第368話  SS:人の数だけ答えがあります

 トゥルカにとって、コリンという男は親友だった。


 最初に出会った頃は、この島では見たことのない白い肌と顔立ちを物珍しいと思った。村の他の者たちはそれを気味悪がったが、トゥルカの家の人間は母を除いてそうは思わなかった。


 最初のきっかけは何だったのだろうか。

 悪ガキ共がコリンを虐めていたのを追い払ったときか、木登りして降りられなくなっていたのを見つけたときか、それともクラゲに刺されて泣いていた時に薬草で治療してやったときだろうか。

 そこに境目はなく、気付けばトゥルカとコリンは友達になっていた。


 コリンはわんぱくで好奇心旺盛な男だった。

 それが危なっかしくてよく世話を焼いたものだ。

 その一方で、コリンはとても博識でもあった。

 商人の父親の影響か、自分と同い年とは思えないほど多くのことを知っていた。

 彼は頭がいいからこそ、逆に未知の体験に満ちた島が物珍しかったようだ。


『お前がいた王国に、俺もいつか行ってみたいものだ』

『そのときは案内するよ。王都の屋台なんか見たらきっとお腹がすくぞ~。太っちゃうかもね』

『それは困る。太った戦士など格好がつかないからな……ふふ』

『あはは、確かに!』


 妹は、きっとコリンが初恋だったと思う。

 確認したことはないが、ときどきちゃんばらごっこでコリンに決闘を挑んでいた。カシニ列島の民族にとって、未婚の男女の決闘にて挑んだ側が負けた場合、勝った側は相手と婚約することになる。しかし、どんな形であれ女性に暴力は振るえないとコリンはいつも困った顔で妹から逃げ回っていて、その様子が可笑しくてよく笑ったものだ。


『ちょっとー! 逃げたら決闘になんないじゃないのよー!』

『だから決闘なんてしないって! トゥルカ~、見ていないで助けろよ~!』

『ははっ、いいではないか。付き合ってやれよ』

『もう、君まで意地悪を言うー!』


 ――今も、トゥルカはコリンの死を悔やんでいる。


 彼の死は自業自得であったが、終わってみれば、自分が彼の無謀な行動を止められる可能性はあった。否、何度も止めようとしたが失敗した。友であるトゥルカの意見を突っぱねるほどに強いものが、コリンを突き動かしてしまった。

 原生林を案内して欲しいと言われて護衛に同行したあの日、彼の意図にもっと早く気付くべきだった。あの日から、様々な運命が狂ってしまった。


『コリン、コリンッ!! これ以上は本当に危険だ!! ここはもう虎がいつ出てもおかしくない!!』

『君が守ってくれるんだろ? なんたって戦士なんだから!』

『そうだが、もうやめるんだ!! 虎は神聖であると同時に危険な存在なんだ!! 襲われればひとたまりもないぞ!! ……おいコリン、聞いてくれ!』

『あっ……凄い! この崖の隙間からミノアの地ってところにいけそうだぞ!! 大発見だ、帰ってこの話をしたら父さんもきっと喜ぶ!』


 コリンはその日、浮かれていた。

 父親から虎の皮が非常に高額で売れるという話を聞いたこと。

 そして、翌日が父親の誕生日であること。

 この二つが、父親を愛するコリンを無謀な行動に誘った。

 彼は父親の倉庫から強力なクロスボウを持ち出して、狩りをしに森に出たのだ。


 トゥルカがその目的を悟ったのは、彼が立ち入りが危ないと警告したエリアの草木をかき分けて進み出したときだ。護衛を買って出た手前、一人で行かせる訳にもいかずトゥルカは追いかけた。しかしコリンはトゥルカたちと遊ぶうちに運動能力が発達し、森を歩くのにも慣れていたのでなかなか追いつけなかった。


 また、親友であるコリンをがっかりさせたくないという躊躇いもあったのだろう。あんなにも本気なコリンを無理矢理制止したら、今までの二人の関係に亀裂が入るかも知れないという言いようのない不安が、結局コリンをミノアの地に向かわせるまでに至った。


 当時、虎が密漁されているという噂はフロンで囁かれていた。だが、コリンの父であるコリントスは悪い噂のない商人だから信じたかった。しかし、コリンの気合いの入りようはまるで普段の彼とは別人のようで、トゥルカは何故か彼の姿に彼の父親が重なって見えた。


 直感で理解した。

 コリンはもう自分の意思ではなく、父親の意思に突き動かされていると。


 父親が大好きなコリンだ。父親の望むものは欲しくなるし、父親が軽視するものは軽視していいと思うし、父がやる気だと悟れば自分もやる気が沸く。コリンの行動は、コリントスの教育がそうさせている。


 コリンはとうとうミノアの地の洞窟に子供の虎がいるのを発見する。

 彼は何の躊躇いもなく、護身用だと言い張っていたクロスボウを構えた。

 トゥルカが嫌われる事もいとわず彼を止めなければと思ったときには、全ては遅かったのだろう。


『コリン、やめるんだッ!! 掟を破る気かッ!! 俺はそんなことのためにお前の護衛をしたわけではないぞッ!?』

『僕は知ってるんだ。王国じゃ地方によって無許可でも狩猟が許可されてるってさ。子虎も高く売れるって聞いたし、大人の虎がいないなら逆にラッキーだ。よし、構えて、狙って……!!』

『コリンッ!! 俺の声が聞こえないのか!? コリン、コリンッ!!』


 その直後だっただろうか。

 子虎をかばうように洞窟から巨大な陰が躍り出てきたのは。

 コリンの放った矢は、それに命中した。


『グギャッ……!!』


 それは、見たこともない人型の巨大な存在だった。

 言い伝えに出てくるバケモノのようなそれは巨体と緑の肌という明らかな異形でありながら、どこか女性的な雰囲気のある存在だった。それは虎を庇って腹に矢を受けながら、決して虎を傷つけさせないとばかりに両手を広げて吠える。

 トゥルカも身が竦むほどの両眼に籠もる意思の強さで、それは咆哮した。


『ギャオオオオオオオオオオッ!!』

『ひっ、お、オーク……!! う、うわぁぁぁぁッ!!』


 コリンはその姿に恐怖し、我を忘れて叫ぶ。

 だが、トゥルカにはその生物の威嚇は警告に聞こえた。

 これ以上近づくな、傷つけるな、さもないと反撃するぞ、という威嚇だ。決して襲い食らおうとしている動きではない。野生動物を狩ってきたトゥルカにはそれが理解できた。しかし、コリンは違った。


『人を襲い食らうバケモノが、なんでこんな場所に!? い、いやだ!! 助けてトゥルカ! うわぁぁぁぁーーーーーッ!!』

『コリン!? よせ、そっちに逃げたら死ぬぞ――ッ!!』


 パニックを起こしたコリンが逃げた先は、ミノアの地から降りる傾斜地。

 角度にして三十度以上の傾斜が延々と続く場所だ。

 きっと、上ってきたコリンにはその傾斜の意味が理解できなかったのだろう。三十度の角度を手で再現すると大した傾斜には見えないし、遠目に見ただけなら上れそうにも見える。


 しかし、ミノアの地の傾斜は硬い山肌と多少の岩が延々と続いている。足場としては最悪で、一度バランスを崩せば二度と止まることが出来ない死の傾斜だ。コリンは迂闊にもそこに足を踏み込み、そして呆気なく転んだ。


『あっ、ガッ、い、助け――!?』


 悲鳴を上げながら、決して止まれない傾斜を加速しながら転げ落ちていく親友を、トゥルカはただ見ていることしか出来なかった。絶対に助けるのが間に合わないし、もう手遅れだった。


 トゥルカは、あの怪物はトーテムだったのだろうと思った。神聖なる虎を守護するそれは、精霊との約束を破らんとする人間に怒り、最後の警告に訪れたのだ。少なくともトゥルカが見たそれは、理性のないバケモノには見えなかった。


 トゥルカは果てしない無力感と喪失感に苛まれながら下山し、コリンを探した。

 見つかったコリンは、もう誰なのか判別出来ないほど壊れきっていた。


 掟を破った者が罰せられるのは当然だが、これはあんまりではないか。

 コリンはこんな姿になり果てるほどの罪を犯したというのか。

 答えのでない自問自答を繰り返しながら、せめて亡骸はとトゥルカはコリンだったものを村まで連れ帰った。彼の父親に血走った形相で何があったのか聞かれ、トゥルカはこう答えた。


『コリンは村の掟を破って虎を射ようとし、精霊の意によりその報いを受け、崖から落ちた……』


 勝手に驚いて足を踏み外して死んだ――そんな無様な死因はあまりにも悲しいと思ったトゥルカは、せめて精霊による罰が下ったのだと主張した。

 そのときのコリントスの顔は、今も忘れられない。


『――ふざけるなよ辺境地の野蛮な餓鬼がッ!! 息子が気に入っているからと思い少し気を許したらこの様で、自分の不手際を言い訳かッ!! 何が精霊だ、何が掟だ!! 息子が虎に襲われるのを臆病風に吹かれて黙って見ていたんだろうがッ!!』


 狂気、だった。


『殺してやる、この島から根絶やしにしてやるッ!! そうだ、虎なんぞいるからこの島の住民はどいつもこいつも王国の文化を軽んじるんだ、馬鹿な劣等民族のくせにッ!! 精霊が罰を下しただと!? だったら私がこの島の虎を全て殺し尽くして精霊から息子の敵を取ってくれるッ!! 精霊なんてものはなぁ――この世には存在しないんだってことを証明してやるよッッ!!!』

『貴様、貴様は……ッ』

『どこだ、あの子の命を奪った虎は!! 直々に殺してやらんと気が済まんッ!! あの子の死に欠片でも責任があると思ってるなら案内しろッ!!』


 あの聡明なコリンがトゥルカの言葉も耳に入らず、無用な危険を冒して無駄に死んだ理由。それを作ったのは、山を甘く見て、虎を商売の商品としか思わず、獣は狩って当然だと信じて疑わないこの男の生き霊がコリンに取り憑いたからだ。


 そんな薄情で分からず屋ではなかったコリンを殺したのは、この王国人の傲慢な心と文化からにじみ出た毒なのだ。


『貴様がそんな風だから、あのときコリンは……貴様のような奴のために、コリンは……全部貴様のせいかぁッ!!』


 そこからは、おおよそ会話と呼べるレベルのものはなかった。

 獣同士が吠え合うような醜い応酬の末、トゥルカは出て行った。

 王国人を一刻も早くこの島から追い出すべきだと。


 妹には、コリンは虎に襲われて死んだと説明した。

 そして、コリンを無謀にも虎に向かわせたのはコリントスのせいだとも。


 彼女はそれ以来、コリントスがコリンを殺したのだと思うようになった。

 父親は虎が殺したのだと解釈していた。

 トゥルカもあのときは冷静さがなく、当事者のなかでコリンの死はバラバラに分岐してしまった。


 それから、トゥルカはもう一度ミノアの地に向かって精霊を探した。

 王国人の罪を告発し、追い出して欲しいと願うためだ。


 精霊はいた。

 ただ、何もしてくれなかった。

 ひとりだけ、手の届く範囲でいいなら虎を守ると小さな精霊が言ってくれただけだ。


 精霊をあてにできないと思ったトゥルカは即座にフロンの人々に訴えるしかない。

 トゥルカは地元の戦士たちに王国人は追い出さなければいけないという話を延々と主張して回ったが、猫かぶりで得たコリントスの信用の壁は厚く、一ヶ月後には誰もトゥルカの言葉に耳を貸さなくなった。


 それはトゥルカが嘘つき呼ばわりされただけではない。

 コリントスが手段を選ばぬ人心掌握を始めて、虎の死体を持ち帰り、それが財に化ける様を港で皆に見せつけたことが、本当は大きかった。


 最初に同調したのは数名。

 その数名の家がみるみるうちに豊かになっていき、後から群がる者が十数名。暫く経つとフロンという町はあっけなく王国の毒に支配され、ついには父までもがそうなった。トゥルカは自力でどうにも出来ない毒に怒るしかなく、無力だった。


 やがて毒に耐えきれなくなった母が東の地に引っ越すことになった際に両親は揉め、母とトゥルカ、父と妹に家族は分裂。同じ考えを持った僅かな村人と共に、港町として豹変していく故郷が遠ざかっていくのを見つめながらトゥルカは思った。


 王国人も、王国人にあっさり毒された同胞も、いずれトーテムが罰しにくる。


 既にその頃には、ハンターたちの間ではトーテムセブンの存在が噂されていた。




 ◆ ◇




「――それが、トゥルカ。お前が王国の客人にずっと無礼であった理由か」

「そうかもな」


 シャーナの問いに、トゥルカは曖昧な返事をした。

 彼女の胸中を渦巻くのは、ただただ戸惑いだった。東の村で育ち西に行ったことのない彼女には想像すら出来ないことだった。また、あれほど王国を毛嫌いするトゥルカが王国人の友達を持っていた事も、妹がいたことも知らなかった。


(妹と離ればなれに……)

「ヘンなことだらけで頭こんがらがってきた……」

(私がこの子と離れたら、一体どれほど心配になるだろう……)


 話が難しかったのか混乱して首を捻るムームーを見て、シャーナは自問する。

 シャーナにとってムームーは誰より可愛いたった一人の弟だ。シャーナが女の身で戦士に志願したのも、ムームーがたまらなく心配だったからでもある。話の節々から妹と仲が良かったであろうことを匂わせるトゥルカの胸中は如何ほどだろう。


「ねーちゃん、洞窟の中に……ちっちゃい虎だ。可愛いな」

「あっ、こらムームー。むやみに近づいてはいけない」


 洞窟の中から様子を伺うように出てきた子虎にすぐ気を取られたムームーを静止する。ちらりとトゥルカの方を見ると、二人の様子を見て何かを思い出すように目を細めていた。もとより目つきが悪いため睨んでいると今までは思っていたが、彼も離れた地の家族を想っているのかもしれない。

 子虎たちは人に懐いてはいないようだが、不必要に警戒もしていないようだった。


「子供の精霊と俺は定期的に出会い、虎の様子を見てもらっていた。何度か直接来たこともある。コリンが死に、俺が黙したためにコリントスはミノアの地に至る道をまだ見つけていなかった。俺にはぴろろと名付けられたあれしか協力者がいなかった」

「そうか、ヘンだとは思っていたが、精霊様に対する不遜な物言いは、既に顔見知りだったからなんだな……」

「今日、ぴろろはたまたま我らの前に姿を現したのではない。ファミリヤとやらが彼女を見つけたときには、彼女は俺の元に向かっていたのだ。俺に凶報を知らせる為にな」

「凶報……? 何のことを言っている?」

「ミノアの地の近くに人間の気配を感じたら急いで知らせて欲しいと頼んでいた。そして先ほど彼女に聞いた。ミノアの地へ向かう崖の隙間に人間の足跡があったとな。きっとコリントスだ……自力でここまで辿り着いたのだ」


 トゥルカは槍を持って、ミノアの地に通じる崖の隙間を見下ろす。

 恐らく昔、この道は存在しなかった。

 崖崩れか何かで偶然出来た道だろう。

 目を細めて眼下を見下ろすトゥルカに闘志が漲っているのが分かる。

 ムームーもそれを感じ取ったのか、声が震える。


「と、トゥルカ……お前ヘンだぞ……なんか、怖いぞ!」

「コリントスは来る。虎を殺しに……だから俺はトーテムセブンがもしも奴を止められなかった時の為に、ここで戦う」

「戦うだと!? 馬鹿な……確かに戦士は戦う為の存在だが、仮にも同じ人間を殺すとでも!? それは許されざる罪だぞッ!!」


 確かに虎を殺すのは許されざる所業だ。

 まして抵抗できない子虎を手にかけるなど卑劣にも限度がある。

 しかし、それを防ぐために相手に直接手を下せば、如何にこの島の住民でも行き着く先は島からの永久追放――実質的な島流しだけだ。しかしトゥルカの目に迷いはない。


「殺さねば奴は止まらない。騎士など待っている間に虎は殺されてしまう。怪我をしたくなかったら弟を連れて精霊の住まいに戻っていろ!」


 大声に驚いた子虎たちが慌てて洞窟に戻っていく。

 トゥルカは本気だ、と、シャーナは戦慄した。

 彼は、掟の為に殺人を犯そうとしている。

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