第371話 裁定が下されます

 俺は崖を登るとコリントスを安定した足場に放り出す。

 げぇ、とカエルのような悲鳴を上げたコリントスだが、擦り傷程度でひどい怪我は負わなかったようだった。


「傷害の現行犯と騎士団の職務妨害は免れないものと思えよ」

「くそ……くそ……コリン、あと少しで……」


 彼の言葉を無視して、荷物から紐を取り出して拘束する。

 前にンジャ先輩に教わった、指を縛る方法だ。

 尤も、完全に意気消沈しているコリントスにはもう抵抗の意志は薄く、また、仮に逃げだそうとしてもこの距離で俺から逃げるのはほぼ不可能だ。念には念を入れて片手でコリントスの襟首を掴んだまま、今度は矢で射られたシャーナの元へ走る。


 現場に来た際に視線で確認はしたが、シャーナに刺さった矢はそこそこ深いものの主要な臓器からは外れているようだった。とはいえこんな山の上での負傷なのですぐ治療室や治癒師を用意は出来ない。山を下る必要がある。


 ムームーは「ねーちゃん、ねーちゃん!!」と叫びながらもどうしていいか分からずおろおろし、ぴろろは本人なりに必死で傷口を抑えようとしているが、全く応急処置の知識がなさそうで悪化しかねないと思い止めた。


「ぴろろ、落ち着け! ヘタに触るともっと血が出てしまうから」

「ぴぃぃ、ぴぃぃぃー……」


 ぴろろは動揺してあまり話が聞こえていないようだったが、後ろからやんわりシャーナから引き剥がすと逆らいはしなかった。彼女の両手が血に染まっている様はなかなかショッキングだ。

 既に遠目でキャリバンたちがここに近づいているのが見えたので、可能な限り怪我の状態を確認する。


「コリントス。矢に毒などを塗ってはいないだろうな?」

「……」

「答えろ」


 言うと同時に剣を親指で鞘から抜くと、コリントスはぶるりと震えて首を横に振る。念のため何も返事せずにもう少し刀身を抜いて圧をかけると、コリントスは「塗ってない!! 何かの拍子に自分に毒が回らないように!」と叫んだ。

 嘘をついているようには見えないため、矛を収めて息荒くしゃがみこむシャーナの肩を掴む。


「シャーナ」

「はぁーっ、はぁーっ、うぐっ……」

「すまんシャーナ、俺たち騎士団がついていながらみすみす……」

「い、いい……戦士として、戦いで傷つくのは、当然だ……くっ」


 彼女の顔に浮かぶ苦悶の表情と脂汗が、彼女の痩せ我慢を物語っている。いくら直ちに命に別状はなくとも、腹に深く突き刺さった矢が平気な筈はない。今は刺さった矢が血管に蓋をしているが、抜けば大量出血はありうるなど予断を許さない状況だ。

 ひとまず洞窟近くの木陰に彼女を誘導しながら声をかける。


「山を下りれば研究所の医療施設で治療できるが、その前にまずは応急処置をする。それまで辛抱しろよ……キャリバン! リンダ教授! 負傷者が出た!!」


 リンダ教授とカァ、そして教授に合わせて移動していたキャリバンに声をかける。


「腹部にクロスボウの矢が命中! 刺さりが深く、恐らく腸を損傷している! 教授に応急処置を頼みたい!!」

「えええッ!? マジすか!!」

「人間は専門外」

「応急処置でいいです!! 本格的な治療は山を下ってからやるので、今を凌げれば!!」

「……」


 リンダ教授はしばし無言だったが、茫然自失のぴろろと慌てるムームーを見て、一度ため息をつくとシャーナに駆け寄った。キャリバンもリンダ教授の仕事道具を抱えてそれに続く。

 ハルピーに頼めば少ない負担で山を下れるとはいえ、フロンの町からも信号弾が上がっていた以上は治療に時間がかかる可能性がある。今しがたファミリヤ伝達を頼んだが、最悪の場合を想定して応急処置だけは済ませておきたい。


「フィーレス先生にしっかり伝えてくれよな」

『マカセトキナッテ!』


 ファミリヤが飛び立っていくのを見送る。

 その横でリンダ教授が地面に綺麗な布を敷いて必要な薬品を取り出す中、俺はふと遠くからふらふら千鳥足で近づいてくる人影に気付いて驚く。それはいつの間にか現場からいなくなっていたトゥルカだった。誰かと争ったのか、それとも転んだのか、体のあちこちに打撲痕や生傷がある。


 俺は一旦コリントスをその辺に放り出して、トゥルカに近づいて肩を担ぐ。

 明らかに体調がおかしい。

 足場の安定した洞窟前で一度寝かせた方がいい。


「何があった、トゥルカ」

「体が……いうことを、聞かん。あの男、くすりを俺に……コリントス……ッ!!」


 所々怪しい呂律でうわごとのように呟いた彼の瞳に、拘束されたコリントスの姿が映る。途端にトゥルカの全身に力が籠もるが、薬とやらの影響か、逆に足がもつれそうになっている。とにかく一度寝かせるかと彼も洞窟近くの木陰に寝せた。


「コリントスはさっき拘束した。奴は騎士団預かりだ。先に捕まえたもん勝ちで文句ないな? 心配すんな、罪は償わせる」

「……もとは、王国人の招いた……ひだね、だろう……」


 トゥルカはまだ動こうとしていたが、とっくに体が言うことを聞かないようだ。気道を確保する態勢で寝かせてやりコリントスの方を振り向くと、今度は何も言っていないのに喋り出す。


「動物を生け捕りにする用の麻酔薬を塗った針を刺した。小型動物用だが、よく効くやつだ」

「罪状追加だな……どうすれば治る?」

「ふん、どうもこうも……麻酔薬なのだからいずれ効果は切れる。切れないときは二度と目覚めないときだが、あそこからここまで歩いて来られたのなら死なんだろう。忌々しいゴキブリが……」


 と、リンダ教授がいきなりコリントスの胸ぐらを掴んだ。


「麻酔薬はどこ?」

「な、なんだ貴様……!!」

「麻酔薬を、よこしなさい。二度言わせないで」

「くぅ……!? こ、腰のポーチにある錐に塗ってある!」

「薬の名前は?」

「え、エンシェルラン……!」


 有無を言わさぬ迫力にコリントスは気圧される。

 どうも拘束されて心が弱ってしまったらしい。

 聞くが早いかリンダ教授はコリントスのポーチから麻酔薬を強奪し、針の状態を確かめ、匂いを嗅ぐ。


「そっちの男に刺したとき、どれだけ刺したの?」

「一本を根元まで……」

「……」


 リンダはトゥルカに近づいて脈拍や呼吸、現在の状況を確かめる。

 ここまで行けば彼女が何をしようとしているのかは察しがつく。

 キャリバンが応急処置の準備を進めながら問う。


「使うんすか、それ? ハンターの持ち込みでしょ?」

「私の麻酔は動物用しかないけどエンシェルランは人間にも使われる薬。即効性だから分量には注意が必要だけれど、人に試したこともない薬よりはこっちの方がマシ。それに動物は話せば少しは分かるけど、人間は治療中に暴れるかもしれない。そうすればもう手がつけられない」


 普通逆じゃないのかと思うが、この人にとっては動物の方がまだコミュニケーションが楽らしい。流石はファミリヤ学の権威といったところか。

 それに、シャーナほどの負傷になると麻酔の有無は負傷者の体力や精神に大きな影響を与える。体力を温存させられるならそれに越したことはない。


 様子を見守っていると、ぴろろを除くハルピーたちがこちらに近づいてきた。

 代表としてか、カァが神妙な面持ちをする。


「たいへんなことになったわ、ナ」

「ええ。俺の管轄で民間負傷者を出してしまうとは……助かるとは思いますが」

「そうじゃない。もっとたいへんなこと」

「えっ?」


 カァたちはぴろろを指さす。


「さっききこえたでしょ。あのこの『喚び風』が」

「……喚び風?」


 ぴろろの悲鳴みたいな鳴き声は聞こえたが、あれのことだろうか。

 俺の表情でこちらが『たいへんなこと』を理解してないことを察したカァは首を横に振る。


「そう、ニンゲンにはただピィーって鳴いてるようにしかきこえなかったのね。あれはハルピーだけがだせるとくしゅなおとなの。ひびいた音は風とまほうのちからでとおく、とおく、千里を超えてもなお遠くまでひびきわたり、どうぞくにあることをしらせる」

「同族に……まさか、自分の危機を、とか?」


 カァが無言で頷くのを見て、俺は一瞬それをどう捉えればいいか判断しあぐねた。

 すると、チュンが補足する。


「ハルピーはとってもドーゾク意識がつよい。じぶんたちの群れとかんけいのないハルピーのなきごえだとしても、きこえればかならず駆けつける。ハルピーたちはつよい。だからそんなハルピーがたすけをもとめるときは、やくそくをやぶられたとかいのちのきけんとかだ。きこえたものはかならず大群でかけつけ――てをだしたものにむくいをうけさせる」

「ぴろろはこどもだから、ちかしいものが血をだすさまをみて、こわくてさけんでしまった」

「たいぐんがくる」

「みんながくる」

「なぜどうぞくがたすけをもとめたのか」

「なぜそんなことがおきたのか」

「このしまのにんげんは約束をやぶってしまったことも知れわたる」

「ハルピーはやくそくをたがえたものを絶対にゆるさない」

「――たいへんなことになったわ、ナ」


 その意味を漸く理解した頃――空に異変が起きた。


 先ほどまで快晴だった筈の空がいつの間にか暗雲に覆われ、ミノアの地を中心に渦を巻くように漂っている。明らかに異常な雲だ。


 その雲の中から、ボッ、と、何かの影が抜け出てくる。

 影は二つ、三つ、四つとどんどん連続して雲を突き破り、やがて雲全体から大量の影が翼を広げて上空で旋回を始める。百を超える大量の翼が一斉に空を斑に染める様は、まるでこの地に邪悪な存在が召喚されたかのような不吉さと不安を感じさせる。


 今更空の異常に気付いたコリントスが目を剥く。


「こ、これ全て……ハルピー……!?」

「みたいだな。まだ増えそうだ」

「おい貴様、王国最強の騎士なんだろ!? 外来種駆除のスペシャリストならどうにかしろッ!!」


 足に縋り付いて喚き散らすコリントスを蹴り飛ばしたい衝動を抑え、俺はため息をついた。


「馬鹿言うな、渡り鳥は外来種には含まれんし、まだあいつらが悪さした訳じゃないだろ。それに――」


 数百のハルピーの群れから、強烈な存在感を纏ったハルピーが数人、ゆっくりと舞い降りてくる。全身に風を纏い、感情のない平坦な目でこちらを見下ろしてくるハルピーと、それにいつでも付随できるよう一斉に意識をこちらに向けるハルピーたちを見て、俺は素直な感想を口にした。


「この数のハルピーが一斉に風を吹かせば、俺以外誰も助からん」

「じぶんはたすかるようなものいいだな、にんげん」

「助かっても意味がない。誰も守れない訳だからな」

「そうか。りせいがあるようでけっこうだ」


 どうやら群れで最も強い力を秘めているらしいその大柄なハルピーは、風に服をはためかせながら問う。


「ではこたえよ、にんげん。はらからはなぜ血によごれているのかを。ハルピーはハルピーのちつじょにて、その裁定をくだすだろう」


 ――魔物ハルピーは精霊なのかという問いに、意味はない。


 何故なら、ハルピーは精霊と崇められるだけの力を持っているからだ。


 故に、どちらが真実であっても結果が覆ることはない。

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