第367話 一人じゃここまで出来ません

 騎士団は、オークが跳躍する可能性は考慮していた。そのためベランダのある部屋全てにオークが跳躍してきても迎撃可能なように騎士を配置し、善意の協力で料理班の手練れも避難者のケアをしつつ迎撃用意をして貰った。


 しかし、跳躍の可能性は考慮しても、ロープアクションの考慮などしている筈もない。完全に想定外のアプローチだ。

 コーニアが「避難者を襲う気だ」と叫んだそのときには、ローニー副団長は喉が張り裂けんばかりに叫んでいた。


「いかん、侵入される前に何としても撃ち落とせぇぇぇぇーーーーッ!!」


 現場にいた騎士たちがロープをよじ登るオークをたたき落とそうと、一斉に剣や石、投げナイフなどを投擲する。しかし低い場所から高い場所にいる存在を撃ち落とすのは唯でさえ難しい上に、ここにきて弓やクロスボウの所持者に一撃離脱を徹底させていたのが裏目に出た。


 先ほどの一斉射撃が外れたことによる士気の低下に加え、未遂とはいえ上からの強襲に慌てふためいた射撃部隊は陣形が乱れきり、機能不全寸前だった。ただ、その中でカチーナの父であるエトトだけは目の色を変えて射撃を続行している。


「あの子は私の唯一の宝! 奪わせてなるものかぁッ!!」


 鳥など高所にいる相手をよく狙っていた元ハンターの腕前か、多くの攻撃が外れる中でエトトの射撃が容赦なくシワンナの足に突き刺さる。だが、シワンナは悲鳴一つあげず腕力だけでロープを上り、とうとう最上階の窓の縁に手をかけた。


 最悪だ、と、ローニーは内心で叫ぶ。


 オークが手をかけた部屋は、ベランダがなくオークの跳躍力でも届かないであろうため、侵入者対策を殆どやっていない。また、落下防止の為に簡易的とはいえ格子が嵌められていたために後回しにしたのだ。頭数が少ない現状で敵の侵入リスクの高い場所にリソースを割いたことが災いした。

 せめて部隊の人数がもう少し多ければ対応できたものを、と、ローニーはほぞを噛む。


 たった今、コーニアを含め何人かの騎士が最上階の部屋に向かいだしたが、研究院は建物として大きく移動に時間がかかる上に螺旋階段一つでしか上り下り出来ないため、このままでは間に合わない。


(神よ――いや、神でなくともいい!! 誰か奇跡を起こしてくれッ!!)


 今、この場にいつも奇跡のような真似を平然とやってのけるあの頼もしい後輩はいない。




 ◆ ◇




 最初、避難部屋内は楽観論で満たされていた。

 どうせオークなど町に来ないと思ったからだ。


 次に、オークが町に出現したと知らせがあった時も、楽観論は続いた。

 どうせ避難場所にまで到達するまえに騎士が倒すと思っていたからだ。


 だが、外から目を離せないでいたカチーナの一言が、流れを変えた。


「そんな、やだ、バケモノがこの部屋に上ってくるッ!!」

「なんだとッ!?」


 自分は被害に遭うことはない、とか、大げさな反応だ、とか、商売の邪魔だ、とか。身勝手な事ばかり言って自分たちを問題の当事者から遠ざけてきた楽観的な態度が真逆に豹変する。


「オイここにいれば安全なんじゃなかったのか! ふざけるなよ!!」

「きゃあああッ!! 逃げないと殺されるわッ!!」

「ちょ、落ち着いて!! 子供と女性から先に――うわっ!! どいてくれ、窓に近づけないッ!!」


 恐怖の伝染は一瞬だった。

 自分たちに命の危機が迫っていると感じた瞬間、住民たちは我先にと醜く揉み合いながら出入り口に殺到し、窓の側に向かおうとした騎士まで押しのける。なんとか窓から迫るオークを迎撃できないかと考えた騎士は必死でそれに抗おうとするが、パニックを起こした住民たちの耳にはもう何も届いていない。


 自分たちの背を守る人間が必要なのに、その人間を押し留めるという矛盾。

 客観視すれば愚かな行為だが、自己保全の本能に囚われた人々は理性より恐怖から逃げることを優先する。我先に、我先にと。中には一廉ひとかどの冷静さを残してなんとか流れを誘導しようとする人も居たが、「邪魔だ」の一言と暴力に押されて何も出来ない。


 カチーナはその光景を見つめ、涙を流した。

 少し前まで、人と獣の距離はもっと明瞭であった筈だ。必要以上に恐れることはなく、暗黙の境界線と掟を守っていれば恐怖する必要もなかった。なのに西の民は自らそれを捨て去り、今になって都合が悪くなるとこの様だ。


 文化が王国化して、何を得たのか。

 得た物に夢中になりすぎて失ったものに気付かなかった結果がこれか。


「――うわぁぁぁぁっ!!」

「きゃあっ!?」


 へたり込んだカチーナを無視して通り過ぎた誰かが、彼女の足を蹴り飛ばし、踏みつけた。当人は何も気付いていないようだったが、衝撃に遅れて足に激痛が走る。靴跡がくっきりついた華奢な足は真っ赤に腫れ上がり、衝撃でまた草履の緒が切れてしまった。

 よろよろと立ち上がろうとするが、足の痛みに耐えられず崩れ落ち、カチーナは嗚咽を漏らした。自分が踏みにじられたことより、母やコーニアとの思い出が踏みにじられたことが悲しく、惨めだった。


 パニックを避けて部屋の脇に避難していた研究者の女性だけが、カチーナに気付いて駆け寄ってくる。


「大丈夫!? 足を怪我したの!? 待ってて、すぐに医務室へ――」


 がちゃん、と。

 部屋の窓に嵌められた格子に野太い緑色の手がかかった。

 研究者とカチーナが同時に息を呑む。


 手は何かを探るように格子を探り、手をしっかりとかけ、万力のような力でめきめきと格子を引っ張る。研究者は出口を見るが、太った商人がつっかえたり倒れた人物が起き上がろうと藻掻いてすぐには出られそうにない。騎士は完全に壁際に押しやられて前にも行けない。


 研究者は何かを決意した顔で、「大丈夫、大丈夫……」とぎこちない笑みを浮かべてカチーナを部屋の隅まで誘導すると、先ほどから火にかけっぱなしだった飲み物――水牛のミルクの鍋に手をかける。パニックのなかでも奇跡的に難を逃れたそれは、熱くなりすぎて煮えたぎっていた。

 血の気の引いた唇を震わせ、女性は震える手で鍋を持ち上げる。


「私がやるしかない、私がやるしかない、私がやるしかない、頑張れ、頑張れ、オークは肌がデリケート……!!」


 彼女の視線は窓、鍋、そしてカチーナの間で揺れ動く。今、カチーナを守れるのは自分だけだと決意したのだと考えているのだろう。研究者が窓の真ん前に行くのと、オークが格子を力尽くで引き剥がすのはほぼ同時だった。


「わぁぁぁああああああああッ!! 落ちろぉぉぉぉぉッ!!」


 怯えを誤魔化すように全力で咆哮した女性は、顔を出したシワンナの顔面に煮えたぎった鍋のミルクをぶちまけた。


「ブ、ゴギャアアアアアアアアアアアアアアッ!!?」


 直後、絶叫。

 摂氏100度に及ぶ液体を顔面から真面に浴びせられたシワンナは、身の毛もよだつ悲鳴を撒き散らし――暴れ狂って窓周辺の外壁を破壊し、部屋の中になだれ込んだ。その事実に気付いた住民たちが更なるパニックを起こす。


「避難所に入って来るぞぉぉぉぉッ!! ころ、殺されるぅぅぅぅッ!!」

「ぎゃあああああああああッ!!」


 襲われても怪我してもいないのに恐怖にかられた住民の悲鳴が研究所内に響き渡り、次々に怒号と部屋の扉が開かれる音が廊下に殺到する。いつのまにかパニックは施設全体に伝播していた。


 だが、研究者の女性の決死の攻撃は決して無駄ではなかった。

 如何なるボス級オークでも眼球や口腔内にまで沸騰した液体を浴びせられるのは耐え難い物であったらしく、何が起きたのか分からず顔を押さえて藻掻き苦しんでいた。ただし、苦しみにのたうつたびに床が大きく揺れ、侵入時に破壊した壁に至っては亀裂が広まっている。


 女性は辛うじて負傷を免れており、なんとかシワンナから離れてカチーナの手を取った。


「にっ、ににっ、逃げましょっ!! 早くっ!!」

「は、はいっ!! 痛っ……!!」

「我慢して!! 命があれば治せるわッ!!」


 慣れない手つきでカチーナを起き上がらせた彼女の必死さに応え、カチーナも歯を食いしばってなんとか倒れず移動する。こんな所で死にたくはない。いつの間にかパニックで詰まっていた出入口も人が少なくなり、出られそうになっていた。


 事態を招いたのは王国人なのに、いま助けてくれるのも王国人。

 結局何が正しいことなのか、生き延びれば理解できるのだろうか。

 あと少し、あと少し――二人は祈るように出口に向かい、そして、二人の背にゆらりと巨大な影が佇んだ。二人はその影の意味を理解し、咄嗟に振り返ってしまった。


「う、嘘……」

「助けて……助けてぇ!! パパァ、誰かぁッ!! コーニアぁぁぁーーーーーッ!!」


 爛れた皮膚と白濁した瞳で低く唸るシワンナが、鼻を鳴らしてこちらを見ていた。




 ◇ ◆




 研究所内に走り込んだコーニアは絶叫した。


「なぁッ!? ウッソだろぉッ!?」


 研究所内の昇降場所である大きな螺旋階段の最上階から、パニックになった住民が次々に駆け下りている。階段が軋むほどの大移動にコーニアは頭を抱えた。オークからカチーナを守る為には最上階に行かねばならないのに、これでは辿り着けない。


 しかも、上階から破壊音とシワンナのものとおぼしき絶叫が響き、別の部屋からも次々に住民が飛び出して我先にと階段に殺到していく。非常用階段に流れている人もおり、しかも先輩騎士たちがパニックになった住民の流れに抗えず、現場に向かえていない。


 コーニアは氣をまだ殆ど習得出来ていないので、ヴァルナのように跳躍で器用に上には登れない。どうすればいいか困惑していると、厨房の扉が勢いよく開いて騎士団の胃袋の支配者であるタマエ料理長が駆けだしてきた。


「何の音だい今のは! ん? 上の階が蜂の巣をつついたような騒ぎじゃないか!!」

「タマエさん!! ええと、オークが上の階から侵入しようとしてるらしくて!! 俺、上に行きたいんですけど階段が使えなくて……!!」

「ふぅん……上に行けりゃ、なんとかなるんだね?」


 タマエ料理長の真剣そのものな視線に一瞬気圧されるコーニアだが、すぐに脳裏にカチーナの不安そうな顔が浮かんで意は決する。


「なんとかしますッ!!」

「いい顔じゃないか、男前だよ。それじゃあ、アタシが送り届けてやるよ。何階だい?」

「え……」

「何階のどの辺の部屋に行きたいんだい?」

「それは、えっと、最上階のあの辺の……」


 施設内は中央が吹き抜けのため、行きたい部屋は確かに一階からでも目視で確認出来る。しかし、一体どうやって――? と疑問を投げかけようとしたコーニアの襟首と股間――防具で一応守られている――を、タマエがむんずと掴んで荷物運びのように持ち上げた。

 かるで赤子をあやすように容易く持ち上げられた現状に、コーニアの混乱は頂点に達した。


「え? え?」

「羽の黄色いヒヨッコとはいえ騎士なんだ。舌噛まないよう口閉じて、受け身は自分で取りな!! どぉぉっ――」


 タマエの全身から凄まじい氣の流れが渦巻く。

 まさか、と嫌な予感が脳裏をよぎった瞬間、タマエは腰を低くして全身を捻り、コーニアの体そのものを振りかぶった。


「――せぇぇぇーーーーいッ!!」

「う゛あ゛あぁぁぁーーーーーーッ!?」


 次の瞬間、コーニアは人生で初めて一〇メートル近く上空へと射出された。


 死ぬ。

 これは、死ぬ。

 コーニアの脳裏を走馬灯がよぎるが、奇しくも走馬灯はコーニアの人生の中から有益な情報を抽出して教えてくれた。


(衝突時に舌を噛まないよう口を閉じて、頭を守って体を丸めるッ!!)


 わずか数秒で所内の最上階の廊下まで飛来したコーニアは、そのまま壁までごろごろと転がって停止し、咳き込みながら立ち上がる。


「げほっ、げほっ、壁にギリギリ衝突しないよう力加減してくれてた……マジで死ぬかと……って、そんな場合じゃねえッ!!」


 突然下方から飛び上がってきた騎士の姿に住民たちも唖然として足が止まっていた。その一瞬の隙を突き、コーニアは抜剣して走り出す。


「王立外来危険種対策騎士団、騎士コーニア!! まかり通るから邪魔すんじゃねええええッ!!」


 コーニアの気迫に圧された人々が自然と進行方向に道を開け、遂にコーニアは部屋に辿り着く。そこには互いに抱き合って恐怖に震える研究者とカチーナの姿、そして醜く皮膚の爛れたシワンナの姿があった。


「助けてぇ!! パパァ、誰かぁッ!! コーニアぁぁぁーーーーーッ!!」


 カチーナが泣き叫ぶ。

 今飛び出せばシワンナとコーニアは一対一だ。

 実力的に、高い確率で死ぬだろう。

 しかし出なければカチーナが死ぬことになる。


 恐怖は感じなかった。

 ただ、騎士たる者としてすべきことを為すだけだった。

 コーニアは一直線にシワンナに接近し、渾身の力を込めて奥義を解き放つ。


「九の型、打翡翠うつせみぃぃぃぃぃッ!!!」


 体を沈ませながら剣を振り下ろすことで、リーチを縮める代わりに何より重く素早い一撃を放つ。コーニアが習得している数少ない奥義だ。咄嗟にシワンナが腕を振ってコーニアを弾き飛ばそうとするが、振り下ろした刃がかろうじて先にシワンナの腕を切り裂いた。


「グガギギギァアアアアアアアアッ!!」

「おぉぉぉぉぉぉッ!!」


 反撃されれば負けるなら、反撃されないよう攻撃しまくれ。

 それが王国攻性抜剣術の、そして尊敬するヴァルナの教え。

 今退けば勝てないと直感したコーニアは捨て身の力で連撃に出る。


「八の型、白鶴ッ!!」

「アギャッ、ギィィィィィッ!!」


 斜め下から逆袈裟の切り上げがシワンナに裂傷を刻む。

 だが、当たりが浅く、シワンナの怯みが弱い

 コーニアはまだ白鶴を完全に習得しきっていなかった為、威力が弱かったのだ。

 直後、コーニアの側面から凄まじい衝撃が走る。咄嗟に気配を察して首を竦めたコーニアは、気付けば壁に叩き付けられていた。


「か、あ……ッ」


 視界を火花のような光が散り、内臓が揺さぶられる。

 そのまま視界が白んでいくが、カチーナの悲鳴が意識を辛うじて繋ぎ止めた。


「コーニア、コーニアぁっ!! 死んじゃやだよう、置いてかないでようっ!!」


 胸を締め付けられるような切ない叫びに、コーニアはぎりぎりと歯を食いしばって倒れ伏しかけた体を動かし、堪える。衝撃平衡感覚が狂って吐き気を催すが、まだ骨は折れていないようだ。まだ戦えるのに、体が言うことを聞かない。


「ぜはっ、ぜはっ、くそ……このぉ……!!」


 本当なら、これが現実だ。

 まともにオークと戦うだけでも危険なのに、相手は規格外のボス級オーク。素人騎士で実戦経験の乏しい自分がここまで戦えただけで奇跡だ。しかし、カチーナを助けるためにはその奇跡を何度でも起こさなければいけない。


(ヴァルナ先輩……騎士ってこんな、重いんですね……だから先輩はあんなに強いんですか……?)


 いつも平然と揺るぎない信念を口にする偉大な先達の強さの理由が、少しだけ垣間見える。それに縋り、コーニアは己を奮い立たせて剣を杖に立ち上がる。


 コーニアはいつもそんなヴァルナを尊敬したが、それを口にするとヴァルナは少し照れながら、いつもあることを念押ししてた。


『まぁ、どんなに偉そうなこと言っても俺は所詮一人の騎士だ。出来ることには限界がある。だからこそ、仲間ってのは有り難いんだ。みんなで欠点を補い合って同じ目的に向かい続けるから……俺も青臭く自分なりの騎士道を貫ける』


 あのときは意味がよく分からなかった。

 ヴァルナは一人で数多の騎士を蹴散らす無敵の戦士だ。

 騎士団勤務も、自分とたった二年の違いで様々なことを熟知している。

 しかし、自分の限界が見えるからこそ、今なら分かる。


「おっしゃ、漸く人混み突破ぁッ!!」

「よーくも後輩をいじめてくれたなキモオークがッ!!」


 振り向けば、三馬鹿とよく揶揄される先輩騎士のアル、ベン、カツェが部屋に突入してきている。カツェはシワンナを見るなりぼそぼそと呟く。


「お前の想いびとはそんなこと望んでいまいに……アル、あいつ多分目がよく見えてない」

「マジか。おーし……ホレホレこっちだクソオーク!! まさか耳まで悪いってこたぁねぇよなぁ!!」


 アルはカツェの意見を信じて大声で気を逸らし、更に床に落ちていた鍋を蹴り上げて派手に音を響かせる。ベンはその隙に職員とカチーナを部屋の外に誘導し、カツェは二人のサポートに最適な位置取りに導かれるように立つ。


 長らく騎士団で任務を共にこなしてきたが故の連携によって、絶望的な状況が一気に四対一にまで持ち直した。普段あんなにふざけ散らかしているのに、今回ばかりは流石としか言いようのないチームワークだ。


 なんとか息を整えたコーニアは立ち上がる。

 三人が時間を稼いでいる間、自分に何が出来るかずっと考えていた。

 今、コーニアにしか出来ないことはきっと一つしかない。


「先輩たちッ!! そいつ、シワンナは……足に矢が刺さって弱ってますッ!!」


 さっき、偶然にも息を整える為に低い姿勢でいたから気付けた。

 今、シワンナの足の背部には複数の矢が刺さっている。

 最初の一撃を受けた際にコーニアが思いのほか重傷を負わなかったのは、相手が手加減をしたからではない。足の負傷で思い通りの力が発揮できていないからだ。現に、突き刺さった矢の先端からぽたぽたと漏れる鮮血が、シワンナの足下に血だまりを作り始めていた。


 ――シワンナが施設を上り始めてすぐに施設内部に入ったコーニアは知らないことだが、その矢たちはエトトが娘を守る一心から執念で命中させた矢だった。足を使い物にならなくさせるには至らなかったが、そのダメージは次第にシワンナを追い詰めていたのだ。


 足が弱ったシワンナに、血で滑りやすくなった床、そしてシワンナが空けた大穴。四人は状況を鑑みて一つの結論を出す。


「やるか……おっし! 外で待機してるみなさーん!! シワンナの侵入した穴の下から大至急避難してくださーいッ!! って、どわぁッ!?」

「ブギャアアアアアアアッ!!」

「何やってんだアル。自分から場所知らせちゃうんだから世話ねぇな。ほいさっと!!」


 下に伝達を行ったことで自分の位置を知らせてしまったアルをかばうため、ベンは部屋に転がるガラクタをなるだけ派手に音を立てて投げ飛ばし、気を引く。その投擲によってシワンナの視線が三馬鹿の集合地点から逸れた。


「勢い余って落ちるなよ?」 

「ばぁか、落とせるかどうかの話しろよ」

「出来るさ。後輩の頑張りがあったからね……」


 三人は合図もなしに同時に勢いよく部屋を疾走し、三人同時に無防備なシワンナ向けて跳躍した。


「「「落ちやがれぇぇぇぇーーーーッ!!」」」

「ブギャアッ!?」


 三人の両足が跳び蹴りとなってシワンナの胸に叩き込まれる。シワンナの推定体重は300キロ以上だが、武装した成人騎士三人の同時跳び蹴りに加えて足場の悪さと足の弱りを加味すれば、その威力は十分。シワンナの体がぐらつき、自分で空けた大穴に傾いていく。


 しかし、あと僅かのところで、シワンナの野生のバランス感覚が勝り、傾ききらない。


「グッ、グッ、グッ……!!」

「でぇぇぇーーーッ!? そこは空気読んで落ちろよッ!!」


 三人同時に全力で跳び蹴りしたアル、ベン、カツェは咄嗟に立ち上がって攻撃に移れず、このままではシワンナを建物外に落とす作戦が水の泡だ。

 ――そう、蹴りが本当に三人分ならば


「カチーナを泣かせといて……いい加減にしろッ!!」


 ふらつく体に鞭打ったもう一人の騎士、コーニアがシワンナに体当たりした。

 辛うじて保たれていた均衡が崩れる。

 シワンナはそれでも生き延びようと必死に腕を振り回し、壁を掴もうとして空を切り、とうとう出血で足が滑って上半身が外に投げ出された。




 ◆ ◇




 人間によって宙に投げ出された瞬間、シワンナは神が天上から垂らしたような救いを見た。


 自分が上部に上る際に巻き付けたロープが、まだ垂れ下がっていたのだ。

 シワンナは次第に滑り落下を始める体を支える為にロープを手に取って全身を預け――するり、と、ロープと体が宙に投げ出される。


「ぜーっ、はーっ、もう、みんな視野狭いんだからぁ……酔っ払いのおっさんが、本気出すもんじゃないねぃ……あー腰痛い」


 ――シワンナには見えなかったが、屋根の上には避雷針に引っかけていたロープを切断した人間のくたびれた姿があった。男の名はロックというが、シワンナには知る由もない。


「――~~~~~ッ!!」


 声にならない悲鳴を上げて落下するシワンナ。

 しかし、オークは状況によって二足歩行と四足歩行を切り替えることも出来る生物だ。高所で活動することも多いシワンナは、生き残るために空中で身をひねってなんとか四足で着地する体勢を整える。


 ドズンッ!! と、大地が震えた。

 シワンナの四肢に衝撃が迸り、矢を受けた足の筋肉がブチブチ悲鳴を上げて裂け、流血が伝った。今の着地が致命的となったか、シワンナは既に足に力が入らなかった。


 ――ここまでか。


 上体を起こして周囲を見渡し、シワンナは諦観の念を抱く。

 足が動かなくなったシワンナを、弓やクロスボウ、槍や剣を抱えた大勢の人間が敵意を剥き出しに包囲している。最大の機動力を生み出す足を失った今、シワンナは羽を捥がれた羽虫のようなもの。もう一筋の光明も見えなかった。


 人間の中から、周囲より立派な装備をした眼鏡の男が前に出た。

 男は洗練された手つきで剣を眼前に掲げる。


「王立外来危険種対策騎士団所属、副団長、兼、第一部隊長ローニー・ショルドア――参る」


 シワンナには、彼の言葉の意味を理解出来ない。

 ただし、男に侮蔑や怒りの感情がないことは分かった。

 最後の最後は、一対一で戦わせてくれるらしい。


 ――人間は、ずるいな。


 シワンナはゆっくり歩み寄ってくる男を見据え、使える全ての肉体を駆使して腕を構えた。


「ゴアアアアアアアアッ!!」

「――三の型」


 男は、岩をも砕く豪腕を燕のようにするりと躱し、気付けばシワンナの眼前にいた。


「飛燕」


 目に映ったのは刹那の煌めき。

 男はそのままシワンナの横を通り過ぎる。

 遅れて、シワンナは自分の視界がゆっくりと傾いている事を自覚し、静かに目を閉じる。数秒後、シワンナの首は地面にぼとりと落ち、そして意識の全てが闇に沈んでいった。


 ――先に逝く。皆、悔いのないようにな。


 最期は、想像していたよりは穏やかだった。




 トーテムセブン、シワンナ・トーテム――ローニー・ショルドアにより討伐完了。


 備考――避難民に負傷者七名(うち全員が集団パニックに巻き込まれたもの)、騎士団に負傷者三名(うち二人が集団パニックに巻き込まれたもの)、任務後に重度の腰痛を訴える者二名。

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