第373話 夕暮れとともに去ります

 それは、夕焼けと共にフロンに現れた。

 騎士団はそれをハルピーと呼び、住民たちは精霊と呼んだ。

 精霊たちは集団で町の空を囲い、そして宣言する。


「おまえたちにんげんは、われらとのやくそくをやぶった」


 何のことか、と首をかしげる者。

 何を言わんとするか理解した者。

 精霊の実在をまだ信じない者。

 反応は十人十色であったが、ハルピーは既にやるべきことを決定していた。

 ハルピーの中から代表七名が前に出る。


「にどめのあやまちはゆるされない」


「われらこそしんのしぜんのだいべんしゃ」


「ゆえに、しぜんにかわりさばきをくだす」


「いのちまでうばうことはしない」


「かわりに、かえしてもらう」


「おまえたちがうばい、こうかんしたものをかんげんしてもらう」


「われわれはこれより、おまえたちのたからをうばいつくす」


 直後、上空のハルピーたちが一斉に町に飛来し、風を吹かす。

 すると露店に放置されていた動物の毛皮や骨の加工品が、売り上げを保管する箱の中身ごとふわりと浮き上がり、ハルピーによって持ち去られていくではないか。露天商は声にならない悲鳴をあげて追いかけようとするが、ハルピーを捕まえる事など出来ない。


 ハルピーの魔力を帯びた風は次々に家の窓や扉をこじ開け、その中から動物の遺体を用いた加工品とお金を次々に巻き上げていく。更には避難民の懐からも、悪戯のようにするすると財布が抜き取られる。持ち主が慌てて財布を取り返そうと掴んでも、財布の口から根こそぎお金が抜き取られてゆく。

 流水のように宙を舞う紙幣と貨幣、金に化ける筈だった商品たちに、町の人々は絶叫した。


「なっ、なんで約束を破ったからって私たちがお金を奪われなきゃならないんだ!?」

「そんな!! お金がなくなったら明日からどうやって食べていけば!!」

「苦労して手に入れた商品たちがぁ!!」

「お金がなきゃ王国から物を買えない!!」

「着る服も家も全部お金で買ったのに!!」

「何故ですか精霊様!? それは我々の稼いだお金なんですよ!?」


 パニックに陥った人々を、ハルピーたちは冷たくあしらう。


「うしなわれたもりはかえってこない。だが、これはもりをきずつけ、もりにすまうものたちをきずつけ、もりにすべてを払わせて得たものだろう。やくそくをやぶったいじょう、かわりはててもこれはもりだ。もりをかえしてもらう」


 ハルピーの風はフロンの町だけではなく、今日たんまりと商品を積むつもりで停泊していた船舶にも容赦なく向く。商人はオーク騒ぎの頃には既に「付き合いきれない」と出港を始めていたものもあったが、海を越えて飛行するハルピーにとって船は余りにも鈍足であり、彼らは海上で襲撃を受ける。


「マストが風に煽られてコントロール出来ねぇ!! 魔法の風で遊ばれてる!!」

「弓を撃て、撃っちまえ!! 商品に触らせるな!!」

「むだむだ、むだぁー」


 ハルピーたちがけらけら笑いながら風を吹かせると、船員たちはおもちゃのように右へ左へと煽られ、気がつけばその間に全ての矢を風に没収されてしまっていた。ハルピーたちは容赦なく船内に侵入し、彼らの金と商品を次々に奪っていく。


「あ゛ぁぁぁぁぁあああッ!! 畜生、畜生、クソ鳥共がぁぁぁ!!」

「あ? なまいきいってるとふねごとひっくりかえすぞ。そっちがこっちのシマあらしたんやろがボケぇ」

「せいれいなめとったらあかんぜよ?」

「かりたものは、みみそろえてきっちりかえしてもらわんとなぁ」

「ひぃぃぃぃッ!! なんかこいつらだけガラ悪いッ!!」


 コリントスが今日で虎を仕留め尽くすと宣言したのをこの町で活動する商人が信じ、港に勢揃いしていたのが運の尽きだった。ハルピーたちは商品と資金、その二つのみを綺麗さっぱり奪い取っていく。


 食料や船は無事だが、損失は余りにも大きい。

 そもそも、商人とは信用第一。決められた時期にきちんとした品質と量の商品を用意出来てこその商人だ。しかし今回、彼らは商品を用意できないことによって取引先の信用を一気に失うだろう。動物の毛皮や加工品は今が旬とばかりに売りさばいていた彼らは、王国本土に戻っても碌な量の在庫を残していないのだ。

 それに、船を出すのもタダではない。

 船乗りの給料、往復分に必要な食料、医薬品、水、最低限の設備等々……王国本土とアルキオニデス島を隔てる距離は、幾ら航路がある程度確立されているとはいえ安く往復できるものではない。その上で収益が見込めないとなると泣きっ面に蜂である。


 そして、ハルピーの略奪にはもう一つ、何よりも大きな効果がある。


「あんな怪物共にまた商品奪われちゃ、もうこの島で商売なんか出来ねぇ!! 二度と来るかクソッタレが!!」

「しかし、島の事務所に資金が残って……」

「もう奪われてるよッ!! よしんば奪われてなかったとしても、次に島に近づいたら今度こそあの悪魔共に船を転覆させられかねん!! これから収入がロクになくなるかもしれねぇってのに、回収できるかどうか分からん金の為に命かけてあんな島に行けるかよ……!!」

「アルキオニデス島には悪魔が住んでる!!」

「俺たちは関わるべきじゃなかったんだ!!」

「あの島の命を奪えば、それ以上のものを失う。まるで呪いだ……!!」


 ――どんなに獲物を仕留めようが、それを買いに来る商人がいなければどうしようもない。気付けば島には、動物を扱っていないごく少数の善意の商人と、島で商人となった者以外の商人は残っていなかった。


 それと、騎士団の船からもお金が絞られてしまったが、研究院から補給を受ける予定だったことや離島であることもあり、大金を持ってきた騎士はいなかった。ただし、少ない小遣いが巻き上げられて悔し涙を流した者は相応にいたようだが、必要経費と思うほかないだろう。

 騒ぎの最中に負傷したシャーナとふらふらのトゥルカがこっそり研究所の治療室に運び込まれた光景を気にする余裕のある者は外にはほぼおらず、ものの十数分でハルピーたちは商品と金を全て町から吸い尽くした。


「これいじょう、われわれをしつぼうさせるなよ。にんげんたちよ」


 ハルピーたちは、人の罪の結晶と化した財を抱え、沈む夕焼けに向けて飛び去った。


 抗うことの許されない、自業自得が原因の罰。

 人はそれを天罰と呼ぶ。

 誰もが嘆き、悲しみ、悔い、そして受け入れるしかなかった。


 人的被害、ゼロ。

 金銭被害は甚大すぎて計算が間に合わず。


 のちに「アルキオニデスの逢魔が時」と呼ばれ、後生こうせいに語り継がれる事件である。




 ◇ ◆




 翌日。

 フロンの人々は、お金を失った一日に困惑していた。


「食料はどうだ?」

「拡張した畑で収穫できる野菜で今はギリギリ凌げるって感じだ」

「漁業と、食料用の狩りを再開すればなんとかなるか……」


 不幸中の幸いというべきか、どんなに王国文化が入り込んでも漁業だけは需要がなくならなかった。また、クロスボウなどの武器は残されていたため、それ自体に問題はなかった。


 ただ、今まで魚を大量に捕まえて加工したものも王国商人に売りつけていたため、これからは今ここに住む人間の消費に合わせた方法を考えなければならない。

 また、クロスボウにしても頭の痛い問題があった。


「金属製のパーツがな……この島にはロクな冶金技術がねぇから、具合が悪くなると部品は全て王国に頼ってたんだよ。でも、今後王国の船がいつくるか」

「となると……キジームに頭下げて頼るしかねぇか?」

「そうだな……騎士団は壊れた窓や扉の修理とかを請け負ってくれてるが、そのうち帰っちまうし」


 話し合う人々全員の表情は一様に暗い。

 王国化が進んで以降は極端に疎遠になっていたキジーム族だが、彼らは金属加工技術を持っており手先も器用だ。今まで彼らを無理解な未開人と揶揄してきただけに、今更頭を下げたとしても相手方の反応が怖い。それでも、背に腹は代えられない。


「――おーい、戻ったぞ」


 住民の輪の中へ、暫定でハンターを纏める役を任された男がやってくる。


「どうだ、狩りは?」

「やりにくいったらねぇよ」


 しかめっ面のハンターが現状を報告する。

 彼らはここ最近、角や毛皮などを目当てに食料にならない獣、鳥や珍しい小動物ばかり仕留めていたために、久しぶりの糧を得る為の狩りに苦戦しているようだ。無論、数年前に取った杵柄というものはあるが、それ以上にハンターたちの精神をすり減らすものがあった。


「精霊様たちが木の上で遊びながらこっちを見てるんだよなぁ……気付いたらいるんだよ。しかも騎士団の連中が指定した禁猟エリアの境とかに。ずっといる訳じゃないんだけど、やっぱり俺たちが森を傷つけてないか見張ってるんだろうなぁ。いつもの調子でゴミをポイ捨てしたら風で巻き上げられて顔にぶつけられたわ。『おとしものだぞ』って」

「東の連中は何も言われてないんだろうなぁ。金持ってないし」

「だな……」


 自然と全員からため息が漏れる。

 これから王国の珍品の類は手に入らない。

 壊れたり破れたりした道具は、買い戻せずに使えなくなるだろう。

 足りない道具はその都度、伝統的な草の編み物を使うほかない。

 ところが、ここにも問題があった。


「編み物が得意な人たちが東に行っちゃったし、元々使ってた道具は殆ど捨てちゃったから、カゴ一つ作るにも大変なのよねぇ……」

「東に行った同胞に頭下げて戻ってきて貰うか……」

「それしかないだろ……」

「それでもどうにもならん問題は、研究院に頼るしかねぇ」


 王立魔法研究院は、今後の町のあり方や必要な知識について問題があったら積極的に相談に乗ると言っている。彼らとしてもフロンの町が衰退すると困るからだ。

 とはいえ彼らは王国本土にある大きな組織の一員で、バックアップを受けている。元々森林伐採や乱獲に反対の立場を取っていた以上、フロンを元通りの王国式の町に戻す気はないだろう。


「ああ、そういえば……カチーナはどうした? こういう話したら真っ先に『だから精霊様の罰が下るって言ったじゃない!』とかわめきそうなもんだが」

「足に怪我して研究所で休んでるよ……昨日の騒ぎで誰かに足を踏まれたらしくてな」

「ああ、ありゃひどかったな……あの子以外にも頭打ったり階段から落ちかけたり、結構怪我人が出たんだろ?」


 避難所として使われた研究所にトーテムセブンの一角が侵入してきた際、内部はパニックになり、多数の戦闘とは関係ない負傷者が出た。フロンでは今も仲間に暴力を振るうことは大きな罪だが、あの騒ぎでは犯人を特定するのは無理だ。むしろ全員に責任があると考えざるを得ない。


「あとで聞いたら俺たちが邪魔で騎士たちが動けなかったらしいからな……」

「それにしたって、いくら何でも子供を蹴飛ばして踏んづけるのは酷いんじゃない? しかもあの子、それで逃げ遅れたって聞いてるわよ? 名乗り出て謝るべきでしょ!」

「あーそれなら心配ねぇ。もう犯人見つかったから……踏まれた痕を調べたら、商人が王国から仕入れた珍しい靴の痕だったから、靴の持ち主探してすぐ見つけたらしい。あの温厚なエトトさんがブチギレだよ……」

「犯人と言えば……」

「ああ、あの人は……逮捕されたよ。王国で罰を受けるらしい」

「そう……」


 名前を出さずとも、全員が理解している。

 この町の実質的な代表者、コリントスだ。

 騎士団の要請を正当な理由なく拒否して虎狩りを敢行した挙げ句、防ごうとした東の民をクロスボウで射たという、弁明のしようがない蛮行に、町の誰も彼を庇うことができなかった。

 否、本当は心のどこかで気付いていたのだ。

 彼はいつか、そうしたことをする人間だと。


「……あの人を悪く言いたくはねぇが……やっぱり、間違ってたんだろうな」

「私たちも、ね」


 精霊の罰――抗いようのない力を前に、人々は過ちを認めざるを得なかった。


「……昔みたいに役割で人を分けよう。みんなで助け合うんだ」

「金も収入もなくなっちまった家もある。ひとまずそういう人たちが飢えねぇで、また何かの仕事が出来るようにしないとな」

「隠居した長老にも声をかけよう。知恵を借りたい」

「精霊様にお供え物をする祭壇でも作らない? ちゃんと反省の意を示せば、精霊様もこれ以上酷なことはなさらないわ」

「問題はその反省がうわべだけにならないようにすること、か……まぁ、なんとかなるさ。なんたって、昔はちゃんと出来てたことなんだから」


 ――フロンはもう元の形には戻れない。

 王国文化に染まった時期にも、その前にもだ。

 新たなフロンがどのような町になるのかは、アルキオニデス島の人間次第だ。


 そんな言葉を原稿に書き込んだ記者パラベラムは、原稿を丁寧に荷物に仕舞って伸びをする。


「大したもんだよ、ヴァルナ。いや、この言い方は失礼か……王立外来危険種対策騎士団も、研究院も、島の中にも頑張った奴はいる。俺に出来んのは、そんな頑張り屋をできるだけ余すことなく見届けて、事実をこのペラペラの紙に書かれた文字に圧縮するだけって訳だ」


 後にパラベラムはこの記事――『資本主義とトーテムセブン』を高く評価され、表彰を受けることになるのだが……それは、まだまだ先の未来の話。

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