第369話 死神が近づいてきます

 トゥルカの予想通り、コリントスは手下を引き連れてミノアの地を登ってきていた。頂上に続く大きな崖の裂け目に出来た道の陰に身を隠し、トゥルカは槍の具合を確かめる。耳を欹てると、彼らの会話がよく聞こえる。


「しかしミノアに行くのにこんな便利な道があるとはなぁ。雨が降ると水が流れ込んでちょっと危ないかもしれんけど」

「それより虎のこと考えろよ。コリントスさん、ここまできて独り占めはないですぜ」

「全滅させたら山分けなりなんなりしてやる」

「っしゃあ言質頂いたり!!」


 物陰からコリントスの手下たちを見たトゥルカは忌々しい気分になる。

 揃いも揃って嘗てのトゥルカの顔見知り――しかも、フロンで真っ先にコリントスに靡いた戦士連中だ。槍も棍棒も捨ててすっかりクロスボウにご執心らしい。数は三人。奥にコリントス。恥を忍んで船頭のバウから戦い方を習ったことが幾度かあるトゥルカは、彼らが足場の悪い場所に入った瞬間に勝負に出た。


(油断してる相手には、地の利を活かした不意打ちが有効……人も獣もそこは変わらん!)


 東の地で戦士として悪路を駆けたトゥルカの足は、下のごろごろと無造作に転がる小さな岩を物ともせずに駆け抜ける。何かが来ることに気付いた三人のハンターが足場のせいでもたつきながらクロスボウを構えるまでの間に、トゥルカは既に間合いに入っていた。


「ハァッ!!」

「に、人間!? おわぁッ!!」


 槍の先端は狙い澄ました通りにクロスボウの弦を裂き、そのままもう一人のクロスボウも同じように弦を裂く。弓に比べると狙いにくいが、弦のないクロスボウなど精々粗雑な鈍器にしかならない。

 最後の一人の分は槍を回転させて叩き落とす。咄嗟に拾おうとしたハンターの首筋にトゥルカは槍を突きつけた。


「去れ、自ら毒に溺れた薄汚い略奪者が」

「と、トゥルカ……? なんでお前がここに――」

「去れと言っている。でなくば槍が貴様らを貫くぞ」

「は……あははははははっ!! 刺すって、お前が俺たちをか?」


 ハンターの一人腹を抱えて可笑しそうに笑う。


「コリンが虎に襲われてベソかきながら逃げ出した臆病者のお前に何が出来る! お前がコリントスさんを怖がって東に逃げ出した後に俺たちが何頭の虎を仕留めたと思う!? どんだけでかい獲物を罠にかけてきたと思う!?」

「そ、そうだ!! 俺たちはあのとき以上に強い戦士になった!! テメェの使ってる時代遅れの槍なんかに遅れは取らねぇんだよ!!」

「お前たちの言う流行のクロスボウはもう使えないようだが?」

「馬鹿が!! ハンターがクロスボウだけ持って狩りに臨む訳ねぇだろ!!」


 ハンターたちがそれぞれナイフや鉈を腰から抜くが、それが構えられるよりも早くトゥルカは――ハンターに槍を刺した。ぶつっ、と、皮膚が破れる感触があった。大した力は込めていないので槍先数センチが急所を逸れた腹部に沈んだだけだが、その痛みと傷口からゆっくり溢れ出る鮮血に、ハンターたちは青ざめた。


 トゥルカは、本当に人間を刺した、と。

 その瞬間まで、ハンターたちはなんだかんだ昔のよしみで許してやろうとか、今の自分たちを見ればトゥルカも躊躇うか怯むからその隙に組み伏せようと思っていた。しかし、その淡い妄想を、槍先に付着した血が否定している。


「お前たちが勇敢な戦士だと? 絶対に勝てる場所から絶対に勝てる戦いを挑み、恐怖に向き合う事を忘れた間抜けが何を得たと?」

「ひ……い、痛ぇ……?」

「お前、え……トゥルカ……何、して……?」

「もう一度言うぞ。去らぬならば貫く」


 トゥルカが、今度ははっきりと突き刺す為の槍の構えを取る。

 その瞬間、ハンターたちは自分たちが勇敢でも何でもないことに気付かされる。自分たちは強くなどなっておらず、ただ武器が強いだけで、命が惜しければいつでも逃げて帰るような環境にいた彼らの心は、嘗て戦士だった頃よりも弱くなっていた。


「い……いぎゃあああああッ!! 人殺しぃぃぃッ!!」


 あまりにも醜い声で喚き散らしながら、三人のハンターは数の優位も経験も何もかも投げ捨てて来た道を戻った。残るは無言でライフル銃を構えるコリントスのみだ。


「お前に言った言葉をそのまま返してやる。撃たれたくなければ去ね。それともこれがどういう道具か懇切丁寧に教えてやる必要があるか?」

「必要はない。銃、という武器だろう。コリンが言うには、持っているだけで王国の法律に違反する――」

「お前がコリンの名を口にするな、クソガキがぁッ!!」

「貴様こそが、その名を口にする資格がないだろうがッ!! 貴様の薄汚い欲望がコリンを無謀な行動に導いたのが何故分からぬッ!?」

「お前の寝言はもう聞き飽きたッ!! 貴様から先に撃ち殺してやってもいいのだぞッ!! 息子の期待を裏切ってみすみす死なせた挙げ句、何の償いもせずに逃げ出した臆病な卑怯者の分際がッ!!」

「全てお前の為にあるような言葉だ、コリントスッ!! 責任から逃げるどころか現実すら見ていないのは、貴様だろうがッ!!」

「――ッ!!」


 コリントスの銃の引き金にかかった指が、衝動的に引き絞られた。

 トゥルカは咄嗟にそれを躱す。

 銃も基本は弓と同じで直線にしか進まない飛び道具の発射機――それがコリンから聞いた情報だ。

 ぱぁん、と破裂音がして何かが凄まじい速度で自分の真横を通り抜けた。


(……ッ、速い、などというものではない! 当たれば本当に死ぬ――だがッ!!)


 銃は発射後に弾丸――弓でいう矢を番える時間が必要であることを知っていたトゥルカはコリントスに肉薄する。コリントスがそうであるように、トゥルカも完全に殺すつもりで槍を腰だめに構え、一気に解き放つ。


さかしい真似を……浅はかッ!!」

「なにッ!?」


 コリントスはライフル銃を巧みに動かして槍の軌道を逸らし、そのままライフルの銃床でトゥルカを下から突き上げるように殴打する。予想外の反撃に一瞬動きが鈍った隙に更に銃床を腹に叩き付けられるが、これ以上好き勝手をさせまいと痛みを堪え、コリントスの銃に掴みかかる。


「クソッ、離せ薄汚いガキがッ!!」

「離してなるものかよッ!!」


 若さでは圧倒的にトゥルカが上回るが、コリントスは年齢に見合わない的確な動きで振りほどこうともがき、隙を見てトゥルカに拳や銃を叩きつける。人間を倒す為の動きを、この男は知っているのだとトゥルカは気付いた。

 だが、それでも体力は完全に付いていかない。

 コリントスは明らかにこのもみ合いの中で疲労している。


 トゥルカは銃に掴みかかり、力任せに押し倒す。

 銃だけは放すまいとしたことで均衡が崩れ、コリントスは地面に背中を叩き付けられた。


「は、な、せぇぇぇぇぇッ!!」

「離す……ものかぁッ!!」


 ライフル銃をコリントスの首にめがけて全力で押し上げる。

 この男をここで生かせば絶対に、確実に、虎を殺し尽くす。

 そして森は完全にハンターの狩り場と化し、森林は消失していき、精霊も手遅れになった島を見て過ちに気付くこととなる。この島は、王国人の手によって今度こそ滅ぶのだ。トゥルカはそのような未来は望まないし、きっとコリンも望んでいない筈だ。

 亡き親友の父を慕う顔が脳裏を過り、少しだけ胸が苦しくなる。


「コリンよすまぬ!! 父よ妹よ母よ、トーテムよ俺に力をぉぉぉッ!!」

「あがッ、ガッ、かぁぁぁ……ッ!?」


 コリントスの顔面がうっ血し、満足に呼吸も出来ず声にならない呻きを漏らす。べきべきと音を立てて銃が歪に変形していくほどの力をトゥルカは振り絞った。


 ――だから、気付かなかった。


 ぶすっ、と、鋭い何かが自分の足に刺さった感触。

 直後、全身に目眩と倦怠感が襲い、手に力が入らなくなる。

 コリントスはその機を見逃さずにトゥルカを突き飛ばし、その隙にたたみかけて蹴り飛ばした。えづくコリントスは、その口元を勝ち誇ったように歪める。


「え゛っほ、げほっ、げほっ!! ぜぇ……この……馬鹿が……」

「貴様、何を……まさか」


 トゥルカは自分の足に細い何かが刺さっている事に気付いた。ナイフではなくきりに近いそれは、トゥルカの命に関わるほどの場所に刺さってはいない。なのにこの酩酊したような感覚は――。


「獣を生け捕りにするときの為の、即効性麻酔を打ち込む道具だ……さっき片手で抜いてお前に刺してやった……はは、はははははッ!!」


 コリントスはひしゃげた銃を拾い、全力でスイングした。

 銃はトゥルカの側頭部に直撃し、抵抗もできずにトゥルカは地面に叩付けられる。痛みが走る筈なのに、その痛みがやけにぼやけるような感覚だった。ただ、額の皮膚が割れてどろりと血が流れ出す感触は辛うじて理解できた。


「その体じゃ真面に動けねぇ、だろ……このクソがッ!! 息子を見殺しにした野蛮で卑小な悪魔がッ!!」

「うぐっ、がぁッ……!」


 何度も踏みつけられ、息が漏れる。

 きっと激痛が襲っている筈なのに、朧な感覚だった。

 暫く同じことを続けたコリントスは、舌打ちして足を引く。


「ぜぇ……ぜぇ……麻酔のせいで痛みを感じてねぇってか……いいだろう!! どうせクソの騎士団共は暫くここには来ねぇ!! 虎を皆殺しにしてから麻酔の切れた貴様をクロスボウの的にして、息子の味わった痛みの苦しみの数分の一でも体に刻んで藻掻き苦しませてやるッ!!」

「ま……まて……」


 思うように動かない体を引きずって立ち上がろうとするが、その頃にはコリントスはハンターが落とした弦の無事なクロスボウと矢筒を拾い上げ、こちらを見てにやにやと下卑たえ笑みを浮かべていた。


「おーら、俺はここだぞ? はははッ、無様にふらふら近づいてきてみろッ!! くは、ははははははッ!!」

「まて……まて……卑怯者が、悪魔が……!!」


 大仰に手を広げて煽るような態度を取ったコリントスは、そのまま歪みきった悦楽の顔で山頂へ向かっていく。ふらつく足で追っても追っ手も背中が遠ざかっていく。


「神よ……トーテムセブン……誰でも、誰でもいい……奴に罰をッ!! 罰をぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」


 もう何もかも間に合わなくなってしまったトゥルカの慟哭が、虚しく響き渡った。




 ◆ ◇




 死の音が近づいている。

 あの日、衰弱した彼女が動かなくなったあのときのように。 

 希望なき独特の閉塞感と終末の予感。

 アース・トーテムは全てを悟りながらも、手を止めない。


 一体幾重の裂傷を負っただろうか。

 考えれば簡単なことだ。

 ドラゴンボーンが傷つかなくても、それを扱う自分は傷つき疲労するのだから。


 執念のみで食らいついた。

 それだけは、魂が砕けるまで絶対に絶やすまいと。

 だが、意思は意思であり、肉体のくびきを超えることは出来ない。

 目の前の人間に肉体が遅れを取り出すまでにそう時間はかからなかった。


 二の腕が抉られる。

 頬が抉られる。

 脛の前の皮が裂ける。

 耳が切り飛ばされる。

 それでも急所だけは守り抜いてきた。


「ゼヒュー、ゼヒュー……」


 既に呼吸すらままならない。

 次に刃を交えた時、勝敗は決する。

 煌めく剣を突きつけたまま微動だにしない男に、アースは感動すら覚える。


 この人間はまるで、今この場において決してアースを逃がさず殺す為だけにいるかのような存在だ。今まで数々の人間と死闘を繰り広げたアースだからこそ理解出来る。この男は別格の中の別格。人間以上の存在と思った方が得心がゆくほどに、研ぎ澄まされている。


 もとより死しか待たぬ未来に向かった以上、仲間も含めて末路は決まっている。

 ならばせめて最後まで足掻こうではないか。

 この人間なら、彼女の愛した大地を敢えて汚そうとはすまいから。


 風の音以外なにも聞こえない山の頂にて、睨み合う二人の緊張感が張り詰める。

 生まれて死ぬも、ここで死ぬも、偉大なる大地にとっては刹那の時間。

 だからこそ、今ここに生き様を刻まん。


 二人は全く同時に動き出し、そして――。


「――ちょっといいかねー?」

「「!?」」


 見覚えのあるハルピーの男が、突如として頭上に飛来する。

 その一瞬が、少しだけ、運命を変えた。


「ガァァッ!!」

「あっ、クソ! 待て!!」


 武器を腰のベルトに刺して、四足歩行で急な傾斜地に着地する。

 着地の瞬間に全身の傷から血が漏れ出たが、アースは気にしなかった。


 ――不覚、不覚、不覚!! なんたる不覚ッ!!


 それはハルピーの登場まで男との戦いに集中しすぎて気付かなかった異変。

 今のアースは、それを嗅覚と野生のカンで捉えている。

 鼻につくこの虫除けの臭いは、微かにこびり付く血の臭いは、何より臭いに混ざって届くこの不愉快な殺気は――ハンターだ。


 ――コヨテ、アマラ、ギルデプティス……!!


 彼ら全員が敗れたのであれば、想定して然るべきことだった。トーテムが『彼女』の遺した意志として守り続けていた虎に、人間の魔手が近づいているということに。


 確かに死を覚悟してここに立った。しかし、人間の予想外に早い侵攻に気付いてしまった今、あの洞窟に遺した虎たちを見捨てて独りよがりに戦い続ける欺瞞を、アースは許すことができなかった。

 どちらにせよ、死ぬ場所が変わるだけだ。

 ならばせめて、あの虎たちに迫る者だけは排除して死にたい。


 崖の上でハルピーと何やら喋りながら全速力で追ってくる人間を横目に見て、アースは、まさか人間に後を託すことになるとは、と思う。移動速度自体は人間の方が速いが、傾斜を移動できるアースは人間に出来ない最短距離を突っ切ることが出来たため、現場には自分の方が早く辿り着くだろう。


 ――虎たちの未来は、お前に託す。


 ――お前は人間だが、信じてもいい。


 人間と相互理解などしようもないが、あの男から感じた気位は信じてもいい。

 そう思い、アースは命の源たる血を零しながら疾走した。

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