第374話 不満があるというのですか

 アルキオニデス島西部の根底を覆した事件――その翌日。


 朝練を終えた俺は、研究所内の一室から出ようとするローニー副団長と、それを防ぐ騎士たちの姿を見かけた。


「あの、部屋から出たいんですが」

「駄目です、ぎっくり腰治ってないでしょ?」


 ローニー副団長は先日ものすごく久々にオークに対して奥義を放った反動で、魔女の一撃ぎっくりごしにやられたらしい。それでもオークを一撃で撃破する辺り、元とはいえ流石は実力主義の聖靴騎士だ。

 パジャマ姿のローニー副団長は自分の行動を阻む部下たちに胡乱げだ。


「だいたい治りましたし、じっとしすぎても良くないでしょう?」

「いーえ、休んでください。少なくとも今日くらいは」

「仕事は我々がやってるんで、報告の確認を後でやって貰うだけでいいです」

「君ら何か隠してない?」

「イエイエイエイエなにも」

「まぁまぁまぁまぁ寝ましょうよ」

「絶対隠してるでしょう!! 私がこの部屋に搬入されてる間に何があったんですか!!」

「イエイエイエイエなにも」

「まぁまぁまぁまぁ寝ましょうよ」

「……見ない方がいいかなぁと」

「馬鹿っ、言うな! 真実を知ったら副団長の胃に本当に穴が空く!!」

「ほらやっぱりぃぃぃぃぃぃぃ!! 絶対悪いニュースあるぅぅぅぅぅぅ!! 可笑しいと思ってたんですよ昨日の夕方やけに外が騒がしいのに誰も報告にこないし、部屋にリラックス効果の高いアロマが焚いてあってやたら眠気を誘うし!!」


 ハルピーによる計り知れない損害(必要経費)を見たら副団長がショックで立ち直れない可能性を考慮してみんなで一日副団長を休ませることにしたものの、今まで散々セネガ先輩にいたずらを仕掛けられて神経が過敏になってしまった副団長には通じなかったようである。


 俺は通りすがりに副団長に「暴れるとまた腰やっちゃいますよ?」とだけ忠告して食堂に向かう。食堂では現在、一夜にして財産を失った人々への炊き出しも兼ねてフル稼働中であり、タマエ料理長とクラッツェさん――東の調査に同行したタマエさんの弟子の料理人だ――が二人で凄まじい量の料理を捌いている。


「ちったぁ成長してるじゃないの、クラッツェ!!」

「師匠こそ昔より更に熟達したのではッ!? そっちのキャベツください!!」

「ハッ、言うね青二才が!! そこのパプリカよこしな!!」

「こっちもそれなりに修羅場くぐってきましたものでッ!! オイスターソース追加でッ!!」

「うわー、流石兄弟子……こっちも負けてらんないっ!!」


 二人の凄まじい料理の腕に置いて行かれないよう、料理班の女性たちも奮起しているようだ。俺は湯気の立ち上る料理が盛られたプレートを受け取って食堂の端にいる面々に合流する。そこには先日トーテムセブンと激戦を繰り広げた同僚たちが勢揃いだった。

 皆は俺が近づいて来たことに気付いて挨拶してくる。

 

「おはようございます! 先輩!」

「おはざっす!」

「おはようヴァルナくん。きみ、昨日はハルピーの群れと直接交渉したんだって? 相変わらずとんでもないことに巻き込まれるねぇ。どうにかしちゃうのも君らしいけど」


 カルメ、キャリバン、ガーモン班長の順番だ。

 俺も挨拶しつつ、注釈する。


「いや、あれは殆どキャリバンの発案です。俺じゃあの発想は出ませんでしたよ」


 まさか、精霊伝承をそのまま利用してハルピーに人を懲らしめて貰い、その上で商人まで追い出す作戦を立てていたとは思わなかった。俺も自分の生活に金があるのは当たり前だったので、あの発想は盲点だった。

 皆の関心の視線が集まり、キャリバンは照れたように後ろ頭を掻く。


「いや、この島に外から持ち込まれたもので一番影響力あるものって何かなーって考えてたんすけど……商人たちがこの島で何を狙ってたのかを考えてみたら、あの人たちは『島の人間にお金が価値あるものだと思わせたい』ってのがあったと思うんすよ」


 二人前の食事を食べるアキナ班長が鼻で笑う。


「お前にしちゃあミジンコ一匹分賢けェな。貨幣経済は万物を金に変換する。物々交換より自由度が高く交換が出来ることを覚えさせちまえば、後は勝手に住民から金にハマる。やがて物の価値と貨幣の価値が取って代わり、人は金なしには何も得られないと錯覚すんのさ」


 どや顔で知的なことを言っている所悪いが、アキナ班長はこの騎士団で最も金に溺れた人間な気がするのは気のせいだろうか。ガーモン班長も苦笑いする。


「金策班がなんか言ってますね」

「悪ぃかよアァン? 実際問題金がありゃよりいい物を手に入れられるのはマジだろ。ただ、オレは別に金がなくとも人がやってけることくらいは知ってんだよ。ガラクタは使い道があると思った時点でガラクタ卒業だ」


 ある意味道具作成班らしい発想だ。

 パーツが足りなければ金のかからないものを加工して代用するのは当たり前な道具作成班だからこそ、人間が価値がないと思っている物が内包する可能性を見極める力が強い。きっとサバイバルになれば彼らは一端の文明を築くだろう。


 カルメが外の様子の話をする。


「町は大混乱です。ほんの数年前までお金に頼らずとも生きていけていた筈なのに、文明化に伴っていろんな道具を捨てちゃって、しかも技術を継承してる人が東に旅立ってしまったケースもそこそこあるみたいです。再建に乗り出す人も居ますが、ハルピーから守ってくれなかった責任を取れって詰め寄ってくる人もちらほらですね」

「襲われなかったか?」

「僕も相手を睨んで威嚇するくらいは覚えたんですよ? すごいでしょ!」


 人畜無害そうなほにゃほにゃした笑みのカルメ。その顔で言われても説得力がないが、先日は一人でトーテムを追い詰めたのだからあながち嘘でもなさそうだ。ただ、ねぎらってあげた時もやっぱりほにゃほにゃしてたが。


 それはさておき、責任の所在がどうなるかは気になるところだ。

 オークは全て討伐出来たが、負傷者を複数人出した上にあの騒ぎでは、騎士団の信頼が揺らぐ可能性は十分にある。

 だが、カルメの横で静かに食事していたリンダ教授が意外にも口を開く。


「生息しているかどうかも一切確認されていなかったハルピーの襲撃は予測不可能。高い知性を持った魔物は先住民と解釈する事も可能であり、迎撃は逆にハルピーへの明確な敵対行動として被害が拡大する可能性もあったため、手を出さない判断は妥当。それに地元で精霊として信仰されているハルピーに手を出すことは、王国法が保証する信仰の自由を侵害する。商人たちの損害は自己責任。よって、幾ら非難されようがそれは騎士団の責任というより法制の不備であり、騎士団のみを責任に問うことはできない……というのが、王立魔法研究院側の見解。昨晩話し合った末に出たもの」

「だ、そうっす」

「ひとまずいきなり騎士団解体はなさそうだな……情報提供感謝します、リンダ教授」

「別に。それにハルピーが単なる魔物と判断されるのは都合が悪い」

「師匠はアルキオニデス島の環境を改善するプロジェクトを考えてるらしいっす。まだ計画は机上の段階っすけど、人と自然の間を上手く取り持つことで、互いに助け合う環境を整えるそうっす。俺も出来れば手伝いたいんすけど……」


 リンダ教授のプロジェクトはなかなか壮大なものになりそうなのか、キャリバンはちらりと教授を気遣う目をするが、彼女は首を横に振った。


「まだ認可も受けてないうちから気を遣わなくていい。それよりも、次に出会ったときにまた成長してくれてた方が、私は嬉しい」


 そう言って小さくはにかむリンダ教授に、キャリバンは若干頬を赤らめつつ「……っす」とだけ言う。どうにもそのうち師弟関係以上に発展しないこともなさそうな甘い空気だ。


「はつじょうしてるのか、にんげんよ」

「してないわ。多分もっと清い感情だわ。ていうか言い方よ」

「つつしみというやつだな。ひとはそういうのめんどい」

「きにするなにんげん。いまのはいっぽうてきなこいしかしらぬ非モテハルピーのざれごとだ」

「ふぎゅっ……いまのことばでしんぞうがいたんだぞ」

(仮にも仲間にひでぇ……)


 さらっと会話に入って来るハルピーたちは、キャリバンの後ろらへんの席で食事をしている。彼らはぴろろの家族たち及び、昨日東の駐留チームを西まで運んで貰ったハルピーたちだ。彼らに振る舞われているのは運んでくれたお礼として約束したごちそうであり、タマエ料理長とクラッツェさんが丹精込めて彼らの好みに合わせた料理が並んでいる。

 食事する彼らは一様に幸せそうで結構なことだ。

 と、ガーモン班長が思い出したように俺に声をかけた。


「そうだ、ヴァルナくん。海洋学者のハピさんだったかな? 彼女が君に確認したいことがあるって言っていたよ?」

「あの人が……? 一体何の用事なんです?」

「さぁ。でも君以外にも何人か呼ばれてるのを見かけたし、愛の告白という感じではなさそうだね」

「ジョークなんでしょうけど今の俺には未だにタイムリーな出来事なのでやめてほしいです」

「ははは。私がナギと喧嘩させられた一件の憎しみの十分の一でもいいから苦しめ」

「どんだけ根に持ってんすかその話ッ!?」


 それにしても、本当に何の用事だろう。彼女とは業務上少しばかり会話しただけで、任務中もほぼ別行動だったから全く予想がつかない。業務ではなく個人的な呼び出しならば尚更だ。

 釈然としないまま、俺はハピさんの研究室に行き、そして運命の女神の気まぐれ加減に呆れ果てることになる。


 ――数時間後、俺は一人の男性と共に海辺で釣りをしていた。


 相手は、船頭のバウさんだ。

 ハピさんに呼び出された後、すぐに彼を誘って釣りを始めた。

 バウさんは唐突な俺の提案に戸惑っていたが、東の村でオークと相対した時の話を改めて聞いておきたいと言うと納得した。ただ、この人は思慮深そうな印象を受けるので。納得したフリであるかもしれないが。


「――ということで、拙者は場繋ぎ程度のことしかできなんだ」

「いやいや、十分すぎる程です。日を改めて騎士団から正式にお礼をさせてください」

「そうかしこまる程、偉いことはしておらぬよ」


 謙虚な人だ、と素直に思う。

 文武両道でありながら、元は漂流者で記憶喪失の男、バウ。

 しかし、俺は彼自身さえ忘れている事実を――彼の正体を掴んだかも知れない。


 それは、ハピさんのふとした発見からくる疑問と道具作成班の疑問、それに騎士の証言が衝突したことで急浮上した可能性だった。俺は今、その最終確認のためにここにいる。


「ところでバウさん。バウさんっていつも頭にノンラーかぶってますよね」

「うむ。日差しの強い場所で作業することが多いからな」

「編み方、誰に教わったんですか?」

「……記憶を失う前には編めたらしく、誰にも教わってはいないな」

「それ、ノンラーによく似てるけど、ノンラーじゃなくて列国式の三角笠らしいですよ」


 これはザトー先輩とリベリヤ先輩がその差異に気付き、そしてコーニアの証言で確定した情報だ。


「列国の三角笠は、中に頭を嵌めて固定するリングがあるんです。ノンラーにもついていることはあるんですが、編み方が違うんですって」

「ほう……ということは、拙者は列国人という訳か。皮膚の色からしてその可能性はあったが、自力では確信が持てなかったよ。となると、拙者は随分遠い場所から漂流してきたのだな……」

「それなんですけど。バウさん、漂流して流れ着いたのがナルビ村の真東の海岸って本当ですか?」

「そうであるらしい」

「あそこ、王国本土の河口辺りから海流が一直線に繋がってるらしいです。ハピさんが突き止めました。果てしなく遠い列国から来たよりは、王国の川から漂流した可能性の方が高いんじゃないでしょうか」

「なんと……では拙者は王国人? いや、王国に移り住んだ列国人ということか?」

「可能性は高いと思います」


 実は島東部の海岸調査の際に手伝いに出ていたみゅんみゅんが大分海からゴミを拾ってきたらしいのだが、それを調べるうちにやけに王国から流れてきたとおぼしき物が多かったらしい。そしてその一部の瓶には、生産地が辛うじて分かるものが含まれていた。


「王国から流れ着いたゴミの中に、プレセペ村という場所で作られた魚の酢漬けが見つかりました。プレセペ村は王国最大の湿地の近くにある村ですから、相当な距離から旅してきたことになりますね」

「確かに……」


 これで、ハピさんは王国~アルキオニデス島間で海流が繋がっていることにかなり確信に近いものを抱いたそうだ。俺なら偶然じゃないかの一言で片付けるところだが、そこは流石学者の端くれである。

 そして、道具作成班たちの耳に偶然その話が入ったことで、一つの可能性が浮上する。


「そういえば、プレセペ村で何年か前に行方不明になった列国人の男性がいます。生きていれば丁度バウさんに年齢が近い人で、大雨による増水で川に流され行方が分からなくなりました」


 バウさんの呼吸が止まる。

 それは一瞬の動揺であったのだろうが、彼はすぐに俺の言わんとすることの意味を理解したのか、先を促した。


「……続きを」

「他に王国内での列国人の行方不明者は一人も確認されていません。その人は既に死亡扱いになっていますが、遺族によると文武両道で、槍の達人だったとか。娘さんによれば釣り竿の振り方一つにしても武術を馴染ませていたらしいです。その娘さんの竿の振り方と、貴方の竿の振り方は、よく似ている……」

「むす、め……!!」


 バウさんの様子に異変が起きた。

 頭を抑え、何かに苦しんでいるかのようだ。

 彼の頭の中で、長らく埃をかぶっていた記憶が刺激され、目覚めかけている。

 俺は、最後のピースを嵌めることにした。


「貴方を手伝ったケベス先輩とネージュ先輩の話では、貴方は上空から敵を突く『ナルカミ』という奥義を放ったそうですね? 鳴神ナルカミ――列国の武家、イセガミ家に伝わる武術、辰巳たつみ天滝てんだき流の中でも特に習得が難しいとされている奥義と、名前も内容もそっくりなんですよね」

「いせ、がみ……伊勢守いせがみ……拙者、拙者は……!!」


 俺は、迂闊なミスをしていた。

 バウさんに初めて出会った時、俺は名乗り慣れてないせいで彼に姓を伝えていなかった。

 もしそれがあれば、もっと早くこの反応にたどり着けたかも知れないのに。


「貴方の正体は、元イセガミ家当主――タキジロウ・イセガミ! 妻はコイヒメ、娘はマモリ!! 列国から密命を帯びて王国に来た武士です!!」

「ぐっ、うああああああああああああッ!!」


 バウさん――否、タキジロウさんは釣り竿を取り落として絶叫した。

 そして暫く荒い吐息を漏らし、やがて、笠を外して向かい合う。


「ふらっしゅばっく、と言うらしいな……失った記憶が怒濤となって脳裏を駆け巡ったよ。改めて名乗ろう。我が名はタキジロウ・イセガミ。嘗てイセガミ家の当主であった男だ。イッペタム盆で怪魚と戦うも、力及ばず濁流に流され、偶然掴み取った木と共に海まで漂流し……奇跡的に、本当に奇跡的に……生き延びた。改めて、君の名を聞かせて欲しい」

「ヴァルナ・イセガミです」


 タキジロウさんは手を差し伸べ、俺はそれを握り返そうとし――。


「イセガミの姓を名乗るということは貴様、我が妻を寝取ったなッ!!」

「うぉぉぉぉ危ねぇ!? いまなんか不思議な円の流れで俺を海に落とそうとしたでしょ!? てか誰が寝取り男だ!! 養子縁組だわ!!」

「そうか、誤解して済まなかった。そもそも拙者が生きていることを妻は知らぬし、仮に再婚していても寝取りとは違うな」


 タキジロウさんは落ち着きを取り戻し、改めて握手を――。


「我が愛しの娘を娶って挨拶もなしか貴様ぁッ!!」

「うおぉぉぉ危ねぇ!? いま手を握ると同時に体幹崩して投げ飛ばそうとしたでしょ!? 結婚してねーから!! ただの養子縁組止まりだからッ!!」

「コイヒメが唯の養子縁組で斯様に武術に優れた若い男をマモリの婚約者にしない筈がないッ!!」

「確かにそれは合ってるけどもッ!? 諸々の事情あってきちんとお断りしましたからッ!!」

「娘が嫁に値せぬと申すかぁぁぁーーーーッ!!」

「だぁぁぁ!! うるせぇ俺の話聞けやこの親馬鹿がぁぁぁーーーッ!!」


 最終的に頭を冷やして貰うために王国護身蹴拳術奥義『朱門拓白転しゅもんかいびゃくてん』でタキジロウさんを海にぶん投げるまで誤解と親馬鹿は続いた。この人、行方不明にならず武術を続けてたら蹴拳術九段クラス到達してたろ絶対。マジ危なかった。

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