第372話 制裁を与えます
この状況はまずいな――と、俺は内心で焦燥に駆られた。
子供ハルピーのぴろろでさえ大勢の人間を抱えて空を飛ぶほどの力があったのだ。なのにいまミノア上空を周回するハルピーたちはその殆どが成体のように思える。この戦力差と、上空から風を用いて攻撃できるというハルピー側の優位性はどう足掻いても覆せない。
しかも、そのリーダー格と思われるハルピーたちは存在感が違う。確実に普通のハルピーより強い。島に先に来ていたカァたちの表情に微かな緊張が見て取れるのがいい証拠だ。
結論から言えば、ハルピー側の下した決定は覆すことが出来ない。
これにて自分のすべき仕事が全て終わってしまったのではないかとさえ思う。
ここから事態を好転させる方法があるとすれば――。
(乗りやすい頭の二人、キャリバンとリンダ教授なら出来なくはないか……?)
俺はどんなに頑張っても所詮一人の騎士に過ぎない。
仕事の範囲内でハルピーたちに主張をすることは出来ても、説得となれば恐らくファミリヤ使いの二人にしか成功の可能性はないだろう。ここで間違えれば、約束を破った人間に対するハルピーの報復の規模は計り知れない。仮にそれが人間の自業自得であったとしても、彼らが王国民である以上は騎士として見捨てることはできない。
ちらりと頼みの綱のキャリバンを見ると、彼はぴろろを抱きしめていた。
「よしよし、怖かったな。大丈夫か? 怪我してない?」
「ぴぃぃ……ぴぃぃ……ぴっ!? お、おててに血がぁ~!!」
「いや、それはシャーナさんの傷口抑えた時についたのだから。ええと……」
キャリバンは空の様相も自分たちを見下ろすハルピーも無視して、水筒の水でぴろろの手の血を洗い流す。そして丁寧にぴろろの手を拭くと、頭の上にのせる。
「しばらくそこでじっとしてな。いま師匠が治療してるから、俺も手伝わなきゃならん。大丈夫、シャーナさんは助かるよ」
「ほんとか? ……ンがいうなら、しんじよう」
ぴろろはまだ精神的な衝撃が抜けきらないものの、ひとまずキャリバンの頭の上で落ち着いたようだった。あれを頭に乗せたまま治療の手伝いをしようとはとんだクレイジーボーイであるが、処置の殆どをリンダ教授が請け負っているので案外問題はないのかもしれない。
「はらからよ、なにがおきたかかたるがよい」
ハルピーの中でもひときわ存在感が強い者――仮称でぽっぽーと呼ぶことにした――の問いに、カァたちが答えていく。
大昔にここの人間たちと、森をいたずらに傷つけないという約束をしたものの、近年になってそれが破られたこと。ぴろろの『喚び風』はそれとは別件であること。ただし、コリントスの凶行については弁明の方法がなく、ハルピーたちの心証を悪化させる結果となった。
子を失った親の怒りなど、彼らには関係のないことだ。自分の子を失ったことは、他人の子供にクロスボウを向ける正当な理由になどならないのだから。
オークの事について少し話が逸れたが「オークとハルピーは不干渉の約束をした」という話によって、本筋にはならなかった。
こうして舞い降りてきたハルピー代表たちに情報を共有し終え、本題が始まる。
「そうであるか……ならばきまりだ。にんげんはやくそくをやぶった。いきものにとって森をはかいされるのは、にんげんがむらやまちをこわされるのにひとしい行為。よって、おなじばつをくだすのが妥当である。いぞんのあるものは?」
ぽっぽーの言葉に反論する者は、空を飛ぶ群れにはいない。
しかし、ここでカァが手を挙げた。
「きしだんというにんげんたちは、このしまで起きたことにはかんちしていない。それにかれらは不干渉とやくそくしたおーくとてきたいかんけいにあり、かれらへの介入はおーくとのやくそくをやぶることになる」
「おーくがしんだのならば、やくそくにいみはない」
「……」
カァはちらりとこちらに視線を送る。
少しだけ申し訳なさそうな表情だった。
彼女なりにこちらを慮ってくれたものの、やはり無理があったらしい。
だが、完全に無駄ではなかったのか、ぽっぽーは少し考えるそぶりを見せた。
「……はらからの意見をすべてむげにするのはむれとしてよくない。どうおもう?」
「むぅ、でもおーくはしんでるぞ。やはりむこうでは?」
「ぎゃくともかんがえられるかも」
「にんげんなんていいわけするにきまってる」
「そうだそうだ」
「でもやくそくのことをしらず、よそからきたにんげんにやくそくをおしつけるのはどうなんだ?」
急に代表格ハルピーたちによる議論が始まる。意見は意外にもかなりばらけており、しかも皆が好き勝手に喋るものだから纏まる気配がない。と――リンダ教授がシャーナに薬を投与する手を止め、ぐるりとぽっぽーたちの方を向き、ドスの効いた声を出す。
「気が、散る、から。ちょっと、しずかに、して」
「ぽろっぽぅ!?」
それがよほど効いたのか、ぽっぽーたちは一斉に羽を逆立てて怯える。静かになったのを確認したリンダ教授は、薬の投与と傷口の処置に戻りながら喋る。
「わたしは、この島の人間の生活がどうなろうと知ったことではないし、森や生き物をいたずらに傷つけてきた島の人たちに思い入れもない。でも東の人たちはまだ自然に寄り添った生活が出来ていたと思う……この子、シャーナも東の子。人に罰を与えるのは構わないけれど、約束を破った人とそうでない人の区別はつけるべき。そしてそれ以上に、余裕ある命は傷ついた命に手を差し伸べるべき」
それだけ言って、リンダ教授は処置に戻る。
シャーナは痛みと苦しみに呻いているが、処置自体はきちんと進んでいるのか次第に落ち着き始めている。
ぽっぽーは暫く呆然したが、やがて周囲のハルピーに提案する。
「このばにいるにんげんぜんいんのいけんをきく。そのうえではんだんする。一人ずつしゃべらせ、その会話をさえぎることはきんじる。はなしはできるだけかんけつに。いいだろうか?」
「いぎなし……」
心なしか他のハルピーたちが一斉に小声になった。
リンダ教授、動物博愛かと思いきや叱るときは叱るんだな。
ぽっぽーはまずムームーを指さした。
「おまえはどうだ」
「に、西のことは噂ばかりでよく知らない……でも、おれもねーちゃんも、精霊様をないがしろにしたことはないぞ! 教えにだって従って生きてきた! ほかのことは、難しくてよくわかんないけど……」
「では、そこにもたれかかるおとこはどうだ?」
麻酔のせいで満足に動けず横たわるトゥルカは、鋭い目つきで声を絞り出す。
「全ての王国人と……王国人に関わった島の者に、罰を……王国人の持ち込んだ、毒、が……島の全てを……狂わせた……」
麻酔が抜けずふらついているが、トゥルカの主張は揺らがない。
彼の言い分を通せば、騎士団までもが罰とやらの対象になるだろう。
しかも、ハルピーたちはムームーよりはトゥルカの側に説得力を感じているようだ。
「やはり、みんなまとめてばっするのがらくだ」
「しっ、まだはなしをききおえてないぞ」
ぽっぽーの視線は、今度はコリントスに向く。
「おまえは?」
「は、話しかけるなバケモノが!! お、おい騎士!! 私を守ってこいつらをどうにかしろ!! 逃げるまでの足止めでもいい!! 国民を守る騎士が、国民の財産を傷つけようとする行為を放っておく気か!! ば、罰など島の人間が受ければいいだろ!! 島の人間が自分たちの手で森を破壊してきたんだから!!」
全力で保身に走るコリントスに、この場にいる全員の冷めた視線が降り注ぐ。
喋らせずに殴って気絶させておいた方がまだましだっただろうか。
ぽっぽーの視線は今度は俺に向いた。
何を言うべきか、今も少し迷いがある。
いくら環境に対する敬意や知識がなかったからといって、この島の西の民がやってきた行為は謝って済む問題ではない。いたずらに多くの命を奪ったし、約束を破ったのも確かだ。されどコリントスの言う『守る義務』というのも騎士には確かに存在している。本来ならば、誰の財産も奪うべきではないと主張するところだ。
だが、それが本当にこの島の為になるのかと考えると、頷けなくなってしまう。このまま人々が何の罰も受けずに過ごせば、近い未来にこの島の自然は今以上に悲惨なものへと変貌するかもしれない。
そうなれば、誰も責任を取れなくなる。
上司としては騎士団の仲間を守る義務も存在するが、今それを主張すれば心証は悪化し、完全に保身に走っていると受け取られかねない。個人的には国民が罰を受けておいて自分たちだけ高見の見物というのも筋が通らない気分だ。
俺の主張で多くのものを得るのは無理だ。
現実的に絶対譲れないラインを攻めるしかない。
(……キャリバン、悪いがお前に後を託す)
未だ震えるぴろろを撫でてあやす後輩に先を託し、俺は自分の意見を口にした。
「罰を執行するのであれば、どうしても守って欲しいことがある。決して死者を出さないで貰いたい。死ねば反省も何もできなくなる。そして、それに関係して西側の建物でもひときわ大きくて白く飾り気のない建物――研究所だけは襲わないで貰えるだろうか。あそこには人を助けるために必要な道具が揃っている。オークとの戦いで出た怪我人やそこの彼女、シャーナの命を助ける機会を奪うのは、殺人と同じだと俺は考えている」
「ぬ……こうりょしよう」
ここはきちんと通じたらしく、ぽっぽーは神妙に頷く。
と――シャーナがゆらりと手を挙げた。
「精霊、様……東の民は……罪なき民では、ありません……変わっていく同胞を止めず、静観した罪は……くっ……! ば、罰するなら我ら東の民も……」
「それ以上、喋らない。傷が悪化する」
「申し訳……巫子さま……」
シャーナはそれが精一杯だったのか、ぱたりと手を下ろして荒い吐息を漏らす。
彼女がそのように考えていたとは知らなかった。
トゥルカも驚いているように見える。反対の意思が見えないところを見るに、当人にも何らかの罪の意識があるらしい。
彼女の志は尊ぶべきものだが、今の言葉でハルピーたちの空気が変わった。
(表情や気の乱れから察するに、全壊しの意見が若干勝ってるか……?)
なにせ島の人間が全員に責任があると言い、元凶は余所者だという者がおり、その余所者は醜く保身に走っている状況だ。俺とムームーの意見に理解を示す者もいるようだが、所詮ハルピー全体にとっては人間は約束破りの嘘つきに過ぎない。
嘗て寒国に資金援助して多くの人命を救ったイヴァールト四世が『見ず知らずの他国に貴重な国庫を費やした暗君』と国内で非難されたように、人は実体験を伴わない道徳を軽視することがままある。ハルピーでもどうやらそこは変わらないらしい。
この状況を覆せる存在がいるとすれば――騎士団で最も動物や異種と心を通わせる、キャリバンしかいない。
彼はリンダ教授の教えを受けているが、教授自身は島の人間を庇う気持ちは一切ないらしい。しかし一方で、彼女は動物とも人とも上手く付き合って生きているキャリバンに期待を寄せている。
それはきっと、キャリバンになら他人にも自分にも見つけられなかった新しい答えを導き出せると考えているからではないだろうか。
これは、俺には出来ない。
キャリバンにしか出来ない仕事だ。
(任せたぞ、キャリバン……!!)
「ではさいごに……とてもすわりごこちのよさそうなあたまにはらからを乗せてあやしているそこのおとこ。おまえのいけんをもってして、裁定はくだされる。こころしてこたえよ」
「あ、ハイ」
キャリバンは、ううん、と唸る。
彼はちらりと師のリンダ教授を見た。
すると彼女は一言だけ彼に声をかける。
「責任は取る。師匠として」
その一言が後押しになったのだろう。
キャリバンは意を決したように頷き、懐からあるものを取り出す。
「俺、思ったんすけど……約束を破った相手に罰を与えても、その人たちが生きている以上は放っておけばまた同じことを繰り返すんじゃないすかね?」
「つまり、おいだすべしと?」
「追い出しても、また船で来るからそれもあんまり意味ないんじゃないかなーと」
「では――ころせと?」
その場の人間の表情が一斉に強ばる。
皆殺し――確かに、森の破壊者を根絶やしにすれば結果的に森は守られる。
自分が殺されると思ったのか、コリントスが血相を変える。
「ふざけるな、きさ――むごっ」
何か言う前に、丁度コリントスの口に収まる石が風に巻き上げられ、ずぼりと彼の発言を封じた。ハルピーの魔法だ。
「ほかのもののいけんにくちをはさむなといった」
「同じ人間が失礼した。あと、すまんが窒息しないよう加減してやってくれ」
「わかっておる。それで、けっきょくどうすべきだというのだ?」
キャリバンは、懐から小さな袋を取り出す。
「実は、ハルピーの約束を破った島の人間は共通して『あるもの』を喉から手が出るほど欲しがり、集めているんすよ。それこそが罪の象徴。しかも、そいつを奪えば今後住民は森を再び敬わざるを得なくなるっす」
(キャリバン、いつのまにそんなものを……)
ずっと黙っていたのか、それとも最近気付いたのか。
俺はそんな都合のいい物は関知していないし、騎士団で報告も上がっていない。
あの袋にはどことなく見覚えがあるが、一体何が入っているのだろうか。
思わず固唾を呑んで様子を見守る。
キャリバンは取り出した小さな袋を、ほんの少しだけ躊躇いがちに開き、その中身を掴んでハルピーたちによく見えるよう頭上に掲げる。ぴろろからすれば真横に掲げられる形になったため、彼女はそれをまじまじと見て首をかしげた。
「なに、これ?」
その問いに、キャリバンは堂々と答える。
「お金だぁーーー!」
若干自棄の入った一言に、その場の人間全員の表情が凍り付いた。
そして、俺はあの袋の正体をやっと思い出す。
「そうかそれ、おまえの財布……」
「お金は世界の人間が使ってるもので、貨幣、通貨などとも呼ぶっすけど……こいつが王国人が持ち込んだ毒の正体なんすよ! アルキオニデス島に必要な罰! それは、財産没収っすッ!!」
そしてキャリバンは語り出す。
この島の約束破りの身体を傷つけず、効率よく罰する手段を。
自分の財布の中身がハルピーたちに「これがおかねかー」「へんなにおいー」と言いながら次々抜き取られていくことも気にせず、のんびり屋のハルピーに伝わるよう敢えて鷹揚と説明をするキャリバンを、シャーナへの処置を終えたリンダは尊敬さえ籠もった眼差しで見つめていた。
彼の提案は確かに痛みを伴うものだが、ある意味最も有効な選択だ。
それを思いつかないとはまだまだ頭が硬いな、と自分に苦笑いしながら、俺は頼もしい後輩の姿を目に焼き付けた。
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