島の戦士というわけではない。対して、コーニアはきちんと訓練を受けた騎士だ。最初の一撃でカチーナの木の棒を上に逸らしたコーニアは、一息に彼女の手から棒を取り上げた。


「あっ!」

「怪我させたくないから、ちょっと大人げなく行ったぞ。俺の勝ちでいいか?」

「……えへ」


 カチーナは急にコーニアの腰にだきつき、力一杯にぎゅうっと抱きしめた後に手を離して笑った。どこか悪戯が成功したような顔だった。とりあえず、空気を読んで負けろという話ではなかったようで安心だ。


「いい思い出になったか?」

「あたし、もう少し大きくなったら島を出て本土に行くから! そのとき改めてスリッパの修理頼むから、それまで他の女の子に鼻の下伸ばしたら駄目なんだからね!! じゃあ!」

「あっ、おい!? ……何だったんだ、今の」


 彼女が島を出るのは彼女の自由だが、いつ来るのかも何故他の女の子に鼻の下を伸ばしてはいけないのかも聞けずじまい。最後まで嵐のような少女だったな、と思うが、素直じゃない彼女なりの不器用な感謝のようなものだったのだろうか。


 と、背後からヴァルナの声が聞こえた。


「おーい、コーニア!! もうお前以外乗船したぞ! さっさと来い!」

「あ……了解!!」


 駆け足で船に乗船すると、ヴァルナ含め数名の騎士が何故かにやにやしている。

 カチーナとのやりとりで何か勘違いさせたのだろうか。彼女とはなかなかの年の差なので誤解を解かねばならないと思った矢先、何故かブッセがじとっとした瞳でねめつけてくる。


 今回の任務ではたまにカチーナと微笑ましい喧嘩をしたり、自分に妙に冷たかったり――失恋で腑抜けていたのが不満だったらしいと後に聞いた――したブッセくんは、開口一番にとんでもないことを言い出した。


「失恋のショックで離島の女の子と婚約とか、どうかと思います」

「はい?」

「とぼけないでください。ぼく知ってるんですよ! カシニ列島の民族では、男女の決闘の勝者は――!!」


 数秒後、騎士団の船から響き渡る「何だとぉぉぉぉぉーーーーー!?」という情けない悲鳴が聞こえて、家に向かって走っていたカチーナは水平線へと進んでいく船に大きく手を振って嬉しそうに叫ぶ。


「浮気は許さないんだからね、未来の旦那様!!」


 ――こうして、波乱に満ちたアルキオニデス島のオーク討伐は真の意味で幕を閉じた。誰もが予想だにしない現実、過去、未来を人に垣間見せたこの騒動は、良くも悪くも島に大きな変化を齎した。特に商人たちの間ではそれが顕著で、島には鳥の悪魔が出ると噂され、長らくカシニ列島に販路を広げようとする者はいなかったという。


 それを悪魔の所業と呼ぶか、それとも島の守護者の加護と呼ぶかは人間の解釈次第である。

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